第6話〈6〉【職場見学ですが、何か?】



 私が『彼女』と出会ったのは、四日前。

 そう、あの事件が起きた日だ。


 あの日以来、私はお茶会の時間が訪れる度に……。

 この呪われた館へと足を運び続けている。


 根が実直である私がお茶会をサボったのは、生まれて此の方始めての体験であったのだが……。

 案外、勇気を出してサボってみれば、なんて事は無いらしい。


 今日も昨日と同様に。

 館裏手にある小屋の石壁を背もたれにしながら、私は三角座り……──



「──幽霊さーん、いらっしゃいますか?」



 そして、自らの真上に存在している小さな穴に向かって、その様に話しかけるのであった。


 すると、小屋の中にいる『彼女』が。

 私の呼び声に、いち早く反応──



『──……おやちゅっ……! ……おやちゅっ!』


 

 舌ったらずな声を使いながら、今日も元気よくコチラの声に返答してくれたようである。


 彼女は、この館に住んでいる謎の女の子──【幽霊さん】だ。

 彼女が現れるのは、この昼頃に差し替かる時間帯のみ。

 故に、私はその時間が訪れる度に。

 こうして、彼女に会話を試みているのである。


「ふふっ。……すぐに差し上げますから、落ち着いてくださいな」


 おそらく、私と出会った日に食した『チョコレート』がよほど気に入ったのだろう。


 早速、本日の彼女もいつも通りに。

 私が携帯している『チョコレート』をおねだりしてきた模様。


 なので、私は自らのポケットから高級板チョコレートを取り出し、それを手の中で半分に割った。


「……えいっ!」


 そして、その半分を。

 真上にある小屋の小さな穴に目掛けて、ポイッと投げ入れてみせる。


 すると……。


「あうっ……!? ……うぇーん!!」


 数秒後。

 小屋の中にいた彼女は。

 何故か、唐突に泣き始めてしまった。


 ……反応から察するに。

 私の放ったチョコが、不運にも室内にいる彼女へと直撃してしまったのだろう。


 そう判断した私は、その場で酷く狼狽えてしまう。


「あれっ!? す、すみません! もしかして、また頭に当たってしまいましたか!? ……というか、毎日差し上げてるんですから『そろそろ避けるとか、キャッチする』だとかしてくれませんかね!?」


 数日間に渡って繰り広げた、彼女との壁越しのやりとり。

 その中で判明した『彼女についての情報』は二つだ。


 一つ。

 ──彼女は生きてる人間であること。


 正直、彼女の受け答えや言動はかなり稚拙なモノであったのだが。

 その中で時折、生身の人間が発する『生』の暖かさが垣間見える瞬間が存在するのだ。

 ……残念ながら、穴が位置する高度の関係や『とある要因』により、未だに彼女の姿を拝めていないので正確にそれを証明する事はできないが……。

 少なくともチョコレートを頭でキャッチする様な『幽霊』など私は聞いたことがない。

 よって、私は彼女が生きている人間だと考える。


 そして、もう一つは……。

 

 次第に泣き止んだ彼女は。

 ようやく、私が先ほど室内に投げ入れたチョコレートを拾ってくれたのか──



「ぐすっ……、かちかちしかく」



 ──……と、謎の感想を小屋の中でボソッと口にしてきた。


 あまりにもそのまますぎる感想に。

 私は思わず、その場で吹き出してしまう。


「それは『チョコレート』ですわ。……初めて私達が出会った時にも食べたでしょう?」


 クスクスと笑いながら、彼女にそう返す私であったが……。

 彼女からの返事はなかった。


 おそらく、無言で記憶を遡っている最中なのだろう。


 すると、しばらくした後に。

 ポツリと彼女が呟く──


 

「──わしゅれた……」



 そう、これがもう一つの特徴だった。


 二つ。

 ──『わしゅれた〈忘れた〉』が彼女の口癖であること。


 私はこの数日間に渡り、彼女へ様々な会話を仕掛けてみたのだが、彼女は自身の記憶力に相当自信がないのか。

 いつも次の日になると、前日に話した会話内容をほとんど忘却しているのである……。

 酷い時は数分前に話した会話だけでなく、私の名前すら何度も忘れてしまう始末だった。


「そ、そうですか」


 そんな彼女の口癖を耳にした私はそっと溜息を吐き、身体を元の体勢に戻すようにその場で座り込む。


「それで……、そろそろ『自分の名前』くらいは思い出してくださいましたか?」


 そして、三角形にしていた自らの膝の上で、退屈そうに頬杖をつきながら、次の質問を彼女にぶつけてみた。

 

