第2話 ステアーという女

 川崎駅、改札口前のコンコースは戦前、多くの人間が跋扈していた。

 改札前の待ち合わせに使われていたであろう時計塔は、爆撃を受けた当時の時間から針は動きを止めている。衝撃や倒壊に巻き込まれ、折れなかったのはコンコースが広く、その中央に建っていた事や、真上の天井がガラス張りだったのが幸いしたのだろう。

 天井のガラス部分は少ない。だが爆撃が運よく直撃しなかったこのコンコースは隣の商業施設ほど破損は酷くない。

 それが災いしてか構内施設の略奪が横行したのだが……。

 そんな事も遥か昔の事である。


 私は姿勢を低くしながら足場の悪い大階段を上り、登りきった所で左手のフードコート跡に身を隠した。

 壁に背を預け、ちらりと時計塔の方を覗き見る。そこにはブリガンド共が銃を片手に煙草をふかしている。今から襲おうと言うヴィレッジを前によくもまぁ余裕な事だ。でもその余裕は私にはありがたい。


 肩にぶら下げた銃、エムナインと呼ばれる機関拳銃だろう。

 その腰には、ホルスターに収まって見えないがエムナインを持っている点からP二〇〇、九ミリ拳銃。それらを所持している輩が六人。きっとどこかの軍事施設から調達したのだろう。


「さて……」


 私はグッと握り拳を作り、気合を入れると再び腰を落とし、ターゲットへ向かって忍び寄る。

 この連中は数日前にヴィレッジに現れた。

 私が不在の間に連中はヴィレッジの入口がある駅の地下街を襲撃した。ヴィレッジ警備隊や輸送護衛隊の一部が防衛に当たったが多くの怪我人と死傷者を出した。私の育ての親でもある南部は探索隊の隊長であり、かなり腕の立つ銃の使い手だったが、非戦闘員を庇いながら戦う事に慣れておらず子供を庇って腕を撃たれた。最終的に私の他に探索に出ていた探索隊がヴィレッジに戻って来て挟撃されると察したブリガンド連中は早々に撤退したみたい。しかし何も奪えなかったからと大人しく引き下がる連中ではない。再び奴らはやってくるだろうと、私も南部も考えていた。

 奴らブリガンドは自ら地上に残った戦前の技術や食料を探したりはしない。それを持っている人間から奪った方が楽だと考える連中だ。

 目の前で百人以上が収容された大型のヴィレッジがあるというのに一度の襲撃に失敗した程度で諦める筈が無い。奴らはそれほどに強欲で残忍なのだ。


 南部の傷の礼をしてやらなければ気が済まない。……等と直接は言わなかったが私は二度目の襲撃をする為に近くにいる筈の奴らを仕留める為、こうして機をうかがっていると言うわけだ。



******



 マスクを外したのは私は外の空気が好きだからと言う他に理由は思いつかない。この辺の空気も汚れてはいるが、他の土地と比べれば綺麗な方だ。

 空気清浄機が稼働しているヴィレッジ内でも、過密な空間の息苦しい場所である。

 こうしてマスクを外して外の空気を吸っていると、自分が今生きているという事を感じられた。マスクで視野が狭くなるのが嫌だったのもあるが。

 以前一緒に行動していた探索隊の一人がマスクで死角になっていた側面からブリガンドの銃撃を受け、左目を失ったと言う事件が起きた。その時のブリガンドも私が始末したが彼は探索隊から降ろされた。

 その事があってか、事を構える時はなるべくマスクはしたくないと思ってしまった。マスクを着けずとも活動できる川崎駅周辺で出来る芸当だが、十分。


 クリアな視界で捕らえた相手に、私は隙を見て、飛び出した。


「オラァ!!」


 声を上げ、両手に一丁ずつ構えた愛銃を呑気に煙草をふかしていたブリガンド共に向けてぶっ放す。

 トリガーを引き、マズルジャンプを抑える為に腕に力を込める。フルロッキングであるこの銃は反動が少なく、弾をばら撒くには適している。視界がマズルフラッシュで断続的に照らされる。間もなくして、正面から泣き叫ぶ男の情けない声が響きだした。

