二章
6
イルカの一件以来休校になっていた学校が再開したのはお葬式の翌日のことだった。小さな学校で、顔触れは小学校のときからずっと変わらない。同学年どころか、全学年の生徒と顔見知りなのが普通だ。気心の知れた連中しかいないのは居心地がいい一方で、どこか停滞した雰囲気があることも否定できない。そこに新風を吹き込んだのがイルカだ。彼女がもてはやされたのも当然のことと言える。
その日の教室は、とても静かだった。まるでお葬式の続きをやっているかのようだ。
イルカがいない。それは三か月前までならば、当たり前の光景だったはずだ。僕らは何もイルカが転入してくるまで、私語の一つも交わさず板書に集中するような熱心な生徒だったわけではない。むしろ、どうせ島から出られないのに勉強なんてしたって何の意味があるんだろうという空気の方が支配的だったし、先生にしたところで専門の教育を受けたわけではないから、授業はしばしばあらぬ方に脱線し、しかも誰もそれを気に留めなかった。
それがいまや僕らは世界一静かな学生だ。教室がかつての喧騒を取り戻すのはいつのことだろう。僕にはわからない。そんな日が来るのかどうかさえ。
そんな調子で一週間が経ち、いよいよ一学期最後の週になった。
この一週間ずっとそうだったように、その日の僕はノートに板書を書き写す一方で、まったく別のことを考えていた。
何か僕にできることはないだろうか。
イルカがいた時間を取り戻すことはできないにしても、せめて彼女が島に来る前の平穏を取り戻すことはできないのだろうか。
「ねえ、リク君。聞いてる?」
ミオの声にはっと我に返った。昼食の時間はいつもそうするように、僕らは席を対面にしてお弁当を食べていた。
「ああ、うん」
僕はかろうじて相槌を打った。けれど、ミオにはすべてお見通しらしい。彼女は言った。「ミナトが心配だねって言ったの」
「ああ、そうだね」
ミナトはずっと「病欠」だった。どうやらいまだ部屋にひきこもっているらしい。僕らも何度か家を訪ねたが、まだ一度も会えていなかった。
「無理もないよ。あの二人、本物の姉妹みたいだったもの」
「何かないかな。ミナトのためにできること」
ミオはミオでやっぱり僕と同じようなことを考えていたらしい。でも、どうだろう。こういうときは案外そっとしておいた方がいいものだ。時は万能の薬ではないにしても、応急処置くらいはしてくれる。そう言おうとしたところで、横からホリが割り込んできた。
「そうよね。わたしたちにもできることがあるはずよね。わたし、ずっとそう思ってたの」
ホリはこのクラスの学級委員だった。
「ホリちゃんもそう思う?」
「もちろん」ホリは大げさに頷いた。「これはクラス全体で考えるべきことよ」
もちろん、ホリにとってはあらゆる事柄がクラス全体で考えるべき問題なのだ。ホリは自分の言葉に鼓舞されたように、教壇へと向かうと手をぱんぱんと叩いてみんなの視線を集めた。そんなことしなくたって、もうみんな僕たちに注目してた気がするけど。
「みんなに考えてほしいことがあるの」ホリは言った。「わたしが言うまでもなく、みんな気にしてると思う。ミナトさんのことよ」
なんだか本当に話が大きくなってきた。きっと、この場にミナトがいたら赤面して教室から飛び出して行っちゃうんだろうなあ。
「誰かミナトさんを元気づけるアイディアはないかしら」
そうは言っても、自分たちがイルカの一件でダウナーになってるのに他人を元気づけている余裕なんてあるのだろうか。
「でも、ミナトちゃんが喜びそうなものって言ったらやっぱりウミネコさんなんじゃないかな」ミオが発言した。
「ああ、海賊さんかあ」
ウミネコさんというのは、ときたま自前のクルーザーでふらっと港に現れては文房具や電化製品などこの島では手に入りにくいものを物々交換で譲ってくれるお姉さんのことだ。自称海賊。その素性について詳しく知る者はいない。あるいは本当に海賊かもしれない。年配の島民たちには胡散臭がられてるけど、彼女の存在なくしてこの島の生活は成り立たないだろう。子供たちにも人気があり、人見知りがちなミナトもこのウミネコさんにはよくなついていた。
「でも、あの人、超自由人でしょ。いつ来るかわからないじゃん」
「最近来てなかったし、そろそろなんじゃないかなあ」
「そのとーり」メダカが声を張り上げた。
「何、急に」
「うち、この前扇風機が壊れたからウミネコさんに新しいのを頼んであるんだよ。そろそろ来ないとマジ死ねる」
「でも、ウミネコさんが来たら、あたしらが何もしなくてもさすがにミナトも気づくよね」
ミナトの家は、浜辺から上がってすぐのところにあった。彼女の部屋の窓からは海が一望できる。
「それもそうだな」
「というわけで却下。他の案がある人」ホリが次の意見を募る。
「リク君は何かないの?」
「僕?」
「ミナトさんと仲いいでしょ」ホリの表情はいたって真剣だった。
「そう言われてもなあ」僕は困ってしまった。「でも、みんなの顔を見たら元気が出るんじゃないかなあ」
われながら適当なことを言ったものだ。けれど、ホリはそうは思わなかったらしい。ふむふむと感心するように頷いてこう言った。
「そうね。いい考えだわ。さすがリク君」
うーん、ホリがそう言うならそうなのかもしれないなあ。
「じゃあ、今日の放課後みんなでミナトさんの家に行きましょう」
「みんなで?」
「そうよ」ホリは言った。「リク君の提案に賛成の人」
みんなが手を上げるのを見て、僕は慌ててそれに倣った。
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