第6話〈4〉【職場見学ですが、何か?】

 

 私が住み込みで勤務させて頂いてる当屋敷は、本当に素晴らしき職場です。


 ──【職場環境】

 太陽から月と終日かけて自然光から愛され続けている、この喉かな土地に邸宅を構える事が出来たのは非常に幸運でしたね。


 平原を吹き抜ける心地よい風。

 時折、近くを訪れる野鳥達の囀り。


 そんな自然達から寵愛を受けた立地の中で仕事に勤しめるなんて、とても素敵だとは思いませんか?

 この様な環境に身を置きながら働けるならば、例えどんなに過酷で苛烈な激務が待ち受けていようとも、いつも晴々とした心を維持できるというモノですわね。


 そう、私達は毎日……。

 この『穏やかで落ち着いた職場環境』に身を置いているおかげで、常に優雅さを忘れずに日々を過ごすことが出来ているのです。


 ……勿論。

 褒めるべき点はそれだけではありませんわ。


 ──【職場風景】

 共に肩を並べて働く従業員達。

 やはり、彼らの存在も大きいでしょう。

 

 より高みを目指し合いながら、隣で切磋琢磨してくれる頼もしい同僚の執事。

 大人しい性格ですが、健気で努力家の後輩メイド。

 そして、見ているだけで元気を貰える、純粋で愛らしい幼女当主。


 そんな人情味溢れる掛け替えのない住人達が側で支えて下されば、どんな艱難辛苦も乗り越えられる気がするでしょう?


 そう、私達は毎日……。

 互いをリスペクトしながら助け合い、この『笑顔が絶えない職場風景』を作り出しているのです。


 ……。


 ……あら。

 何ですの、その顔は。


 まるで『嘘をつくな』とでも言いたげな表情をしていますわね?


 ……ほ、本当ですわ!

 そんなに疑うなら、その目で見学してみればいいではありませんかっ!


 さぁ、ご覧なさい。

 これが、世界で最も素晴らしき職場環境です──



「──……おい、先に瞼から縫って仕立てようとしてんのか? そんな地味すぎる服より、確実にこっちの方がカノン様の可愛さを惹き立たせれるだろうが」


「はい……!? 女の子は物心ついた時からいつだって『大人っぽさ』に憧れる生き物なんですよ!? そんなことすら気付けないなんて、相変わらず乙女心が分かってませんわね!」



 穏やかで落ち着いた職場環境……。


 

「あ? テメェ、やるか? 表出ろや」


「上等ですわ。……言っておきますが、私はリアルファイトの方も少々嗜んでおりましてよ?」



 笑顔が絶えない職場風景……。


 

 ──その通り。

 現在、二人の若い男女がデザイン図を手にしながら叫んでいる場所は、当屋敷の二階に存在する【服飾ルーム】だ。


 前回、とある経緯で我が主が『サイズの合わないヘッドドレスハット』を入手したことにより、それに合う洋服を急遽仕立てようと、ただいま緊急会議を開いている最中であるのだが……。

 開幕からこの有様である。


 すると、そんな私達の背後から。

 次の様な日本語が聞こえてきた──



『──……も、もしもーし。……アメリアさーん?』


 その声が耳に入った瞬間。

 私は、まるで金縛りにでもあったかの様にピタッと動きを停止……。

 

 そう、この服飾ルームには。

 私とルーヴェイン達以外にも。


 他に三人の見学者達が存在していたのである。

 

「……あはは」


 一人は『私の顔を苦笑いで見つめながら、指でバツ印のサインを作っている』──華様の姿。


「……仲良し度、3点ザマス」


 一人は『真剣な表情でタブレット端末を叩いている』──お母様の姿。


「さんてん、ざます〜!」


 そして、最後は『かなりオーバーサイズのハットを頭に乗せながら、お母様の語尾である〈ザマス〉を徐々に習得し始めている』──カノン様の姿だ。

 

