第7話〈2〉【食育ですが、何か?】
──翌日。
午前七時を直前に迎える……。
当屋敷、三階の寝室前にて。
カノン様の執事である僕は。
いつまで経っても、その扉を開けられずにいた。
主の起床時間がやってきたにも関わらず。
意味もなく三階の廊下に並ぶ窓を開閉させながら、ただひたすらげっそりとした表情を青い空に向けるばかり。
「……はぁ。カノン様はご機嫌を直して下さっているのだろうか?」
原因は言わずもがな。
僕達が起こした大事件──使役獣による【カノン様ハンティング事件】によるモノである。
あの事件から一晩経った、今。
とうとう、次の朝を迎えてしまったという訳なのだが……。
はたして、カノン様はご機嫌を直して下さっているだろうか?
僕は窓にうっすらと映し出される覇気のない男と目が合ってしまった。
「なんて腑抜けた顔をしてやがるんだ。しっかりしやがれ、ルーヴェイン!」
僕は両手で自らの頬を叩き。
己に強めの喝を入れてみせる。
そうだ。
初めからお前がやれる事なんて……。
一つしかないだろうが。
一体、何の為に。
昨夜から本日のスケジュールプランを練り尽くしてきたと思っている?
幸いにも、本日の屋敷長はこの僕だ。
前回の失態が霞んでしまうほどのサービスを駆使し……。
なんとしても、カノン様に極上の体験を提供してみせる。
「時間だな。……よし」
僕は一つ大きな深呼吸を済ませると。
背筋を針の様に正し、その場で踵を返した。
そして、流れる様に目の前の扉をノック。
側に待機させているティーセットが乗ったワゴンを転がしながら、主がぐっすりと眠っているであろう寝室のドアノブにそっと手をかける。
そう、まさにその時だった。
「失礼致しま……──」
『──おはよー!』
僕が部屋に入ろうとした直前……。
なんと、部屋の中から。
その様な我が主のお声が聞こえてきたのである。
……部屋の反響音から察するに。
僕がいるドア側に向けられた声ではない。
まさか、また華殿が自主的な手伝いを?
いや、この時間は確か。
華殿は朝の勉強中だったはずだ。
ならば、あのクソメイドか?
いや、彼女には先ほど。
食堂にて朝食の配膳準備を命じさせたばかり。
……となれば、一体?
不審に思った僕は、反射的にその場でピタッと身体を硬直させて入室を中断。
ほんの少しだけドアに隙間を作り出し、そこから寝室の様子を少し覗き込んでみる事に。
「……」
すると、部屋の内部……。
僕が立つ扉から丁度、直線上にある寝室の窓際付近にて。
カノン様の後ろ姿を視認する事ができた。
『えへへ〜、げんきっ?』
……何やら太陽の光が差し込む窓の方を見つめながら、元気そうに声を出しておられるご様子だが……。
一体、誰と会話なさっているのだろうか?
角度的に。
カノン様の頭と被っているせいなのか。
ここからでは上手く見えない。
「……ふむ」
僕は遠目から彼女の視線の先を確認すべく。
ワゴンにストックされている銀食器のナイフにそっと手を伸ばした。
そして、それをカノン様の真上に目掛けて。
ドアの隙間から静かに投げ飛ばす。
すると、そのナイフは山なり軌道で窓の上部にある壁に突き刺さり、側面に新たなる第二の視界……。
カノン様を見下ろす光景を映し出してくれたようだ。
僕は低い姿勢で。
さっそくナイフの側面を覗き込んでみると……──
『──トリさん、そこ、ポカポカ?』
カノン様の目の前には。
布に包まれた一つの【卵】がポツンと置かれている様子。
……なるほど。
どうやら、彼女の話し相手を務めていた人物は。
昨日、花壇で彼女に拾われた。
例の【卵】であったらしい。
『うんっ、そうなの〜! それでね!』
楽しげにコクコクと相槌を打ちながら。
今も卵に向かって笑顔を放っているカノン様。
……正直。
彼女の耳に何が聞こえているのかは定かではなかったが。
これは朗報だ。
欣快な声。
柔らかい表情。
一晩の睡眠を挟んだおかげで。
無事にカノン様の機嫌がリセットされていたのである。
「よし、これなら……!」
今こそ絶好のタイミングだと踏んだ僕は。
再び、その場でドアを大きくノック。
すかさず廊下に待機させていたワゴンに手をかけ、そのワゴンと共に笑顔で彼女の待つ部屋の中へと足を踏み入れる事にした。
『それでね! たまたま【ごっど・じぇせふ】がかわにながれててね〜……──』
「──おはようございます、カノン様。本日のモーニングティーをお持ち致しました」
すると、カノン様は入室する僕の声に反応したのか。
「あっ!」と声を上げながら、こちらに振り返られる。
「るーびん〜!」
そして、満面の笑みを浮かべた彼女は。
嬉しそうに僕の足元に駆け寄ったかと思えば……。
「みてみて! トリさん、ちょっとうごいたのっ!」
そのまま僕の右足を抱え込む様に。
ギュッと可愛らしくしがみついてこられたのであった。
……。
あ、やべっ!
