第2話 幸せ
翌年、わたしは椚木さんから結婚式の招待状を受け取って、椚木さんの結婚式に出席する。
会社の関係者はほぼ声を掛けていない内輪での式らしくて、そこでウエディングドレスに身を包んだ存在を見て涙を流す。見慣れない格好だけど、晴れの舞台のその人は綺麗だった。
自分は結婚という選択を自分の意思で選ばなかったけれど、自分にとっての憧れの存在には幸せになってほしかった。
「心和、これもらって」
式と披露宴が終わって、新郎新婦に挨拶に向かった場で、椚木さんがわたしに差し出したのはブーケだった。
花嫁のブーケに特別な意味があることくらいはわたしだって知っていた。
でも、わたしはもう結婚なんかしなくてもいいと思うようになったので、それを受け取る事に躊躇いがあった。わたしなんかより、もっと結婚しそうな相手に渡せばいいのではないか、と。
「心和、どんな人だって幸せになる資格はあるよ。結婚をする、しないは自由だけど、ワタシは心和に幸せになってもらいたいから、これを受け取って欲しいよ」
愛する存在の隣で笑顔を見せる椚木さんは幸せそのものだった。わたしの胸にブーケが押し当てられて、もう一度拒否することもできずにそれを受け取った。
「次は心和が幸せになる番だからね」
幸せとは何だろうか。
椚木さんに期待をされたものの、それ以降もわたしの生活には大きな変化はなかった。
男性に告白をされたこともあった。でも、この人もつきあっていずれは結婚となれば仕事を辞めろと言うのだろうか、と思うと体が拒否反応を起こして前には進めなかった。
そんな中で予想もしないことがが起こったのは、椚木先輩が異動になってから4年目の夏のことだった。
わたしも椚木先輩に任された仕事には慣れて、彩葉ちゃんももうフォローの必要な新人ではなく、主戦力になっていた。
椚木さんは今は2人目の育児休暇中で、時々メッセージのやりとりは続けていたものの、やはり子育てに手一杯のようでレスは遅かった。
相談したいことがあるから定時後に時間が欲しい、と彩葉ちゃんから声が掛かっていて、呑みに行く約束をした。
その時のわたしは、わたしも椚木さんのように後輩に頼られる先輩になったのだという嬉しさしかなくて、この先自分が悩むことになるなんて想像もしていなかった。
場所はどこでもいいと言う彩葉ちゃんに、椚木さんとよく行ったお気に入りのスペインバルを提案する。
約束の日、社内で向かいに座る彩葉ちゃんがまず席を立って、帰宅するのを目で追いながら、わたしも立ち上がる。エレベーターホールで彩葉ちゃんには追いついて、行こうかと声を掛けると肯きが返ってくる。
彩葉ちゃんはハーフかと思うような顔立ちで、視線を合わせると笑顔を向けてくれるところが可愛くて、時々このまま家に持って帰りたいとさえ思うことがあった。
この容姿でもてないわけはないだろうし、悩み事は恋の悩みだろうか。
誰のものでもなく、このまま可愛らしい後輩でいて欲しいのはわたしの勝手な都合なので、先輩として頼られたからには、先輩らしいところは見せたい思いはあった。
最近わたしは高校時代の後輩である
芳野さんは昔のわたしを知っていて、今に深く関わっていないからこそできる話がある。
逆に彩葉ちゃんは過去を捨てた後のわたししか知らない存在だからこそ、今の自分として話ができた。
店に入って乾杯をした後、社内の近況についてとりとめのない情報交換から始める。普段そこまでおしゃべりをしないこともあって、話すネタはいくらでもあって、あっという間に時間は過ぎていた。
彩葉ちゃんは見た目は美少女でお酒なんか一滴も飲めなさそうだけど、お酒に強いことは前から知っていた。
その日も彩葉ちゃんは、わたしと同じペースで酒のおかわりをしていく。
「相阪さんって、家でもお酒呑むの?」
「毎日じゃないですけど、親の晩酌につきあうくらいです。母親がかなりお酒好きな人なので」
「お父さんじゃなくてお母さんがなんだ」
「はい。父親がいませんし、うち」
ごめんと謝ると、緩く彩葉ちゃんは首を振る。
両親が揃った家で育つと、それが当然なため出てしまった言葉だったけど、彩葉ちゃんは嫌な顔もしなかったのでほっとする。
「生まれた時からいないで育ったので、そのことで苦しんだりはしてないので気にしないでください」
片親で育ったと思えないくらい彩葉ちゃんは明るくて、幸せな家庭で育てられたんだろうとわたしは想像してしまっていた。
思い込みだけで人に固定観念をつけるのは失礼だな、と反省をする。
「それなら良かった。まあ、育てられておいてだけど、わたしなんかあんな父親いらないって何度も思ったしね。いた方がいいのかいない方が幸せなのかは人それぞれだよね」
わたしの父親は子供を、家族を支配する人だった。
家を飛び出して以降は一言も会話はしていなくて、しばらくは母親経由で連絡があったけど、さすがに最近では諦めたのか連絡もなくなっている。田町家の面汚しとして、なかった存在にされるのであれば、それはそれでよかった。
育ててくれたことに感謝はある。でも、もう関わり合いたくないのが本心だった。
「そういえば、今日は何か相談事があるんじゃなかったっけ?」
もう店に入って2時間は経過している。このままでは相談を受けずに解散になりそうだと話題を振った。
「はい……」
頷いたものの俯く彩葉ちゃんに、何か深刻なことが起こっているのかとわたしはグラスをいったん置いた。
「わたしで力になれるかはわからないけど、相阪さんの心が少しでも楽になるなら話してみて」
「田町さん……」
視線を上げる彩葉ちゃんは、暗めの暖色のライトの下では陰影がついて、どこか色気を感じさせるものがある。美少女風とはいえ、彩葉ちゃんももう20代後半なのだ。色気があっておかしい年ではない。
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