 ……そんな彼女達の視線に気がついた私は、一気に全身から嫌な汗をダラダラと流し始めてしまう。


「な、なーんて! 今のは軽い冗談ですわ〜! ダーリンの考案したお洋服が可愛いすぎて、つい嫉妬しちゃいましたの!」


 やむを得ない状況だと素早く判断した私は、とりあえず満面の笑顔を浮かべてみたのだが……。

 ルーヴェインは眉一つ動かさずに返答。


「おう、次はねぇぞ。カスハニー」


 彼はそう私に告げてくるや否や。

 私の製図した紙を破り捨て、すぐさま大量の針と事前に調達してきた上等な布地を使って自身が考案した洋服を仕立て始めるのであった。


「……あの、あまりこの様な下品な物言いは好まないのですが、三秒間ほど馬乗りで殴らせて貰っても構いませんか?」


 一応、只今の彼は『私の恋人』と言う設定である。


 勿論、予め彼にも『母の前では恋人として振る舞って欲しい』とお願いしていた筈なのだが……。

 どうやら、真面目に演じてくれる気はないらしい。


 あまりにも非協力的すぎる彼の対応に対し、私は思わず『一度、本気で殴りかかってやろうかな』と睨みつけていると。

 私の背後から華様が駆け寄ってきた。


「アメリアさん! ……こっそりママさんのタブレットを覗いてきましたけど、今のところどの項目も一桁台の点数ばかりでしたよ!? ほ、本当に大丈夫なんですか!?」


 おそらく、彼女は母の手元に表示された『未来の婿養子評価シート』の中間報告を伝えにきてくれたのだろう。


 その絶望的な報告を聞いた私は。

 その場で思わず頭を抱え込んでしまう。


「どうしましょう……! あの男と仲良くなんて出来る気がしませんわ……! どんな事をしていても、何故か二秒以内に喧嘩へ発展してしまいます……!」


「いや、どんだけ相性悪いんですか!? このままじゃ、本当に今日でお屋敷とおさらばしたちゃいますよ!? もっと積極的にイチャイチャしないと!」


 そう鼓舞して下さる華様であったが、私はそんな彼女に苦々しい顔を見せることしかできなかった。


 何故なら……、私は一度も……。


「そ、そう言われましても……。私、今まで男性とお付き合いしたことなんて一度もありませんもの……」


 私は彼女から視線を逸らし、口を尖らせて指同士をツンツンと合わせる。


「……か、可愛い」


 そう、恥ずかしながら。

 私には交際経験というモノが無かったのだ。

 小さい頃から婚約者がいる身ではあるが、それも親同士が勝手に取り付けた話……。

 故に、その婚約者である幼馴染とも顔見知りという枠組から超える出来事はなかったのである。

 ……最も、あんな最低な婚約者など私は認めていませんが。


 ですが、この調子では華様の言った通り。

 本当に実家に強制送還されてしまい兼ねません。


 私は藁にも縋る思いで。

 目の前に立つ華様の手を取る。


「もう華様しか頼れる相手がいません! どうか私に恋愛のイロハを教えて下さいませんか!?」


「えぇ!? わ、私がですか!?」


 しかし、華様は少し困った顔を見せてきた。


「そう言われても、私の通ってた小学校は全校生徒合わせても五人しかいなかったんですよ……? しかも、同学年の子に至っては男の子どころか女の子すら一人もいない状況でしたし、恋愛以前の問題ですよぅ……」


 うっ……。

 そういえば、彼女は山奥にある人口の少ない地方で生まれた生粋の里っ子少女でしたわね。

 ……というか、この間まで小学生だった子供相手に私は何をお願いしてるんでしょうか?


 私は肩をすくめていると、少し間を置いた華様が自らの手をポンと鳴らした。


 そして、突然……。

 この様な何とも奇天烈な提案をし出したのである。


「あっ、そうだ! 今まで読んだ少女漫画のノウハウで良いのなら、少しは力になれるかもしれませんっ!」

 

