第7話 最後の飲み会
最後に二人だけで話がしたいと、わたしは彩葉ちゃんを二人だけの呑みに誘った。
言葉では直接伝えられずにメッセージを送って、一言だけの返事が彩葉ちゃんから返ってくる。
承知しました。
畏まった返事を見て、わたしと彩葉ちゃんにはもうそんな距離間しかないのだと、一人でまた泣いてしまった。
振られた相手にはもう近づきたくないと言われているかのようだった。
でも、彩葉ちゃんを笑顔で送り出せる自信はないとしても、きちんと別離はしたかった。
わたしの社会人人生の中で半分を彩葉ちゃんと過ごした。頼れる椚木さんという存在が遠ざかって、それでも一人で挫けずにいたのは彩葉ちゃんには情けない所は見せたくないという意地もあったからだと思っている。
彩葉ちゃんはいつだって全幅の信頼を以て、わたしを頼ってくれた。でもそれは逆に頼られる自分でいることでわたしは前を向けた。
結局甘えていたのはわたしだったのかもしれない。
彩葉ちゃんはちゃんと自分で立てて、自分の意思でわたしに告白をしてくれた。
その彩葉ちゃんを受け入れられなかったのは自分なのだから、きちんと送り出してあげるがわたしができることだろう。
待ち合わせ場所に先についたのはわたしで、彩葉ちゃんが来るのを待つ。もう彩葉ちゃんは有休消化に入っているので、あとは最後に挨拶に来るだけになっていた。
店のドアにつけられた鈴の音が来客を告げて、視線をやるとそこにいたのは彩葉ちゃんだった。
来てくれないかもしれないという不安はそれで解消され、手を上げると彩葉ちゃんが近づいてくる。
「休みなのにわざわざありがとう」
久々に正面から見た彩葉ちゃんは変わらず可愛いものの、わたしをまっすぐには見てくれない。
「大丈夫です」
まずは飲み物を注文して、乾杯をするまでの間すら時間の保たなさを感じる。視線を彩葉ちゃんに向けると、食べ物の注文はお任せします、と素っ気ない言葉が帰ってくる。
すぐに飲み物が来たこともあって、いくつか料理を注文してから彩葉ちゃんと改めて向かい合った。
「乾杯しようか。お疲れ様」
それには彩葉ちゃんも視線を合わせてくれて、グラスを合わせる。
「大変なこともあったけど、楽しかったです」
息を吐いた彩葉ちゃんは、少しだけ頬を緩ませる。もうこの顔を見るのは最後かもしれないと思うと、こみ上げてくるものがある。
「相阪さんが辞めるのは、わたしのせいだよね」
「田町さんには何も責任はありません。私が自分で決めたことです」
「でも……」
「元々親の会社に入らないかとは大学卒業の時から言われていたんです。でも少しは社会勉強をしたいと思って、今の会社に就職しました。4年いたし、もういいかなって思っただけです」
それはまるで準備されていたかのような答えだった。わたしが傷つかないように彩葉ちゃんがそう言ってくれているようだった。
処理しきれない思いを持て余して、目の前のテーブルに指先で円を描く。
彩葉ちゃんの選択を応援することもわたしはできなくて、先輩としての不甲斐なさだけが残っている。
「色々教えて頂きっぱなしでお返しもできずにすみません」
「毎日向かいあって仕事をしていたのに、わたしには辞めることを一言も言ってくれなかったのは淋しかったな」
「…………すみません」
彩葉ちゃんは辞めることを部門のかなり上にしか相談していなくて、わたしを含めて周囲が知った頃には彩葉ちゃんが既に退職届を出した後だった。
「ごめんね、相阪さんのことを責めるつもりじゃないんだ。自分の中でも整理したつもりだったんだけどな……」
彩葉ちゃんの退職を聞いてからずっと胸に喪失がある。今までだって同じ部門で退職者はあったけれど、こんな風に胸が空くような思いにはならなかった。
椚木さんの異動の時も淋しさはあったけど、同じ会社内にいて連絡は取りやすいとそこまで悩むこともなかった。