 ……そう、この旅行期間が終わり次第。

 私もすぐにロンドンへと帰らなければならない。


 なので、せめて「名前くらいは」と出会った時から何度も彼女に尋ねているのだが……。

 彼女はまたもや無言で考え込んでいる模様。


「……またお得意の『わしゅれた』ですか? まぁ、別に教えたくないなら構いませんけど」


 本当にどうしたものやら。

 私は、その場でぼーっと考え込む。


 すると、ふとしたタイミングで。

 私は、彼女の名前を探る名案を思いついた。


「そうですわ! 貴女、こんな大きなおウチに住んでるんですから、使用人の一人くらい雇っているのでしょう? 普段はおウチの方から、なんと呼ばれていらっしゃいますの?」


 そう、彼女自身が知らないのなら。

 彼女を知る人間から聞けば良いのだ。


 私の質問に対し、彼女は今日一番……。

 いや、出会ってから一番の自信満々な声を。

 

 小屋の中で響かせる──



「──『ムノー』!」



 その言葉を聞いた瞬間。

 私は、目をパチパチとさせてしまった。


 ……。

 ……む、むのー?


「【ムノー】……!?」


 ようやく彼女の名前を知れた私は、強く反応。

 その場でパァっと顔を明るくさせた。


 しかし、その名前に関して。

 何やら引っかかる点もある……。


「……ですが、あまり聞き馴染みのない珍しい名前ですわね。……本当に、それが貴女の名前なんですの?」


 彼女の珍妙な名前を耳にした私はその場で小さく首を傾げていると、再び小屋にいる彼女が声を上げてくる。


「いちゅも、そういわれゆの!」


 もしかすると、『ムノー』とは短縮化された愛称だったりするのだろうか?


 かく言う私も、家族からは『アメリー』と愛称で呼ばれている身である。

 特に不思議な話ではないだろう。


「……よく解りませんが、本人である貴女がそう呼ばれていると言い張るならば、そうなんでしょうね!」


 いや、そんな事よりもだ。

 彼女は私の質問に、ようやくまともな答えを返してくれた。


 私はその事実に喜んでしまい。

 その場で噛み締める様に小さく微笑んでしまう。


「ふふっ、そうですか。……ムノーちゃんですか」

 

 もし、彼女が本当に『幽霊』ではなく。

 生身の人間だとすれば……。


 私の友達になってくれるのだろうか?


 そう考えた私は。

 この機を逃すまいと言わんばかりに。


 再び、急いでポケットを探り始める。


 そして、先程とは反対側のポケットから……。

 彼女に渡したチョコレートと色違いである別のチョコレートをもう一枚取り出した。


「じ、実はですね! それとは別に、本日は新発売の違う味も手に入れてきましたの! 宜しければ、コチラも貴女に差し上げますわ!」

 

 私は彼女の名前が知れた事にテンションが上がってしまい、勢い余ってそのチョコレートを『丸ごと一枚』プレゼントしてしまう。


 すると、暫くして。

 小屋の中にいたムノーちゃんが呟いた。


「……あたち、おなかたくしゃんっ!」


 どうやら、たった今チョコレートを完食した彼女は、目の前に投げ入れられた新たなチョコレートを見て……。

 私が『そのチョコレートも食べろ』と催促していると思い込んだのだろう。


 彼女の発言に対し、私は苦笑いを見せる。


「別に『今すぐ食べろ』だなんて言ってませんわ。……ほら、後日お腹が空いた時に食べるだとか、お友達とシェアしながら食べるだとか……──」


 しかし、そこまで口にした瞬間。

 私は、途中で言葉を詰まらせてしまった。


 そう、『とある親友』の顔が。

 脳裏に思い浮かんでしまったのである。


 しかし、すぐに涙ぐむ視界を袖で拭い、その場で首を大きく横に振ってみせた。


 泣いちゃダメだ。

 ……今はこの子と会話中なのだから。


 私は大きく深呼吸を挟み、必死に涙を堪えながら彼女に話しかける。


「──っ! あ、貴女は! ……どうして、いつまでもそんな所に閉じ込もっていますの!」


 ……やはり、私は彼女と友達になりたい。


 そう考えた私は、勇気を出して。


 目の前のムノーちゃんに。

 この様な提案をしてみた──



『──……宜しければ! 私とお外で遊びませんかっ!?』



 彼女なら、もしかすると。

 私の友人になってくれるかもしれない。

 

