カレーライス

 店長のマンションに着いたのは昼前だった。

 玄関ドアを開いて俺たちを出迎えた店長は、とびきり綺麗に微笑んだ。


「おかえり、万里くん」


 万里はきっちり5秒固まって、いったん足元に視線を落としてから改めて店長を見た。


「……ただいま」


 思いっきりぎこちないが、ものすごく重要な『儀式』のように感じ、俺は変に緊張して二人のやり取りを見守った。

 続いて店長はダニエルにも優しく声をかける。


「ダニエル、よく来てくれたね。歓迎するよ」


「お、尾張さんですね? よろしくお願いしますっ! お噂はかねがね……っ、……」


 ガチガチに緊張しているダニエルは、真っ赤な顔で言葉を詰まらせた。まるで憧れの有名人にでも遭遇したような反応だ。


「やだなぁ、どんな噂?」


 ころころ笑う店長に、万里が靴を脱ぎながらうんざりといった様子で口を開く。


魔術学校あっちじゃ、どこ行っても『尾張の弟子』って呼ばれて鬱陶しかった」


 店長、普通に有名人だった……。

 その時、万里が急にスンと匂いを嗅ぎ、ぱあっと顔を輝かせた。


「やったー! カレーだ! すっごく食べたかった!!」


 確かに玄関までスパイシーないい香りが漂っている。店長特製カレーは店でも人気メニューのひとつだ。

 万里は足取りも軽く、一人で先にダイニングへと行ってしまう。

 無邪気でマイペース……変わらない万里に、俺は何だかホッとした。

 そんな万里を咎めるでもなく、腹ペコっぽい万里を待たせておいて、店長はゆっくりとダニエルにマンション内を案内した。

 アレクがダニエルのスーツケースをゲストルームに運び込んでから、ようやく昼食タイムになった。




☆*:;;;:**:;;;:*☆*:;;☆*:;;;:**:;;;:*☆




「いっただっきまーすっ!」


 俺、万里、ダニエルの声がダイニングに響く。

 万里とダニエルのカレーには玉子とたっぷりの福神漬けがトッピングされていた。

 お子ちゃま二人とは違い、俺のカレーはとろけるチーズをのせてもらって、マイルドでコクのあるカレーに仕上がっている。

 店長とアレクは「シンプルカレーを楽しむ派」のようだが、店長だけジントニックを作って飲んでいる。カレーとジントニックって……合うのか?


 一口カレーを食べたダニエルが驚きの声をあげた。


「うわぁ……美味しいですっ!」


 ダニエルは日本風のカレーを食べたのは初めてのようで、瞳をキラキラ輝かせて感動している。スプーンがとまらないようだ。

 しっかりと煮込まれた肉が口の中でホロホロと解け、野菜の旨みがたっぷり溶け込んだスパイシーなカレーが、夏の暑さで疲れた体にエネルギーをチャージしてくれる。

 ダニエルだけじゃなく、万里もアレクも俺も、店長の特製カレーに思いっきりがっついた。


「そうそう、都築くん……今夜、千代ちゃんのとこの神社で夏祭りがあるよね。万里くん達の付き添い頼むよ」


「いいですけど、店長は行かないんですか?」


 ジントニックをコクリと喉に流し込み、店長は軽く肩を竦めた。


「暑いし、人混みだし、絶対行きたくない……」


 店長らしい理由に、俺は思いっきり納得した。




☆*:;;;:**:;;;:*☆*:;;☆*:;;;:**:;;;:*☆




 昼食後、リビングの高級革張りふかふかソファで寛ぎながら、魔術学校での色んな話を聞いた。

 アレクも俺も興味津々だ。

 授業の内容については、俺はチンプンカンプンだが、アレクの反応からみてずいぶん高度なことをやってるらしい。

 俺が興味ある話題といえば、寮の食堂のオバチャンが万里のために肉じゃがを作ろうとして失敗した話や、最初は『尾張の弟子』と呼ばれていた万里が今ではちゃんと『万里』と呼んでもらえてること、そして個性豊かな先生達の話や、ちょっと気になる可愛い女の子のクラスメイトなどなど……。万里はイギリスあっちでしっかり学生生活を満喫してるようだ。周囲からもそれなりに認められてるようだし、日本の高校よりずっと居心地良さそうで、俺は安心した。


