ケンカ
「大切な話?」
万里は軽く目を瞬かせ、ゆっくりと起き上がった。
橘、万里、俺の三人は広い部屋のど真ん中で座り直した。
ふと見ると、祭壇に写真立てが置いてある。
なんとなく気になった俺は目を凝らした。
写真立ては二つ並んでいる。中年の男性と女性……あ、もしかすると祓いの事故で亡くなったという、白石夫婦の遺影だろうか。写真立ての前に、小さな白い花が置いてある。
道端に生えているような何でもない花だけど、万里が摘んできて供えているのか……。
ん? 写真は……二つ?
あれが白石家のご夫婦だとして、その息子の……あのノートの持ち主の遺影はなし?
俺があれこれ考えを巡らせていると、橘が思い切ったように話を切り出した。
「万里、単刀直入に言うけど……もう、他の人に迷惑かけるの……やめて欲しい」
「迷惑???」
何のことか分からないとでも言いたげに不思議そうに問い返す万里に、橘は表情を厳しくする。
「祓い屋の方々と何度もトラブルになってるよね?」
「あー、うん……」
そこで急に何やら思い出した様子で、万里は俺の方を見た。
「尾張サン、大丈夫だった?」
「あ、あぁ……けっこう酷い怪我だったけど、もうすっかり大丈夫そうだ」
心配? 気にしてたのか?
「そっか……」
俺と万里の会話に、橘が驚いて割って入って来る。
「怪我って……尾張さんに怪我させちゃったの!?」
ムーンサイドとトラブルがあったとしか知らなかった橘は、かなりショックを受けたようだ。だから言いたくなかったんだよなぁ……。
万里は拗ねたように、ぷいっと横を向く。
「だって尾張サンってば、俺の式神……勝手に解放しようとするから」
ちょっと態度悪いぞ、万里……。
橘が怒ったように声を上げる。
「当たり前だろ? 人間の霊を式神にするなんて……なに考えてるんだよ、禁忌だって知ってるだろ?」
「……知らない
二人はどんどんヒートアップしていく。
「ちゃんと理由があるから、禁忌とされてるんだよ! 人間の霊を縛り付けるなんて酷いことして、心が痛まないの?」
「そもそも動物はいいけど人間はダメってのもイマイチ分からない。人間だけ大事にしろってこと?」
「論点をずらすなよ」
二人の言い合いはどんどん加速していく。
これはもう説得でも話し合いでもない。
いつもは大人しくて思慮深い橘が、今日は別人のようだ。
身内である万里が人に迷惑をかけているという状況に、少なからず苛立ちを感じてるんだろうか。
俺は思わず口をはさむ。
「ちょっと待て! 二人とも落ち着けって」
全く同じ顔の二人が睨み合う。
橘は冷静さを取り戻すためか、小さく一つ深呼吸した。
「とにかく、今の式神は解放して……今後、人間を式神にしないって約束して欲しい」
「無理……!」
きっぱり拒否する万里は、まったく交渉の余地を感じさせない。
「それなら、仕方ない……」
橘がすっくと立ち上がった。
「いいよ、やる……?」
万里も立ち上がり、ひょいっと身軽に後ろへ飛んだ。
二人はもう完全に戦闘態勢だ。
構える橘に俺は慌てて声をかけた。
「待てって、橘!」
「これ以上、話しても無駄です。都築さんは離れてて下さい!」
万里がポケットから小さなステンレス水筒を取り出した。
あれは――……また管狐を使う気か!?
俺は一気に血の気が引いた。
店長はあれで大怪我したんだ!
ダメだ、シャレにならない!
「橘、やめろって! 万里も、管狐しまえ!!」
管狐と聞いて、橘はさらに万里を強く睨みつけた。
「どうして万里が管狐を持ってるの? 白石の人を殺して奪った? そんなに欲しかった?」
「…――っ!!!!」
俺はガシッと橘の腕を掴んだ。
自分でも驚くほど強い力で、橘を引っ張る。
「ちょっと来いっ!!」
「えっ? つ、都築さんっ!?」
一人置いてけぼりの万里は、水筒の蓋に手をかけたまま、ポカンと俺たちを見ている。
俺は橘を祭壇の前へと引きずるように連れて行った。
右手で強く橘の腕を掴んだまま、左手で写真立てをビシッと指さす。
「ちゃんと見ろ! これ、白石のご夫婦だろ? 遺影飾って花まで供えて……殺した人にこんなことするか?」
写真立てを見た橘は目を見開いた。
全然気づいてなかったな……余裕なさすぎだろ、橘!
