除霊と浄霊

 ど、どどどどどどうしたらいいんだっ!?


 母親からのあまりに激しい拒絶に、悠くんが暴走してしまったのだろうか。

 女性の体から急に力が抜け、ドサッと床に倒れ込む。とうとう意識を失ったようだ。

 万里は女性を庇いながら印を結んだまま、悠くんへと声をかけ続ける。


「悠くん、落ち着いて! ダメっ! そんなことしたら悪霊になっちゃう!!」


 強い風に煽られるように、万里と女性の髪や服が激しくはためく。

 万里の顔や手、あちこちに切り傷のようなものが出来て、赤い飛沫が散った。


「万里! 限界だ、除霊しろっ!」


 十和子さんスタイルの浄霊は、俺たちには難しかったんだ。

 このままじゃ万里がもたない。

 こうなったら、浄霊は諦めて力ずくで悠くんを消滅させてしまうしかないっ!


「除霊しろって! 万里っ!!」


 しかし万里は泣きそうに叫ぶ。


「やだっ! 絶対やだっ!!」


「言ってる場合かっ!!」


 みるみる万里の傷が増えていく。頑固者めっ!!

 とうとう万里が膝をついた。

 万里の肩やズボン……あちこちに血が滲んでいる。

 俺は一気に血の気がひいた。

 悠くんはすごく強いって言ってたじゃないか!

 このままじゃ、本当に万里がやられてしまう。


 仕方ない。

 俺は軽く唇を噛んだ。

 なるべく戦いに駆り出したくなかったが、背に腹は代えられない!


「パトラッシュ!」


 俺の声に万里の声が被る。


「ダメっ! 一馬っ、パトラッシュを止めて!」


 なっ、なんだとぉう~っ!?

