第9話〈4〉【サマーリゾートですが、何か?】


 強引なるチェックインを済ませし僕達が、その後に真っ先で足を運んでいた場所……。

 それは、本館が誇る最大級の屋外娯楽施設。

 通称──『リゾートビーチエリア』である。


 非常に目を惹く水上アスレチックが浮かんだ、エメラルドグリーンの海。

 ビーチパラソルを中心としたお洒落なレジャーセットアップ達が集う、黄金の砂浜。

 プールバー付きのジャグジーやマッサージスタッフ達が控える青空ベッドといった、数々の屋外アクティビティ。


 メインロビーを抜けた先に存在する天然ビーチでは、『夏』を感じさせる多くの工夫が施されており……。

 まさにリゾートの名に恥じぬ賑やかな姿で、ホテル自慢の目玉スポットをコレでもかと盛り上げていたようだ。


 やはり、普段から数多の著名人達を呼び込んでいるホテルグループの実力は伊達ではないらしい。


 高いブランド力によって生じられる、富豪達からの厚い期待を軽々と超えつつも……。

 されど、万人が求めるリゾート像からは決して逸脱しない、王道路線のコンセプトを見事な塩梅で実現してくるとは、素直に驚きである。


 まぁ、何が言いたいかと言うと……。

 ここは──『カノン様の初遊泳を飾る聖地』として、まさに最適解な場所であるいう訳だ。


 ……。


 さて、先ほどまで着用していた私物の燕尾服も、今はホテルの最上階にて暫しの休息中。

 

 一夏のバカンスを楽しむべく。

 僕もまた、現在はこのレンタル品である──『黒いサーファースーツ』へと袖を通してきた次第なのだが……。


 どうやら、この美しい楽園のような光景を前に、僕は早くも、静かなる勝利への確信を抱き始めていたらしい。


 当然である。

 

 何せ、富裕層達の間で話題沸騰中となっている新設リゾートホテルの最上級客室を、飛び込みに近い形で抑えることに成功しただけでなく。

 その上になんと、最大で二泊三日にも及ぶ滞在プランまでをも、同時に獲得してしまったのだから。


 サマーシーズン中という繁忙時期であるにも関わらず、素晴らしいほどの順調さを見せてくれているこの小旅行……。

 正直、この無計画に近い小旅行が、ここまでトントン拍子に進んでくれるとは思いにもよらなかった。


 ……そういえば、心なしか。

 本日ばかりは、何かとコチラ側に時の運が傾いてくれている気がするな……?

 

 そう、例えるなら……。

 ──『無性に何でも上手くいってしまう日』という状態である。


 ……まぁ、現時点での不満点を挙げるとすれば。

 屋敷に放置しようとした『何処ぞのメイド』が、まさかの根性による強制同行を見せてきたことくらいだが……。

 それも現状としては、またまだ許容できる範囲内だといえるだろう。


 むしろ、彼女が僕に無駄な対抗心を燃やしてきてくれたことにより、たった二部屋しか存在しないスイートルームを、まさかの僕達四人のみで独占するという事態が発生。

 そのおかげで、僕達が現在利用できている本スペース──『VIP専用遊泳ゾーン』も、ほぼ貸切状態となっている始末だしな。


 故に、普段こそは頂けないその愚かな介入も、今日ばかりは目を瞑ってやらんこともない。

 

 ……。


 ……ん、待てよ?


 この『何事も順調に事が運び続けてくれる』という、状況を逆手にとれば……。

 もしや、これより行われる──『カノン様の遊泳レッスン』も、何事もなく終わりへと導けるのではなかろうか……?


 ……いや、それだけではないぞ。

 

 おそらく、本日ばかりは海遊びを満喫し終えたカノン様達も、その疲れから早めにご就寝なされることだろうし。

 この地に滞在している期間に関しては、主人を寝かしつけた後に行う各種業務や、屋敷に関する当番などの引き継ぎ作業なども全て不要である。


 つまり、このまま特に詰まる事なく予定が進んでくれれば……。

 ゆくゆくは、僕自身の自由にまで繋がってしまうのだ。


 ……な、なんということだ。

 もし、本当にそんな事が起きてしまえば……。

 正直、僥倖極まりないな。


 ……どうする?

