第12話

 文化祭が終わると、次の発表に向けての選曲が始まった。

 マンドリン部の発表の機会は、年に六回ある。

 四月の入学式、同じく四月後半の三年生引退コンサート、九月の文化祭、十一月の市民文化祭、十二月の老人ホームへの慰問、三月の卒業式。九月半ばの文化祭が終わると、次は市民文化祭がある。みんなほっとしながらも、新たな曲にも取り掛かりつつあるときだった。

 今回演奏する予定の曲は、文化祭でなぜか好評だったロシア民謡のカチューシャ、みんなが知っているであろう宮崎アニメメドレー、そして新曲のコンドルは飛んでいくの三曲だった。

 そんなある日、ギターパートの弥生が、ギブスをつけて部室にやってきた。

「なにごと?」

 恐る恐る尋ねると、

「ちょっと、自転車で転んじゃって」

 彼女は、すまなさそうな様子を見せながらも、どこかケロッとしている。

 幸いそこまでのけがではなく、ギブスをつけて学校に通える程度ということだ。折れたのも左手だったので、授業の板書を写すのも、大して問題ないらしい。

「両手のときよりも書くのに時間がかかるから、テストのときなんかは、ちょっと時間を長めにして受けさせてもらえるみたい。まあ、不幸中の幸いかな」

 とかすかに笑った。しかし、ほかの部員たちにとって、一緒に微笑み合うことは難しかった。

 ギターのパートは二人いるものの、もう一人は一年生だ。彼女、倉木は楽器を始めたのも高校に入ってからという具合だった。弥生が一緒だからなんとかなっていたが、一人ではあまりに心もとない。

 練習が終わった部室で、残された二年生三人は、今後について話し合っていた。

「倉木さん一人でギターやらせるのは、あまりにチャレンジがすぎるよね」

「ああ。高校の文化祭ならまだしも、市民文化祭って知らない人ばっかり見にくるから、それだけでプレッシャーが大きいんだよな」

 畑野はため息をついた。

「そうなの?」

「素人をなめんなよ。俺たちみたいにでかくなってから始めたやつらはな、お前みたいに、物心つかないうちからステージに上がってたやつらとは違うんだよ」

 確かに香苗は、小学校に上がる前からヤマハに通い、定期的に発表会に出ていた。とはいっても個人ではなく集団だったし、もはや当時の証拠写真を見て「こんなこともあったんだね」と人ごとのようにつぶやくくらいの記憶しかないのだが。美紀も概ね同程度の経験しかないことだろう。

 偉そうな口調で弱音を吐く畑野を見て、香苗は吹き出しそうになるのをこらえた。

「どうしようか。OBさんに助けを求めるか」

「でも、去年卒業した先輩は、今はもう誰も音楽やってないだろう、たしか」

「それに、練習にもそんなに来られないんじゃないの。無理矢理毎日来て下さいともいえないし……」

 あらかた意見を出し切ってしまうと、あとはみんなで頭を抱えるしかなかった。

「じゃあ、私がギターやってみようかな」

 二人の視線が香苗に集まる。

「セロは?」

「私が入部するまでセロはなかったんだし、なんとか成り立つでしょう。でも、ギターがないんじゃ、話にならないよね」

「お前、ギター弾けるのかよ?」

「あんまり。でも、一月あるからね。賭けみたいなものだけど。畑野君がやるよりはましだと思う」

「よく言ってくれたって言いたいのに、一言多いぞ」

 畑野の意見は的を得ていた。みんな、セロよりもギターにいて欲しいのだった。当事者の香苗ですら、少し前まではギターの方がよかったと思っていたくらいなのだ。

 みんなのどこかほっとした様子は、香苗が自主的に言うのを待っていたのかもしれないと思わせた。

「それはだめだ」

 思いもよらぬ反論の声に、三人ははっとする。声の主は、置物のように気配を消したまま漫画を読んでいた部外者、佐久間だった。

「お前、部員じゃないんだから、口出しすんなよ」

 畑野が珍しくきついことを言う。

「ああ、でも、セロがいない合奏なんて、だめだ」

「そんなこと言われたってな……。大体、お前そんなにマンドリンに詳しいのかよ」

「べつに」

「だったら」

「悪いけど、これでも君たちよりは音楽の一般的な知識はあるつもりだ。僕たちが入学したときのマンドリン部の演奏だって覚えてる。あのときはセロが入っていなかったよな。今のと比べて、どれだけ変わったかわからないかな?」

「さあ、特には……」

「以前の演奏と、聴き比べたりしてないの?」

「特にしてない」

 佐久間はため息をつき、首を横に振った。

「だったらギターはどうなるんだ。お前、誰かギター弾きを連れて来れんのかよ?」

「僕が弾くよ。それで問題ないだろう」

 三人とも、彼の言葉が瞬時に理解できなかった。

「ずっと前に突き指して以来、指がよく動かないんじゃなかったっけ?」

 やっとのことで香苗が言うと、

「少なくとも、佐倉さんよりはましな演奏できると思うよ」

 佐久間はなんのためらいもなく、そう言った。

「じゃあ、ちょっと弾いてみてよ」

 美紀はギターをケースから出して、佐久間に手渡した。佐久間は弦を何回か弾くと、「音叉」と言った。

 毎日弾いているかのように早々とチューニングを終えると、グリーンスリーブスの出だしの部分を弾く。ちゃんとメロディも伴奏も入っている。三人ともあっけにとられていた。

 佐久間は涼しい顔をしながらも、途中でわからなくなってきたのか、きりのいいところでポロロン、と和音を弾いて終わらせた。

「やっぱ、ちょっと心配だな」

「佐倉さんより下手だった?」

「いや、上手過ぎて浮くんじゃないか?」

「一年生一人に任せるよりはましだろう?」

 三人は、顔を見合わせて、頷いた。

「参加してもらえるのは嬉しいんだけど、条件をつけさせてもらってもいいかな」

 と美紀。

「十分上手いのはわかったけど、一応こっちは部活としてやっているから、少なくとも週三回は練習に参加してほしいの。それと、発表の前の週は毎日来てもらいたいな。弾けるだけじゃなくて、とりあえずいてもらわないと、他の部員に示しがつかないから」

「ああ、それくらいは心得てるよ」

 中学校で吹奏楽部に入ってたんだしね、と言いかけて、香苗は慌てて口をつぐむ。

「それと、もう一つあるんだけど」

「なに?」

「参加してる間は、部費払ってね」

 美紀のおどけた調子に、みんなの顔がほころぶ。

「いくら?」

「一月五百万円になります」

「参ったな、貯金切り崩しても無理だよ」

 佐久間は苦笑して、さっそくお財布から百円玉を五枚抜き取り、美紀に差し出した。

「あ、入部届もお願い。少しでも部員が増えると、予算要求のときに有利になるんだよね」

「はいはい、仰せの通りに」

 こうして佐久間は、あれよという間にマンドリン部員となってしまったのだった。


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