第9話〈1〉【サマーリゾートですが、何か?】


 本日の英国は。

 雲一つない、見事な快晴だ。


 新たに芽吹く花々の香りや。

 夏の到来を感じさせるような眩い陽光達。

 

 ……気がつけば、この当屋敷にも。

 いつの間にか、非常に温もりのある季節が静かに訪れていたらしい。


 しかし。

 そんな暑い日差しも、何のその。


 当屋敷の中庭では。

 キラキラと自慢の金髪を太陽のように輝かせながら遊んでいる、一人の元気な金髪幼女の姿が──


「──ぷかぷか〜!」


 そう。

 その人物とは、崇高なる我が主。

 カノン様である。


 現在の彼女は。

 中庭に存在する噴水の前にて、一人。

 ニコニコと楽しそうな笑顔を浮かべながら、自身の目の前にある水面へと視線を放ち続けている様子だが……。


 ……一体、何を見ているのだろうか?


 すると、そんな彼女の眺めている噴水の中から。

 次第に、ポチャリと小さな水飛沫の音が──



〈グゥ……!〉



 ──なるほど。


 どうやら、カノン様が夢中で眺めていらしたのは……。

 先日、彼女のペットとして正式認定されたばかりの小さな赤ちゃんワニ──【クロダ】であったらしい。


 ぷかぷかと浮かんだ頭だけを水面に出して。

 他の全てを、水中にダラーんと預けている、赤ちゃんワニ。


 ……おそらく。

 この暑さで乾いてしまった皮膚を、どこかで潤したかったのだろう。


 定位置である、カノン様の頭の上にいたクロダは、中庭の噴水を見つけるや否や。

 彼女の頭上から、勢いよくダイブ。


 結果。

 ……気持ちよさそうに涼む赤ちゃんワニを眺めし、楽しげな金髪幼女の図が完成したという訳である。


 そして。

 そんな微動だにしない目の前の赤ちゃんワニに対して、飼い主であるカノン様は……。

 ふと、この様な質問を……──


「──ねぇねぇ、クロダ〜。おみずのなか、たのしい〜?」


 そう、彼女の今生には。

 一切の遊泳経験というモノが存在しなかった。


 そのことから。

 水中を泳ぐ感覚に、強い興味を示されたのである。


 ……しかし、尋ねた相手が悪かった。


 生後まもない小さな赤ちゃんワニに。

 具体的な感想が返ってくるハズもなく……。


 その返答は、勿論のこと──



〈グゥ……!〉



 ──いつもと変わり映えの無い。

 全く同じトーンの甲高い一鳴きのみである。


 ……。


 ……まぁ、無理もないだろう。

 生まれたばかりの赤ちゃんワニに、人の言葉が話せる訳がない。


 その様な短すぎる鳴き声の一つでは。

 例え、天地が避けようとも。

 飼い主であるカノン様に感想を伝えることなど出来ないだろう──



「へっ!? そんなにっ!?」



 ──……。


 ……と、思っていたが。

 意外にも意外。


 なんと、そのクロダの声を聞いたカノン様は。

 途端に、その場で酷く驚いたような表情を見せてこられたようだ。


〈グゥ……!〉


「ひぇぇぇ……!?」


 再び、同じ鳴き声で返事をする。

 感情不明の無表情な赤ちゃんワニ。


 加えて、青天の霹靂と言わんばかりの大きな衝撃を受けている、カノン様。


 すると、そんな彼女は最後……。

 その場で静かに考えを見せつつ……──



「……えらいこっちゃ」


 

 ──と、世界の真実に触れたような顔で。

 額に一筋の汗を流すのであった。


 ……。


 ……一体、彼女の耳には。

 何が聞こえていたというのだろうか?