 カノン様を寝かしつけた後は、館内に入っているカジノフロアにでも行ってみるか……?

 いや、たまにはどこかのナイトバーで、静かに一人の時間を過ごすのも悪くない。


 ……。


 ふっ、何はともあれ。

 ここは世界の富豪達を労う為だけに作られた、極上のリゾート施設だ。


 きっと、これより先の三日間は。

 どちらに転ぼうとも、主従が共にまったりとした時を過ごせることなのだろう。


 ……。


 すると、そんな風に一人で口角を上げている僕の隣から、ピシャリと誰かが声をかけてきた模様。



『──……ちょっと、聞こえてますの! ルーヴェインっ!』



「……ん?」


 浜辺に設置されたビーチチェアの上にて。

 呆然と足を組んでいる、僕。


 そう、そんな僕の肩を隣から強く揺さぶってきたのは、すっかりと海に相応しい装いへと変化していた同僚メイド──アメリアである。


 肩を露出させる、スカート一体型のオフショルダー水着。

 雪のような生足の先に咲いた、イミテーションフラワーの厚底サンダル。

 少し高い位置に縛られたポニーテールには、ゆるふわシニヨンによる団子状のヘアアレンジ。

 

 ……どうやら、何の遊び心の無い平凡な水着をチョイスしてきた僕とは違い、彼女は実に洒落っ気のある装いを選択してきたらしい。


 加えて、そんな彼女の一声により。

 浮ついていた僕の意識もまた、ようやくビーチに帰還した模様。


「……な、なんだ?」


 空気入れ用の小さなハンドポンプをシュコシュコと鳴らしながらも、隣に立つアメリアへ向けてとりあえずそう尋ね返してみる、僕。


 すると、そんな調子を見せる僕に対して。

 アメリアは呆れたような表情を浮かべてきた。


「……ですから──『華様達の準備体操が終えるようですわよ』と、先ほどから何度も知らせてあげているでしょう?」


 同時に、海が存在する前方の波打ち際付近へ向けて、チョイチョイと己の人差し指を小さく差し示してくる、彼女。


 なので、僕は手にしている子ども用浮き輪を膨らましつつも、そんな彼女の指先を無言で追いかけてみることに──



『いっち、にっ、さんっ、しっー!』


『ごぉー、ろく〜、しち〜、はち〜』



 ──そう、そこにあったのは。

 青空の下にて元気よく身体を動かしている、二人の少女達の姿。


 どうやら、一足先に少し離れた浜辺にて。

 既にストレッチを行い始めていたらしい。


 加えて、そんな二人の少女達が行う準備体操も、いよいよラストスパートに入ったのか。

 彼女達が発しているその掛け声も、徐々に大きさを増し始めていた模様。


「ほら、そろそろ行かなくて宜しいんですの?」


 ……なるほど。

 アメリアが知らせたかったのは、コレのことだったか。


「まぁ、貴方が行かないというならば、この私が代わりを務めて差し上げても……!」


「笑わせんな。今日のテメェは見張り役だ」


 ……という訳で、そんな彼女達の体操を遠目から眺めていた僕達もまた、座っているビーチチェアから揃って腰を上げることにした。


 ……。


 特に会話を重ねることもなく……。

 熱を帯びる砂浜を踏みながら、波打ち際にいる二人の元へと静かに足を進める、僕とアメリア。


 すると、まずは……。

 二人いる内の手前の人物。

 とある日本人留学生の後ろ姿から見えてくる──



「──いっち、にー、さんっ、しっ!」



 そう、上の句である前半カウントを担当していたのは、日本からやってきた女子中学生──華殿だ。


 三つ編みの変化が加わった、いつものおさげ髪。

 少し背伸び感のある、オレンジのフレアビキニ。

 されど恥じらいの印象も残す、自前パーカー。


 ……と、おそらく最初こそはアメリアにコーディネートを一任していたが、思っていたよりも大胆なスタイリングに彼女の持つ大人しい性格がブレーキをかけたのだろう。