 しかし、私が告げたその提案は……。

 彼女の悲しそうな声で拒否されてしまう。


「……おそと、でりゃれないの」


「えっ……?」


 私は冷や汗混じりに。

 その場から軽く小屋全体を見渡してみた。


「……確かに、『この小屋にはどこにも扉らしきものが見当たりません』が、その中にいるという事は他に出入りする手段があるということでしょう? そこからお外に出てきて下さいませんか?」


 そう、これが前述に話した彼女の姿を拝めていない理由の一つ──『とある要因』の正体だった。


 ……実は、どうにかこの小屋の中にお邪魔できないかと考えた私は。

 過去に一度、この小屋の周りを観察してみた試しがあるのだ。


 しかし、この小屋には何故か。

 どこにも『出入り口らしき扉』が存在しなかったのである。


 ここからはあくまで只の予想だが。

 もしかすると、彼女がいる小屋の内部には床下に続く地下通路の様なモノが存在し、その地下を通らなければ出入りできない仕組みになっているのかもしれない。


 位置から察するに、アクセスが通じる場所は。


 隣の本館、と言ったところだろうか……?


 つまり、彼女の意志で外に出てきてくれない限り、私達が面と向かって顔を合わせる事が叶わない状況と言う訳である。


 まぁ、私が館の中に不法侵入して、この小屋に通じる入り口を勝手に探すという手もなくはないのだが……。

 ここはこの館に住む彼女に任せた方が手っ取り早いだろう。


「……でりゃれないの」


 しかし、彼女はこのように。

 頑なに『外出する事は不可能だ』と主張。


 ……この時、何故か分からないが。

 私は彼女の言葉に『激しい違和感』を感じてしまった。

 

「……もしや何か深い事情があって、部屋に閉じ込められてしまったのでしょうか?」


 どちらにせよ。

 直接、この小屋の内部を確認しない限りは判断できない。


「どうにかして、小屋の中を覗く方法があれば良いのですけど……」


 私は、その場で少し辺りを見渡してみる。


 すると、私の座っていたすぐ近くに……。

 『針金で一束に纏められた薪木用の薪束』が存在していた事に気がつく。


 円柱状となっているアレを足場として利用すれば、石壁についてる穴を覗く事が出来るかもしれない。


「うんしょっ! うんしょっ!」


 私はその束を転がす様に移動させながら、彼女が滞在する小屋の前へと設置。

 そして、その上に両足を乗せてみる。


 ……この高さならば。

 あとは背伸びを足すだけで。


 ギリギリ、穴の中を覗ける高さへと目線を到達させることが可能だろう。


 という訳で、早速。

 私は狭い足場で背伸びをして。


 目の前の小さな穴から。

 彼女のいる部屋の様子を覗いてみることに。


「……え?」

 

 しかし、その穴を覗くと同時に。

 私は、一気に顔から血の気を無くしてしまった。


「……な、何ですの? ……この部屋は!?」


 彼女の部屋。

 それは、あまりにも殺風景だったのである。


 部屋と呼ぶよりも……。

 物置や倉庫と言った方が近いかもしれない。

 

 天井の角に張られた蜘蛛の巣や、空気中に舞う大量の埃。

 机や椅子といった家具どころか、何も設置されていない全面石壁の奇妙な内装。

 唯一目ぼしい点である、部屋の中心に存在していた謎の床下扉。

 