 俺はとうとう万里に駆け寄った。


「万里! 頼むからっ、ちゃんと除霊しろっ! このままじゃお前が死んじまう!! 万里っ!!」


 俺の悲痛な叫びに応えたのは万里じゃなかった。

 玄関ドアをはねのけるような勢いで二つの人影が飛び込んでくる。


 それは――……、


「店長っ? アレクっ!?」


 二人は俺には目もくれず構えた。

 店長は護符を取り出し印を結ぶ。アレクは左手で聖書をかざしながら、右手で取り出した小瓶の水を振り撒いた。


 た、助かった――……。


 俺は傷だらけの万里を抱きかかえ、店長とアレクの浄霊をただ見守るしかできなかった。




☆*:;;;:**:;;;:*☆*:;;☆*:;;;:**:;;;:*☆




 浄霊が終わった時には、万里は俺の腕の中で朦朧としていた。

 幸い深い傷はなさそうだが、物理的な怪我よりも精神的なダメージの方が大きそうだ。


 静まり返る部屋……。『見えない』俺にでも見えるくらい、店長からは怒りのオーラが立ち昇っている。


「店長! 勝手なことして、すみませんでした! あの……万里を八神医院へ――……」


 店長は完全に無表情だ……今まで見たどんな店長よりも怖く感じる。

 俺たちのところへ歩み寄った店長は、冷たい瞳で万里を見下ろした。


「どんなに知識や力を身に着けても、決断が遅れたり、判断を誤れば簡単に死ぬ。そして、自分の命を大切にできなければ他の誰を救っても意味がない。よく考えなさい」


 万里は掠れた声で小さく答えた。


「……ごめんなさい」


 店長はくるりと踵を返し、さっさと部屋を出て行ってしまう。

 き、きまずい……。


 様子を見ていたアレクが近づいて来る。

 無言で俺の肩にポンと手を置き、動けない万里を抱え上げてくれた。


「アレク……本当に、俺たち……っ、……ご、め――……」


 安堵と不甲斐なさと自分のバカさ加減でグチャグチャな俺は、涙声になってしまう。 


「いい勉強になったな」


 アレクの声はびっくりするくらい優しくて、俺は溢れそうになる涙をぐいっと拭った。

 意識を失ったままの女性をその場に残し、俺たちはアパートを出た。


「でも、どうして店長とアレクがここに?」


「あぁ、花見の後すぐに尾張から連絡があってな。万里と都築が勝手に動くだろうから、車を出せって……」


 全部お見通しってわけか。


 万里を抱えるアレクの少し後をついて行く。

 アパートから少し離れた場所にアレクの車が止めてあった。

 見れば、店長は一足先に後部座席に座っている。


「もしかして、公園からずっとついて来てたのか?」


 俺の問いにアレクは小さく苦笑した。


「あぁ、車でけっこう大胆に尾行してたぞ。お前たち全然気づかなかったけどな」


「どうして途中で止めなかったんだ?」


 アレクは万里の傷を気遣うように、そっと車の後部座席……店長の隣に座らせた。


「やめさせても、日を変えてまた勝手にこっそりやるだろう? それに、お前たち二人でちゃんと解決できたなら、俺たちは知らなかったふりをするつもりだったんだ」


「…………」


 俺は返す言葉もなかった。

 アレクが運転席に、俺は助手席に乗り込む。


 バックミラー越しに店長を見ると、その表情は……まだ怒ってらっしゃる。

 車がゆっくりと走り出した。


「あの……店長、本当にすみませんでした! お説教されてたのに、俺たち……」


 改めてきちんと謝ると、ようやく店長はこちらに視線を向けてくれた。


「万里くんを止めるタイミング、たくさんあったよね?」


「はい……」


「僕、けっこう怒ってるよ」


「……はい」


 アレクの車は夜の街を滑るように走っていく。

 車が川沿いの道に出ると、月明りに照らされる桜並木が見えた。桜の花がぼんやりと浮かび上がっているような……幻想的な美しさだ。なんだか桜にまで叱られているような気がする。


 流れる景色を眺めつつ、俺はぼんやりと悠くんのことを考えていた。


 俺も万里も考え足らずだった。

 店長の言う通り、途中いくらでもやめさせるタイミングはあった。

 なのに、俺は――……。


「悠くん……最後に母親に会わない方が、心安らかに天国へ逝けたよな……きっと」


 悠くんに対しても、申し訳ない気持ちが込み上げる。

 ぽつりと口をついて出た俺の言葉を、運転席のアレクが拾う。


「どうすれば良かったかなんて、きっと悠くん自身にも分からないんじゃないか。悠くんの気持ちに寄り添おうとした万里と都築のやり方、俺は嫌いじゃないぞ。対応は下手だったかも知れんが、それはこれからの課題だ。きちんと反省すれば、後悔したり悩んだりする必要はないと思う」


「……アレク」


 店長とは大違いの優しい言葉に、俺はスンと鼻をすすった。

 でもきっと店長だって、本当はすごく心配してくれてたに違いない。


 後部座席で店長が小さくため息を吐くのが聞こえた。


「まったく、アレクは甘すぎるんだよ。今回の件、万里くんは手当ての後にしっかりお仕置きするし、都築くんは減給一ヶ月ってとこかな。それから今回の祓い料は半々で、橘家と都築くんにきっちり請求するからね」


「げ、減給っ!? 祓い料もっ!?」


 俺はガバッと振り向き、後部座席の店長を見た。

 もうすでにタクシーの深夜料金で今月の食費半分は消え去っている。毎月バイト代から天引きで支払っている祓い料がさらに増え、来月のバイト代が減給なんかされたら……。


 もう、生きた心地もしない。


 店長の横では「お仕置き」という単語に青ざめた万里がカクカク震えている。

 お仕置き……その詳細を聞く勇気は俺にはない。


 俺は神妙な面持ちで助手席に座り直した。

 借金の沼にずぶずぶとハマっていく感覚……人生はなかなかに厳しい。


 桜は満開だというのに、俺の心には冷たい風が吹き荒れていた。


 春は……まだまだ先かもしれない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る