第4話 二つの形

 僕達が住む村には、このような決まりがある。


 "殺人を犯したものは、如何なる理由があろうとも、死を以てその罪を償わなければならない"



 嫌な音がした。人間の皮膚から内臓の奥まで突き破る音。抜くときはもっと嫌な音がした。


 そして、嫌な臭いもした。胸の奥まで届いて、吐き気を催すほどの強い臭い。


 兄上の体は、大量の返り血を浴びていた。


「兄上……………兄上!」


 目の前で何が起きたのか、理解できなかった。


 いや、理解などしたくなかった。


「恭、太……………」


 兄上は目を見開いていて、自分でも状況を飲み込めていないようだった。


「恭太…………俺………………俺は………」


 また、まただ………。


 僕を守ろうとしたから………。


「俺………人を殺」


「兄上は何も悪くないっ! 兄上は何もしてないっ! 悪いのは……悪いのは全部こいつだっ!

………だから、兄上は何も傷つけてないっ!」


 もう、兄上の心が傷つくのは嫌だった。


 これ以上、兄上に辛い思いをさせたくない。


「でも俺」


 その時、兄上の言葉を遮るように、女の悲鳴が聞こえた。


 この騒ぎが周辺の住人に聞こえたのだろう。


 まずい、このままでは…………。


「兄上、今すぐこの村から逃げよう、このままだと…………兄上が、殺される………!」


 べっとりと血を浴びた兄上の肩を揺さぶりながら懇願する。


「人殺し…………人殺しよ!」


 女が甲高い声をあげて周りに知らせようとする。


「違うっ! 違うんだ! こいつが、こいつが僕を殺そうとしてきて、それで………」


 女に向かって必死に状況を説明しようとするが、うまく言えない。


 どうしよう、このままだと兄上が………嫌だ! それだけは絶対に……………


「え………兄、上…………?」


 兄上はゆっくりと立ち上がり、女の方へ歩いていく。


 そして、こう言った。


「そうだ……………俺が、殺したんだ」


 聞き間違いではない…………。


「見られたのなら仕方ない。ほら、俺を役人のところにでも連れていけ」


「兄上…………何、言ってるの?」


 兄上は刃物を手放し、外に出ていこうとする。


 外には他にも人が群がってきていたが、そのほとんどは兄上の姿を見て逃げ出していく。


「待って、待ってよ兄上っ! 何でそんな嘘つくのっ?!」


 兄上は一瞬だけ立ち止まる。


「ごめん」


 ぽつりと呟く兄上の声は、震えていた。


「ちょっと待ってよ!」


 僕は急いで走りだし、兄上をこちらに引き戻そうと肩を掴む。


「兄上…………行かないでよ……………兄上がいなくなったら僕…………」


 その瞬間、頬に強い衝撃が走った。


 兄上に殴られたのだと、しばらく分からなかった。


「ごちゃごちゃうるせえんだよ…………お前も殺すぞ」


 振り向いてそう告げる表情は、言葉とは真逆で、今にも泣き出しそうだった。


 その後すぐに、村長や役人が来た。


 兄上は両手首を縛られ、どこかへ連れていかれた。





 親父に、他の女がいて、子供までつくってるなんて、その時は全く知らなかった。


 お袋は、何でこんな男と結婚したのだろうか。他にもっとまともな人がいるだろうに。俺にはその理由が分からなかった。


 ほとんど家に居ないくせに、たまに帰ってきたと思ったら暴言と暴力ばかり。


 こんな父親、居ない方がよかった。心底殺してやりたかった。


 だけどそんなことをしたら、お袋が悲しむ。息子が人殺しをするなんて、親不孝にも程がある。


 だから、必死で耐えてきた。お袋が体を崩して、それでも親父の手は止まらなかったから、ずっとお袋を庇ってきた。


 役人に事情を説明して、親父を捕まえるようにと言ったこともあった。だけど、役人は全く動いてくれなかった。


 その時からだ。お袋以外、誰も信じることができなくなったのは。


 俺は一生、お袋を守っていこうと、俺がお袋の分まで辛いことも、苦しいことも、嫌なことは何もかも変わりに受けようと、そう決めた。


 だから、お袋が死んだ時は、もうどうすればいいのか分からなかった。


 大切な、この世で唯一のお袋がいなくなった。たった一人、俺が守りたいと、幸せになってほしいと願っていた人なのに…………。


 お袋が亡くなって数日間のことは、ほとんど記憶がない。


 そんな時、親父が久々に家に戻ってきた。


 そして、俺に向かってこう言った。


「あいつ、死んだんだってな」


 何の感情も持っていないような、冷たい一言だった。


 その瞬間、俺の中で何かが壊れていくのを感じた。


「お前が…………いるからだ…………お前がいるから、俺と母さんは幸せになれないんだ……お前がいるから………お前が……お前は………なぜ生きている………? お前に生きる価値なんてない…………俺が、殺してやる…………!」


 それからは、自分を抑えることができなかった。


 親父を、死ぬまで殴った。


 自分よりはるかに体が大きく、筋肉もある大人の男を、殴殺した。



 怒りという感情は、人をここまで恐ろしくするのだと、他人事のように思った。


 当然、俺は捕まった。


 処刑される数日前に、親父にはもう一人の妻と、二人の息子がいることを知った。


 空っぽになったはずの心は、一瞬にして憤怒で満ち溢れた。


 子供と妻に暴力を振るい、浮気をして子供までつくって、あいつはどれだけ屑なんだと、そう思った。


 それから俺がやろうとしたことは、完全に八つ当たりだ。だけど、俺は親父に関すること全てを、消してしまいたかった。


 牢獄へ飯を持ってくる役人に聞くと、親父の情報をあっさり教えてくれた。数日後に死ぬ奴に知られても困るものじゃないのだろう。


 二人の息子のうち一人は病弱だと知り、そいつから殺した方が手早く済ませられると思った。


 そして迎えた処刑日。俺は牢獄から出された後、隙を狙い、何とか逃げ出した。


 既に日が沈み始めており、視界は暗くなってきている。だがその方が都合は良い。暗闇の方が殺しやすいからだ。


 場所は正確には分からなかったから、周辺の民家を襲って聞き出した。


 これで、何もかも終わりだ。俺の人生から、親父に関すること全てを消してしまえる。


 ………………そう、思っていたのに、俺は

…………殺された………………血まみれの刃物が腹を突き破る感触が、痛かった……………死ぬ時に感じたのは…………それだけだった。

 

 


 


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