 激しい銃声の中でも聞えるほどの悲痛な叫びだったが私は容赦等しない。飛び込む様に、相手に向かって走り出した。


「な、なんだテメェ!!」


 真っ先に私の攻撃に気付き、被弾を免れた男は素早く時計塔の陰に隠れ、叫ぶ。


「私んに喧嘩ふっかけてその言い草、気に食わないわね」

「あのヴィレッジの奴か! 舐めた真似しやが……!?」


 なんて面白い顔をしているのだろう。

 男の顔を真上から見る。何が起きたかわからない、と言いたげな男の顔を思いっきり踏みつけた。

 ゴリッと言う鼻の折れる感触がブーツから足に伝う。


 私は相手が時計塔の後ろに隠れたのを確認した瞬間に次の動きを決めていた。

 両手の銃から放った無数の銃弾で五人を薙ぎ倒し、駆け込んだ足を止める事無く直進、時計塔にもたれかかって死んだ奴を踏みつけ跳躍、時計塔を三度の跳躍で素早く上り切り、真下の男に飛び込んだのだった。

 真上からの強襲にうろたえるだけの男を埃まみれのタイルに倒すのは非常に容易かった。

 男の顔を踏み台に軽く飛んで着地する。見下ろしてみれば男は床に倒れながら痛みに悶えていた。


「グッ……こ、こいつ……!!」

「さて、詫びのひとつでも入れて貰おうかしら」


 右手の短機関銃TMPの銃口を顔面に突き付けながらにじり寄る。

 ベルトで肩から提げていた銃は踏みつけた衝撃で吹き飛ぶ事は無かったが、男は手から放しており、身を起こす為に床に手を付いている。もし銃に手を掛けようものなら、その小さな脳味噌を汚いタイルにぶちまけてやる。


「てめぇ……俺達を誰だと思ってやがる!」


 反抗的な視線をこちらに向けるが、明後日の方向に向いた鼻から血をダラダラ流されては全く迫力が無い。

 生意気な口を利く男の顔面をフォアグリップで強く殴りつけた。


 重い一撃、油と埃にまみれた汚い顔面を殴りつけた時、微かに感じた表皮の滑り気に僅かながら嫌悪感を抱いた。



******



 それまで反抗的だった男も、今では痛みでまともな思考ではいられないだろう。かなり疲弊した様子で虚ろな表情をこちらに投げている。


「五、六発殴った程度で呆けた面晒してるんじゃないわよ」


 私が銃を振り上げると、男は反射的に手を前に出して怯んでいる。

 折角の武装も所有者がこれでは浮かばれない。


「たった六人で俺達だどうのとか言わないわよね。仲間でもいるの?」

「あ、ああ、いるぜ……沢山なぁ……!」

「ふ~ん……沢山ね」


 ふと、気配を感じて左手の銃を真横に向け、気配に向けて撃ち込む。

 数発の銃声。その僅か一秒かそこらの間にバタリ、と倒れる音。撃ち漏らしがあったらしい。


「ヒッ……」


 目の前で腰を抜かしていた男が喉を鳴らして驚愕する。こちらをジッと見ながらも死角の相手を撃ち殺した私をどうやら完全にビビってしまったらしい。


「大の大人が失禁してんじゃないわよ」


 大股開けて抜けた腰で後ずさっている男の睾丸をブーツで蹴りを入れる。

 男は今度は叫び声すら上げられない様だ。顔面を蒼くしながら目をかっぴらき、股間を押さえながら床を転がっている。あまりにも滑稽だったが流石にやり過ぎたか。


 私は男の首根っこを引っ掴んでヴィレッジに戻る事にした。



******



 ヴィレッジ。川崎駅東口から出てすぐの地下街。そこは戦前から丸ごと地下核シェルターとして作られていた。

 駅前の地下街だけあり、それなりの収容人数があり、緊急時、つまり災害時には何重の分厚い扉が稼働し、外部からの一切から収容者を保護する。そう言った大型核シェルターは今、人間の唯一の居住出来る場所となっていた。

 地上で人間が何週間も活動が出来る場所があるとするならば、それは人の手が及ばない山奥ぐらいだろうか。

 少しでも人が住んでいたと思われる場所は例えビルが立ち並ぶ都会だろうが畑ばかりの田舎だろうが、全てが空から降る炎の塊によって焼かれて失ってしまったと小さい頃に学んだ。