 実に彼女らしさが溢れ出ている姿に身を包み、まるでお手本の様な準備体操をこなしているようだ。


 ……。


 そして、そんな華殿と向かいあう位置にて。

 下の句である後半のカウントを引き継ぐように唱えていたのが……──



「──ごぉ〜、ろく、しち、はち〜」



 ご存知、崇光なる我が主。

 金髪幼女の──カノン様である。


 屋敷から被り続けている、麦わら帽子。

 胸元に大きなリボンを咲かせる、可愛らしいワンピース水着。

 歩くたびにピヨピヨと音が鳴る、笛付きビーチサンダル。


 おそらく、目の前にいる華殿の動きを必死に真似ているつもりなのであろう。

 そんな愛らしすぎる夏のお召し物に身を飾りながらも、対面側に立つ華殿から日本式の準備体操を教わっていたようだ。


 ……。


 ただ、どうしても気になるのは……。

 彼女が見せている、現在の佇まいの方である。


 その通り。

 現在のカノン様は、何故か……。

 その場で浜辺に全てを託すかの如く体勢。

 つまり──『微動だにしない仰向け状態』という謎の構えを披露していらしたのだ。


 ……目の前にいる華殿とは、まるで似ても似つかない動きをしていらっしゃる様子なのだが……。

 果たして、アレは一体……?


 すると、不思議そうな顔を見せる僕達を他所に。

 「ふーっ……」その場で己の額を爽やかに拭い始める、華殿。


 加えて、彼女はそのまま自身の前で寝そべっているカノン様を見下ろしつつも、パチンと手の平を合わせながら、笑顔でこう口にした。


「うん! なんか、初っ端から何一つとして真似してくれなかった気もするけど……! とりあえず、これで準備体操はおーしまいっ!」


 ……。


 あぁ、なるほど。

 単純にカノン様が、華殿の行う準備体操についていけてなかっただけの話か……。


 ……ま、まぁ、動きは違えど。

 適度に身体がほぐれ、結果的に筋肉を伸ばせたのならば、今回はそれで良しとしよう。


「わーいっ!! うみだぁー!!」


 華殿の鳴らす掌の音と共に。

 カノン様もまた、ハイテンションでその場からガバリと上体を起こす。


「およぐっ……! カノン、およぐっ……!!」


 どうやら、初めての遊泳という一大イベントを前にし、そのテンションは既に最高潮にまで達しているのか。

 早くも、もう待ちきれないと言わんばかりの面持ちで、隣にある大海をキラキラと見つめていらっしゃるらしい。


 なので、僕はそんな主人の目の前へと素早く移動し、コホンと一つの咳払いを鳴らすことにした。


「……さて、いよいよお待ちかねのお時間でございますね、カノン様?」


 そして、主人と並ぶようにして膝をつき。

 隣からニッコリと微笑みを見せる、僕。


 そう、これより行われるのは……。

 この小旅行の目的ともなる、メインイベント。

 カノン様を対象とする──『遊泳コーチング』である。


 ……本来ならば、イチ保護者の立場として。

 一人の小さい女の子の初挑戦を、生暖かく見届けてやりたい所なのだが……。

 残念ながら、彼女に限っては。

 その手法も愚策中の愚策。


 僕やアメリアの神業に近しい手厚いサポートを幾度となく無力化してきた彼女に対して、生半可なゴーサインを出そうモノならば……。

 最悪、色々と不味い結果に終わってしまうことは言うまでもない。


「あ、るーびんっ! ……ねぇねぇ! はやく、はやくうみっ、はいろっ〜!!」


「心躍らせていらっしゃるところ大変恐縮ですが、海に入る前に僕から注意点の方を少々……」


 ……という訳で、今回は趣向を変え……。

 まずは彼女に──『対象への見識を深めてもらう』ことにしてみせた。


 目の前にある海をわざとらしく見上げつつも、柄にもない穏やかな口調でこう語り始める、僕。


「ご覧下さい。海とは、実に神秘的で非常に美しい見た目をしておりますね。……おそらく、貴女様の好きな異国や華殿の故郷なども、この広い海の遥か先に存在していることでしょう」


