第8話〈3〉【無銭LANを導入しますが、何か?】
チュートリアルを終えると同時に。
この仮想現実内で案内役を務めている可愛らしいマスコット犬──【メタワンス】が、引き攣ったようなぎこちない笑いを私に見せてきた。
〈アバターの読み込みと初期設定が完了したよ……。 こ、これでチュートリアルは全部終わりなんだけど、引き続きボクが近くでナビゲーションをし……──〉
「──いいえ、結構ですわ」
チュートリアルとは言うモノの。
実際には、ただ私が彼の説明や提案に全て首を振り続けていただけの無益な時間。
そもそも、現実世界で事前に説明書を丸暗記してきた私にとって、チュートリアルという存在は必要ない。
すると、そんな私のそっけなさすぎる返答と拒否の連続に対し、とうとうメタワンスも諦めたのか。
その場で露骨にしょぼんと耳を垂らしてしまった。
〈あ、うん……。だよね……。それじゃあ、素敵な一日を……〉
もし、彼のAIがカノン様に通用するほどの優れ物であったのならば、私も喜んで彼の同行を許していたことだろう。
……まぁ、その場合は最初から。
こうして、わざわざこの様な仮想世界にまで主のサポートに馳せ参じる必要も無かった訳ですがね。
そんな風に一人で小さな嘆息を溢していると。
間も無く、暗転する四方の暗闇に光転の兆し。
どうやら……。
いよいよ、本製品の目玉ともいえるメタバース空間へと私を送り出してくれるらしい。
たった一度の瞬きを経由したのちに。
自動で切り替わる周囲の景色。
そして、その目の前に広がる景色を見た瞬間。
私は思わず、その場で息を呑んでしまう。
「──まぁ……!」
そう、目の前に広がっていた世界は。
汚れという概念をまるで知らない、ファンタジックな巨大都市であった。
所々の晴れ空にフワフワと浮かんでいる、虹色の水滴群。
都市に帯びた水泡が太陽光と相殺する度に発生される、美しきフラッシュエフェクト。
どこからともなく流れてくる雰囲気の増長を狙った、明るい電子音楽。
……と、非常にきめ細かい高解像度で表現された、あまりにも美麗すぎる【水の都】が広がっていたのである。
どこを見渡しても、圧巻の一言。
……流石は最新型だ。
そう銘を打っているだけはあるらしい。
「背景の作り込みも丁寧で、想像していたよりも非常に素晴らしい仕上がりではありませんの! ……デザイン案を産み出したクリエイターは、どのようなお方なのかしら?」
私も仕事柄。
普段から自身のセンスを磨き、常に審美眼を研ぎ澄ませ続けねばならない身……。
今後の参考として。
是非、本ステージの開発に携わったデザイン班達と会談を所望したいところだ。
「……なんて、呑気に魅入っている場合ではありませんわよね。早くカノン様達と合流しなければ」
しかし、残念ながら。
今はそんな事に意識を向けている場合ではない。
そう、私の役目は。
主であるカノン様のサポート兼、案内役を務め上げること。
彼女がこのコンテンツを最大限に楽しめるよう。
私が側でしっかりと目を張らなければ……。
「待ち合わせ場所は確か、この先にある『中央広場』でしたわね」
……という訳で、早速。
私は今いる転送先のスタート地点から。
丁度、真っ直ぐ歩いた先にある【中央広場】へと足を運ぶことに。
足を運ぶとは言うが。
現実での私は、室内の学習椅子に座ったまま。
視界変更以外の動作は全て。
手元に握られる二丁のグリップ型コントローラーでの操作という形となる。
そして、ノールックでの手元操作を続けること。
わずか数秒……。
「ここですわね」
私は、すぐに中央広場へと到着した。
正確には。
広場の中心に存在する、大きな銅像の前である。
その場から軽く周囲を見渡したところ。
ちらほらとここで待ち合わせている人間は他にもいたが、近くにカノン様らしき姿はないらしい。
私と同時に機器を起動させた華様はともかく。
カノン様は誰よりも先に、この世界へと送り出していたハズですが……。
どこにいらっしゃるのでしょうか?