 それを耳にした私は、無意識に怪しいモノを見るような視線を彼女に送ってしまった。


「しょ、少女漫画ですの……?」


 日本の文化──【Manga〈漫画〉】。

 それは世界で言う所のコミック文化と非常に酷使しているが、どうやらその中身や内容は完全に似て非なるものらしい。


 確かに、日本の技術力は世界的にも注目されているのは知っていますが……。

 【Manga〈漫画〉】文化だけはどうにも不安要素が拭えません。


 日本人の感性は最先端すぎるが故に、国内以外の人間には到底理解できない特殊な描写も存在すると耳にした事があります。

 ……噂によれば、何でも一部では『変態の国』と揶揄される事もしばしばあるとかないとか……。


 だが、自身で打開策を開けない以上、今は華様の提案だけが希望なのもまた事実……。


 私は覚悟を決める様に深呼吸を挟み、彼女に向かって強く頷く。


「それしか方法が無いなら、やるしかありませんね。 ……さて、まずは何をすれば良いのですか?」


「えっとですね! ……とりあえず──」


 ──そして、私は早速。

 華様から伝授された『少女漫画』に関する恋愛術を実行してみる事にした。

 

 指南を受け終えた私はまず、即座に部屋に置いてあった一部の布で『衣装』を作成。

 更に、部屋を出て厨房から『あるモノ』を回収。


 迅速に準備を整え終えた私は。

 満を辞して。


 目標であるルーヴェインの『背中』に向かい。

 勢い良く走り出したのである。


 すると、当然の如く。

 私の身体はルーヴェインの背中に軽く体当たりする形に……──


「──……痛っつ!? ……な、何だ?」


 ここまでは、ほんのキッカケ作りだ。

 本番はここから。

 

 反発するように仰反った私は、その拍子を利用するかの様にわざと床へ転倒。

 そして、その場でペタンと部屋のカーペットに座り込みながら、こう呟く──



「──チ、チコクーしちゃいますわぁ〜……」


 ……そう、これが。

 華様から譲り受けた策の全貌であった。


 ちなみに、策の詳細は……。

 『日本の女子高生が着用する制服──【セーラー服】に身を包んだ私が、トーストを咥えながらルーヴェインにぶつかる』と言うモノである。


 ……正直、私もいまいち理解が追いついていないので、どうなるのか全く予想がつきませんが……。

 日本ではこれが主流なのですわね。


 ですが、本当にたったこれだけで。

 ルーヴェインと恋仲になれるのでしょうか……?


 あまり手ごたえを感じられずにいた私であったが、いざ蓋を開けてみれば……。

 

 何とも意外な結果が待ち受けていたらしい。


「……だ、大丈夫か?」


 なんと、あのルーヴェインが。

 転んだ私に対して、優しく手を差し伸べてきたのである。


 もう一度言う。

 あの『カノン様関連の出来事以外に、全く興味を示さないルーヴェイン』が、である。


「つ、疲れてるなら少し休め。……そうだ、コーヒーでも淹れてきてやろう」


 そして、そんな彼はそのまま私を近くの椅子に誘導したかと思えば、そそくさと部屋を出て行ってしまったようだ。


 言動から察するに。

 何やら私の為に飲み物を用意して下さるようですが……。

 何故、急に?


 すると、そんな私達のやりとりを観察していたお母様は……。

 興奮気味に席から立ちあがり、強烈な拍手を私に浴びせてくる。


「……ほほぅ、気遣い八十点ザマス!!」


「はちじゅうざます〜っ!」


 よくわからないが、ようやく母から高評価を獲得する事に成功したらしい。


 共に母の仕草を見ていた華様も、笑顔で私の元に駆け寄ってくる。


「どうでしたか? 手ごたえの方は!」


 私は華様に満面の笑みを見せた。


「仕組みは理解できませんでしたが、彼からあんなに優しくされたのは初めてですわ! ……Japanese Style──【トーストツーガクロ】でしたかしら? あのルーヴェインに通用するなんて、日本の技は奥が深いんですのね!」


 しかし、そう伝えていると同時に。

 私はとある疑問も思い浮かんでしまった。


 そう、母は百点満点中……。

 八割程度の評価しか出さなかったのだ。


 なので、率直に華様にもその事を意見してみることに。


「ですが、……これでは『ただ親切にして貰っただけ』ですわよね? ……まだまだ距離を感じますし、とても恋仲であるとは言い難いような……?」


 そう、彼はただ。

 目の前で転倒した私を気遣っただけ……。


 つまり、別に私でなく華様が同じ事をしていたとしても、先ほどと同様に助け起こしていた筈だ。


 すると、唐突に華様が「あっ!?」と大きな声を上げてくる。


「しまった! ルーヴェインさんは男の子だから……、少年漫画戦法の方が良かったのかも!」


「しょ、少年漫画戦法……?」


 私は首を傾げながら、とりあえず黙って続きを聞いてみることに。


「はい! むかし、家族旅行で北海道の旅館に行った時に一度だけ読んだ事があるんですよ! もしかすると、ルーヴェインさんは男の子なので、より男性に寄り添った視点で描かれた『少年誌の恋愛』の方を好むんだと思います!」