 トイレやベッドすら存在しない辺りを考慮するなら、刑務所にある独房の方がいくらかマシなレベルである。


 ……ついでに、彼女の姿も同時に確認しておきたかったのだが、この身長ギリギリの視界のみでは叶わなかった。

 察するに、この覗き穴がある丁度、真下辺りの位置に彼女が立っていたせいなのだろう。


 角度的に彼女の姿を直接視認する事は出来なかったのである。


 ただ、これだけは分かった。


 彼女はこの時間になると、毎日この小屋に姿を現している……。


 つまり、言い換えれば。

 彼女は──『日常的にこの部屋に閉じ込められている』と言うことだ……。


 躾にしては四日連続と明らかに回数が多すぎる上に、反省室として見てもこの部屋の環境はあまりにも劣悪である。

 

 よって、虐待の可能性も十分に考えられるだろう。


 そして、何よりも気になる点は……。


 妙に私の足元付近から聞こえてくる。


 「ミシミシ」という謎の異音だ。


 ……。


 ……ん?

 足元付近から、ミシミシ……?


 すると、次の瞬間──



「──えっ? ……きゃぁぁーっ!?」



 私が足場にしている円柱状に纏められた薪達。

 それらが私の有する重量に耐えられなかったのか……。


 突然、彼らを縛っていた針金がブチッと音を立て、その場で解散してしまったのである。


 当然、その上に身を預けて私は。

 そのまま大きな音を立てながら、元いた地面へと引き戻される事態に……。


「……ばきばき、どしん」 


 小屋の中にいたムノーちゃんも、外の様子に耳を立てていたのか。

 そんな言葉をポツリと口にしてくる。


「……今、……ダイエットの神が降りてきた気がしますわ」


 そして、そんな彼女の呟き声に。

 うつ伏せ状態の私は顔を真っ赤にしながら返答するのであった。


 ……。


 いや、呑気に言ってる場合ではない。

 すぐに彼女をここから助けてあげないと……!


 私はその場から立ち上がって。

 急いで別荘地に戻ろうと踵を返す。


 すると、その瞬間──



『お嬢ちゃん、そこで何してるんだい?』



 ──私の背後から。

 その様な男性の声が響いてきた模様。


「ひゃぁっ!?」


 私は慌てて振り返ると、そこには物腰の柔らかそうな一人の老男性が……。


 推定年齢は六十代。

 蝶ネクタイとモノクル。

 そして、草臥れた年季入りの黒い燕尾服。

 

 ……容姿から察するに。

 彼は、この館で働く執事なのだろうか?


「ここ最近、妙に小屋の中から独り言が聞こえて来るかと思っていたら……、そう言うことだったのかい。……お嬢さんがこの子と話していたんだね?」


 おっとりとした口調でそう確認してくる老執事。

 そんな彼の質問に対し、とりあえず私は戸惑いながらもコクコクと無言で頷く。


「そうかそうか。……ところで、この子から何か変なことを聞いたりはしなかったかな?」


「この子って、幽霊さんのことですの……?」


 私は彼から受けた咄嗟の質問に。

 つい、いつもの様に『幽霊さん』と返してしまったらしい。


「……幽霊?」

 

 すると、その単語を耳にした老執事は目を丸くしながら、そのまま自分の世界に入る様にボソボソと呟き始める。


「ああ、さては近所で噂になってる妙な誤解を聞きつけてきた子かな。……最近は落ち着いてきたと思ったんだけどねぇ」


 私は無言の警戒を示していると……。

 ようやく、私の存在を思い出してくれたのか。

 彼は再び、コチラに向かって優しく微笑んできた。


「ああ、すまないねぇ。何も聞いてないなら別に良いんだよ。……さぁ、もう度胸試しなんかやめて、そろそろお家に帰っておくれ」


 そして、彼はそのまま私の背中を押すように。

 正面玄関の方へと誘導し始める。


 ……どうすべきなのだろうか。


 一旦、ここは単なる度胸試しをしていた少女を演じる?

 それとも、もう少しこの場で彼女の事を追求してみる?


