約束

 ……ゆっくりと沈んでいく。

 暗く、深く、あたたかい……闇の底へと、落ちていく。


 意識が溶けて、ぼやけるような……。


 自分というカタチが、ゆっくりと崩れていく。

 眠りよりも深く、もっと奥へ、もっと底へ――……。


「かずまっ!!!!」


 誰かの声が、大きく響く。

 真っ暗な空間そのものを震わせるように。


 ぼやけていた俺という輪郭が、カメラのピントを合わせるようにハッキリと浮かび上がった。


 闇の中、上へと伸ばした手を、誰かの手が掴んだ。

 ものすごい勢いで引っ張り上げられる。


 水面へと急上昇するような感覚。


「ぶわっ……っ、……ぐ、げほっ、……げほっげほっ、ぶはっ……、……」


 一気に体中の感覚が戻って来る。

 俺は口から大量の黒い液体を吐き出した。

 床にぼたぼたと落ちる黒いものは何だ?


 喉が焼けるように痛い。息苦しい。

 酸欠のように頭がくらくらする。

 何とか息をしようとするのに、ゼーゼーとおかしな音がするだけで、まともに空気を吸えない。


 俺は床に崩れ落ちた。

 目の前に万里の足が見える。

 視線だけ上げると、万里が黒いの攻撃を防いでいる。土の元素を操る呪文……そうか、相手が黒い水みたいだから……。


 俺を庇って攻撃を防いでいるから、自分から攻撃できないのか?


 俺には大した能力なんてない、攻撃できるほどの術も使えない。

 手足が痺れて、まともに起き上がることも出来ない。


 俺、完全に足手まといじゃないか!!


「万里……様、……っ……俺のことは、いいです……逃げて、下さい」


 掠れた声で訴える。

 万里は真っ直ぐに前を見据えたまま、口を開いた。


「やだっ!!」


 きっぱり言い放つ万里に、俺の視界が涙で歪む。


 万里は逃げない……俺をおいて逃げたりしない。

 だって……バカな俺は、約束してしまったんだ……「ずっと一緒」だと……。


 でも、このままじゃ二人ともやられてしまう!


 ふと……、床に転がっている竹筒が目に入った。

 祭壇に置いてあった管狐だ。


 俺は何とか手を伸ばした。竹筒を掴む。

 震える指で蓋を開いた。

 竹筒から、勢いよく風のように何匹もの管狐が飛び出してくる。


「万里様を守ってくれ!」


 俺の指示が終わるより早く、管狐たちは黒いから放たれる攻撃を、身を挺して防ぎだした。攻撃が当たる度に、管狐の肉片と血が飛散する。


 よし、これなら防御の必要がない!

 俺は叫んだ。


「万里様、俺たちが考えたあの術! 水蒸気爆発に、金じゃなくて土をのせて――……っ!」


 相手は水だ。爆風にのせるなら金属より土片だろうと直感的に思った。

 管狐の数はどんどん減っていく。


 頼む、術が発動するまでもってくれ!


 万里が印を結び、呪文を唱える。

 火と、水と……二つが渦を巻いて煌き、万里の体を包んでいく。

 続けて土が発動され、三つが混じり合った瞬間、万里は黒いへと放った。


 その時、俺の体が動いた。

 さっきは指一本動かすのも大変だったのに、自分でも驚くほど軽く、早く、俺の体は動いた。


 万里の体を抱きしめる。

 爆風と衝撃から守るために――……。


 管狐だけじゃなく、俺も……万里の盾になるんだ。


 二人一緒に吹き飛ばされても、俺は万里を放さなかった。

 その頭を守るように左手で抱え、体を包み込むように右手で強く抱きしめた。


 この術……威力が強すぎて、術者が身を守る方法……まだ思いついてなかったんだよな。


 背中に大量の土片が突き刺さる。

 床に叩きつけられた時、ぐしゃりと体のどこかが潰れたような感覚に襲われた。


 そのまま、世界は暗転した。




☆*:;;;:**:;;;:*☆*:;;☆*:;;;:**:;;;:*☆




 遠くから、俺を呼ぶ声が聞こえる。

 頬に何かが落ちて来る、……雨? 熱い、雨?


