犬と少女

「これは君が書いたものだね? さつきちゃん」


 店長が優しくさつきちゃんに問いかける。

 リビングの大きなふかふかソファには、店長、アレクさん、弥生さん、さつきちゃん、俺の全員が座っていた。店長がテーブルに置いた紙を見たアレクさんの表情がくもる。


「はい」


 さつきちゃんの声は少し震えていた。


「バロンに戻って来て欲しかったんだね?」


 質問を続ける店長の声はどこまでも優しい。さつきちゃんは気まずそうに頷いた。


「嘘だろ? こんな小さい子が呪術を使ったっていうのか?」


 アレクさんは驚きの声をあげ、信じられないと言った様子で紙とさつきちゃんを見比べた。弥生さんも驚いたような顔でさつきちゃんを見ている。

 店長は子供部屋から持って来たタブレットを紙の横に置いた。


「今はネットで検索すれば、この程度の呪法はいくらでも見つけることができる。バロンを生き返らせようとして陰陽術の『反魂はんごん』の真似事をしたんだ」


 店長の説明に、アレクさんは何とも複雑そうだ。


「なるほどな、反魂は魂を縛り付ける一種の『呪詛』だ。バロンの霊は呪詛で縛り付けられているから除霊できなかったのか……。待てよ、それならさつきちゃんの怪我は、もしかして……」


 アレクさんは怪我の理由に気づいたようだ。

 店長は頷き、護符を指さす。


「そう、この護符にはいくつか間違いがある。ま、ネット上にあるものなんていい加減なのばかりだから仕方ないんだけど。間違った護符を使い、間違った呪法を行ってしまった。つまり、これは逆凪さかなぎだ」


「逆凪?」


 初めて聞く単語に、俺は思わず聞き返した。

 店長は護符を見つめたままゆっくりと説明してくれる。


「陰陽系の呪法は日本人にとても相性がいい。修行したことのない子供でも、方法さえ分かれば使うことができる。けれど影響力も大きく、直接相手を攻撃できるような危険なものも多いんだ。そして強い分、反動も大きい。逆凪というのは術を使った反動だよ。きちんと修行を積んだ術者なら、逆凪の対策をした上で術を使う。でも、ネットじゃそんな事までは教えてくれないからね。さつきちゃんは何の対策もしないまま、しかも間違った呪法で『反魂』をしてしまったんだ」