 店長が万里に特別編入を勧めたのは、こういうことだったのかもな。


 あっという間に夕方になり、アレクが教会に帰っていくと、店長はリビングに浴衣や帯をいくつも持って来た。浴衣で夏祭りと聞いて、ダニエルはまたしても感動に打ち震えている。


「俺、自分で着れるー」


 万里が好みの柄の物を選んでさっさと着替えだす。

 店長がダニエルに浴衣を勧めるのを、俺は微笑ましく見守った。

 万里は黒の浴衣を選んだが、ダニエルは何を選べばいいのか分からないようで、店長が似合うものを見繕ってやっている。


「それにしても、ずいぶんたくさん浴衣があるんですね……店長のですか?」


「うぅん……万里くんの浴衣を仕立ててあげたいって橘のご隠居に連絡したら、やけに喜ばれて、橘くんとお揃いの反物とか、色々送って下さったんだよ。おかげで万里くんの浴衣、五枚もあるんだ……」


 ちょっと呆れたように説明する店長だが、それだけ万里が大切に想われてるってことだよな。離れて暮らしてても、ちゃんと万里は気にかけてもらえてるんだ……。

 俺はじんわりと胸があったかくなるのを感じた。


「ダニエルは背格好も万里くんと同じくらいだから、ちょうど良かった。ダニエル、帯……苦しくない?」


「大丈夫です!」


 ダニエルの帯をキュッと結んでやった店長は、満足気に浴衣姿の二人を見比べた。


「うん、よし……!」


 万里は黒に縦縞のちょっと粋な雰囲気の浴衣、ダニエルは薄いグレーに白い小さな柄が入った涼し気な浴衣だ。二人とも良く似合っている。


 初めての浴衣に、ダニエルは嬉しそうにチラチラ鏡を見てそわそわしている。可愛い奴だ。

 浴衣で神社の夏祭りなんて、まさに日本満喫だよな。


 俺はソファから立ち上がった。

 店長からしっかりと軍資金も預かっている。射的、金魚すくい、焼きそば、ヨーヨー釣り、リンゴ飴、サイダー、かき氷……なんでも来いだ!


「万里、ダニエル、行くぞ!」




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 神社にはたくさんの屋台が並び、人も多い。

 子供達のはしゃぐ声や、屋台の呼び込みなど、ずいぶん賑わっている。

 

「まずは、神様に挨拶してからゆっくり屋台を見て回る。それがお祭りの作法ってもんだ!」


 小さい頃にばーちゃんから言われたそのまま教えると、ダニエルはしっかりと頷いた。


「分かりました!」


 万里とダニエルと三人で本殿へと向かう。

 参拝を終えると、社務所から巫女装束の千代ちゃんがやってきた。


「あら、変わったメンバーね……万里くん、日本に戻ってたの? 元気そうね。そっちは、イギリスむこうの友達? 都築くんは引率ってとこかしら?」


「ダ、ダニエルと申しますっ! 巫女さんとお話できるなんて、感激ですっ! あ、あの……握手、いいですかっ!?」


 ダニエルは『巫女』にテンションが跳ね上がったようで、千代ちゃんに手を握ってもらって顔を真っ赤にした。千代ちゃんは苦笑しているが、海外からの観光客は皆こんな感じなんだろな……応対にも慣れているようだ。


 それまで黙っていた万里が、急に手を伸ばし、千代ちゃんの着物の袖をツンとひく。


御神木ごしんぼく……ご挨拶行っていい?」


「え? あー、あっちの方は今夜は立ち入り禁止にしてあるのよね……」


 千代ちゃんは困ったように御神木のある本殿の奥の方へと目をやった。

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