 ……いや、ダメだ。

 ここで変に騒いでしまえば、彼女が危ないかもしれない。

 やはり、ここは大人しく宿泊地に戻って。

 自室で作戦を練り直すのが得策だろう。


 そう判断した私は。

 老執事にペコリとお辞儀し、ゆっくりとその場から立ち去ろうとする。


 すると、そのタイミング。

 外の様子が気になってしまったムノーちゃんが……。


「……あ、あにょねっ!」

 

 ……と、その様に声を上げてきたのだ。


 そして、事件が起きたのは。

 正にその瞬間。

 

 私の目の前で。

 信じられない出来事が起こってしまう──




『黙れぇぇぇぇっ!!! 『口を開くな』と言ってるのが、まだわからんのかぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーっ!!!???』




 ──なんと、今まで穏やかな雰囲気を見せていた老執事が……。

 まるで、悪魔でも乗り移ったかの様に豹変。

 

 突然、苛立ちを見せた様子で彼女がいる小屋に強い蹴りを何度も放ちながら、激しい怒号を浴びせ始めたのである。


「……ひぅっ」


 当然、そばにいた私だけでなく。

 小屋の中にいたムノーちゃんも酷く怯えている様子。

 

 当然、私もこのまま黙っている訳にはいかない。


「か、彼女が怖がっているでしょう!? 今すぐやめなさいっ!!」


 どうしても彼女を見過ごせなかった私は勇気を出し、その老執事に震えた声を上げるのであった。


 すると、私の行動により。

 老人はピタリと動きを停止……。


 そして、そのままコチラに向かってゆっくりと振り返り、何事も無かったかの様にニッコリと優しい笑顔見せてくる。


「いいんだよ、お嬢さん。……私はこの子の『専属執事』だからね」

 

 ……専属執事?


「し、執事ですって……!?」

 

 理由になっていない。

 何故、専属執事の彼が……。

 主である彼女にそんな態度を?


 私は声を振り絞って、彼に強く言い返す。

 

「それなら、どうして自分のご主人様にそんな酷い対応をしているのですかっ! 尚更、そんなのおかしい──」


「──それが『命令』だからだよ。私は彼女の執事である前に、雇い主である彼女の父君……、つまり旦那様の道具なんだ。本当に可哀想だが、受け取ったマニュアル通りに彼女を厳しく躾けなければ、その時は私が恐ろしい目にあってしまうからね」


 そこまで口にした彼は。

 次第に溜息を吐きながら、首を横に振った。


「やれやれ、どうやら少し喋りすぎたみたいだ。……まぁ、既に彼女の『処遇は決定した』と風の噂で聞いたことだし、どちらにせよ私の仕事もこれで最後になるんだろうがね」


 すると、彼はそんな独り言を最後に。

 強い力で私の腕を掴むと、そのまま屋敷の門前へと移動。

 

 敷地外の林道へと、勢いよく放り投げられてしまったのである。


 一旦、別荘地に戻ってムノーちゃんを助け出す考えを練り直す事にした私は、ここは黙って立ち去ろうとすると……。


「君は本当に運が良かったね。……いや、時期が良かったと言うべきかな」


 背を向ける私の背に向かって。

 彼はそんな言葉をぶけてきたのだ。


 その言葉を聞いた私は足を止め。

 恐る恐る、顔だけを彼の方へ振り返らせる。


「……ちなみに、またここへ訪れても無駄だよ。私達はもうすぐ、別の館へと引っ越す事が決まっているからね。……彼女に至っては、ここよりも遥か遠くの彼方に行ってしまうみたいだ」


 ──そして、この時の彼の言葉。

 それは嘘でも何でもなかった。


 旅行最終日となる翌日……。

 私は、再び彼女のいる館へと足を運んだのが、そこには驚くべき光景が広がっていた。


 なんと、ムノーちゃんと老執事は……。

 館の解体工事に取り掛かっていた重機を操る業者達へと。


 館や石壁の小屋は……。

 バラバラと崩れ落ちる粉々の廃材へと。

 

 それぞれ、姿を変えていたのである。


 ──────


 ────


 ──……数日後。

 ロンドンの一等地に存在するレミュルーフ家の本邸に帰宅した私は、自室のベッドに倒れ込んでいた。


 そう、私はこの旅行期間で。

 疲弊し切っていたのだ。


 身も心も。全て。


 ベッドに置いていたクマのぬいぐるみを抱きしめながら、私は部屋で一人。

 ボソッと静かに呟く。


「……何が『専属』ですか」


 そんな独り言を呟いた私は。

 その場で小さな笑いを溢してしまった。


「結局は専属なんて名ばかりで……。主と使用人の絆なんて、どこにも存在しないではありませんか……」


 そして、そう呟きながら。

 私は、目から涙をポロポロと溢してしまう。


 そう、許せなかったのだ。


 私を裏切った【ジェシカ】が。

 ムノーちゃんに酷い対応をしていた【老執事】が。


 許せなかったのである。


 ……しかし、私はすぐに。

 その場で首を横に振った。


 いや、違う。

 そうじゃない。


 彼女達は悪くない。

 そう、悪いのは……。

 