 私達はヴィレッジで生き、死ぬしかないのだろうか。等と思っていると時折、ヴィレッジの外で好き勝手やっているブリガンドが羨ましく思う時もある。

 きっとこいつ等はこいつ等で数少ない汚染の少ない地域を見つけ、そこに住んでいるのだろう。

 そう考えると、外界でも人間がまだ生きて行ける土地と言うのは少なからず存在するのではないか? と考えるようになっていった。

 実際地下のシェルターだけでは人を収容しきれずに地上に拠点を拡大させているヴィレッジは少なからず存在する。大気汚染の比較的軽度な場所限定での話になるが。

 そうだとしても、私にはまだ行ったことも見たことも無い世界が地上には沢山存在する。


 いつからか思うようになっていた。私はそこで肺いっぱいに外の空気を吸い、ヴィレッジのみんなと外の世界で住んでみたいと。


 幸か不幸か、外界の全てが熱波と寒波で滅んだ今。まともに稼働している空気を汚す工場などはほとんど無い。

 大昔に落ちた爆弾の汚染は余程酷い場所でなければ気にするほどでもない。

 それでもガイガーカウンターは手放せないのだけれど。


 男を引きずりながら大階段を下り、外に出た。

 夜の風は冷たい。風の強い日は肌を刺す様な寒さがあるが、運動した後の火照った体には心地良い。

 いい加減引きずるのも面倒になって来た。ヴィレッジは目の前の階段を下りれば直ぐである。


「おら、前を歩きなさい」


 男の服を引っ張り前に立たせると背骨に銃口を突き付けた。叱られたガキの様に短い悲鳴を上げた男は両手を上げてゆっくり階段を下り出した。


 この駅から地下街へ向かう際の一瞬だけ見える外の景色を、少しだけ気に入っている。

 辺りに見えるのは倒れたビルと瓦礫、むき出しの鉄骨、所々文字が抜け落ちた電球の付いた看板。変わり映えしない景色ばかりだけれど、日々移り変わる物が無い時が止まったこの世界では僅かな事も遊びにしないとつまらないだけの毎日になってしまうだろう。

 壁の罅の枝分かれを行き止まりに辿り着くまでなぞって歩いたり、雲の形を何かに当てはめてみたり。そんな事をして暇な時でも私は外に出てぶらぶらと滅びた川崎を歩いた。

 私が初めて外の世界を見て色々と歩いて回った時はヴィレッジの真上にあるロータリーでぶつかり合って放棄されたバスの中に入って動いていた時代に思いを馳せながら運転席でハンドルを動かして遊んだものだ。


 そんな昔の事を思い出していたら気付けばもう階段を降り切って巨大な扉、いや門と呼んだ方が良いだろうか。巨大な門の前まで辿り着いていた。

 ヴィレッジの入り口であり、二九九九年の戦争から中の人間を守り抜き、その子孫達をも守って来た、残された人類のゆりかご。

 門は左右スライド式の物が五つ用意されており、1枚の厚さは三メートル程にもなる分厚い鉄の塊。人間が動かせる筈も無く、中と外にある端末を使用して機械操作で開ける仕掛けになっている。外の端末は鍵とパスワードで簡単には操作できず、祖先達がブリガンドの存在を知ってからは承認システムを起動させ、内部の人間から承認を得られなければ門は開かない様になっている。とてつもなく強固な守りの門ではあるが、大きな欠点が1つあった。


 動作が極めて遅いのである。開閉にかなりの時間を必要とし、開閉動作中は動作のキャンセルや一時停止等が出来ない。完全に閉まるか開くかしない限りこちら側からの操作を一切受け付けないのだ。

 それが仇になり、今回こんなブリガンド共に襲撃を受ける羽目になってしまった。


 私は男に銃を突き付けたまま門の前に置かれた端末のコールボタンを押した。


<こちらヴィレッジ・ザラ。用件をどうゾ>


 端末のランプがスピーカーの音声に合わせて明滅する。ノイズ交じりの音声だが私の聞き慣れた声であった。

 自然に聞こえるが何処か片言な癖のある声だ。


「私よ、イサカ。見えてるんでしょ」

<ああ、ステアーか。早いナ。さっき出かけて行ったばかりなのニ。門がまだ五枚目が閉まりきって無いゾ>


 思わず笑みが漏れる。私はそのまま開門の申請を端末を操作して送る。


「閉めるのが遅いだけよ」

<オイオイ、俺のせいかイ? この門が赤ん坊のハイハイより遅いだけさ>

「ほら、良いから門を開けて。お土産があるわ」


 目の前の門がゆっくりと開き始める。開き切れば三〇メートルくらいの幅の通路、になる。

 無駄に広い様な気もするが、きっとこのヴィレッジが使われた当時は通路いっぱいに人が押し寄せていたのだろう。そう思ってしまうと、小便をちびって膝が笑っている野郎と私の2人だけで通るこの通路は実際よりも広く感じた。

