第3話 キャラバン:前編
私は数十分ぶりのヴィレッジに戻って来た。
元は地下に広がる商店街。広い通路に沿って作られた店舗がひしめく場所。きっとその全てが機能していた時は多くの利用客で賑わい、活気に満ちていたであろう。
だが、ここがシェルターとして機能したその瞬間から、この地下街の店は全て閉じられた。
陳列棚にマットやビニールシートがかぶせられ、広い店内や通路が区画分けされ、店舗は居住スペースとされた。
飲食店の一部はそのまま食堂として使われているが、戦前程の凝った物は出る事はない。地下街の更に地下に存在する製造区に貯蔵されている食材や、私達探索隊が狩ってくる動物を調理する。
製造区である程度機械が全自動で食材を加工してくれる為、料理人は然程スキルが無くても焼くだの煮るだのができれば良い。
私は味に関して拘りはないし、そもそも味がどうの言っていられるほど贅沢など出来ない。
しかし、それでもこのヴィレッジの他より優れている点があるとすれば、名コックが食堂を任されている事だろう。
「ステアー!」
ぼんやり歩いていた私の背後から声がして振り向く。
ボロを纏った人々の合間を縫って、油まみれのエプロンを着けた男の子が手を振りながら駆け寄って来た。
彼こそヴィレッジの名コック、川手理緒。一三歳の少年だが並はずれた料理センスを持っていたらしく、十歳で探索隊に入れられるこのヴィレッジで珍しく探索隊に入れられる事無く調理場に入った天才児。
背が低く、よく私の後ろを着いて歩く姿に私は実の弟の様に可愛がっていたが、最初は普段から一緒に行動をしていた彼にそんなセンスがあるとは思ってもいなかった。
私が初めて探索隊となって狩猟に出かけ、初の獲物である馬を持って帰って来た時、僅かな時間で捌いて煮物にして振舞って来た時は私も彼の実力を認めざるを得なかった。
彼の存在があってか、ただある物を焼くだけの物が用意されていたこのヴィレッジは、海沿いのヴィレッジが生産する塩を物々交換で取引する様になった。
ヴィレッジは戦前の駅の地下街や、地下鉄の駅そのもの等がそのままシェルターとして機能するものであり、ヴィレッジ間が繋がっている地下鉄のヴィレッジは互いに交流が容易だが此処はそうもいかず、地上を行き来するしかない。
地下鉄は戦前の地下鉄の線路を歩くだけで良い。
落盤が無い限りは汚染によって突然変異したミュータントを気にするぐらいで良いし、何より道に迷う事も無い。旅の道中で汚染された水を含む雨に降られる事も無いのだ。
脱線したが、理緒は探索隊に参加しなかったが私の身を凄く案じてくれる。
彼は体が小さく、彼自身の性格的にも探索隊は向かないだろうと今は思う。彼は怖がりで優しすぎる。
生きた状態の獲物を怖くて捌けず、包丁を持ったまま固まっていた事もあったっけ。今では流石に慣れた様だが、私は調理をする姿を見ていないので真偽の方は明らかではない。
「ああ、理緒、ただいま」
「おかえり! 早かったね!」
ぎゅっと私に抱きついてくる。その回した腕は私の腰回りに届いており、顔を私の腹部に埋める。私の顔を見上げた彼の絹糸の様なサラサラの短い黒髪をそっと撫でた。
「大した用事じゃなかったからね」
「ふーん。悪者退治じゃなかったの?」
理緒には出かける理由を言っていなかった。何故知っているのだろう。
「誰から聞いたのかしら」
「この前のブリガンドの襲撃の後に南部さん怪我したし、それでステアーが銃持って出て行くのを見たら何となく予想つくさ」
どうやら彼は私の見ない間に理知的になったようだ。
私と6つ違うだけの目の前の少年は私よりもずっと頭が良い様に見えた。
人の行動や、周りの空気と言う物を鋭く見抜き、考え、理解する力を持っているのだ。
探索隊に入らなかった彼を私は何処かで過小評価していた様だ。
「次のキャラバンはいつ来るんだろうね?」
私に頭に撫でられたまま、大きな黒茶色の瞳を爛々とさせている。
地上を行くヴィレッジ間の交易をする為に結成された集団の事をキャラバンと呼んでいる。
彼らは交易品を運ぶ運び人と、それを危険から守る為の護衛二人の最低三人、またそれ以上の人数で構成されている。
横浜のヴィレッジから来るキャラバンは時折ブリガンドを警戒し、隠密性を高める為に少人数で来る事もあった。
お互いのキャラバン同士が話し合ってある程度のルート決めをするのだが、ブリガンドの襲撃やミュータントの生息地域の変化によって頻繁にそのルートを変えている様だ。
私はキャラバンに参加した事はなく、他のキャラバンが来る頻度など把握している筈も無い。
「わからないわね。どうかしたの?」
「塩がもうすぐ無くなっちゃいそうで……」
「それは大変ね。イサカは昔キャラバンの経験があるみたいで今のキャラバンに知り合いとかいるだろうし、後で聞いてみるわ」
私がそう言うと理緒は頬を緩ませながら笑みを零した。
「お願いね! そういえば昼に届いた肉が一頻り片付いたから、端材で何か作るよ」
「え、でも塩とか少なくなってきてるんじゃ……」
「良いの良いの、ステアーひとり分くらいで変わる量じゃないさ」
理緒は私の傍から離れると直ぐに踵を返し、駆けだす。そして振り向くと笑顔で私に向かって手招きをする。
つい先程までの張り詰めていた空気との落差に私は肩で一度深く息を吐くとその手招きに応じて歩き出した。
ヴィレッジの入り口に近寄る人間は少ない。
先日のブリガンドの襲撃があったのもあるが、それ以前に、此処に住む二〇〇人近い住民の内、三〇人程は探索隊やヴィレッジキャラバンとして出入りはするが、基本的に外に出て戦う能力のない女子供、老人等はヴィレッジから出る事はない。
その三〇人の外へ向かう人間も、全員総出で出る事も無く、毎日門が開く事も無い。
人は、1つの場所に居着くと惰性でその場に住みつき、動こうとしない。それを悪だとは思わないが、ヴィレッジの収容人数にも限りがあれば、施設そのものにも寿命と言う物がある。
ヴィレッジを開発、運営していた会社など、先の戦争によって失われている。正規の管理者、整備士など六〇〇年以上も前には死んでいる。
そのヴィレッジを引き継ぎ引き継ぎ管理し続けていた一握りの人間達の中に南部もいた。
ヴィレッジの細部に関するマニュアルは存在するが、それを理解し実行できる人間は少ない。いつ外に出れるとも知れないヴィレッジの中で学と言う物を教え伝えるのは難しく、残されたボロボロの戦前から使われていた教科書を使い、私を含むヴィレッジ住民は限られた知識を教えられてきた。
だが専門的知識と言う物はその環境では教えるのは難しかった。
住民達には伝えられていないが、このヴィレッジは色んなところでガタがきている。
汚染水を浄化する浄化装置はヴィレッジの要の1つであるが、その浄化装置の一度に浄化できる水量も年々少なくなってきている。機械の老朽化だ。
地上のあらゆるものが瓦礫に沈んだこの世に、浄化装置の正規品などありはしない。そう言った物の代用となりそうなガラクタを集めるのも私達探索隊に与えられたミッションの1つ。
いづれ、人は地上に巣立たなければ。ブリガンドの様にならず、僅かにあるであろう汚染されていない土壌を探し、そこに移民しなければ、もう数10年もしない内にこのヴィレッジは限界を迎えてしまう。
これは私の考えでもありつつ、南部やイサカ等の事情を知る人間は同じ事を考えていた。
だが、現実と言うのは、上手くいくものではない。
結局そう言った土地も見つけ出せず、私もまた集団の惰性と言うぬるま湯の中に身を置いている。
過去に、戦前の本屋を立ち寄った時に読んだ本の中に、動物の根本には怠惰が存在するとあった。結局は人間も動物と言う事だ。
その本は人間と動物の違う所はなんだ? と言う事について書き記してあるものであったが、肝心な所は焼け落ちていた。
「何難しい顔しているんだステアー?」
その声にハッと顔を上げる。理緒だ。
「暗い顔してた。悩みでもあるの~?」
「ああ、何でもない」
私は頭の周りに取りついた思考の雲を振り払う様に首を横に振って出来る限り笑顔で答えた。
だがその反応は逆効果だったか、理緒は頬を膨らませむくれた。子供扱いしたと思ったのだろう。子供には関係ない、という風に。
「大したことじゃないんだ。寝れば忘れるさ」
精いっぱいの誤魔化し。そんな私に、仕方ないな、と肩を竦めてみせた理緒の姿を見ると、私よりも大人の様に見えてしまった。
居住区に入る。そこには先ほどと同じ大きめのタイルの床に白い壁が広がっているが、何百年と言う長い年月に頻繁に人が行き来し、過ごして来た区画はエントランスより大分汚れ、痛んでいた。
所々罅割れたタイルや壁、毀れ落ちた欠片は長い年月で踏まれ砕かれ、粉となって散らばっている。積もった埃は隅に積み上げられ灰色の山を形成している。
巨大な空気清浄機で外気の塵を遮断し、内外の空気を入れ替えていても、ここの空気は薄く感じる。
その理由としては積み上げられた物、物、物。ガラクタで積み上げられた敷居によって区画分けされた人々の居住スペースで本来広かったであろう通路は人二人が横に並べば塞がってしまう程に狭苦しい。
そしてしっかりした壁で仕切られていない居住スペースが並ぶ為、生活音や臭いと言った目に見えない物は容赦なく敷居の外へ漏れているのだ。
昼も夜も無いヴィレッジ内部。だが血で引き継がれてきた体内時計と言う物は割と正しく、時計で零時を指す様な時間帯には夜の営みの声が微かに聞える事もある。
正直ソレ用の部屋でも用意してもらいたいものだが、あるとすればトイレぐらいしか無い。
私は南部に育てられた事もあってか、しっかりした個室で暮らしていたがこうして居住区を歩くと時折聞こえてきたりして、小さい頃私はその度に早歩きをしてその場を素早く通り過ぎたものだ。
敷居の薄い場所からは貧乏ゆすりの音や食事の咀嚼音まで聞こえてくる事もある。
だが、そんな事を気にしていられるほどヴィレッジ住民は余裕など無いのだ。
「ええい、俺はもう我慢ならねぇ!」
どこからか聞こえる男の声、そしてその声の主であろう男が目の前の通路に姿を現すと、肩を強張らせ鞄と銃を持って私の横を通り過ぎて行った。時折見かける光景だった。
私は通り過ぎ様に男の足に足を引っ掛けた。
時々神経質な住民が銃を持ってヴィレッジの外に出て行こうとしたが、戦い慣れしていない人間がブリガンドやミュータントが跋扈し、時折遠くから吹きつける寒波に生き延びられる筈も無い。探索をしていると瓦礫の溝や廃墟の隅で白くなっている元住民の姿を見る事は珍しくはなかった。
目の前で男が派手に転び、鞄の中の着替えや弾薬を撒き散らす。
鼻を押さえながら男がこちらを向いた。
「て、てめえ何しやがる!!」
「何処へ行こうって言うの?」
「外だよ! こんなせまっ苦しい所に死ぬまでいられるかってんだ!!」
声を荒げて私に怒鳴るも、痩せた体に伸ばしっぱなしの髭、疲れた顔つき、それでは私を怯えさせるには至らない。
私は努めて冷静に男に問う。
「今の足にすら注意が行かない程冷静さに欠けた行動で外に飛び出して、それで生きて行けるのかしら」
「お前には関係ない事だろ!?」
「関係無いわね。でも貴方が外に出て行って勝手に死んで、それを探索途中で見つけて、死体残して荷物全部はぎ取って、荷物は私達かブリガンドが持って行って、残された貴方はミュータントか食人趣味の人間に内蔵ぶちまけられて、骨までしゃぶられる事になっても、私にはやっぱり関係無いわね」
男は私が喋っている合間にどんどん顔が青ざめていった。
「わ、わかったよ……戻るよ……」
渋々と言った様子で散らかった荷物を集め出すと、すごすごと自分の居住スペースへ戻っていった。
それでも、と出て行ける度胸があればもしかしたら生きれたかもしれないが、こんな事で部屋に戻ってしまう様ではやっぱり彼は外に出て行けば生きてはいられないだろう、と内心残念に思った。
そうこうしている内に先行していた理緒が駆けて来た。
「もう! なにやってんのさー!」
「ごめん。自殺志願者がいたものだから止めてやったのよ」
「相変わらずお人よしと言うか何というか……」
「こんな世の中だからこそ隣人の事は気にしてあげる、それが人の情ってものよ」
私の言葉に理緒はニヤッと変な笑みを浮かべた。
「南部さんの受け売り?」
「……うるさいわね」
図星だった。しょうがない。だって私は生き方の全てを南部から教えられてきたのだから。
でもこうして人に言われてみると妙に気恥ずかしかった。
自分でも気づかぬ所に妙な羞恥心があるとは思わなかった。無自覚に私は照れ笑いを浮かべていたらしく、後々まで私は理緒に弄られる羽目になった。
まぁ放っておいてしまった分を差し引いて仕方なし、と私は自分に言い聞かせた。
時々だが理緒はこっそり料理に使わない廃棄する食材で賄い料理を作って私に振舞ってくれる。
料理人達は自分達で配給する物は食べない、代わりに、余った多くの廃棄する食材の端材で料理を作って胃を満たす。
食事はこの世界を生きる私達にとっては重要な物だ。生きるのに不可欠であり、娯楽の代わりでもある。
そんな食事を提供してくれる彼らは尊敬に値する。疲れて帰還する私達を迎える温かい料理、それは明日を生きる為の糧だ。
理緒はこっそりと、帰還する私に賄い料理を作ってくれる。無駄なく食材を使うが、どうしても端材と言うのは出てしまう。二〇〇人分の食事を調理するのであれば当然と言えば当然だ。そんな大量に余った物の一部を食べれる様にしてくれるのである。
私は理緒と他愛も無い談笑をしつつ、温かい肉のスープを御馳走になり、そのまま自室で眠りに着いた――。
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