逢魔が時

「いただきまーす!」


 俺は橘と一緒に朝ご飯を食べていた。

 ゼミ旅行で泊る予定だった宿には俺の身代わりの人形ひとがたくんが居てくれてるので、俺は橘の屋敷にお泊りさせてもらったのだ。

 まるで時代劇にでも出てきそうな立派な日本建築。昨夜入らせてもらった風呂もひのきのいい香りがしたし、日本庭園から聞こえてくる鹿威ししおどしの音も風流だ……もしかしたら宿に泊まるよりずっと「京都」を満喫しているかも知れない。


 目の前に並ぶのは、炊き立てご飯に焼き魚、出汁巻き玉子、お浸し、汁物……豪華すぎる。

 毎日こんな朝ご飯を食べてる人間もいるんだな。

 俺の隣で当たり前のように食事をしている橘をほんのちょっとだけ羨ましく思った。


 結界を確認しにいく場所はどこも人気の観光スポットだ。参拝時間前の人がいない時に入れてもらえるよう、橘の全日本霊能力者連盟が圧力をかけたらしい。

 早めの朝食後、軽く身支度を整えた俺たちはさっそく京都守護魔方陣の確認へと向かったのだった。




 車を出してくれるというので、俺は自分を拉致してきた車に乗り込んだ。

 俺を調伏ちょうぶくしようとした陰陽師のおじさんが運転手をしてくれている。

 少々複雑な気分だったが、車はすぐに最初の目的地である上賀茂かみがも神社に到着した。


 俺と橘は車を降り、上賀茂神社の敷地内へと入った。

 鳥居を抜け、立派な楼門ろうもんを入り、本殿のさらに奥の方へと向かう橘の足取りに迷いはない。

 普通の参拝客ならこんな場所にまで入り込んだりしないだろうと、俺が不安になってきたところでようやく橘が足を止めた。

 敷地内の本当に端っこに、うっかり見落としてしまいそうなくらい小さな石積みのモニュメントのようなものがある。


 橘はその前で印を結び、何やらぶつぶつと呪文のようなものを唱えだした。

 俺は横で大人しく見守る。

 ほんの数分で橘は確認を終わり、小さく息を吐いた。


「どうだ?」


「ここは問題なさそうです。次に行きましょう」


 俺たちは車に戻り、同様の手順で松尾大社まつおたいしゃ八坂やさか神社、慈照寺じしょうじと回った。

 どこも異常なし。

 残るは鹿苑寺ろくおんじと晴明神社の二つというところで、鹿苑寺の参拝時間が迫っていた。

 後部座席でスマホを確認した橘は小さくため息を吐く。


「時間切れですね。人が多い時間帯は避けないと……夜、参拝時間が終わってから続きにしましょう」


「そうだな。そういえば橘くんって学校……今は夏休みだろうけど、部活とか塾とか行かなくていいのか?」


「あ、えっと……僕そういうのは全然。お仕事や修練があるから……」


「友達に誘われても、全部そう言って断ってるのか?」


「そういう友達は、……いません。それに、遊んでる暇があるなら修練しないと……僕はまだまだ未熟なので……」


 俺の人形ひとがたを作った時の手際も凄かったし、何より安倍晴明が作った結界を張り直すような奴だ。未熟とは到底思えないが……。


 橘はちょっと困ったように小さく笑う。

 ほんの少し目が寂しそうなことに俺は気づいてしまった。


 俺が高校生の頃なんて、ゲームしてマンガ読んで友達とファミレスだのゲーセンだのカラオケだの……暇を持て余しながらも楽しい毎日だった。

 それに比べて橘は、きっと自分の経験不足も実力不足も必要以上に自覚してるんだろう。何しろ、この若さで橘家当主になってるんだ。かなり真面目そうだし、責任感とかきっと色んなものを背負って、いつだってちょっと酸欠気味で……クラスに一人はいるんだよな、こういう奴。


 いきなり色々察してしまった俺の気まぐれが発動する!


