結界
屋敷に着くとすぐ、橘は手当てを受けに連れて行かれた。
俺と運転手のおじさんは二人並んで
しばらく無言だったが、おじさんが呟くようにぽつりぽつりと話しだす。
「都築さん、今日は本当にありがとうございました。あんなに楽しそうになさっている京一様を見たのは初めてです」
「それは、良かった……です」
「京一様はご自分で思ってらっしゃるほど、未熟でも力不足でもありません。ただ、お優し過ぎるのが心配です。いつか取り返しのつかない事になってしまうのではないかと……」
「…………」
きっと、おじさんの言い分は正しい。
でも俺は「人に向かって九字なんか切れない」と言った橘の、あの泣きそうな顔に「お前は間違ってない!」と言ってやりたいんだ……。
「お待たせしました」
橘の声で俺とおじさんは振り返った。
「もう大丈夫な――……っぷ、おま……その、Tシャツ!!」
橘は血で汚れた服からさっき買った武士Tシャツに着替えていた。ネタで買ったんじゃなく、マジで気に入ってたのか。
思わず吹き出してしまった俺の横で、おじさんもポカンと橘を見ている。
「えっ? え? 都築さん何で笑うんですか? これ、そんなにおかしいですか?」
「いや、うん……まぁいいんじゃないか……っ、……」
俺は笑いをかみ殺す。
本人に自覚はなさそうだが、橘のおかげでちょっと空気が軽くなった。
「そんなことより、早く
「えっ? 大丈夫なのかよ、そんな怪我で……」
武士Tシャツの首元から白い包帯が覗いている。
血の量からみても、かなりの深手だったはずだ。
「問題ありません! それより早く調査に……、お願いします!」
俺と橘、そして運転手のおじさんの三人は再び車に乗り込み、鹿苑寺へと向かった。
夜の鹿苑寺は、昼間にゼミ仲間と来た時とは全く違う雰囲気だった。
参拝時間終了からもうずいぶん経ってしまっていることもあり、庭園整備など関係者の姿もなかった。橘は立ち入り禁止の看板も気にせず、庭園の奥へと入ってゆく。
上賀茂神社など、今朝行ったところ全てにあった石のモニュメントのようなものが、ここにもあるのだろう。白い石を積み重ねただけのそれらが、京都の五ヵ所で結界を構築しているのだと思うとすごく不思議な感じだ。
橘とおじさんの足が止まる。
二人の視線の先には、モニュメントの石が崩れたように地面に散らばっていた。
「あれは――…」
他のところにあったものと様子が違う。
台風で崩れたのか、庭園掃除の人が誤って崩してしまったのか、猿や猫の仕業か……とにかく、それが正しく機能してないのは明らかだった。
しかし橘はそれではなく、その上空を睨んでいる。
「こんな
誰に……いや、何に話しかけているのかは分からない。しかし橘の緊迫した様子から、居てはならない何かがそこに居るのだと分かる。
橘は右手で印を結び、左手で護符を取り出した。
声は聞こえないが口の動きから何か呪文を唱えているのが分かった。
おじさんも橘の隣で印を結んでいる。
いきなり突風のようなものが二人に襲いかかり、おじさんが吹き飛んだ。
橘は踏ん張り、なんとか堪えているが髪も服も激しく揺れ、はためいている。
すぐ近くにいるのに俺にはそよ風すら感じないということは、自然の風ではないのだろう。
「大丈夫ですかっ!?」
俺はおじさんに駆け寄った。しかしおじさんは完全に意識を失っている。
これ、けっこうマズいんじゃないか?
橘へ目をやると、武士Tシャツのあちこちが鋭利な刃物にすっぱり切られたように裂けていく。それと同時に、体にもたくさんの切り傷ができる。
あああああ~っ! それ今日買ったばっか――…じゃなかった! 橘が傷だらけに!!
「橘っ! だ、大丈夫なのかっ!?」
しかし橘は俺の声など聞こえてないかのように、真っ直ぐに前を見つめたまま呪文を唱え続けている。
えぇーっと、俺にできることは何だ!?
いや、考えるまでもなかった。
俺は散らばっている石へと走り出す。これをちゃんと積み直したからって、すぐに結界が再起動するとは限らない。たとえ再起動したからって、橘と戦っているヤツが弱ったり逃げたりするとも限らない。
でも、俺に出来ることなんかこれくらいしか思いつかないんだ!!
俺は他の場所で見た形を思い出す。一番下はたしかこの平べったい石だ。なんとか持ち上げるが十キロ以上あるんじゃないだろうか、けっこう重い。
抱えて台座のところまで運び、割れたり欠けたりしないよう気を付けて石を下ろす。
振り返ると橘が手を大きく動かしているのが見えた。今度こそちゃんと九字とやらを切ってるのか。
俺にはどちらが優勢なのか分からないが、橘の武士Tシャツの裂けめから覗く包帯に血が滲んでいる。傷口が開いたか……、それでも橘は逃げ出しもせず、弱音も吐かず、前だけを見て戦っている。
俺はグッと奥歯を噛み締め、二つ目の石を取りに走った。
次々石を運んではのせてを繰り返す。
しかし一番上にのせる最後の石が見当たらない。確か野球ボールくらいの大きさだったはずだ。
必死に目を凝らして辺りを見回すが……やっぱりない。
まさか!
俺は少し離れた小さな池へと目をやった。
最後のは丸っこいんだ、もしかしたらあそこまで転がって行ったのかも!?
迷ってる暇なんかない!
俺は池の水をバシャンと跳ね上げ中へ入る。人工の池だから水深は膝下くらいまでしかないが、夏とはいえ水が冷たい。
暗いし水は濁ってるし、目で見て探すなんて無理だ。
俺は四つん這い状態で手を伸ばして探り、硬いものを見つけては拾い上げて確認する。
「…――あった!!」
見つけた! すぐに池から上がる。
濡れた服が肌にへばりついて気持ち悪いが構ってられない。息を乱しながら走り、俺はようやく最後の石をのせることができた。
体力を使い果たした俺はそのまま地面に転がってしまった。
橘のことが気になるのにそちらへ顔を向ける力も残っていない。
「都築さんっ!!」
橘の声が響く。
俺はいつの間に目をつむっていたのだろう。
体を揺すられ、重い瞼を開く。
橘が心配そうに俺の顔を覗き込んでいた。
「……やっつけたのか?」
「はい、都築さんのおかげで調伏することができました」
「そっか……」
石を元に戻したのが少しでも効果あったなら、俺の「頑張り」は無駄じゃなかったってことだ。
良かった――……。
「でも、まだ完全に結界を戻せたわけじゃありません。ここからは僕の仕事なので、都築さんは休んでいて下さい。結界を構築しなおします」
ふらふらでまだ起き上がれない俺の横で、橘は再び印を結び何やら唱えだした。
俺が最後にのせた石を橘の指がなぞり、何やら書き込んでいるようだ。
もし俺が少しでも「見る」ことが出来たなら、きっと橘の術は映画で観たどんなものより神秘的で綺麗なんだろうな。
見えない自分がほんの少し恨めしい。
今まで店長の術をちゃんと見たいなんて、一度も思ったことなかったのにと、俺は小さく苦笑した。
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