第6話
初夏の時期というのは、いつも、気づくと終わっている。季節そのものが短すぎるのか、年度が変わって慌ただしい時期と重なっているからなのか。
佐久間のおかげで、期末試験の数学は、どうやら人並みの点を取ることができていた。先生にも、「佐倉もやればできるじゃないか」と安心された。
部室に行くと、佐久間がいた。お礼を言うと、「ああ、それはよかったね」と他人事のような返事が返ってきただけだった。
「お礼にジュースでも……」
「いいよ、お茶持ってきてるから」
自分一人が嬉しがっているのが、なんだか気に食わない。
教えてくれていたのだから、もうちょっと一緒に喜んでくれてもいいのにと思う。平均点をとれただけで喜べというのも、無理があるかもしれないが。
「佐久間君は、どうだったの?」
「まあ、いつも通り」
自分だけ得してしまって、申し訳なく思う。ジュース一つ奢らせてもらえない、そんな関係性なのだということを思い知る。
「佐久間君は、なんでわざわざ私に教えてくれたの?」
「教えると、自分も勉強になるからさ」
「でも、どうせなら本当はもっと難しい問題を、自分のペースで解きたいんじゃないの?」
「まあ、数年後に売れっ子家庭教師になるための練習ってやつだよ。佐倉さんは、まれにみる教えがいのある生徒だった」
香苗は「もう」と言いながら、頬を膨らませる。そんな彼女を見て、佐久間は笑い出す。
「ちなみに、佐久間君は数学何点だったの?」
訊いてみても、笑いをかみころすのに精いっぱいで、なかなか答えられないようだった。
まもなく、畑野が部室に入ってきた。
「佐久間が笑ってる……まさか、佐倉が腹踊りでもしたのか?」
「知らない。勉強のし過ぎでおかしくなったんじゃないの」
「こいつ、数学のテスト百点だったんだぜ」
香苗は言葉を失って、隣で不思議な表情を見せる男子生徒に目をやる。
「でも、歴史は平均点だったから」
ようやく笑いが収まってきたようで、佐久間は息も絶え絶えに、よくわからないフォローを入れた。香苗の歴史の点数は、平均点より0.5点低かった。
「私、そんなにできる人に数学を教わってたんだ。どうりで、なんでも答えてくれたわけだわ」
「俺も知らなかったよ。いつもバイトばっかしてるし、たまに勉強してると思えば佐倉に教えてるだけだし。どんなもんだろうと思ってちらっと見たら、なんか数字が三つ書いてあるんだよな。驚いたよ」
他人事のような顔で二人の会話を聞く佐久間を見て、この人の頭の中はいったいどうなっているのだろうと思った。
「まあ、これで私達も文化祭に向けての練習に集中できそうだわ。佐久間君も、これまで以上にバイトに精が出せるね」
「ああ、最近通帳の残高が増えるのが楽しみでね」
楽しみなどと言っておきながら、どこか棒読みのセリフのように聞こえ、あれ、と思う。
「お前、全然金使わないもんな」
「まあ、好き勝手に使うのは、とりあえず百万くらい貯まってからだな」
「ひゃくまん?」
考えるよりも先に、思わず大きな声が出てしまう。佐久間と畑野は「大げさだな」と言わんばかりの視線を向ける。
「そんなに貯めて、どうするの? 海外旅行でもするの?」
「いいや」
「じゃあ、何に使うの?」
「勉強と同じだよ。数字が増えると楽しいんだ。単純だからね」
「ピアノに飽きた」と言ったときと同じ顔をしていたような気がして、香苗はなにも言えなくなった。
「じゃあ、図書館に行ってくるから」
佐久間は有無を言わせぬ調子で、部室を出ていってしまった。
「追いかけなくていいのか?」。
「何で追いかける必要があるの?」
「まあ、ないな」
「貯金どうこうの話で、なんであんなに怒るんだろう?」
畑野は黙り込む。
「なにかしゃべりたいことがあるんじゃないの?」
香苗がじっと見ると、畑野は「うーん」とうなった。
「俺が言ったって内緒な。実はあいつの家は、結構金あるらしいんだよな」
「は?」
「本当は、あまりバイトをする必要はないんじゃないかと思う。それどころか、親は、そんなひまがあるなら予備校にでも行けばいいのって言ってるらしい」
「なんでそんなこと……?」
「知らねえよ」
「仲いいんでしょう?」
「訊けねえよ、ほら、俺、一応デレカシーあるし」
畑野がそんなことを言うとは意外だったが、気軽に聞けることではないのは確かだった。
「佐久間君って、ピアノ弾けるのかな?」
試しに訊いてみる。
「さあ、あいつ、音楽にはあまり興味ないんじゃねえの。音楽系の部室に出入りしてるのに、全然音楽の話なんてしないしな。興味があれば、ちょっと触らしてくらい言ってもよさそうじゃないか?」
「そうだね」
香苗に対しては、何度か音楽に関わる話をしていたし、楽器を貸すように言われたこともあったが、それは黙っておくことにした。
(一応私にだってデレカシーはあるんだから)
だんだんほかの部員も集まってきたので、やがて練習場所へと移動した。
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