「来年度には新人も入ってくるって部長が言ってましたし、すぐに出来が悪かった私のことなんか忘れますよ」
「そんなことない。相阪さんは一生懸命何でもしてくれたでしょう? すごく助かったし、ずっと一緒に仕事をしていけると思っていたから」
「すみません」
「ごめん、また責めるようなことを言っちゃって、ちゃんと送り出してあげないとって思っていたんだけどな」
言葉が続かずに目尻に涙が溢れる。溢れ始めると止まらなくなる。
それを敢えて見て見ぬ振りをしてくれたのだろう、彩葉ちゃんは席を外してくれる。
わたしと彩葉ちゃんは互いを慰め合う関係ではない。それを拒否したのはわたしで、それ以前の関係に戻れなくしたのもわたしだ。
今まで通りでいたい、それが駄々にしかならないことがわかっているから言葉にすることも躊躇われた。
しばらくして彩葉ちゃんが席に戻った頃には、わたしも少し落ち着きを取り戻していた。
もう少し飲みましょうかと言った彩葉ちゃんに、今日が終わってしまうのが惜しくて同意をする。
互いに酔いも回ってきた中で、しんみりした話は止そうと彩葉ちゃんの子供の頃の話を聞く。
彩葉ちゃんの母親は起業家だったので、家にはあまりいなくて、母親の会社の従業員みんなに育てられたこと。
一人っ子だったけれど、自分のことは自分でするように躾けられて、自分の意思をきっちり言わなければ何もしてくれなかったこと。
中学生の夏に一人で初めて旅に出た時のこと。
聞いていてそれが今の彩葉ちゃんに全て繋がっていると感じられた。
親の言うまま生きてきた自分に比べて、彩葉ちゃんの過去は眩しかった。だからこそ、こんなに彩葉ちゃんは魅力があるのだろう。
「最後に一つだけ聞かせて。どうして、わたしに告白したの? わたしなんか逃げてばかりで、何もできていないつまらない人間だよ」
それがなければ今こんな自体にはなっていないだろう。でも、壊れることが分かっていても告白をしたいと思うような魅力がわたしにあるなんて考えられなかった。
「いつも周りにすごく気を遣ってくれて、失敗しないように細かな気遣いをしてくれる田町さんが好きになりました」
「わたしには人を引っ張る力もないから、そんなことくらいしかできないだけだよ。わたしの先輩だった椚木さんは、ああしよう、こうしようって新しいことを色々提案してくれて、みんなを引っ張って行ってくれた。わたしはそんなリーダーなれない中途半端な存在だよ」
「人には向いていることと向いていないことがあるだけで、どっちがすごいかは比べようがないんじゃないでしょうか。わたしは田町さんも立派にリーダーという仕事をこなされていると思っています」
「…………」
「田町さんは覚えていないと思いますけど、入社前に私と田町さん、一度お会いしてるんです」
「どこで?」
「就職活動で会社訪問した時に、若手社員に話を聞くって企画があって、その時にお会いしました」
確かに人事からの依頼でそんなことを過去にした記憶はあった。でも、就職活動をしている存在は一様に同じスーツ姿で髪も黒髪で、印象に残った存在はいなかった。
その中に彩葉ちゃんがいたということなのだろう。
「そこで、田町さんはこの会社で働くことを通じて社会へ貢献したいって言われたんです。覚えてないですか?」
「……ごめん、覚えてない」
「ですよね。その時の私はまだ親の会社に就職するか、他の会社に就職するかを迷っていたんです。こんな先輩がいる会社で働きたいって思って就職を決めました。本当に同じ部門に配属になるなんて思ってなかったので、田町さんが新人教育担当で本当に嬉しかったです」
「…………他の部門に異動希望を出すでは駄目だったの?」
諦めきれずにわたしは彩葉ちゃんに辞めない手はないかを問う。
「はい」
その返事はわたしにもう会いたくないからだという言葉が案に秘められていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます