暗転

「ほら、行きますよ! 万里様!」


 周囲の視線なんか気にもならない

 俺は万里を連れ、早足で歩き出した。

 万里は素直について来る。


 一分でも早く、万里をここから連れ出したかった。


 引きとめる声、とがめる声、色々なものが追いかけて来るのを振り払うように、俺は万里を連れて橘家から飛び出した。




 京都駅へと戻るバス乗り場の小さなベンチに、俺たちは並んで座った。

 

「こんな事して、いいの?」


「いいんです」


 万里の問いに、俺はきっぱりと答えた。


「でも、俺……別に平気だよ? あんなの慣れてるし……」


 ぽそぽそ話す万里は、本当に平気そうだ。

 でも俺には、痛みを感じないよう、感情に蓋をしているだけに見えた。


「万里様が良くても、嫌なんです! 万里様が悪く言われると、めちゃくちゃ腹が立つんです! ちっくしょー! あいつらっ! 何なんだよ、まったく! いい歳した大人が寄ってたかって……っ、……バッカじゃねーの!」


 俺はイライラを隠すことなく、ベンチに座ったまま足で地面をゲシゲシ踏みつけた。

 そんな俺をポカンと見ていた万里は、急に小さく笑いだした。


「……っぷ、……ふふっ、一馬ってば口悪い」


 その時、俺には……万里の笑顔が、何故か泣いているように見えた。


 バスが来た。

 俺たちはバスに乗り込み、空いていた一番後ろの席に並んで座った。


 万里は窓の外に流れる景色……京都の街並みをぼんやりと眺めている。


「一馬……」


「はい」


「もし、京一が死んで……予備の俺が、橘家に連れ戻されることになったら……」


 万里は窓の外から俺へと視線を移した。


「一馬も、一緒に来る?」


 その瞬間、俺は何かに突き飛ばされたような衝撃を受けた。

 あんな場所ところに、一人で行かせられるわけがない――……!


「当たり前です、俺は万里様のお供ですよ? 何処へだって、ついて行きます!」


「そっか……」


 万里は安堵したように小さく息を吐いた。


「ずっと、一緒?」


「はい……!」


 確認するような万里の問いに、俺は力強く頷いた。


「あ、そうだ。父さんに連絡しとかないと……」


 俺はポケットからスマホを取り出し、『帰ります』と一言だけメッセージを送った。




☆*:;;;:**:;;;:*☆*:;;☆*:;;;:**:;;;:*☆




 ようやく最寄り駅に戻って来た時には夜になっていた。


 改札を出てスマホを確認すると、父からメッセージが返ってきている。俺が送った後、すぐに返信してくれたようだ。


『分かった。今夜は、万里様の好物のハンバーグだそうだ。母さん、張り切って作ってるから、早く帰ってきなさい』


 ハンバーグの時だけは残さず食べてくれると、母が言ってたのを思い出す。

 俺はスマホの画面を万里に見せた。


「今日の夕飯、ハンバーグらしいですよ」


「おばさんのハンバーグ好き。ソースが甘くて、上に目玉焼きのってるやつ!」


「母さんはデミグラスソースなんか作れないから、ハンバーグの時はいっつも、マヨネーズとケチャップ混ぜただけの『オーロラソース』なんですよね」


「あれ、すごく好き。話してたらお腹減ってきちゃった。一馬、早く帰ろ!」


「はい」


 万里の歩くスピードが上がる。

 俺もしっかりと万里について、夜道を急いだ。


 家が見えてくる。


「あれ?」


 いつも夜には玄関の灯りをつけるのに、今日はついていない。

 俺は不思議に思いつつも、インターフォンを押した。


 ……しばらく待つが、反応がない。


 出かけてる? こんな時間に?


 いつもインターフォンを押せば母が出迎えてくれるので、自分の鍵を使うことはほとんどない。

 俺は財布に入れっぱなしにしてた家の鍵を取り出し、玄関ドアへ近づこうとした――……が、


「万里様?」


 万里が俺の服をキュッと掴んでいる。


「どうかしましたか?」


「一馬、……入らない方がいい」


 なぜか、ドクンと心臓が跳ねた。

 何だ? この嫌な感じは……?

 俺は無理に笑ってみせた。


「なに言ってるんですか……、もう……やだな、お腹減ってるんでしょ? それに、疲れてるだろうし……とにかく入りましょう、ほら」


 俺は鍵を開けた。

 ドアを開くと廊下にも灯りはついておらず、人の気配がしない。


「なんだろう……二人で買い物にでも行ってるのかな」


 万里が渋々といった様子で中へ入って来る。

 靴を脱ごうとしゃがんだ俺に、万里の声が降ってきた。


「俺が見て来るから、一馬はここで待ってて」


「え……?」


 顔を上げると、万里は靴のまま中へと入って行く。


「ちょ、万里様っ! いくら何でも土足はダメ――……っ!?」


 万里が歩いていく廊下の向こうから……何かの気配がする。

 それは、明らかに人間のものじゃない。


 俺は脱ぎかけていた靴を履きなおし、万里を追いかけた。


「一馬は玄関で待ってて」


「嫌です」


 鼓動が大きく速くなる。

 嫌な感じがどんどん膨らんでいく。


 万里は迷うことなく、斎場さいじょうのドアの前に立った。

 ドアを見つめたまま、万里は動かない。


 中に何が?

 ドアを開こうと伸ばした俺の手を、万里が掴んだ。


「開けない方がいい……、一馬」


 万里がちらりと下を見た。その視線の先には、ドアの横に小さな皿に盛った塩が置いてあった。儀式や祓いの仕事の時、結界として悪いものを逃がさないよう、父がよくやっている。


 そうだ、今日は急ぎの祓いの仕事があったんだ……。


「え――……?」


 皿の上の塩が、チリチリと震えながら焦げていく。

 なんだ……これ?

 こんなの、見たことがない。


「一馬、命令だ。……開けるな」


 万里の声に弾かれるように、俺は腕に力を込めた。

 バンッ! と勢い良くドアを開く。


「父さん! 母さんっ!!」


 最初に目に入ったのは、倒れている二人だった。

 鼻をつく鉄の臭い。

 部屋に飛び込み、二人に駆け寄る足が滑る。


「……っ!?」


 ぬるっとした感触……、俺は血だまりの中で父を抱きおこした。

 父の体は、肩から腹にかけて裂けたように大きな傷ができている。


「父さんっ、父さんっ!!」


 右手をのばし、母の肩を掴んで揺さぶる。


「母さんっ!!」


 二人の体は、驚くほど冷たく、まるで人形みたいだ。


 死――……っ!?


 信じたくない言葉を振り払うように、俺は二人を呼び続けた。

 理解できない、受け入れられない状況に、涙が溢れる。


「一馬っ!」


 万里の鋭い声で顔を上げると、祭壇の方にうごめく何かが見えた。

 黒いタールのような、ヘドロのような……形も定まらないが、俺をじっといる。


 走り寄って来た万里が、俺との間に立ち塞がった。


「一馬、逃げてっ!」


 印を結びながら叫ぶ万里に、俺は父を抱えたまま悲痛な声を上げた。


「でもっ、父さんと母さんがっ!!」


「もう、死んでる……ッ!」


 聞きたくなかった言葉――……、俺の腕から力が抜ける。

 父の体がどさりと床に転がった。


 祓いに、失敗……した?


「いや……だ、どうして……こんな、急に――……だって、さっき……メッセージ来てた、のに……っ、……」


 現実を受け入れられず、俺はゆっくりと首を振った。

 声が震える。


 その時、黒いと俺は……目が合った。


「ばかっ! 一馬、絶望するな! 取り込まれるっ!!」


 遠ざかっていく万里の声――……もう、その言葉の意味も分からない……俺は、暗く深い闇へと、引き込まれるように落ちて行った。

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