愛し合うことの意味をわたしは知らない

海里

愛し合うことの意味をわたしは知らない

第1話 一人暮らし

その日、わたし田町たまち心和こころは普段通り会社に出勤するために家を出て、そしてそれ以降、家に帰ることはなかった。


きっかけは両親の主導するお見合いで、相手に仕事を辞めることを求められて、両親もそれに同調した。


仕事を辞めて専業主婦になればいいのだから、これ以上の相手はいないだろうと、言われるのも分かっている。でも、仕事を辞めることは、今までのわたしの努力を全て否定された気しかしなかった。


これから先一人で生きていくしかない、と思って家を出たもののそれは突発的な行動でしかなかった。その日寝る場所さえ決まっていない状態で、わたしは入社以来面倒を見てくれた先輩の椚木くぬぎさんに相談があると声を掛ける。


「心和からなんて珍しいね。いいよ。じゃあ、今日は飲みに行こうか。久々だね」


入社した頃はよく椚木さんと飲みに行って、そこでわたしはお酒の味を覚えたようなものだった。それでも最近誘いに乗らなくなっていたのは、遅くまで飲み歩くなという両親のお小言があったからだった。今思うと、わたしは何故それを真正直に守っていたんだろうかと思えてならない。


定時後、椚木さんとよく飲みに行っていた会社近くのスペインバルに二人で向かって、向かい合ってワインを傾けながら、家を出た経緯を椚木さんに話す。


もう家に戻る気はないので隠すことなどないと、洗いざらい全てを話してしまった。




学生時代から親にいずれは親が選ぶ相手と結婚させると言われていたこと。恋愛も禁止と言われていたこと。


自分の進路を決めるのにも、必ず親の承諾が必要だったこと。


見合い相手はそれほど悪い人ではなさそうだったものの、考え方が合わないと感じていたこと。


結婚の話を進めるから、仕事は辞めるように見合い相手に言われたこと。


両親もその考えに賛同したこと。




「それで着の身着のままで飛び出して来たんだ。思い切ったことするなぁ、心和。でも、いいんじゃない? 心和が親や家に縛られる必要ないと思うよ」


「有り難うございます」


「学生の頃は男女平等だ、なんて扱い受けているけど、社会人になったら、途端に不公平感感じるんだよね、女性って。子供を産むならどこかでキャリアに穴を開けないといけないし、その後もどうしても子供優先になりがちだから、それならどうしてそう育てなかったんだって思ったことあるなぁ。心和が我慢できなかったのも、そういうところだよね?」


椚木さんの言葉にわたしも肯きを返す。


仕事に命を掛けているわけではない。でも、自分が学び育って社会に対して成し得たことが働くことだけで、それは今のわたしにとっては自分の存在意義に近い。


それを捨てろとまで言われて、今まで生きてきた全てを否定されたように感じられたのだ。


「今日はどうするの?」


「ビジネスホテルにでも泊まろうと思っています。次の週末にでも住む家を探して、もう家には戻らないつもりです」


「じゃあ、今日はうちにおいでよ。狭い部屋だけど、しばらくの間寝泊まりくらいならしてもいいから」


そこまで世話になるのは悪いと思ったものの、椚木さんは持ち前の大らかさでおいでと言ってくれた。それに甘えて、わたしはそれからしばらく椚木さんの部屋にお世話になることになる。


すぐに部屋を探そうとしたものの、一人で生きて行けそうにないからもうしばらくいなさい、と椚木さんに家探しを中断させられることになる。わたしのあまりの家事のできなさに呆れてのことで、生活の基礎を教わって、やっと引越をしたのは三ヶ月後だった。





1人暮らしを始めて以降も、椚木さんとは定期的に飲みに行ったり、料理を教わりに行ったりが続いていた。


椚木さんは本当に世話好きで、誰からも好かれる女性で、わたしにとっては、頼りになる姉のような存在だった。


それに変化があったのが、椚木さんの人事異動と結婚だった。


結婚は前からつき合っている恋人とそろそろするかも、とは聞いていたので驚きはなかった。人事異動の方は希望を出していたわけではなく、主戦力の離脱には部門内の誰もが青天の霹靂だった。


椚木さんの異動先は本社内の部門でも、最寄り駅も違う場所だった。今までのように仕事が終わって飲みに行くこともし辛く、会う機会すら作らないと会えなくなる。


そして、椚木さんの代わりに配属されてきたのが今年の新人で、相阪あいさか彩葉いろはという名の美少女だった。


正確には、わたしが椚木さんの立場になって、彩葉ちゃんがわたしの今までの立場になる。それを示すようにわたしは椚木さんの引き継ぎ相手として指名され、引き継ぎを慌ただしく終えると、今度は新人が待っていた。


彩葉ちゃんはじっとしていると動き出すのが不思議な程整った造形で、西洋人形かもと思う程だった。でも、直接話をしてみると見た目に反して自分の意思はきっちり言えて、更には物覚えもいい手の掛からない後輩だった。


自分はこうはいかなかったなと思いながらも、椚木さんを頼れなくなったわたしを癒してくれたのは彩葉ちゃんの存在だった。


無条件にわたしを慕ってくれる彩葉ちゃんと話をするのは、仕事の話であってもほほえましくて、胸が温かくなった。面白くない仕事でも彩葉ちゃんの笑顔に力をもらって、頑張れたことも何度もあった。


とはいえ、彩葉ちゃんも仕事には慣れて行き、べったり指導をすることも徐々になくなっていく。何かあれば質問には来るものの、普段は同僚という関係で日々仕事に励んでいた。

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