第7話

 待ち遠しかった夏休みなのに、入ってしまえば一瞬だ。気がつけばもう、毎日休みなのが通常の日々になっている。

 暑いのでプールに行きたいと思いながらも、水着や着替えを用意するのが億劫で、結局のところ香苗は毎日のように市立図書館に通っている。佐久間も図書館で勉強していると言っていたが、住んでいる市が違うので、二人が学校以外の図書館で会う可能性はない。

 机に向かいながら、佐久間はどんな問題集を使って、どんな問題を解いているのか気になってくる。同じ高校なのだから、ある程度似たり寄ったりの学力の生徒が集まっていそうだが、どうも彼にはそう簡単に敵いそうにない。自分が間違ったところに来てしまったのか、もしくは佐久間が合わない学校を選んだということなのか。

 頑張れば、果たして高校生の数学で、例えばセンター試験なんかで百点採れるようになるのか、それとも一生かかっても無理なのか。ピアノで幻想即興曲をすらすら弾けるようになるのはどうなのか。努力でどうにかなるものなのか、それとも素質がない人はどんなに頑張っても無理なのか。

(私にできて佐久間君にできないことってなんなんだろう……)

 どうも集中力が切れてきている気がして、自習室を後にした。

 一学期も終わるころになると、図書館で顔を合わせたときなど、佐久間は香苗を徐々に親しい人物の一人だとみなしつつあるようで、近寄ると、ごく普通に話しかけてくるようになった。うれしいと同時に、その堂々とした態度が、またふてぶてしくも思える。本棚を眺めながら、ついそんなことを思い出してしまう。

 お互い好きな本が重なるどころか、読むジャンルも全然違うので、共通して読んでいる本はほとんどなかった。それでも、どちらかが自分の好きな本の話をすると、もう片方はわからずともふんふんと聞いていた。「それ興味ないから」などと野暮なことを言って話を終わらせるようなことはなかった。それなりによい関係が築けつつある気がしていた。

 こうして会わない日が続くと、二学期が始まるころには振り出しに戻るで、また親しくない人同士に戻ってしまっているのではないかと、少々心配になってくる。

 これといってなにもないまま、夏休みは過ぎていく。

 せっかくの高校二年生の夏休みだった。遊べるのは最後なのだからもったいないと思ってみたところで、遊ぶためにはお金もいるし、一緒に遊ぶ友達もいるし、なにより、あれしたいこれしたいという欲が必要で、香苗には特にそういったものはなかった。

 そこそこ進学を目指す生徒が多いので、周りの友達も、そんなに毎日遊び歩こうという様子もない。誘われれば便乗するのだろうけれど、自ら言い出してまでなにかしようという気にもならない。図書館で涼んで、本屋で立ち読みして、自転車でその辺を走ってみて、そんなことで貴重な休みが過ぎていく。

 べつに漫画やドラマで見るようなわかりやすい出来事に遭遇したいとは言わないが、今一つ物足りない。しかし、なにをすれば自分が満足できるのかもよくわからない。ウォークマンを聴きながらその辺をぶらぶら歩きまわるだけで、とりあえずは満足できてしまう。

(なんかつまんないな)

 それが現状に対しての言葉なのか、自分自身に対してなのか、それら両方に対してなのかわからないまま、もっと魅力的な人になれたらいいのに、と思った。

 八月も中盤に差し掛かったころ、図書館も飽きて、学校に行ってみることにした。後半になると、九月初旬の文化祭に向けて、練習が始まる予定になっていた。しばらく楽器に触れていなかったので、腕が落ちていないか気になっていた。

 学校へ行くのは面倒ではあったが、ようやくやることができて、ほっとしている部分もあった。行ってみると、けっこう楽しい。そういえば去年もこんな感じだったなと思い出しくる。

 授業があるときと違って人は少ないし、自由に過ごせる。完全に自由な状態よりも、こうして少し制限があるほうが自分には向いていると思う。下は制服のスカートだけど、上はワイシャツではなくてポロシャツを着れることや、授業がないから好きなときに校内を歩き回れることなど、妙な優越感に浸れる。階段の下にある部室も、こんなときは、外よりはひんやりしていて過ごしやすい。不特定多数の人が現れる可能性がある教室は落ち着かないが、身内しかやってこない部室では、心おきなく過ごすことができる。自分の部屋にいるよりも、むしろここのほうが落ち着ける。部活が始まるのを待ちきれず、香苗は学校に通うようになった。

 視聴覚室から、大音量で軽音部の練習音が流れてくる。

 水道場では、占拠しているサッカー部の男子たちが、どこで買ってくるのか疑問に思うような派手なユニフォームを洗っている。

 学校ではなくて、旅行先にでもいるようだ。

 そこにいるのはよく見ると見知った顔の人たちなのだけど、制服を着ている人はほとんどいない。なんだかいつもとは違う世界に紛れ込んでしまったような気がする。

 チアリーダー部の女の子たちが、熱帯魚のように華やかなTシャツに、半分に切ったジャージを穿いて、ホースで水を掛け合っている。その中の一人が、遠くから香苗を認めると、「佐倉ちゃーん! 部活? 頑張ってねー」と叫んだ。栗原だった。声を聴くまでわからなかったのは、髪の色がかなり茶色くなっていたせいか。慌てて香苗も手を振りかえした。


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