一瞬、橘の瞳が揺れた。
酷いことを言ってしまったと気づいたのだろう。
それなら素直に謝って話し合いの続きを――……、
「でもっ、人間を式神にするのは許されない行為です! 都築さん、放してください!」
「橘、ちょっと落ち着けよ! ムキになるなって!」
完全にいつもの橘じゃない。つられて俺までヒートアップしてしまう。
「都築さんこそ、どうして万里の肩を持つんですか?」
「そういうことじゃないだろ! あの人がこう言ってたとか、誰から聞いたとかじゃなく、ちゃんと自分の目で見ろっつってんだよ!」
橘が俺の腕を振り払った。
睨み合う俺たちに、万里が困惑の声をあげる。
「えーっと……、なんで都築と京一が揉めてるの?」
「お前がちゃんと説明しないからだろーがっ!」
思わず突っ込み状態で叫ぶ俺に、万里はぶぅ……と頬を膨らませた。
「だって、京一には言ってもしょうがないもん……どうせ、何にも理解できない」
「僕には、理解……でき、ない?」
橘の声が、ショックと怒りで震えている。
さらに、火に油を注ぐような万里の言葉が続く。
「大人の言うことそのまま信じて、素直に従って、周りから大事に大事に育てられて、ちやほやされて、ぬくぬく生きてきた京一には、きっと何にも理解できない」
橘のぶちギレる音が聞こえたような気がした。
「あぁ分からない、分からないよ! 万里なんか、自分の思うままに好きなことして、ルールにも縛られない。何の責任もなくて、気楽で、誰の顔色を伺う必要もない。そんな万里の何を分かれって言うんだ!」
待て、まて、マテ!!!!
完全にただの兄弟ゲンカになってるぞ!!
慌てて止めようとした、その時、万里が弾かれたように周囲を見回した。
「……――っ! やられた!」
「えっ? なんだ? どうしたっ?」
状況が掴めない俺の耳に、橘の冷静な声が響いた。
「都築さんと僕は陽動班です。外で尾張さん達が結界を張ってくれました。万里はもう逃げられません。万里の式神も、管狐も……もう動かせないはず」
な、に……???
橘の信じられない説明に、俺は目を見開いた。
店長とオジサン陰陽師たちが――…!?
嘘、だろ?
いつの間にそんな作戦を……そうか! さっき俺だけ別の車に乗った、あの時かっ!!
こんなやり方……店長が考えそうなことだ!
万里がキュッと音を立てて水筒の蓋を開いた。
しかし、何も起こらない。
万里は水筒の中を覗き込んだ。
「みんな……封じられて、る?」
万里の手から水筒が転がり落ちた。
「……かず、ま……一馬? どこ? 出てきてよ、一馬……」
万里が名前を呼ぶのは式神か?
え? ちょっと待て。
一馬って……、ノートの名前……――「白石一馬」!?
橘が万里へと近づく。
「万里がしないなら、僕が式神を解放する」
ちょっと、……待て。
「式神契約の解除を――……」
橘が印を結ぶ。
ちょっと待てって!!!!
俺は万里の腕を掴み、グイッと引っ張った。
「都築さんっ!?」
「つづき……?」
「陽動作戦とか、店長のやり方めちゃくちゃ気に入らないし! 事情も分からないまま強引に式神を解放しようとする橘もおかしい! 納得いかんっ!! 逃げるぞ、万里!!」
「えぇっ!? つ、都築さんっ!?」
橘の驚きの声を無視し、俺は掴んだ万里の腕を強く引いた。
「来い! 万里!!」
俺は万里を連れて斎場を飛び出した。
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