心臓動かし忘れてた……!
昨日の失態を許された安堵によるモノなのか。
それとも天使すぎる主の仕草によるモノなのか。
同時に襲ってきた幸福達により。
僕は予期せぬ最期を見舞われそうになってしまったらしい……。
しかし、カノン様は『卵』について何か知りたがっておられるご様子。
ここは必死に歯を食いしばって現世に留まる事を選ぶ。
「そ、そうでございますか……。宜しければ、少し拝見させて頂いても?」
「うん、いいよ〜!」
僕はモーニングティーの用意と並行しながら、気を取り直してカノン様が両手に持つ『布に包まれた【卵】』をじっくり観察してみた。
紅茶に多めのミルクを注ぎつつ、窓から差す太陽光の光を浴びる楕円形の白い卵をじっと見つめる。
「……ふむ」
平均よりほんの少しだけ大きな個体全長。
卵表面の透明度低下。
ギュウギュウと中で丸まっている生命体の血管状態。
目視での軽い検卵だが。
明らかに昨日よりも卵内部の様子が見え辛くなっていた事が確認できた。
……一応。
特に問題なく育っているようだな。
唯一、疑問点をあげるとするならば。
鳥種の判別がまだついていない事だけだが……。
残念ながら、そこまで鳥類に個人的な関心がある訳でもないので、こればかりは致し方あるまい。
すると、隣で不思議そうに僕の顔を見上げているカノン様が視界に入ったので、ニコッと微笑みを返す。
「おめでとうございます。この様子だと今日中には孵化するやもしれませんね」
持っていたティーカップをカノン様の顔の前に構えながら結果を報告すると、僕の言葉を耳にしたカノン様はパァっと顔を明るくさせた。
「えへへ。カノン、もうちょっとでトリさんのママ……」
そして、両手の中にある卵を見つめながら、目の前の甘い紅茶を幸せそうにチューっと啜り始めたのである。
「……」
そんな彼女の言動を聞いた瞬間。
僕の中で、小さな違和感が芽生えてしまった。
……妙だ。
昨日までの彼女は卵を見ても、ただの『食べ物』だとしか認識されていなかったはず……。
しかし、今の彼女は。
明らかに、この卵を一つの『生命』として扱っている。
たった一晩の内に。
彼女の心境にどの様な変化が……?
……。
いや、違うな。
彼女の心に変化が訪れたのではない。
何者かが彼女の心に変化を施したのだ。
……加えて、そんな事をする人物は。
生憎のところ、僕はたった一人しか知らない。
「……あのクソメイド。さては抜け駆けしやがったな」
おそらく、前日の家令だったアメリアが。
昨晩、カノン様を寝かしつけるついでに何か吹き込んだのだろう。
有精卵の詳しい説明。
『食育』ではなく、『飼育』の推奨。
そんなところか?
……極力、ありのままのカノン様として育って欲しいと考えるが、当日権限を持っていたのはアイツだ。
小さな事ならば、その教育方針についてとやかく言うつもりはない。
ただ、『僕より先にカノン様と仲直りしていた件』に関してだけは……。
絶対に許されねぇ。
相当な罪だ。
僕は食堂で朝食の配膳準備に取り掛かっている裏方メイドへ向けて静かなる怒りを放っていると、足元にいたカノン様が僕の裾をクイクイっと引っ張ってこられた。
「ねぇねぇ、るーびん。トリさんがでてきたらね。カノン、なにすればいい?」
「……え? そ、そうですね」
僕は咳払いをしてしゃがみ込み、気を取り直してカノン様に目線を合わせる。
「やはり、誰よりも先に顔を見せてあげることが重要でしょうね。基本的に多くの鳥類は『生まれて初めてみたモノを親と思い込む習性』がございますから」
「おー、ピク○ンみたい……!」
そして、それを聞いた彼女は。
興味津々に目の前の卵へ視線を戻す。
心を躍らせているカノン様を見た僕も。
彼女と同様にその卵を隣から見つめてしまった。
せいぜい喜ぶことだな、迷える卵よ。
アメリアの説明とカノン様の慈愛がなければ、お前の未来は確実にタンドリーチキンだったぞ。
僕は何気なく寝室の時計を一瞥すると。
そろそろ、カノン様を食堂へと案内しなければならない時刻が迫っていた事に気がついた。
「……おっと。さて、そろそろ食堂に参りましょうか。朝食のご用意を済ませておりますので」
よし、本番はここからだ。
まず始めは。
これより、僕が担当した朝食をカノン様に召し上がって頂く。
今日はいつもより更に早い時間から仕込みに入り、より一層の気合いを入れて調理に挑んだ。
……というか、もう。
ぶっちゃけ、アメリアが隠れて確保していた食材を勝手に使ってやった。
流石に今回ばかりは。
『美味しい』と言わせる自信しかない。
僕は不敵に笑いながらも。
いつものようにカノン様の足となる準備……。
手を広げて、彼女を迎え入れるポーズをその場で構えて、カノン様を待つ。
「ご案内致しましょう、コチラへどうぞ」
……いつもならすぐ。
僕の両手を開く姿を見るや否や。
駆け足で楽しそうに身を預けてくる彼女であった。
だが、しかし。
どうやら、今日だけは。
少しだけ違ったらしい。
「……むーん」
掌にある卵をジッと見つめながら小首を傾げ、何やら深い考えを見せているご様子なのである。
「……カ、カノン様?」
すると、次の瞬間。
彼女の口から、思いも寄らぬお言葉が飛び出てきた──
「──カノン、もうすぐママになるから『きょうからじぶんであるく』ねっ!」
……。
なんと、あろうことか。
彼女は首を横に振って抱っこを拒否。
卵を両手に乗せながら、ピクピクと顔を引き攣らせている僕の隣を通過し……。
そのまま一人でテクテクと、扉に向かって歩いていかれたのである。
「えっっっ!!!!????」
大変素晴らしい向上心。
そして、責任感。
それは、非常に感動的だと頭では重々承知している……。
しているのであるが……!