 そして、彼女達の質疑応答が終わりを見せた。

 丁度、そのタイミング。


 カノン様達の元に。

 とある一人の少女が姿を現してきた模様──



『──カノンちゃん、おはよう〜! 今日は早起きさんだね!』



 その通り。

 カノン様の背後へと静かに歩みを寄せたのは。

 この屋敷に滞在している日本人中学生。

 ──【華殿】であった。


 おそらく。

 日課である朝学習を終えて、食堂へと足を運んでいる最中だったのだろう。


 道中で中庭に佇むカノン様を発見した彼女は。

 そのまま、友人に朝の挨拶を交わしにきてくれたらしい。


 すると、眩しそうに太陽の光を手で遮断しながら、本邸の方から近づいてくる華殿の存在に気がついたのか。


 カノン様は、笑顔でその場を振り返った。


「あっ、ハナだー! ……みてみて! クロダねっ、ぷかぷかしてるの〜!」


 そして、背後から歩みを寄せてくる華殿の手を掴みながら、噴水の前へと誘導して。

 自らのペットを彼女にお披露目する。


「え、なになに? ……わっ! 本当だ〜、可愛い〜!」


 すると、その目の前の光景を視界に入れた華殿は、頬に手を当てるや否や。


 すかさず、自身のポケットにあった私物のスマートフォンを取り出して、ぷかぷかと噴水に浮かぶクロダの撮影を開始。


 シャッター音を何度も鳴らしながら。

 赤ちゃんワニ、単体の写真やカノン様とのツーショットを写真に収めてゆく。


 加えて、何枚かの写真をデータ化した彼女は。

 ふと噴水の中にいる赤ちゃんワニを羨ましそうに見つめながら、次第にこのような感想を溢したようだ。


「気持ちよさそうでいいなぁ〜。 ……こんなクロダちゃんを見てると、なんだか私も泳ぎたくなってきちゃったよ〜」


 そんな華殿の発言を聞いて。

 不思議そうに目をパチパチとさせる、カノン様。


「……ハナも、クロダみたいにおよげるの?」


「え? ……うん、泳げるよー! 一応、小学校の時に水泳の授業があったからね!」


 すると、華殿の隣にいるカノン様は。

 「……ほえー」という声を小さく上げるや否や。


 突然、目の前にある噴水の縁へと。

 足をかけ始めた模様。


 ……が、しかし──


「……はい、流石に読めてたよー。絶対に飛び込むと思った」


 ──隣にいた華殿の素早いブロッキングにより。

 それは未遂に終わったらしい。


 よじ登ろうとしているカノン様の両脇に素早く手を差し込みながら、そのまま元の位置へ強制帰還。


 そして、そのまま流れるように。

 彼女に向かって、淡々と注意の声を浴びせたようだ。


「あのね、カノンちゃん。……ちゃんと水に入る練習をしてからじゃないと、人は泳げないんだよ?」


 すると、華殿の注意を聞いたカノン様は。

 やはり、その事実を知らなかったのか。

 その場で「……へっ!?」と驚愕し始めてしまう。


「……そ、そうなの!?」


「そうそう。……だから、これからは大きくなるまで絶対に一人で水辺に近づいちゃダメだよ? いい?」


 ……流石は長女である。

 普段から弟や妹達の面倒を見ているだけあって。

 相変わらず、年下の扱い方に慣れているらしい。


 もし、カノン様の隣にいたのが彼女ではなく。

 僕だったならば……。

 

 十中八九。

 いや、確実に。


 そのまま、カノン様の水遊びを進んでサポートしていたことだろう。


 ……そうか。

 この世には、『普通に止めさせる』という選択肢もあるんだな……。

 いやはや、勉強になった。


 ……と言う訳で。

 そんな素晴らしい対応を見せてくれた華殿に。


 僕は『真下から』の。

 盛大な拍手を贈呈してみせる──



『──合格ですね』



 ……ちなみに、僕が身を置いていた場所は。

 丁度、彼女達が話している場所にある『地面』の中だ。


 ……正確には。

 敷地のあちこちに張り巡らされた隠し通路の内の一つからである。


 加えて、そこから拍手の両手部分だけを。

 勢いよく地上へと登場させてしまったせいなのか。

 