「もしや、またどこかで迷子に……?」
嫌な予感を募らせながらも、とりあえず私は。
その場でひたすら待つことに。
すると、私の正面側を通りゆく通行人達の一部から、ひそひそとこの様な声が──
〈──うわっ、やばっ!! あそこの銀髪ちゃん、死ぬほど美人じゃね!?〉
「……?」
少し目線を上げてみると、そこには。
随分と派手な格好をした三人組の男性アバター。
何やら、私の姿や顔をジロジロと遠目から観察しつつ、ヒソヒソと会話を重ねているらしい。
〈名前の横に初心者マークが表示されてるってことは、まだ始めたばっかだろ? 服装も初期衣装だし〉
〈え!? 初期アバターであのクオリティかよ!? つーことは、リアルでも相当可愛いってことじゃん!?〉
〈お前、話しかけろよwwww〉
なるほど。
会話内容から察するに。
俗に言う、彼らは。
少し軟派な考えを持っている類の連中なのだろう。
そんな彼らの下品な会話がたまたま聞こえてしまったせいなのか。
思わず私は、その場で少し顔を顰めてしまった。
……はぁ。
よくもまぁ、他人の容姿に対してそこまで派手に盛り上がれますわね。
男女関係無くこういった輩はよく見かけますが、私には理解できませんわ。
というわけで、私は。
余計な手間が増える前に、先手を発動。
「聞こえていますよ」と言わんばかりの鋭い視線を、無言で彼らにお見舞いする。
すると、私の視線に気がついた彼らは。
次第に居心地が悪くなったのか。
〈い、行こうぜ〉
三人揃って、そそくさと。
すぐにどこかへと消えていったようだ。
……そういえば。
この様な仮想空間でもセクハラまがいの事件が横行しているという由々しきニュースを、どこかの記事で見た気がしますわね。
本日は私達一同。
全員が女性のみというチームですし。
ここは最年長の私が彼女達を護らなければ……。
そして、そんな事を考えていると。
丁度、先ほどの男達と入れ替わるように。
とある人物が声を響かせながら。
コチラに向かって遠くから駆けてきた。
「──あ、いたいた! おーい、アメリアさーん!」
どうやら、その人物は。
日本人留学生の少女。
──華様であった模様。
「いやー、すみません。つい色んな機能の説明を真面目に受けてたら、思いのほかチュートリアルが長引いちゃって」
私と全く同じ格好である。
初期衣装の地味なワンピースを着た彼女。
そんな彼女に私もニコッと微笑み返す。
「いえいえ、私もここへ訪れたばかりですので」
すると、合流するや否や。
華様は不思議そうに辺りをキョロキョロと見渡し始めた。
「あれ? カノンちゃんはまだ来てないんですか?」
「どうやら、その様ですわね。……起動した順番から考えると、彼女が一番先にここへ到着していてもおかしくないハズなのですが」
スタート地点から目と鼻の先にあるこの広場に向かうまでの短時間で、すっかり行方を眩ませてしまったカノン様。
まさか、この短い直線距離の間で。
またよからぬ事件に巻き込まれているのだろうか?