「橘くん、夜まで時間あるんだろ? 俺、せっかくの旅行なのに全然まともに観光できてないし、京都の観光案内してくれよ」


「え? 観光案内、ですか?」


「そうそう! 昨日拉致られた時、俺『おたべ手作り体験』に行くとこだったんだ! 橘くん一緒に行こうぜ!」


 俺の突然の提案に橘は目を真ん丸にして言葉を失ってしまった。

 いくらなんでも、ちょっと唐突すぎたかな。


 その時、運転席でおじさん陰陽師が小さく笑った。


「それでは八坂神社の辺りで降りていただきましょう。鹿苑寺の参拝時間が終わる五時に同じ場所にお迎えにあがります」


 おじさんの声がちょっと嬉しそうだ。

 普段からそばにいるこの人たちが一番、橘のことを心配してるんだろな。


 こうして俺と橘は京都観光に繰り出した。




☆*:;;;:**:;;;:*☆*:;;☆*:;;;:**:;;;:*☆




 おたべ手作り体験は予想以上に楽しかった。

 橘は意外と不器用なところがあり、おたべの仕上がりは酷いものだったが、お互いの不器用さを笑いながら、俺たちは出来たてほやほやのおたべを交換して食べた。


 錦市場にしきいちばの通り抜けでは、なんと橘は「初めて来た」と言い、興味津々であちこちの店を楽しそうに見てまわり、抹茶ソフトクリームまで買って食べたのだ。


 昼ご飯はファストフードでハンバーガーを頬張りながら、橘が京都の「通り名覚え唄」というのを教えてくれた。


「まる たけ えびす に おし おいけ あね さん ろっかく たこ にしき……」


 周りの目を気にして恥ずかしそうに小声で歌う橘に合わせて、俺は観光ガイドの地図の通りの名を確認していく。結局全部覚えることは出来なかったが、耳に残るメロディだ。


 午後からはゲーセンで俺の腕前を見せつけて橘から尊敬の眼差しを向けられ、土産物店でオモシロTシャツを物色したりもした。

 橘が嬉々として購入したTシャツの背中には大きく「武士!」と書いてあった。陰陽師が武士Tシャツを着るというシュールさに、俺は突っ込んでいいのか笑っていいのか分からなかったが、橘はとにかく楽しそうだった。


 こうして見れば、橘もごく普通の高校生だった。




☆*:;;;:**:;;;:*☆*:;;☆*:;;;:**:;;;:*☆




 午後五時、俺と橘は迎えの車に乗り込んだ。

 橘は今日一日のことを運転手のおじさん陰陽師に嬉しそうに報告する。

 俺は楽しかった観光の余韻に浸りながら、車の窓から流れる景色を見ていた。


 ちょうど夕方の――…逢魔が時だ。

 今もどこかで辻占が行われているのだろうか。


「停めて下さい!」


 車が走り出して数分、橘が突然声をあげた。

 鹿苑寺まではまだなのに勢いよくドアを開き飛び出して行ってしまう。


「な、なんだなんだっ?」


「何かをお感じになられたんです!」


 おじさん陰陽師は慌ててシートベルトを外す。追いかけるのだろう。

 俺も車から降り、橘を追って走り出した。


「ぎゃぁあああっ!!」


 まるで獣のような叫び声が人気ひとけのない四辻に響く。

 角を曲がった俺の目に飛び込んで来たのは、凶暴な猫のように四つん這いの女子高生。

 橘を睨みつけ、威嚇するように唸っている。


「橘っ!?」


「危ないっ! 近づかないでください!」


 橘が叫ぶ。

 俺に見えるということは猫の化け物や霊じゃない、人間だ。

 俺は霊的な攻撃はスルーできても、生身の人間からの物理攻撃には普通にダメージを受ける。女子高生の爪はしっかりとネイルされてて、やたらと攻撃力高そうだ。引っ掻かれでもしたらたまったもんじゃない。

 遅れてやってきたおじさん陰陽師が橘に叫んだ。


「京一様! 九字くじをお切りくださいっ!」


「…――っ!!」


 橘は弾かれたようにおじさんを見た。

 その顔は一瞬の驚きの後、泣き出しそうに歪む。


「いや、です……嫌だ、人に向かって九字なんか切れませんっ!」


「京一様っ!!」


 おじさんの悲痛な叫びが四辻に響く。


「橘っ!」


 女子高生が橘に飛びかかった。

 橘は両腕を拡げ、抱きしめるように女子高生を捕まえる。と同時に、女子高生が橘の肩口に勢いよく噛みついた。


「ぐ――…っ、……」


 痛みの声を漏らしながらも、橘は女子高生をがっちり捕まえたまま放さない。

 俺とおじさんが駆け寄り、女子高生を橘から引き剥がして押さえ込んだ。二人がかりでも跳ねのけられそうなほど、女子高生はすごい力で暴れる。

 橘は優しくなだめるように小さく呪文のようなものを唱えながら、女子高生の額に指先で文字らしきものを書いた。そして蝋燭ろうそくの火を吹き消すように、ふぅっと息を吐く。


 とたんに女子高生の体から力が抜ける。

 意識を失ったようだ。

 俺とおじさんは女子高生の体を道路に横たえた。


「この子は大丈夫なのか?」


「はい、数分後に目覚めた時には何も覚えていないはずです」


 橘の服の肩のところに大きな血の染みができている。

 うわ、めちゃくちゃ痛そう。

 俺が声をかけるより先に、おじさんが怒ったように声を荒げた。


「京一様、無茶なさらないで下さい! ちゃんと九字を切っていれば、距離を保ったまま倒せたはずです」


 橘は俯いてしまった。


「でも、……そんなことしたら、大怪我させてしまう……もしかしたら死なせてしまう、かも……しれない……から」


 泣きそうな声だ。


「だからって、京一様にもしもの事があったらどうするんです? もう少しご自分の立場というものを――……」


「ごめんなさい……」


 消え入りそうな橘の謝罪に、おじさんは言い過ぎたと思ったのか気まずそうに口を引き結んだ。


「と、とにかく! 怪我の手当てをしないと! ほら、早く車へ!」


 わざとらしく明るい俺の声が、夕方の四辻に虚しく響く。

 九字ってのがどんなものか俺は知らないが、とうてい聞ける雰囲気じゃない。帰ったら店長にでも教えてもらおう。


 俺たちは気まずい空気を引きずったまま、怪我の手当てのために橘の屋敷へと戻った。

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