 俺はさつきちゃんの手の包帯へと目をやった。


「だから、こんな酷い逆凪を受けちゃったってことなのか……」


 ネットの情報を鵜呑みにしちゃいけないって、学校のネットリテラシーの授業でも習ったな。

 弥生さんは不安そうにさつきちゃんの肩を抱き寄せ、店長に問いかける。


「あの……さつきがかけてしまった呪いは解除することができるんでしょうか?」


「できます……というか、やります。でも簡単ではない。アレク、手伝ってくれるかな?」


「いいけど、俺は専門外だからな。正直言って、それに書いてある梵字すら読めないぞ」


 店長はテーブルの上の紙を手に取った。

 折りたたんでポケットにしまいながらアレクさんに答える。


「分かってる。とりあえず都築くんと一緒に子供部屋を片付けて儀式をするスペースを確保してくれ。それから、弥生さんはさつきちゃんに白い服を着せてあげてください」


 店長の指示で俺たちは一斉に動き出した。さつきちゃんの怪我がバロンの仕業じゃなくて良かった! 後は店長が呪詛を解除すれば一件落着。

 今回は俺、全然役に立たなかったなぁ……なんて思ったのは大きな間違いだった。




☆*:;;;:**:;;;:*☆*:;;☆*:;;;:**:;;;:*☆




「えーっと……俺って、今どういう状況?」


 アレクさんと力を合わせて子供部屋にひっくり返っている大型家具を壁際に寄せたまでは良かった。

 しかしその後、白い服に着替えて来たさつきちゃんと二人並んで部屋のど真ん中に座らされた俺は、神社で依り代にされた時と同じくらい嫌な予感に苛まれていた。


 店長はさつきちゃんが書いた護符に何か書き足し、さらに新しい護符を作っている。アレクさんは俺とさつきちゃんの周りに小瓶の水を振り撒いたりしていた。


「バロンはどうなるの?」


 自分じゃなくバロンの心配をするさつきちゃん。

 もしかしたら、呪術を使ってしまった責任を感じているのかも知れない。

 そんなさつきちゃんに、アレクさんはニッと白い歯を見せて笑った。


「天国に行けるように解放してやるんだよ。俺も畑違いの術式に詳しいわけじゃないが、見たところ尾張は『除霊』じゃなく『浄霊』をしようとしてる」


「除霊と浄霊ってどう違うんですか?」


 俺の素朴な質問はきっとド素人丸出しなんだろうが、アレクさんは面倒くさがらず丁寧に教えてくれる。千代ちゃんとはえらい違いだ。


「簡単に言えば、除霊は霊を滅して消してしまう。浄霊は解放して天国へ送ってやる。浄霊の方が難しいし、力も技術も必要だ」


 店長、凄い人だとは思ってたけど……除霊、神降ろしに続いて、今回は浄霊か。

 きっと、さつきちゃんの気持ちを考えて除霊じゃなく浄霊にしたんだな。いいとこあるじゃないか。


「バロンは、ちゃんと天国へ行ける?」


 不安そうなさつきちゃんに、アレクさんは力強く頷いた。


「もちろん。それから、尾張と都築がさつきちゃんに返ってきている呪いも解いてくれる。だからもう二度と呪術の真似事はしちゃだめだ。分かったね」


「うん、約束する」


 アレクさんはさつきちゃんの頭に大きな手を置き、優しく撫でた。……って、ちょっと待て! 今、店長と呪いを解くって言わなかったか? アレクさん! 俺が何をするって言うんだ?


「準備できたよ、始めよう」


 店長の声にアレクさんは頷き、壁際で見守っていた弥生さんの横へ移動した。


「あの……店長、俺はいったい……?」


「あぁ、大丈夫。都築くんはそこに座ってるだけでいいから。まず、逆凪をさつきちゃんから都築くんへ移す。こういう身代わりは、人形ひとがたでやると失敗することが多いんだけど人間でやれば確実だ。都築くんが逆凪を引き受けることが出来たら、バロンの魂を縛り付けている呪詛を解除する。……手順としてはこんな感じかな」


「なるほど」


 さつきちゃんにきてる逆凪を俺が肩代わりするってことか。


「身代わりの仕掛けが完成するまでの間、アレクはバロンが部屋に入って来れないようにしてくれ。けっこう繊細な作業だから邪魔されたくない」


「了解……!」


 店長の指示で、アレクさんは聖書を手に「任せとけ」と笑顔を見せた。

 儀式が始まる。

 俺は隣に座るさつきちゃんの視線を感じ、大丈夫と微笑んだ。そして何も感じないものの、ひたすらバロンの冥福を祈ることにした。


 粛々と進む儀式は想像してたよりずっと地味だったが、途中で弥生さんやさつきちゃんが怖がったり悲鳴をあげたりしたので、俺には見えてないだけで実は全然地味なんかじゃなかったのかも知れない。


「終わりました」


 ようやく店長の声が部屋に響いた時には、さつきちゃんは俺の隣で気を失い、弥生さんは壁際で青ざめて座り込み、アレクさんは肩で息をしていた。

 さすがの店長も疲れたのだろう、ちょっと顔色が悪い。


「皆さん大丈夫なんですか? 店長」


「大丈夫だよ。バロンはちゃんと送ったし、逆凪は全て都築くんに向かったけど……何ともないよね?」


「はい」


 俺は念のため、自分の体をあちこち触ってみたり腕を回したりして確認するが、どこにも異変も痛みも感じない。アレクさんが近づいて来てまじまじと俺の顔を覗き込んだ。


「噂には聞いていたが本当に凄いな、都築の存在こそが神の奇跡だ」


「き、奇跡って……そんな大げさな」


 感心したように俺を見つめるアレクさんに、俺は引きつった笑いを浮かべた。




☆*:;;;:**:;;;:*☆*:;;☆*:;;;:**:;;;:*☆




 朝まで目覚めないだろうから無理に起こさずそっとしておいた方がいいという店長の指示で、気を失ったさつきちゃんは弥生さんがベッドへ運んだ。

 店長、アレクさん、弥生さん、俺の四人はリビングへと戻り、ソファへ腰かけてようやくホッと落ち着いたのだった。


「本当にありがとうございました」


 弥生さんが人数分のお茶と茶菓子を運んできてテーブルに置く。

 おぉ! これは、老舗和菓子店胡月堂こげつどうの話題の新作、柚餅子ゆべし

 アレクさんも瞳をキラキラさせて茶菓子を見ている。


「アレクさんは海外の方なので、こういうお菓子を喜んでいただけるかと思いまして」


 俺だって大喜びですよ! 弥生さん!!

 しかし店長は小さく咳払いし、申し訳なさそうに口を開く。


「すみません。お心遣いはありがたいのですが、都築くんは先日の儀式の関係で食事制限があり、今はまだお白湯しか飲めません。今夜から少しずつお粥などの流動食を食べられる予定なんです」


 そうだったーーーーーーーーっ!!


 店長の言葉に俺はがっくりと肩を落とした。

 絶望する俺の横で、アレクさんは美味そうに柚餅子にかぶりつく。


「あら、そうだったんですね。でしたらお持ち帰りになりますか? これ、賞味期限一週間くらいはあったと思うので……」


「お願いします!!」


 半べそをかいてる俺を不憫に思ったのだろう。弥生さんが提案してくれたお持ち帰りに、俺は力強く頷いた。

 弥生さんがお茶の代わりにお白湯を出してくれる。


 美味しそうに柚餅子を頬張る店長とアレクさん――……二人を恨みがましく睨みつつ、俺は虚しくお白湯をすすったのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る