 結果的に、華殿とカノン様が話しているド真ん中に、自身の両手だけが配置される形となってしまったらしい。


「ぎゃぁぁぁぁ〜!!!??」


 華殿は、芝生を貫通して出てきた僕の登場に。

 大きな悲鳴をあげていた様子だが……。


 僕はいそいそとゾンビの様に。

 地中から地上へと脱出。

 

 燕尾服についた葉っぱを払いながら。

 鉄のフタを被せたマンホールに、再びカモフラージュ用の人工芝生を乗せてゆく。


「初めこそは、その役割もアメリアが担おうとしていたようですが、最近は奴もすっかり牙を抜かれた節がありますからね。……やはり、あなたこそがこの屋敷の『ブレーキ役』に最も相応しい」


 そう、僕が身を潜めていたのには。

 とある大きな理由があった。


 その理由とは。

 【西園寺 華】という少女の適性テストを行う為……。


 早い話。

 ──『本当にカノン様のお世話を任せることが出来るのかどうか』を、隠れてチェックしていたと言う訳である。


 ……正直な所。

 当初の僕は、彼女のことを毒にも薬にもならない平凡な庶民の子どもだと期待を持つことは無かった。


 しかし、蓋を開けてみればどうだ?


 年上かつ親友という強いポストによる、説得力。

 平凡な家庭に育った為に養われた、一般常識。

 近すぎず離れすぎない程度の、頼れる年齢差。

 並なれど丁寧な仕事ぶりが光る、家事スキル。


 どれもが良き塩梅となり。

 カノン様に素晴らしい影響を与え続けているではないか。


 ……いや。

 カノン様のお世話に関することだけではない。


 先日、あの僕とアメリアでさえ手こずっていた大きな問題……。

 当屋敷の抱えていた『ネットワーク問題』までをも、彼女は一瞬で解決へと導いて下さったのである。

 

 ……。


 まずいな。


 こうして見ると……。

 途端に彼女が救世主か何かに見えてきたぞ。


 何はともあれ。

 ……どうやら、彼女についての考えを。

 少しばかり改める必要があるらしい。


 僕はその場で姿勢を正して。

 目の前にいた華殿の手をガシッと掴んだ。


「……という訳で、今日より貴女様を当屋敷の『ブレーキ係』に任命いたします。 どうか、これからも度が過ぎてしまいがちになる僕達のことを、その客観的な位置から厳しく見守って下さいませ」


 そして、優しく微笑みつつ。

 彼女に精神誠意の言葉を送ってみせる。


「は、はは、はいっ! ルーヴェインさん達のブレーキ役になれるように……! 私、頑張りますっ!」


 顔を赤くする彼女の宣言を聞いて。

 安心したようにその場で目を瞑る、僕。


 ……そういえば。

 以前、どこかの誰かも口にしていたな。


 『優しく接することと、甘やかすことには。

 天と地ほどの違いがある』と……。


 ……これを機に。

 僕も少しは、落ち着いた行動を心がけよう。


 カノン様の願いや要望を。

 その場で何でも鵜呑みにするのではなく。


 本当にそれが彼女にとって必要なのか。

 一度、冷静に考えてから……──



「ねぇ、るーびん……。 カノンもおよいでみたいよ〜……」



 ──そのサマはまさに。

 脳に植え付けられた条件反射であった。

 

 僕は主の要望の声を聞き終える前に。

 素早く噴水の中にいたクロダを回収。


 代わりに胸ポケットに入っていた【本日のスケジュールがびっしりと書かれたメモ帳】を取り出して、それを目の前の噴水へと勢い良くぶち込んで見せる。


「畏まりました。……たった今、本日の予定を全てキャンセル致しましたので、今すぐどこかへ泳ぎに参りましょう」


「わーいっ!!」


 すると、その様子を近くで見ていたブレーキ役の華様から、静かにこの様な声が──



「──……今、何を投げ捨てたんですか? もしかして、心のブレーキ?」



 申し訳ありません、華殿。

 やはり、僕にブレーキ役など必要ないみたいです。

 

