第9話 記憶(彩葉視点)

目覚めて、隣に人の気配があることに私は気づく。


何していたんだっけ、と記憶を呼び覚ましながら目を開いた先には、全裸で眠る存在がある。


田町心和さん。


長いストレートの黒髪が印象に残る長身のその人は、私にとっては会社の先輩で、告白をして振られた相手でもあった。


どうして、と記憶に問いかけて昨晩最後に飲みに行かないかと誘われたことを思い出す。


気は進まなかったけれど、入社以来ずっとお世話になった先輩に何も言わずに去るのは流石に気が退けて、了承を出した。


田町さんが選んだ店で飲んで、途中で田町さんに泣かれてしまったけれど、私が慰めることはできなかった。


私は田町さんに振られたけど、今も田町さんが大好きだった。この恋を人生を掛けたものにしたいと思ったからこそ、一大決心をして田町さんに告白をした。


可能性なんて1%以下しかない無謀な告白だとは重々承知していた。でも、ただ田町さんを見続けるだけで私は満足できなくなってしまったのだ。


田町さんは私の告白を真面目に受け止めて、可能性がないかを一生懸命探ってくれたことは知っている。少しだけプライベートな田町さんに近づけて、手を握ったことは一生の思い出にしようと思っていた。


それで終わるはずだった。


それなのに、同じベッドでお互い裸で寝ている。


身を起こして、周囲を見渡してどこであるかはすぐに思い当たった。


でも、そこに至った経緯から今に至るまでの記憶が、私には全くなかった。


ただ、現状で導き出される答えはただ一つだ。


昨晩私は愛し合う行為として、田町さんに触れた。




どうしてこんなことになったのだろうか。




頭の痛みは二日酔いによるもので、酔って記憶を無くしたまま私は田町さんに手を出した。


もうそれしかないだろう。


逃げるか田町さんの目覚めを待つかの二択に、流石に繊細な田町さんを残してはいけないと目覚めを待つことを決める。


俯せで眠る田町さんの裸体は、想像していた以上に綺麗で、それだけで涙が出そうになった。


昨晩の私はその肌に触れたのだろう。


でも、こんな形で私が見ていいものでも触れていいものでもない。


やがて田町さんが目覚めて、私を見るなり体を硬直させたのがわかった。


昨日とんでもないことをしでかした私に対して、それは当然の態度だろう。


「大丈夫ですか? 服を着て出ましょう」


謝るべきなのに、謝りは口にできなかった。


頷いた田町さんとベッドの上で背を向け合って衣服を整えて、無言のままでホテルの部屋を出る。


「ここで解散しましょうか」


ホテルの前でそう提案すると田町さんは肯いて、駅の方に一人で歩き出す。


田町さんは罵ってもくれなかった。罵る権利が田町さんにはあるのに、そうしないのは田町さんの優しさだと知っている。


田町さんが見えなくなるまで見送ってから、私は藁にも縋る思いで一本の電話を掛けた。


その相手は田町さんの高校時代の後輩で、私が田町さんとの恋を相談していた芳野さんだった。


芳野さんは私と同じレズビアンで、羨ましいくらい仲がいいパートナーがいる。


「相阪さん? どうしたの、こんなに早く」


「ど、どうしましょう。芳野さんっ……」 


長めのコールで芳野さんが応答する。私は自分一人では何も考えられそうになくて、酔って田町さんを襲ってしまったらしいことを伝える。


「今どこにいるの? 田町先輩は?」


「ホテルの前で別れました。田町さんも何があったか掴めてないみたいな状態でした……」


「追っかけて。せめて家まで送ってあげて」


「でも……嫌がられたら」


「嫌がっても連れて行ってあげて。できればしばらく傍にいてあげて。せめて田町先輩が話しを始めるまでは」


相阪さんは先輩後輩の関係でも仲はかなり良かったようで、田町さんのことをよく分かっている。


自分では動けなくなった私にできることは、芳野さんの指示通りに動くことだった。


電話を切った後、私はまっすぐに田町さんが向かった方向に走り出す。駅へ続く横断歩道を渡っている所で田町さんに追いつく。


走ったせいで息が上がっていて、息が整うのを待ってから田町さんに告げる。


「家まで送ります」


朝から顔を合わせていて、その瞬間が初めて視線が合った時だった。

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