「へっ!? あっちに【じゃぱん】あるの!?」


 すると、そんな情報を聞いたカノン様は。

 すぐに「ほえー……」と、同じく隣に立っている華殿の方を見上げた。


「じゃあ、ハナはあっちからおよいできたんだね〜。てっきり、あるいてきたのかとおもってた!」


「いや、普通に飛行機で来たけども……?」


 ちなみに、対象への見識を深めてもらうというのは、そのまま──『海の恐ろしさ』を覚えておいて頂く、という意図も含んでいるのだが……。

 果たして、まだ小さい彼女は僕の言葉をどこまで理解してくれるのだろうか……?


 今の彼女達の会話を聞いていると……。

 些か不安な気持ちが残ってしまいそうである。


 ……が、しかし。

 そんな何気ない些細な情報でも、主人の身の安全に繋がるかもしれないならば、言葉にしないという手はない。


「……ですが、海が美しいのは見た目ばかり、その裏には非常に恐ろしい顔が秘められているのです」


 僕はコホンと大きめの咳払いを挟み、彼女達の意識を再び自身に注目させると、そのまま海の方にビシッと指を差しながら、力強い口調でこう口にするのであった。


「そして、その裏の顔を見せてきたが最期……! 海は強大な自然の力を以って、たちまち周囲に存在する生物達を無差別に裁いていくことでしょう!」


「むぅ……?」


 ただ、まだ幼い彼女には少し難しい話であったのか。

 どうやら、あまりピンときた表情を浮かべては下さらない様子である。


 ……ふむ、やはり。

 もう少しだけ、具体的な説明に切り変えるべきか……?