 例え、周りからブレーキをかけられようとも……。

 カノン様の笑顔の為ならば。

 ドリフトだけで目的地へと向かってみせましょう。


 そう心に強く誓った僕は。

 さっそく、カノン様の願いを叶えるべく。

 迅速に準備を開始。


 再び、芝生の中に隠された地面のマンホールへと足を入れて、静かに彼女達の前から消えていく。


 ……。


 そして、僕が姿を眩ましてから。

 数十秒後……。


 突然、カノン様達を待たせていた中庭の一部に。

 大きな異変が……。


「わわわわわわわわ〜」


「え? ……なに、この揺れ!? じ、地震!?」


 その通り。

 なんと、中庭に存在する芝生エリアの一部から。

 突如として鈍い金属音が鳴り響いたのである。


 すると、次の瞬間。

 その芝生の一部が……。

 まるで、高温に晒されたアサリの如く。

 大きな穴をパカっと作り出した模様。


 加えて、その開いた地面の向こう側から。

 何やら、上り坂の通路を素早くかけ上がってくる、一台の車両が……。


「わぁーーーーーーーーー」


「えーーーーーーーーー!?」


 そう、地上へと姿を現したのは。

 エターナルブラックカラーの美しい光沢を見せる、大きな送迎専用車両。

 その名も──『リムジン』だ。


 すると、そのリムジンは地上に姿を現すや否や。

 スムーズに車体を迂回。


 地上で待っている二人の少女達の前に。

 ゆっくりと停車する──



「──お待たせ致しました。……どうぞ、足元にお気をつけてご乗車くださいませ」


 その通り。

 僕が地下から取り出してきたのは。

 以前からコツコツと秘密裏に開発を進めていた完全自作型走行車こと──『リムジン』であった。


 リムジンの運転席から颯爽と降車した僕は。

 すかさず、そのまま後方扉側へと移動。


 目の前にいたカノン様達に。

 早速、車内の様子をお披露目する。


「わぁ〜……!」


 改めて華殿からの改善点や要望を受けた僕は。

 後日、それを参考にして。

 車内コンセプトの一新していた。


 クッションや可愛らしいぬいぐるみ達を相乗りさせた、豪華な客席シート。

 美麗な映像を映し出す液晶モニターやAVシステム。

 手持ち機器の充電をサポートする、USBポート。

 ソフトドリンクを中心とする数種類のボトルが入った、簡易冷蔵庫。

 お洒落なミニバーカウンターの脇に備わる、カクテルキャビネット。


 カノン様のご年齢に合わせて。

 可愛らしい車内空間へと作り直してみせたのである。


 果たして、彼女は喜んで下さるのだろうか……?


 すると、カノン様は。

 さっそく、僕のエスコートする手を掴みながらも、ゆっくりと車内に入り込んだ模様。


「おぉ〜……!」


 乗車シートの弾力を試すかの様に。

 指で何度か突っつくと……。


 次第に笑顔を浮かべながら、その場にちょこんと座り始めた様子である。


「くっ……! どうなんだ……!? アレは喜んでくれていらっしゃるのか!? ……やはり、車内だけじゃなくて、外装にも大量のぬいぐるみを貼り付けておくべきだったのでは……!!」


 そして、そんな風に。

 彼女の様子を外から必死に観察している僕に対し、隣にいた華殿からこの様な素朴な質問が。


「今更なんですけど。……そういえば、ルーヴェインさんって免許もってるんですか?」


 おそらく、彼女は。

 まだ十代という若い僕の年齢だけを見て。

 その様に感じたのだろう。


 しかし、その点に関しては。

 心配無用。


 僕は車内の様子を覗き込みながらも。

 懐から取り出した一つの金色に光る手帳だけを、ヒラヒラと華殿に見せびらかす。


「心配は無用です。……実は、三日ほど前に教習所の近くを通る用事がございましてね。ついでに【PCV(Passenger Carrying Vehicle)免許】をパパッと取得してきました」


 そう、僕が取り出したのは……。

 超級使用人にのみ与えられる資格証明証。

 通称──【超級使用人ライセンス】だ。


 ……何故、取り出されたのモノが。

 運転免許などでは無く、資格証明証なのか?


