第6話 久々のお誘い

彩葉ちゃんとは会社で仕事をする上でも、必要最低限しか話さないようになっていた。視線を向けても彩葉ちゃんがわたしを意図的に避けていることは分かった。


完全に今まで通りの関係に戻れると思っていたわけではなかった。でも、思っていた以上に彩葉ちゃんは明示的にわたしを避けるようになった。


失恋をしたのだから無神経だと言われるかもしれない。それでも、わたしは以前の彩葉ちゃんの笑顔が好きで、時間を掛けて元に戻るのを待つしかないと思っていた。


そんなわたしの耳に2月になって入ってきたのが、彩葉ちゃんが3月末で退職するということだった。目の前の席の彩葉ちゃんに何人かが確認するのを見ても、受け入れられる事実ではなかった。


彩葉ちゃんが仕事でミスをしたわけでも、仕事の負荷が高いわけでもなく、どう考えても彩葉ちゃんが会社を辞める理由はわたしだろう。


引き留めたくても、想いに応えられなかったわたしには引き留める権利も力もない。


どうしてこんなことになってしまったのか。


考えても考えても自分が彩葉ちゃんに言った言葉が原因だとしか思えなかった。


たかが恋愛。そんなことで仕事を辞めることなんてない。わたしはそう思ってしまっていたのかもしれない。





久々に会わないかと椚木さんから連絡があったのはそんなタイミングだった。


椚木はもう旧姓で、今は別の姓になっているけれど、わたしは今も椚木さんと呼んでいる。


待ち合わせ場所のカフェに現れたのは、椚木さんと夏に産まれた7ヶ月めの赤ん坊だけだった。上の子供は旦那に預けて来たと椚木さんは笑う。


「毎日育児ばかりだと気が滅入るから、心和を口実に使っちゃった」


一時期椚木さんの家に居候をしていたこともありプライベートな姿も知っていたけど、今の椚木さんは雰囲気さえも母親らしくなっていた。


「いえ、大丈夫です」


カフェで向かい合って座り、椚木さんは横に揺り籠のような形のベビーカーを置く。中には赤子が指をしゃぶりながら眠りに落ちていて、上手く眠ってくれたタイミングらしかった。


「心和、恋人できた?」


前触れもなく言われて、わたしは大げさに首を振る。それはわたしにとって一番遠いものにしか思えなくなっていた。


「そういうの、何を基準に選んだらいいのか分かりませんから」


「基準か。格好いい、価値観が合う、安定した職についている、優しい、いろいろあるとは思う。でも心和にはそういうのないんだ?」


「それを求めて何になるんだろうって思っています」


わたしは他人に対してあまり求めるところはない。何を求めればいいのか、すら分かってないだろうか。


「じゃあ、子供が欲しいというのもなし?」


「……椚木さんのお子さんを見ると可愛いなと思います。でも、母親になりたいという思いは今はないです」


「重度だね、心和は。中身まで日本人形のような清ましたものでなくてもいいのに」


溜息を吐かれて謝りを出す。


無表情で何を考えているかわからない、とは時々言われる。


そう言われても何も考えていないので、何を返せばよいかを窮することも多い。


「謝らなくてもいいよ。こういうのって強制するものじゃないしね。でも、ワタシは心和にも人を愛することは知って欲しいなって思ってる。ワタシが男なら放っておかないのに、世の中の男は見る目ないなぁ」


「断ってるのわたしですから。何を以てつきあえばいいかわからなくて、わたしは人を傷つけてばかりです。わたしみたいな人間はあのまま、親の言う通りに結婚していれば良かったのかもしれません」


そうすればわたしは彩葉ちゃんを傷つけることもなかったし、彩葉ちゃんが会社を辞めるなんてことも言い出さなかったはずだった。


向かいに座る椚木さんがわたしの頬に手を当てる。


「心和は誰のための人生を生きているの?」


「わたしはわたしのためでしかないです」


傲慢だけど、誰もいないわたしの人生にはわたししか存在しない。


「それでいいんじゃない? 少なくともワタシはそれでいいと思う。ワタシだって結婚して子供を産んで、表面上は家族のために生きているけど、それは根っこのところでは自分のためで、自分が求めたからそうしてるだけ。心和が、求めるものを見つけるのは難しいかもしれないけど、人の為の人生なんて生きなくていいよ」


「ありがとうございます」


「でも、旦那にいい人いないか聞いてみようか?」


それにはわたしは首を横に振った。


「もうしばらく一人で整理させてください。わたしが何も考えていなかったせいで、傷つけてしまった人がいるんです。もう取り返しがつかないことが分かっていても、わたしにできることはないかをもう一度考えたいんです」


「そう。なら、今度にしようか。春にはワタシも職場復帰するし、また聞かせて」


「はい。でも復帰早くないですか?」


「保育園の事情ってやつ。4月が一番入れやすいんだよね」


「そういうのがあるんですね」


「住んでる市区町村によって千差万別だから、引越する時はしっかり見ておいた方がいいわよ」


「わたしはどう考えてもこのまま独身を続けるにしかならないですよ?」


「心和は巻き込んでくれるようなタイプじゃないと駄目だね。有無を言わさず引っ張って行ってくれる年上……甘え上手な年下でも意外と合うかも」


わたしの一生独身宣言は認めてもらえないようで、復帰したら毎週でもメールが来そうだとわたしは肩を竦めた。


彩葉ちゃんの退職を知った日、気が動転してわたしは芳野さん相手に泣いてしまったけど、ようやく現実を受け入れようと少しだけ視線を上げられた気がしていた。

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