 門を全て通り抜けると漸く綺麗な床を踏んだ。

 機械的な明かりは冷たさの中に安堵感があった。空気清浄機のけたたましい稼働音が無ければ最高なんだけど。もう十数年も住んでいればいい加減慣れたと言うものだ。

 天井にはめ込まれた白い照明に照らされたエントランスは無人で、左右と正面の壁にバルブハンドルが付いた密閉扉が付いており、それぞれが管理区、居住区、製造区へ続いている。

 エントランスの中心でしばらく立っていると真上と真下の天井、床の僅かに開いている穴から白い霧を噴射される。汚染除去成分の入った水分らしいが穴が大きいせいか霧吹きの水滴が荒く、たまに服の中に入ってはインナーが濡れるのが気持ち悪い。


 眉をひそめていたら扉のひとつが開いて見慣れた顔が現れた。

 眼帯隻眼の男。黒髪の角刈りは整えられ、太い眉毛と鋭い目つきは雄々しく、そして威圧感を放っている。

 枯れ葉色のパンツにワークブーツ、袖が捲り上げられたワイシャツに防弾ベストの前は開いている。

 恰幅の良いその姿は如何にも軍人のお偉いさんといった雰囲気を醸し出している。

 その眉間に深い皺が刻まれた険しい顔の男はズンズンと私の目の前まで肩で風を切りながら詰め寄り、そして次の瞬間私の頬が熱くなった。


「ステアーお前! あれほど危ないから一人で突っ込むなって言っただろうが!!」


 思いっきり私の頬を引っ叩いた目の前の男、他でもない私の義父、南部であった。


「そんだけのビンタが出来るならその腕はもう大丈夫ね」

「生意気言ってるんじゃねぇ! ってそのガキはなんだ」


 顎鬚を弄りながら私が連れて来た男を値踏みするようにジロジロと見つめる。


「なんだってあんた、親父が撃たれたんでしょこいつ等に」


 呆れた様な私の表情に南部はカカカ、と乾いた笑いを飛ばすといきなり男の胸倉を掴み軽々と拳ひとつ分男を持ち上げると男のホルスターに片手を伸ばし……。


「ハァッ!! あ、ああああ!!」


 一発の銃声。

 南部は持ち上げた男のホルスターから男の拳銃を引っこ抜くとその銃で男の片足を撃ち抜いたのだ。

 そして男を床に放り投げる。

 ドサッと投げ出された男は私に蹴られた時の様に蹲り、撃たれた足を叫びながら押さえていた。


「あ、あ、ああああああ!!」

「喧しいクソガキ! 本当なら二度と銃を握れねえ様に指全部詰めて外に放り出しているところだクソッタレめが!」


 南部の唾が飛ぶ程大声の恫喝。私にとって聞き慣れたものだが、冗談に聞こえない南部の言葉に男は涙を流して必死に声を殺していた。私と南部、いや、このヴィレッジを襲った事が運の尽きだったようだ。

 南部の後から門を操作していたイサカが現れる。


「銃声がしたと思ったラ……南部さんでしたカ」


 半ば予想通り、と言いたげなイサカの顔に思わず噴き出しそうになりつつもここは堪える。

 イサカはヴィレッジで数人しかいないアメリカ人の血を持つ長身の男。私と同じ調査隊の一員。今日は内勤だったがショットガンと拳銃の扱いに関しては南部が一目置いている男だ。一九〇近い長身に色白の肌に茶髪。肩より少し下程の長さの髪を後ろで束ねている優男。声も物静かな落ち付いた雰囲気を持っているが、さっきの通信の様に結構フランクな口調で話し、酒も良く飲む。泣き上戸なのが少し面倒くさいのが玉に瑕だ。

 イサカは私の方に寄って来ると自然に背中に手を回して横に立った。


「さぁ、後は俺と南部さんに任せテ、ステアーは休むと良イ」

「ありがとう、そうさせてもらうわ」


 私は南部に軽く手を振ると自分の部屋に戻る為扉を開けた。



******



 扉の向こうにステアーが消えると南部は小さく溜息をついた。


「やれやれ、気付かない内にやんちゃになったもんだ」

「あのくらい逞しくないと外の世界で生きて行けませんヨ」


 イサカの言葉に南部はチラリ、とイサカの顔を一瞥すると舌打ちをする。そして南部は血を流しながら横たわる男の足を蹴っ飛ばした。


「あがあああ!!」

「おら、立てクソガキ。てめぇが何もんか洗いざらい吐いてもらうから覚悟しておけ」

「しかし、手酷くやられましたねこの男モ……鼻が曲がっちゃっテ……」


 イサカが男の肩を抱いて立ち上がらせると眉を八の字に顰めて苦笑いする。


「ステアーは敵と決めた相手には容赦しない。そう育てたからな」

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