……普通はあり得ない話だが。
毎度、予想外すぎる展開に見舞われがちな彼女ならば、大いに有り得る。
ここはいっそ、雰囲気を壊してでも。
一度、VRゴーグルを外して隣側にいるカノン様に様子を伺ってみるべきか……。
そして、私がVRゴーグルに手をかけようとした。
まさにその時だった──
『──ちょっとお客さん……、それは困るよー』
「「……?」」
丁度、私と華様が立っていた中央広場の中心にある背後の銅像。
その大きな銅像の反対側から。
その様な誰かの呆れ声が聞こえてきたのである。
「ん? なんだか、向こう側で人だかりが出来てませんか?」
「あら、本当ですわね。……なにか騒ぎでもあったのかしら?」
それをたまたま聞いていた私と華様は。
何気なくその場を振り返り、少しだけ遠目からその様子を確認してみることに。
すると、そこには。
番兵のような格好をした、謎の二人組が立っていた模様。
そして、その番兵達は。
何やら困った様子で、とある誰かを囲いながら難しい顔を浮かべている。
『そんなに堂々と違反行為されちゃあさ〜、運営側としても流石にちょっと見逃せないんだよねぇ〜』
よく見ると、彼らの見下す先には。
等身の低い小さな新規ユーザーも存在していたようである。
……。
……ん?
等身の低い、小さな新規ユーザー?
……。
……なんでしょう。
なんだか、嫌な予感が止まりません。
すると。
私達の予感は、見事に的中。
次の瞬間。
銅像の裏側に無言で立っていた、その等身の低い小さな新規ユーザーが……。
突然、両手を上げながらその場でプルプルと弱々しく震え出す──
『──ひぇぇぇ〜……、カノンなにもしてないよぉ〜……!』
そう、その人物は私達の予想通り。
カノン様であった。
……ただ、予想通りだったのは。
『その人物が彼女である』という情報のみ。
つまり、この時。
予想外だった点も存在していたのである。
それは……。
カノン様の容姿について。
すなわち、彼女の外見情報についてだ。
そう、仮想現実内での彼女の姿は。
何というか……。
何故か。
非常に『個性的な姿』をなさっていたのである。
『いやいやぁー、うちにそんな『ワニ頭』のスキンなんて存在しないもの。明らかに外部から変なデータを持ち込んでるでしょ?』
その通り。
なんと、彼女の首から上が丸々……。
超リアルなワニの頭へと。
綺麗にすり替わっていたのだ。
その姿は、さながら。
『人間社会で迫害を受けている、悲しきワニ人間』のよう……。
そして、そんな番兵に囲まれてオロオロしているカノン様を確認した途端。
私と華様は、思わずその場で真顔になってしまう。
「……あの、アメリアさん。……あれって、もしかして……?」
「ええ。おそらく、頭にクロダを乗せたままアバターを作成したのが原因でしょう。……結果、カメラが頭上のクロダを彼女の顔パーツだと誤認してしまい、あの様な悲しきキメラが誕生してしまったみたいですね」
まさか、この短時間で進行不能バグだけでなく。
またもや、新たなバグに遭遇してしまうとは……。
ここまで来ると、もはや。
一種の才能である。
私は、主と運営達のやりとりを遠目から冷静に観察しながら、自らの顎にそっと手を添えた。
「……彼女にデバック系の仕事をやらせたら、逆にドン引きするほどの大活躍を見せてくれるのでは……?」
「いや、天職だとは思いますけど! 言ってる場合ですか!? ほら! 人類に見つかった時のリトルグレイみたいな連行のされ方で番兵さんに捕縛されてますよ!?」
華様の言葉通り。
こうしている間にも、番兵達に左右を位置取られながら、ズルズルと虚しく運営局へ連行されてゆくカノン様。
そんな彼女の哀愁漂う姿を見て。
華様が必死にその後を追いかけようとする。
「あの、すみませーん!! その子、多分わたし達の連れですー!!」
「お待ち下さい、華様」
……が、私はすかさず。
華様の動きを静止してみせた。
「え? 追いかけなくていいんですか?」
「勿論、追いかけますわよ。……ですが、今は静かに後をつける程度に留めておきしましょう。彼女の不運を幸運に変える為にもね」
そして、私は。
カノン様を連行する番兵達の後ろ姿を見つめながら、そう呟き……。
慌てることなく。
徒歩で番兵達の追跡を開始するのであった。
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