 ……多くの人は。

 そのような疑問を抱いてることだろう。


 実は、このライセンス。

 職業の証明になる以外にも……。

 他に様々な『権利』が備わっているのだ。


 加えて、その中でも最も実用的となるのが。

 今回の運転免許取得にも一役を買ってくれた、この便利制度──『技能講習免除制度』である。


 これは、『国家資格や免許を取得する際に必要となる教育課程や必須講習を全てスキップし、いきなり本試験を受けることが出来るようになる』という……。

 超級使用人にのみ利用が許された。

 特殊な支援制度のことだ。


 ……一応。

 対象は国内を限定としていたり……。

 その本試験に挑む際には『全問正解かつ、一発合格しなければならない』といった、細かな制約が幾つか存在しているモノの……。

 合格さえしてしまえば、その場で同等の権限が手持ちライセンスに永久付与されるという仕組みなのである。


 つまり、このライセンスを地道に育てていけば。

 理論上、どんな職業にでも自由に就く事ができ、どんな乗り物でも自由に乗りこなす事が可能になるという訳なのだ。


 超級使用人は、その有能さあまり。

 地球上の誰よりも、時間に価値がある。


 故に、こういった公共手続きの大幅な時短化が取り組まれているらしい。


「さてと、僕はしばらく運転から手が離せなくなりますので、その間はカノン様のことを宜しくお願い致します」


「わかりました! 任せて下さいっ!」


 僕の頼みに、華殿は笑顔で了承すると。

 カノン様に続いて、彼女もリムジンの中へ乗り込んでいった。

 

 すると、先に乗車なされていたカノン様から。

 外にいる僕に向かって、このような声が。


「ねぇねぇ、るーびん! カノンたち、いまからどこいくの〜?」


 なるほど。

 どうやら、彼女は。

 行き先について知りたがっているらしい。


 なので、僕はニコッと微笑みを返しつつ。

 やや興奮気味のカノン様に、この様な言葉を──



「──そうですねぇ……。せっかくなので、僕の知り合いが経営している【リゾートホテル】にでも足を運んでみましょうか」


「え!? ……リ、リゾートホテルですか!?」


 座席に腰掛けながらも。

 驚いた様子を見せてくる、華様。


「ええ。僕の記憶が正しければ……。確か、そこのホテルはプライベートビーチを保有していたはずです。 なので、今回はそちらにて、カノン様に華々しい海デビューをして頂きましょう。……宜しければ華殿も、現地でゆっくりと羽根を伸ばして下さいませ」