このままでは、不味い!!
ただでさえ、少しでも目を離せば。
すぐに転倒や迷子と、彼女にはありとあらゆるトラブルが付き纏っているというのに。
もし、転んだ拍子に卵が潰れでもしたら。
間違いなく、お通夜に次ぐお通夜ムード待ったなしだぞ……!?
すると、僕は頭をフル回転させた結果。
一つの答えにたどり着いたようだ。
やむ負えまい。
これしかないか……!
「お待ち下さい、カノン様!」
僕は大きな声で。
扉に向かって歩く彼女を呼び止める。
そして、そのまま背中を見せながら。
ゆっくりと立ち上がり……。
背後の彼女に向かって。
こんな言葉を送ってみる。
「お言葉ですが、カノン様。貴女はその卵が孵った場合、未来の我が子にどうやって『空を飛ぶ術』をお教えするつもりなのですか?」
その突然の言葉に対し。
カノン様は「……へっ!?」と、かなり驚いた様子でその場を振り返られた模様。
「……カ、カノンがおしえるの!?」
そんな彼女に目線を合わせず。
当然でございますと言わんばかりに。
僕は人差し指だけをピンと立ててみせる。
「はい。雛は毎日、自身の為に餌を確保しに行く親鳥を見ているからこそ、いつの日か勇気を持って空へ飛び立てる事ができるのです」
そして、満を辞して踵を返し。
その人差し指を。
そのまま床と並行に倒した……──
「──つまり、カノン様ご自身が! その身で未来の我が子に『空を飛ぶ術』を教えてあげねばなりません!」
力強く。
彼女に真実と指を突きつけたのである。
「そーなの〜っ!!??」
すると、彼女は衝撃を受けた様な表情。
焦った様に僕の元へ急いで戻ってくる。
「どうしよう!! カノン、おはねない!!」
「……ふむ。でしたら仕方ありませんが、少し別の『お勉強』が必要となってしまいますね」
──『お勉強』……。
この言葉は。
全国の遊びたい盛りのちびっ子達を一人残らず、どん底に叩き落とす地獄の言葉。
そして、それは勿論。
カノン様も例外ではない。
僕の一言を耳に入れた。
カノン様はズーンと肩を丸め、恐ろしく沈み込む。
「おべんきょう……」
カノン様には常に笑顔でいて欲しい。
そんな目標を持つのが僕だ。
それでは、何故。
僕はわざわざこのタイミングで。
主のテンションが下がる様な愚行を取ったのか?
そう、僕には自信しか無かったのだ。
「ご安心下さい。当執事の授業はどこかの腐れメイドと違って堅苦しさゼロ。……楽しさ全振りでございますよ?」
どんな状況であったとしても。
この僕ならカノン様を喜ばせられる自信しか無いのである。
僕は寝室の一番端にある窓をバタンと全開にし、その窓の外にスッと手を向けて主の目線を誘導しながら、ニコッと満面の笑み。
「こんなこともあろうかと、コチラで鳥の気持ちを疑似体験できる『とっておきのスペシャルアトラクション』をご用意させて頂きました」
「あ、あとらくしょん……!?」
「ええ。これに乗れば一瞬で、親鳥の気持ちを履修する事が可能です。……食堂への道すがら、カノン様を鳥にして差し上げましょう」
すると、僕は彼女の前で跪き。
直角の立膝を一本つきながら、自らの膝をポンポンと叩く。
「座席はコチラとなりますが……、如何なさいますか?」
「わぁーい!! のる〜っ!! カノン、それぜったいにのる〜っ!!」
……まさか、本日のオーラスで披露する筈だった切り札を。
いきなり使わされる羽目になるとはな……。
しかし、出し惜しみはしない。
──そして、僕は片膝の上にちょこんと座ってきたカノン様を器用に持ち上げる様に。
その場で片足立ち。
そのまま。
背後の窓に背中を預けるが如く。
主と共に。
大空へと身を預けるのであった。
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