「な、なるほど。要は男性視点からの恋愛観を見定めることこそが、何よりも重要だと?」


 妙に説得力のあるその言葉と、先ほどの【トーストツーガクロ】が織り成した手ごたえのせいなのか。

 この時の私は、華様をすっかり信じきっていた。


「はい! 当時の私には難しくて良く分かりませんでしたけど……、隣のお母さんに聞いたら『男の子は基本的にこんな事しか考えてないのよ』って言ってました! だから、これは確かな情報ですよ!」


 と言う訳で……。

 私は続けて華様より──『少年誌』から学んだ恋愛術を伝授。


 決行するタイミングは……。

 厨房からルーヴェインが帰ってきた瞬間だ。

 

 ──数分後。

 服飾ルームの扉が開いて、もう一度ルーヴェインが再入室してきたと同時に……。

 私は彼に駆け寄って、声をかける。


「ルーヴェイン、少し宜しいですか?」


 すると、湯気を放つコーヒーポッドとティーセットが乗ったトレイを片手にするルーヴェインは、入室すると同時に話しかけてきた私によほど驚いたのか。

 その場でビクッと身体を跳ねさせた。


「……も、もう体調は整ったのか?」


「体調……? 別にいつも通りに変わらず健康体ですが……?」


 首を傾げている私を確認した彼は、何やら手の甲で額の汗を拭っている様子。


「そうか、それなら良かっ──」



 その瞬間、私は渾身の一撃を。

 彼にお見舞い。



「──時にルーヴェイン。……今、『私のスカートの中にスライディングしたいな〜』とか思ってませんか?」


「いや、良い病院を紹介してやろうとは思ってる」


 ……しかし、彼はその様に冷たい声を使いながら、その様に素早く即答してきた。


 まるで化け物でも見るかの様な目と青ざめた顔で、シンプルにドン引きされてしまう結果となる。


 そんな彼の反応に対し。

 私は驚愕の表情を見せてしまった。


「な!? こ、この方法なら確実にルーヴェインが食い付いてくると聞いていましたのにっ……!? まさか、どこか作法を間違えてしまったのでしょうか!?」


「……え、どこでそんな噂が流れてんの? 不名誉どころの騒ぎじゃねーよ」


 すると、そんなやりとりを背後で聞いていたお母様は……。

 手にしていたタブレットをカツンと床に落とす。


「ま、まさか……! 既に恋のABCを最終段階まで済ませているザマスかぁぁぁぁーーー!? それは盲点だったザマスっっ!!」


 そして、その様にどデカすぎる声量を屋敷内に響かせてきた模様。


「こいのえーびーしーざます〜! ……えーびーしー?」


「あら! お嬢さんは知らないザマスか? 恋のABCというのはザマスね……」


「……あの、変な誤解をなさってるところ恐縮ですが……、あまりウチのカノン様に変な言葉を覚えさせないでくださいませんかね?」


 指を口元にやりながら首を傾げる隣のカノン様にコソコソと耳打ちしている母。

 そんな母を見て、ルーヴェインも額に血管を浮き出させている。


 すると……。

 それに反応したお母様は、ようやく一息つくかの様に。

 床に落ちたタブレットを拾い上げながら、コチラに話しかけてきた。


「大体把握したザマス! 貴方達はかなりアブノーマルな恋愛をしているようザマスね!」


「親子揃って勝手に深読みしていきやがって……! 『この親にして』──とは正にコイツらの為にある言葉だな……!」


 ……どうやら、流石のルーヴェインもそろそろ我慢の限界なのか。

 次第に独り言の声も荒々しくなってきている様子だ。


 しかし、そんなルーヴェインのことなどお構いなしに、お母様はマイペースに会話を進める。


「ま、短い付き合いながらに自分達のやり方で絆を育んでいるのは理解したザマスわ。……となれば、後はアメリーちゃんの本気度を【証明】してもらうだけザマスわね!」


 母が発する謎の言葉。

 それを耳にした私は、少しだけ目を細める。


「しょ、【証明】……? 何をすればいいんですの?」


 その瞬間。

 母はとんでもないことを口にし出した。


「──『ルーヴェインさんと愛の口づけをする』所をママに見せるザマスよ! 今回の所は、それを確認すれば大人しく帰ることにするザマスわ」


「「……はっ!?」」


 ……口づけ?

 つまり、キスをしろと言う事ですの?


 えっと。

 だ、誰が?


 ……まさか、私と。

 ルーヴェインが!?


 すると、私よりも先に。

 ルーヴェインが母に苦笑いを向けていた様子。


「お言葉ですがマダム……。その様なプライベートのやり取りを人前で行うのは流石に……。それに現在は勤務中の身ですので」


「そ、そうですわっ! そもそも、子供の前でそんな事が出来るわけないでしょう!?」


 便乗する様に私も声を上げると、母は暫く考え込む素振りを見せてきた。

 そして、彼女は隣のカノン様に話しかける。


「金髪のお嬢さん? このお二人に五分ほど休暇を差し上げて欲しいザマス」


「きゅーか?」


 首を傾げるカノン様。

 そんな彼女に母は人差し指を立てて説明。


「お休みのことザマスわ」


 すると、「おー、おやすみ……」少し間を置いたカノン様は……。

 すぐに満面の笑みでコクコクと首を縦に動かしてきた。


「いいよ、ざます!」


 なんと、カノン様は即答で私達に休暇を与えて下さったらしい。


 ……嗚呼、なんと心優しいお方なのでしょう。

 

 そんな事を言ってる場合では無いと頭ではわかっていたのだが、私もルーヴェインもカノン様が見せた心遣いに。

 思わず、胸を押さえてしまう。


 そして、母はカノン様の瞼に自らの手をそっと添えながら、じっと私達の方を見つめてきた。


「さぁ、これで完璧ザマスわね! 早くするザマス!」


 只今より、五分間は休暇。

 更に、母の手による物理的チャイルドフィルターが発動中……。


 つまり、全ての条件が整ってしまったと言う訳である。


 私はソワソワとしながら、隣のルーヴェインをチラッと横目で盗み見てみると、小さく舌打ちしたルーヴェインは無言で考えを見せるような仕草。


 すると、次第に。

 どこか諦めたかの様な大きな溜息を吐きだす。


「……はぁ、やむ終えまい」


 そして、彼はゆっくり。

 私の元へ近づいてきたのである。


「……ほら、さっさと目を潰れ」


「はいっ!? ほ、本当にする気ですのっ!?」


 か、彼と……。

 キ、キ、キス!?


 しかも、こんな人前で!?


 彼は正気なのだろうか。


「これ以上、こんなくだらん茶番に付き合ってられるか。適当に終わらせて、早くあの婦人にご帰宅願うぞ」


「ど、どうして私のファーストキスを、貴方みたいな最低な男に捧げねばならないんですか……!」


 私が酷く狼狽えながら抗議していると。

 彼は私の耳元でそっと囁いてきた。


「それならフリで構わん。……僕に合わせろ──」


 次の瞬間。

 彼は……。


「──……あ、あわわわわっ!?」


 私の頬に手を添えながら、母の目を誤魔化せる位置へと体勢を調整。


 そのまま、ゆっくりと。

 顔を接近させてきたのである。



 ……。



 ──私が覚えているのは、ここまでだった。


 私は全身に込められていた力を全て。

 一気に何処かへ失ってしまう。


「……は?」


 どうやら、脳内が激しく入り乱れた結果。

 私の頭はパンクしてしまったらしい。


 つまり、そのまま彼の腕に抱えられたまま、ぐったりとその場で気を失ってしまったのである。


 すると、それを見た私以外の全員が。

 慌てて私の元へ駆け寄ってきた。


「わぁー!? アメリアさ〜んっ!?」


 最後に聞こえたのは。

 華様の狼狽える様な声と……。


「あめりあ、おかおまっかっか……」


 心配そうに呟く。

 カノン様のお声であったようだ。



           *

 

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