「嘘〜!? や、やったぁ〜……!」


 そして、噛み締めるように小さく喜んでいる華殿を視界に入れながら、僕はバタンとドアを閉めた。


「……さて、『余計な同行者』が増える前に、早くここを発たなくてはな……」


 僕は静かにそう呟くと。

 素早く運転席へと移動して、屋敷から逃げるように車を発車。


 正面玄関とは別の場所にある裏門側へと長い車両を走らせて、迅速に屋敷からの脱出を試みる。


 すると、屋敷を離れてから間も無くして。

 運転席に設置されたスピーカーから、後部座席に控えている華殿の声が響いてきた──


〈──も、もしもーし?〉


 どうやら、彼女は。

 後方座席に設置された車内テレフォンを使って、離れた運転席にいる僕に通話を仕掛けてきたらしい。


「華殿ですか。……如何なされましたか?」


 なので、僕はハンドルを切ってリムジンを公道に出しながらも、その場から華殿の言葉に応答を示してみせる。


 すると、華殿から。

 この様な報告が……──


〈──……あの! アメリアさんは一緒に行かないんですか!?〉


 ……おそらく。

 背後に乗車している二人のどちらかが。

 もう一人の住人を置いて車を発車させてしまったことに気がついたのだろう。


 慌てて、運転席にいる僕に。

 その事を伝えてくれたようだ。


 ……しかし、僕はそんな華様に対して。

 淡々とした言葉を返してみせる──



「ああ、アメリアはなんか……、『海に行く感じの雰囲気アレルギー』だった気がするので、今回は置いて行きます」


〈え!? そんな欠席理由っ!? ……なんか、全体的にフワっとしてません!?〉



 ──無論のこと。

 盛大にツッコミを入れてくる、華殿。

 

「はっはっは。……まぁ、奴なら適当な手土産でも渡しとけば大丈夫ですよ。現地の砂とかね」


 そして、その様なまるで笑ってない笑い声を最後に、僕はピッとボタンを押して通話を強制終了。


 再び、運転に集中し直すように。

 ハンドルをしっかりと握る。


 ……さて、容易く免許を取得してきたとはいえ。

 一応、僕もこれが公道での初運転だ。


 こう見えて、車を運転すること自体を少し楽しみにしていたのだが……。


 ……。


 いかんせん、暇だな。


 ……僕の記憶が正しければ。

 ここから先は、海沿いに出るまでの間。

 ひたすら、一直線となる田舎道。


 しばらくは、海が見えるまで。

 無言の運転となるだろう。


 ……かなり退屈だ。

 道が直線だからか……?


 元々、この一帯は都心部から離れた。

 非常にのどかな街。


 他の車の姿もこれといってないので。

 景色も変わり映えはないモノである。


 ……。


 とりあえず。

 背後にいるカノン様達の会話を。

 ラジオ感覚で運転席に流しておくか。


 暇つぶしにもなるし。

 万が一、後ろでトラブルなどがあれば。

 僕もすぐに対応に動ける。


 一石二鳥だろう。


 そう考えた僕は。

 さっそく、先ほどのスイッチを押して。

 後部座席の音声を解放。


 すると、運営席にあるスピーカーから。

 次第に、カノン様達の話し声が……──

 


〈──ハナ〜、あそぼ〜!〉


 ふむ、なるほど……。

 いつものように。

 カノン様が華殿に構って貰おうとしている最中のようだ。


 以下。

 しばらく、彼女達の呑気な会話内容である──



〈うん、良いよ! 何しよっか?〉


〈鬼ごっこ!!〉


〈……カノンちゃん、ここ車の中だよ? いくらなんでも、それはデスマッチすぎない?〉


〈じゃあ、コレ……! コレしよっ!〉

 

〈えー!? あやとり!? 絶対に酔っちゃうから、やめようよ〜……!」


 