 うっすら目を開くと、俺を見降ろす万里と目が合った。

 万里の瞳から、ぼろぼろと涙が溢れ落ちてくる。

 泣かせてしまった。


「万里……さま、お怪我、ない……ですか?」


「怪我してるのは俺じゃない……っ!」


 涙を拭ってあげたくて伸ばした手は、真っ赤だった。

 あぁ、俺の血か……。

 体の半分以上感覚がない。どこか怪我してしまったらしい。


 血で汚れた俺の手を、万里が握った。


「あの……黒いやつ、は?」


「倒せた、一馬のおかげで……倒せた」


 俺は小さく息を吐いた。

 ……――良かった。


「一馬……っ、……かずまっ! やだ、死んだらやだ、……かずまっ!」


 きっと致命傷だ。だって……痛みすら感じない。

 ただ、熱くて……苦しい。

 意識がぼやけていく。


 管狐が二匹、心配そうに俺の頬にすり寄って来た。

 全滅じゃなくて良かった……。


「万里さ、ま……きっと、俺……もう、こいつらの面倒みて……やれない、から……万里様に、お願いして……いいです、か?」


 俺の頼みに、万里は顔をくしゃくしゃにして問い返す。


「俺が、管狐を……?」


「だって、白石の子に……俺の子に、なるん……でしょ?」


 冗談めかして言ったつもりだったが、声は掠れて苦し気な息が漏れてしまう。

 万里は首を振った。


「一馬が自分で面倒みればいい……、……だって、……だって、ずっと一緒だって……約束、した……やくそ、く……した、のに……っ、……」


 視界が暗くなっていく、万里の顔がちゃんと見えない。

 約束、破りたくない……。

 俺が死んだら、万里はまた独りぼっちになってしまう。


 死にたくない、死にたくない、死にたくない……!

 万里を残して、逝けない――……!


「そう、だ……いつか、万里様が、式神を……使えるようになったら……俺を、万里様の……式神に、して……くださ、い」


 いいことを思いついたと、俺は何とか笑おうとしたが、口がひきつっただけだった。


「それまでは、浮遊霊で……がまん、しとき……ます、から」


 ずっと一緒に、いられるように。


 ずっと、守ってあげられるように。


「かずまを、俺の……式神に?」


 涙を溢れさせる万里の黒い瞳が、小さく揺れた。


「おれの……魂が、万里さまを……忘れて、しまう……前に、……お願い、しま――……」


 最後まで言えたか分からない。

 

 意識も、痛みも、心も、思い出も――……全てが、ゆっくりと闇に溶けてゆく。




 これからも、ずっと……明日も明後日も、放課後には万里を迎えに行って、色んな術の研究して、一緒に母さんの作ったご飯を食べて、二人並んで瞑想して、管狐に餌やって、たまに父さんの祓いの手伝いもする……そんな……何でもない日が、ずっと続くと思っていた。


 何もかもが、こんなにも……あっけなく、消えてしまうなんて……想像もしたことなかった。




☆*:;;;:**:;;;:*☆*:;;☆*:;;;:**:;;;:*☆




 二年後――……


「かずま……」


 呼ばれて、俺は姿を現した。

 万里に呼ばれた時だけ眠りから覚めるような、不思議な感覚。


 ずっと夢の中にいるみたいだ。


 万里は屋根の上で月を眺めている。


「今日は、すごく月が綺麗だから……一緒に見よ? となり、座って」


 その言葉に従い、自分で意識しなくても体が勝手に動く。

 俺は万里の隣に、そっと腰を下ろした。


「……一馬、全然しゃべらないね」


 月を見上げる万里の横顔は、ひどく寂し気だ。


 万里の名前を呼んでやりたいのに、声の出し方を忘れてしまったように口が動かない。


 夜風が万里の黒髪を優しく揺らす。


「俺のこと、もう忘れちゃった? 式神にするまで、二年もかかっちゃったもんなぁ……、ごめんね……」


 万里が小さく微笑んだ。


「俺のこと、もう忘れてても……それでも、もうちょっとだけ……一緒にいて、……」


 ささやくような小さな願いが、夜風にさらわれて消えていった。

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