「そうですね。分かりやすく説明すると──」


 なので、その場で少し考えを見せた後。

 僕は、周囲を見渡している際にたまたま発見した『とある小さな動物』に目をつけることにした。


 そう、僕が発見したのは……。

 波打ち際でノソノソと這いつくばっている、一匹の小さな赤ちゃんワニ。

 ──クロダである。


〈……グゥッ!〉


 ……おそらく、かなりマイペースな性格に生まれてしまったのだろう。

 彼は先程まで佇んでいたハズである背後のレジャーテーブルからこっそりと逃げ出し、いつの間にか波打ち際の近くを散歩し始めていたようだ。


 ……という訳で。

 僕はそんな赤ちゃんに指を移しながら、そこにいた一同の視線をクロダの方へと誘導してみせることに。


「──……例えば、あそこに何の知識も無しに海へと挑もうとしている『無謀な勇者』がおられますよね?」


 すると、遠くを歩く自身のペットである赤ちゃんワニを見つけた飼い主もまた、その場で背伸びをするように両手を振り始めたようだ。


「あっ! クロダだ〜っ! ……おいで〜!」


 ……が、呑気な赤ちゃんワニは、主人の呼びかけを清々しいほどの無視で対応。

 ご機嫌なのかそうでないのかイマイチ分からない表情で、海辺の散歩を続行することを選んだ模様。


 ちっ、保護してもらった分際のくせに。

 恩知らずな……。


「いやはや、本当に愚かですね。もし、彼のように何の知識も持たぬ状態で大海へと挑もうモノならば……──」


 ……すると、次の瞬間。

 そんなマイペースすぎる赤ちゃんワニの頭上から、まもなく悲劇の一撃が……。


〈……グゥッ!〉


 そう、僕の言葉と同時に。

 なんと、クロダの真横側から……。

 波による強烈な一撃が襲来してしまったのである。


 ……。


 いつもの甲高い一鳴きと共に。

 瞬く間に波の中へと呑み込まれていく、クロダ。


 波が完全に引いた後も……。

 勿論ながら、そこにいたはずの赤ちゃんワニの姿は何処にもない。


「──……即刻、あの様に。儚い生命は、瞬く間に淘汰されていきます」


「……ひぇぇ〜!? クロダが、うみにたべられた〜!?」


 おそらく、目の前で起きた出来事がよほど衝撃的であったのだろう。

 カノン様もまた、その場で怯えるようにプルプルと両手をお上げになっていらっしゃるようだ。


「ご安心を。……おい、アメリア」


「……はいはい、わかってますわよ」


 僕が言葉を言い終える前から既に、波にさらわれたであろうクロダを静かな足取りで救出しに向かってくれている、アメリア。


 そして、そんな彼女の地味な仕事ぶりを浜辺から見届けながらも、僕は話のまとめに入ることにした。


「……まぁ、何が言いたいかと言うと──『自然とは、人の油断につけ込むことが巧みな生き物である』というコトですね」


 言わば──『Knowledge is power』の精神。

 つまり、僕は知っておくことの強さを、幼い彼女達にもしっかりと覚えておいて欲しかったのである。


 ……自身は今、危険な場所に身を置いているのかもしれない。

 それを頭に入れておくだけで、人の警戒心は無意識に強まっていくモノなのだ。


 それは時として。

 僕やアメリアなどのサポートよりも、よっぽど自分自身の命を守ってくれる盾として機能してくれることだろう。


「風が荒れてきてはいないか? 先程よりも波が高くなってはいないか? ……自然の中で遊ぶ際は、周りの変化に逐一の注意を向けることをお忘れなく」


「「はーいっ!」」


 活気溢るる、二つの返事。


 それを確認した僕は、その場で無言の頷きを見せた。


「では、水練の方を初めていきましょうか。……華殿も、これよりは自由にして下さって結構ですよ」


 ……という訳で。

 僕は早速、そのまま海の方角へ向かって静かに移動を開始。


 自身の踵が海水に沈める程の位置にまで移動した後に、踵を返してその場で手を小さく広げてみせる。


 そう、それは……。

 僕がいつもカノン様を抱き上げる際に行う仕草であった。


「さぁ、カノン様。まずはこちらまでどうぞ」

 

 すると、そんな僕の動作を確認した、浜辺のカノン様もまた……。

 少し緊張した様子で、ゆっくりとこちら側へ近づいてきた模様。


「どきどき……!」


 寄せては返す波の頭に。

 恐る恐ると自らのつま先をちょんちょんと触れさせている、カノン様。


 そんな主人の初々しい姿を見て……。

 他の従者達の空気も、一気に和み始める。


「ふふっ。反応が初々しくて、とても可愛らしいですわね」


「カノンちゃん、おいでー! ちょっと冷たいかもだけど、すっごく気持ちいいよ〜!」


 まるで、お手本を見せるかのように。

 手を広げる僕の右隣へパチャパチャと歩いてくる、華殿。


 加えて、救出したクロダを自身の肩に移動させつつ、反対側の左隣で微笑ましく見守っている、アメリア。


 踵を返した三人の視線が。

 一人の金髪幼女へと集まってゆく。


 ……さて、まもなくカノン様による初遊泳が取り行われる訳だが……。

 本題となるのは、ここからだ。


 ……まぁ、正直なところ。

 僕の予想だと、最終的には十中八九でそれらに頼りきりになる羽目となるのだろうが……。

 やはり、僕はカノン様の中に類稀なる水泳の才が備わっている可能性を一番に信じたい。


 念の為に、浮き輪や子ども用のアームリングなどもレンタルしてきてはいるが、最初からソレらの便利道具に頼りきってしまうのは、彼女が目指す神童への道を最も否定する行為なのである。