「いえ、違いますわ……。使用人達が悪いんじゃありません……。悪いのは、使用人を道具の様に扱う『権力者達』なんですっ!!!」


 許せない。


 気に入らないという理由だけで。

 親友である私の『専属メイド』を奪い去った【婚約者】が……。 


 上からの命令という特権だけで。

 『専属執事』を傀儡にしながらムノーちゃんに苦しい思いをさせていた【雇用主】が……。


 本当に。

 心の底から。


 許せなかったのである。


「使用人は道具なんかじゃない……っ!」


 耐え難い怒りが。

 次から次へと溢れ出る。


 こんな想いは生まれて初めてだ。


 悔しい。

 悔しすぎる。


 次第に、私は部屋中にあったものを。

 片っ端から壁に投げつけ始めた。


 ぬいぐるみや枕。

 大切な本や目覚まし時計。


 すると、その内の一つである。

 液晶テレビのリモコン……。


 それが壁に直撃した際に暴発したのか。

 意図せぬタイミングで勝手にテレビを起動させてしまったようだ。


『〜〜〜〜!』


 ……しかし。

 私はもう、リモコンを拾いあげる気力すらなく。

 そのまま再び、ベッドに顔をうずくめる。


 すると、その時だった──



『──以上が【超級使用人】の発表でしたが、やはりそう簡単には現れませんね……。いやー、今年も残念でした!』



 ──突然、テレビの中にいたニュースキャスターが、その様な言葉を部屋中に響かせてきたのである。


「【超級使用人】……?」


 毎年、とあるシーズンに差し替えると必ず出てくるその凄まじい話題性から当然、英国人である私もその存在だけは知っていた。


 なんでも、この英国には最強の使用人を育成する教育機関が存在し、数年に一度という極小単位で【超級使用人】という人材を排出しているんだとか……。


 英国の五代貴族と称された私達の家ですらも、彼らと契約できていないことから。

 母からは夢物語に近い存在だと教えられてきた記憶しかない。


 なので、今までさほど興味を示す事がなかったトピックであったのだが……。


「……」


 どうやら、今日の私は。

 そのままキャスター達の会話に耳を傾ける事を選んだらしい。


『まぁ、そうでしょうね! 彼らは史上最高にして最強の従者ですから! なんせ、どんなに身分の高い名のあるセレブ達ですらも、自ら頭を垂れて懇願する様に契約を求めなければならないという程までに!! 彼らは高貴で神聖な存在なんですよ?』


『はい、巷ではこの様に称されているそうですね。……まさに、彼らは──』



 そして、私は。

 楽しげに話す、キャスター達のこの言葉。



『──この世で唯一、【権力が通用しない最強の使用人】なのだと!』



 この言葉に。

 大きく目を見開かされてしまう。


「……権力が通用しない? ……使用人なのに?」


 キャスターが言い放った。

 この希望溢れる言葉を耳にした瞬間……。


 私は反射的にベッドから飛び起きてしまった。


 そして、慌ててテレビの前にしがみつく。


「……これですわ」


 この時。

 私は強く心に誓った。


「私が【超級使用人】となって、全世界に証明すれば良いのです!! この世の従者の在るべき姿を!!」


 この間違った貴族文化を正し。

 使用人の地位を向上させてみせるのだと。

 

 どんな権力者にも負けない……。


 いや、権力者だけでは生温い……。


 『誰にも負けない世界最強の存在』となり。


 この国に改革を起こせる程の強い影響力を持つ人間になってみせるんだ。


 ──ジェシー、ムノーちゃん。

 もう大丈夫です。


 何年かかったとしても、必ず。

 この私が、貴女達の住みやすい世の中を創ってみせると約束しますわ。


 だから、少しだけ待ってて下さい。


 私が誰にも負けない。

 英国史上最強の【超級使用人】となる。


 その日まで……。


           *

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