第3話 届かない声
お墓参りをして、家にたどり着いた時には、なんだか二人とも疲れていたので、早々に寝ることにした。
「兄上、今日は付き合ってくれてありがとう」
布団に入って静寂に包まれた時間の中、ぽつりとお礼を言う。
「礼を言うのは俺の方だよ。
その言葉が嬉しくて、久しぶりに晴れやかな気持ちで眠りにつくことができた。
目が覚めた時、まだ日が昇っておらず、辺りは真っ暗だった。
…………誰かの足音が聞こえる。
庭の土を踏む音…………こんな夜更けに、一体誰が?
体を起こすと、障子の前で屈んでいる兄上の姿が目に入った。
「兄上」
兄上は庭の方を向いたまま、僕に動くなと、手で指図する。
そうしている間にも、足音はどんどん近づき、とうとう障子の目の前で止まった。
障子に映る黒い影が、妙に不気味に感じられる。
心臓が早鐘を打つ。
その時、勢い良く障子が開け放され、男が姿を現した。
暗がりのせいで、顔がはっきりと見えない。
………だがその右手には刃物が握られていた。
それを確認した瞬間、兄上はものすごい勢いでのしかかるようにして、その男を外へ押し倒した。
男の顔が月の光に照らし出される。
その顔を見た時、心の奥底で眠っていたはずの憎悪と怨恨が、その形を顕にした。
「親父……………?!」
だが、そう見えたのは一瞬だけで、親父と似ているのは顔だけだった。親父は熊のように大きい図体をしていたが、この男は今にも倒れそうなほどか弱そうで、痩せこけている。年もかなり若いように見える。
「てめえ、一体何しようとしたんだ?!」
兄上は男の相貌など気にせず、暴れようとするのを押さえながら、激しく問いかける。
男は返事をせず、逃れることに必死だ。
「くそっ、暴れるんじゃねえ…………!」
その時、兄上の力が少し緩んでしまったのか、男は右手に持っている刃物で兄上の顔を刺そうとする。
「兄上!」
間一髪避けることはできたが、そのせいで体勢が崩れてしまう。男は瞬時に起き上がり、こちらに向かってくる。
僕が狙われていると分かるまでに、数秒を要した。
逃げなければと、頭では分かっているが、恐怖で足がすくみ、動けない。
男は座敷に上がり、僕のすぐ目の前まで来る。
刃物が持ち上げられた瞬間、反射的に目をつむってしまう。
しかし、そのまま振り下ろされるかと思われた右手は、兄上によってまたもおさえられた。
「あ、兄上…………」
眼前で、男と兄上が至近距離で睨み合う。一歩間違えれば、どちらかが刺されてしまう。
「邪魔を、するな…………! お前より先に、そいつを殺すんだ………!」
発せられたその声には、聞き覚えがあった。
声そのものにじゃない。
声に乗せられた感情にだ。
そう、この感じは、兄上が親父に抵抗していた時の叫び声と同じだ。
相手に対して、とてつもなく大きな恨みのこもった声。
「お前らは………あの糞親父の息子なんだ! あんな奴の息子であるお前たちは、俺が………絶対に殺してやるっ!」
……………親父を、知っている?
どういうことだ? 理解が追いつかない。いや、それよりも…………この男も、『親父』と言った…………?
「がはっ…………」
兄上が腹部を殴られ、悲痛な声をあげる。
「……………ふざけんじゃねえ、これ以上俺の弟に近づこうとしたら…………殺すぞ」
全身から嫌な汗が噴き出す。
脅しじゃない…………男が一歩でも踏み出したら、本当に殺すつもりだ…………。
「やっぱり………あいつと似て気性が荒そうな性格をしているな……………」
男が兄上の横を通りすぎようとすると、兄上は立ち上がり、男の顔を殴る。
男がふらついた隙にさらに追い討ちをかけ、ひたすら殴打する。
「やめて兄上っ! ………逃げようっ!
…………もういいから…………もう傷つけなくていいから……………もうやめてよっ!!」
男の顔には血が滴り、怖じ気づいたように体を震わせている。
完全に勢いをなくした男の手から、兄上は無理矢理刃物を奪い取る。
何をしようとしているのか理解する。
「兄上っ! やめてっ! …………それだけは」
絞り出した声は、全く兄上には聞こえていなかった。僕が言い終わるよりも先に、生々しい音が聞こえた……………。
男の腹からは、大量の血が飛び出していた。
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