 ──……ふむ、なるほど。

 カノン様は、あやとりを持ってきていたのか。


 ……持ち歩いている所を見る限り。

 最近、かなり熱中されているようだな。


 そして、少し考えを見せているのか。


 少し間を置いた華殿が……。

 何か他のアイデアを思いついた模様──



〈あ、そうだ! カノンちゃん、車の中で出来る面白い遊びがあるよ!〉


〈え!? なになに〜?〉


〈ほら、窓の外を見て! 外に流れてる景色ね、すっごく早いでしょ? あそこにね、人間を走らせるの!〉


〈いないよ……?〉


〈そうじゃなくて、頭の中で想像した人間を走らせるんだよ! ……ほら、外の景色をジーッと見て! うっすらと見えてくるから!〉



 ──それを静かに聞いていた僕は。

 ハンドルを握りながら、その場で小さな笑いを溢してしまった。


「……なんだ、その珍妙な遊びは」


 ……全く、子どもは遊びの天才とは。

 良く言ったモノだな。


 どんな空間にいさせても。

 すぐにその場で出来る斬新な遊びを発明してしまう。


 すると、現在……。

 絶賛、窓の外を見ているであろうカノン様から。

 次第にこのようなお声が──



〈あっ、ほんとうだー! なんか、みえてきたよー!?〉



 ──おそらく、彼女にも見えたのだろう。

 外の景色を爆速で走り抜ける……。

 例の空想人間とやらを。


 そして、そんな嬉しそうなカノン様に。

 華殿がクスッと微笑む──



〈いやー、なんだか懐かしいな〜。……私も小さい頃は、よく車とか電車の中で走らせてたっけ? この遊びしてる時は遠くの方を見てるから車酔いにならないし、何より意外と楽しいんだよね〉


〈はやーい! ニンジャみた〜いっ!〉


〈でしょー? ガードレールとかに走らせてみたら、もっとすごいことに……──〉



 ……。

 

 どうやら、華殿はその言葉を最期に。

 突然、黙り込んでしまったらしい。


 何かあったのだろうか……?


「……?」


 首を傾げつつ。

 ほんの一瞬だけスピーカーに視線を落とす、僕。


 すると、次の瞬間。


 運転席にある、そのスピーカーから。

 華殿の信じられない発言が飛び出してきた。



〈──ごめん、カノンちゃん……。 アレ、カノンちゃんの空想じゃなくて、普通にアメリアさんじゃないかな……〉



 それを耳にした僕は。

 ギョッとその場で目を見開き……。

 慌てて、自身の左側にあるサイドミラーへと視線を送ってみる。


 すると、そこには。

 確かに存在していた。


「……なっ!?」


 リムジンと並走するように。

 とてつもないスピードでガードレールの上を駆け抜けし、疾風の同僚メイド。

 ──アメリアの姿が……。


 それを確認した瞬間。

 僕は大きな舌打ち。


 アクセルを力一杯に踏み込み。

 リムジンの加速を試みる。


「ちっ、もう勘付きやがったのか……!?」


 そう、よりスピードを上げて。

 追いかけてくる彼女から距離を作ろうとしたのだ。


 しかし、そんな抵抗すら嘲笑うかのように。

 彼女はグングンと速度を上げて、コチラに喰らいついてくる。


 このままでは……。

 次第に、追いつかれてしまうだろう。


「くっ!? ……やむを得まいっ!」


 そう悟った僕は。

 素早く、奥の手を発動。


 背後にいる華殿とコンタクトを取るべく。

 急いで、車内通話を仕掛ける──



「……お手数ですが、華殿! 大至急、後ろにある『赤いボタン』を押して下さいませんか!? ……そのボタンを押せば、後方に積んでいる【ニトロ】のチャージが開始されるハズですので!!」


〈あの、ルーヴェインさん? ……私、まだ車は運転できる年齢じゃないですけど、これだけはハッキリと分かります。……ペーパードライバーに【ニトロ】は必要ありません〉



 ──しかし、そこは常識人の華殿。

 僕の提案は、あっさりと一蹴されてしまったらしい。


 ただ、そんな僕の祈りが届いたのか……。


 後部座席にて。

 小さな奇跡が起きたようだ──



 

〈グゥ……!〉


〈……あっ、またクロダおちてきた〉




 ──そう、カノン様の頭の上に乗っていた赤ちゃんワニのファインプレーによって。

 なんと、禁断のボタンが押し込まれたのである。


〈えっ!? ……ちょっと!?〉


 運転席から窓の外にいるアメリアに向かって。

 ビシッと中指を立てる、僕。


「でかしたぞ、クロダ」


 加えて、スピーカーの音が割れる程の絶叫を。

 窓の外に向かって放つ、華殿。


〈……あー、もうダメっ!! 色々と手が足りないよ〜っ! アメリアさぁぁーーーーん!!!! 早く来てぇーーーー!!!!〉


 僕達を乗せたリムジンは。

 そのまま過去にタイムスリップしてしまうのではないかという勢いで、大加速。


 一直線の田舎道を。

 轟音と共に駆け抜けるのであった。


 


           *

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