 そうだ、僕達が真に望むは……。

 僕達の補助や道具に頼らない形で自由に泳ぐ、カノン様の立派なお姿……。


「さぁ、お見せくださいカノン様!! 貴女様の中に眠りし、人魚の如き水泳の才を……!!」


 そして、従者である僕達三人が。

 横並びになって、主人の様子を眺めつつ、並んで浅瀬の中から期待の表情を浮かべようとする……。


 まさに、その時であった──



「えへへ! つめた〜……、あ、あ、あわわ〜!?」



 ──……そう、いざ勇気を出したカノン様が。

 ひとたび、波の領域内に片足を踏み入れようとする否や。


 なんと、波打ち際の境目にて。

 大きな尻餅をついてしまわれたのである。


「「「あっ……」」」


 ……おそらく、不運にも引き波のタイミングで足を侵入させてしまったのだろう。

 まるで歴戦の柔道家に両足を刈り取られるかの如く。

 自然界による華麗な足払いが、その場で決まってしまったようだ。


「……あぶふぅ〜!?」


 波が往復する境界線上にて……。

 いつかみた仰向け状態を披露してしまう、カノン様。


「カ、カノン様!? ご無事ですか!?」


 ……しかし、それは。

 ほんの始まりに過ぎなかった。


 その通り。

 彼女が尻餅をついてしまったのは……。

 丁度、海と陸の境界線。


 つまり、そこは。

 大の字で寝そべっているカノン様へと目掛けて、更なる追い討ちが発生してしまう危険地帯に他ならないのである。


「はっ……!? カノンちゃーん!? 波が来てるよ〜!? 早く起き上がってー!!」


「ひ、ひぇぇぇ〜っ……!? ……あばぶふぅ〜っ!?」


 華殿の促した声は虚しく……。


 案の定。

 波による地獄のアッパーカットを顎に喰らう、カノン様。


 ……まぁ、正直。

 僕達から見れば、そこまで大層な波という訳ではなかったのだが……。

 限界まで低姿勢をキープしている現在の彼女にとっては、まさに地獄の一撃であったようだ。


「……」


「……」


「……」


 彼女の顔の表面を優しく撫でるかの様に往復し、そのまま穏やかな速度で海へと帰還しゆく、波。


 ……。


 とりあえず、結果から報告しよう……。


 海を目指した記念すべき第一歩と共に。

 我が主──カノン様、あえなく撃沈。


 目や鼻に海水が入り込んでしまったのか。

 波が引いた頃には、チーンと天に白い目を向けていらっしゃるカノン様のみが、そこに存在していたらしい。


 ……。


 そんな彼女の華麗な溺れっぷりを見て……。

 思わず大きな驚きの声を上げる、華殿。

 

「いやいや!? はやい、はやいっ!! 溺れるまでに無駄がなさすぎるよっ、カノンちゃん!! タイムアタックじゃないんだから!?」


 加えて、水死体のように寝そべる主人を冷や汗混じりに抱き上げつつ……。

 慣れた手つきで素早く水を吐かせている、アメリア。


「……あの、本当にこのまま続けて大丈夫なんですの?」


 そして、最後は……。


 カノン様を迎え入れる手をそのままに。

 その場でダラダラと滝の様な汗をかき始める、僕。


「……ちょっ!? 一旦、ミーティングっ!!! 一旦、ミーティング挟もう!!」




 ──これより先の三日間は。

 主従が共に、まったりとした時を過ごせそうな予感がする。


 そう思えていたのが、まるで遠い過去のように感じてしまうのは気のせいだろうか?


 僕が叫んだ直後……。

 涙目の蘇生を披露するカノン様が、塩の鼻水を情けなく垂らしながら、アメリアの腕の中で何か呟いていたような気もするが……──



「ひぇぇ……。うみ……、むずい……」



 ──きっと、それは……。

 僕の聞き間違いか何かなのだろう。


 うん、そうだよな。

 そうに決まってる……。


 ……。


 ……はぁ。

 カジノ、行きたかったなぁ……。

 


           *

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