第6話〈2〉【職場見学ですが、何か?】
『──オ、オラがそんなことする訳ねぇだっ! ソイツらがでっち上げたに決まってるだよっ! か、神に誓ってもいいだっ!』
ここは英国のとある街に聳え立つ。
──【County Court〈県裁判所〉】だ。
そして、そんな裁判所の第一法廷では。
早くも最初の裁判が始まっていたらしい。
見た所によると、どうやら法廷の中心には。
何やら『エプロンを着用した小太りの男性』と『弁護士バッチを装着する眼鏡の男性』が絶賛対面中である模様。
しかし、開廷してまだそこまで時間が経過していないにも関わらず。
エプロン姿の男性側が浮かべているその表情には、既に余裕がなくなっている。
「原告、私語は慎んで」
そんなあたふたと騒ぎ喚く小太りの男性に対し、裁判長がピシャリと注告を浴びせると……。
それを聞いた対面側の弁護士バッチを装着した男性は、流暢なテンポで会話を再開。
「裁判長、以上の通り! 彼がこの日、本社が新展開した支店舗へ訪れていたことは明らかです! 原告は巨大なブランド力を誇る我が社に地元客を奪われてしまうと焦るばかりに、この様な愚かな嫌がらせにまで手を染めてしまったのです! むしろ、『営業妨害をしているのは、我々ではなく彼らの方である』と、ここに強く主張したい!」
弁護士バッチをつけた彼はご覧の通り。
職業はそのまま弁護士だ……。
より詳しく説明するならば、訴えられた被告側の弁護を担当する『被告代理人』なのである。
彼はデカデカと引き伸ばした【ペンキ塗れの店舗風景が映し出される証拠写真】を背景に。
更にペラペラと口を動かし続ける。
「……ちなみに、勝手に他人の私有地へと侵入する行為は【住居侵入罪】にも問われますので、後ほどコチラについても是非詳しく話を伺ってみたいものですねぇ?」
ニヤニヤと笑う彼。
そんな彼は原告側の席を見て失笑し、自信満々に被告席へと踵を返す。
「まぁ、色々と申し上げましたが、彼もまた商店通りを支えてくれる心強い同志です……。コチラ側としては訴訟さえ取り下げて下さるなら、この件は水に流しましょう」
そして、被告代理人は「以上です」という発言と共に着席。
すると、そのタイミングで彼の隣……。
被告人席に座っていたとある人物が、口を大きく開けながら豪快に笑い出した。
「がっはっは! ウチの担当弁護士は本当に優秀だな!」
……大笑いしている彼は被告人。
訴訟されている側にも関わらず、派手な一流ブランドスーツと金色の前歯を被告人席で輝かせている様子である。
余裕の表れだろうか?
「よして下さいよ、社長? ……褒めて下さってるところ申し訳ありませんが、全くもって嬉しくありませんな。あの相手なら、ウチの会社にいる新人の【Solicitor〈事務弁護士〉】でも代役を勤め上げることができますよ」
ちなみに、英国の弁護士は大きく分けて二種類の役割が存在する。
一つは自らが法廷に立って弁論する。
──【Barrister〈法廷弁護士〉】……。
そして、もう一つは顧客と訴訟案件について話し合いつつ、上記の補佐に徹する。
──【Solicitor〈事務弁護士〉】だ。
……とどのつまり。
前者はベテラン弁護士。
後者は下積み中の新人弁護士と考えてもらって今は構わないだろう。
何はともあれ、そんな彼の発言でも判る通り。
この裁判は終始、被告側の優勢という訳なのである。
……それでは何故。
こんなにも一方的に原告側が押されているのだろうか?
その理由は……。
原告席を見れば、一目瞭然だった。
被告弁護士は欠伸をしつつ。
対面側で頭を抱えている原告の男に対し、冷たい視線を送る。
「そもそも大企業を相手に弁護士も立てず、『本人訴訟』なんて馬鹿な真似をしてきた時点で論外なんですよ。……資格すら持たぬ素人が、プロ相手に何ができると?」
すると、隣の社長も大きく頷いて同意を示した。
「……その通り! 金すら積めない貧乏人に未来は無いと言うわけだな! がっはっはっは!!」
そう、原告側には弁護士が不在だったのだ。
所謂、本人による自己弁護。
──『本人訴訟』で対抗している形となっていたのである。
……結果は言うまでもないが、この有様。
このままでは間違いなく。
原告側の敗訴が確定してしまう事となるだろう。
「被告代理人の尋問が終了しました。……続いて原告、何かありますかな?」
青い顔を見せる原告の男性に対し。
裁判長が優しくその様に問いかけ。
……しかし、裁判長の声が耳に入らないのか。
彼はブツブツと俯きながら狼狽えているばかりであった。
「ど、どうすればいいだっ……!? このままじゃ……、このままじゃ……、オラの店が!?」
まさに絶対絶命。
背水の陣。
すると、防戦一方であった彼は。
突然、何かを思い出した様に。
その場で俯かせていた顔をバッと上げた。
そして、おもむろに。
隣の『傍聴席』の方へと……。
その目を配らせ始めたのである。
一縷の願いを込めて。
彼が助けを求めた人物……。
そう、その人物とは──
『──次の問題ですわ、華様。……ここまでの会話中に、被告側の弁護人が『とある罪状』を口にしていました。さて、その罪状とは一体どのようなモノだったでしょうか?』
「と、とある罪状ですか? うーん……」
現在、傍聴席にて。
呑気に『英会話クイズ大会』を開催している最中である【超級使用人】のメイドであった模様。
……早い話。
つまり、私のことですわね。
折角、空き時間を利用して開催したこのクイズ大会も、いよいよ盛り上がりを見せてきた所ですのに……。
もう、お手上げですの?
私は助けを求めてきている彼の視線に気がついたが、ここは一旦放置。
先に華様の対応から済ませる事に。
「ちなみに、昨晩の授業中に話した余談の中で、少しだけその事について触れていますわ。比較的にシンプルな単語達で構成されていますので、今の華様でもきっと理解できるはずです」
そう、昨夜の授業内容は『ルーヴェインがホストファミリーを追い返した際に発した言葉』を振り返り、それを彼女に自主翻訳させるというモノであった。
加えて、その際に余談として。
彼女に【不法侵入】についてアレコレ話した覚えがある。
つまり、彼女がその事さえ覚えていれば。
英会話に不慣れであろうとも問題なくその答えに辿り着けるはずだろう。
「あっ、確かにそんな話をしてたかも! えーっと、なんだったかな……?」
「制限時間は、そうですわねぇ……。この裁判が閉廷するまでとしましょうか? おそらく、それまでにもう何度か登場するかと思われますので、よく耳を凝らして聞いてみて下さいね」
さて、彼がコチラに『合図』を送ってきているという事は……。
おそらく、『万策尽きた』という事ですわよね。
……本心を言うならば。
もう少しだけ華様の勉強に付き合ってあげたかったのですが、致し方ありません。
私はポケットから紙切れサイズの小さなメモを取り出し、傍聴席から原告席に向かってそれを指で弾き飛ばしてみせた。
すると、それに気がついた彼は。
机の下でこっそりとメモの内容を確認。
数秒後。
原告は突然。
その場で手を勢いよく挙げ始める──
「──しょ、しょーにんのにゅーていをよーきゅーしますだっ!」
……初めて口にする単語だったのか。
かなり棒読みではあったものの。
彼の発言は、キチンと周囲をざわつかせる事に成功したらしい。
「このタイミングで証人だと……? ふん、まだ悪足掻きが残っていたのかね?」
裁判長は手元の資料や周囲の人間達に確認。
やがて、無事にその申請書を見つけた彼らは……。
首を縦に振ってその要求を許可する。
そして、その承認が降りた事を最前列にて確認した瞬間……。
「それでは、参りましょうかね」
私はゆっくりと立ちあがり。
その傍聴席にある目の前の柵に。
そっと自らの両手を添えるのであった──
「な、なんだ!?」
──すると、私は体操選手の如く。
しなやかな動きで颯爽とその柵から。
飛び立ってみせる。
私の身体は放物線を描きながら、宙を舞い……。
そのまま裁判長の目の前に存在する尋問壇上へと、華麗に着地。
法廷内にいる全ての人間達から注目を集めた私は裾を持ち上げて一礼すると、何事もなかったかの様にその場でニコッと微笑んだ。
「傍聴席から失礼。……私はとある屋敷でメイドを勤めているアメリアと申しますわ。先日、原告である彼に証人を依頼されましたので、此度は隣町から足を運んだ次第でございます」
原告側の証人として指名された……。
いや、予め指名させていた私の派手すぎる登場に対し、周囲を更にざわつかせる。
……が、すかさず裁判長は。
手元の【Gavel〈ギャベル〉】を鳴らした模様。
法廷内が静まり返ると同時に。
私はその場で手を小さく上げて、淡々と誓いの言葉を。
「『これより先は良心に従い、嘘偽り無き真実のみを述べること』──ここに誓いますわ」
すると、私が証人尋問前の誓いを裁判長に言い放ったその直後……。
被告席の様子に異変が起き始めたようだ。
「メ、メイドのアメリア……? どこかで聞いた名だ……」
「はっはっはっ! 誰を呼んだかと思えば、たかが『メイド風情』のご登場か!」
どうやら、弁護士の方は私に何か思う所があったのか。
首を傾げて、少し引っ掛かりを見せていたようだが……。
被告人である社長の方は、彼とはまるで相対的。
まだ余裕そうにニヤニヤと笑みを浮かべている様子である。
勿論、この私が『メイド風情』という単語を聞き逃す筈もなく。
私は被告席に座る社長に向かって──
「──あら、貴方は下で働く人間を甘く見る節があるようですわね? 経営者ともあろう者がそんな事を言っている様では、周囲に程度が知られてしまいますわよ?」
その様に。
ニコニコと挑発を仕掛けてみせた。
「……あ?」
当然。
プライドの高そうな彼は。
易々と私の挑発に反応。
「この小娘がっ! このワシを誰だと思ってるんだ!?」
彼は私の言葉に激昂したのか。
すぐに隣の弁護士の肩をバシバシと叩く。
「おい! 早くあの生意気な小娘をこの場で黙らせてやれ! すぐに恥をかかせてやるんだ!」
しかし、弁護士の彼は無反応。
「……おい、聞いているのか!?」
残念ながら。
期待を募らせる社長の視線はもう……。
その弁護士と交わることは無いだろう。
何故なら。
激しい動揺を見せる弁護士の眼は現在……──
「あ、あの銀の髪……、それに勲章のついたメイド服……。 ま、まさか、あのメイドはっ……!?」
──文字通り。
この私が釘付けにしていたからである。
「それでは何でも聞いてくださいな。私が知っている事でしたら、どんな事でもお答えしますわ」
──────
────
──……。
原告側の証人尋問開始から。
およそ数十分後。
『主文。第一、被告は原告に対し『計二百五十万£』及び……──」
法廷内にて。
裁判長の声が鳴り響く。
そして、鳴り響くと言えば。
もう一つ……。
「……ば、ばかな……!? ありえない……! なぜ、こんな地方の民事裁判なんかに!! どうして、タイミング悪くあんなヤツがぁぁぁぁぁぁ!!!?」
被告代理人の弁護士が発する絶叫だ。
どうやら、私の証人尋問が終わると共に。
この裁判も終わりを告げたらしい。
「あ、ありがとなぁアメリアさんっ!! まさか、本当にあの大手企業を相手に裁判で勝っちまうなんてよぅ〜!!」
私は原告であるエプロン姿の彼……。
改め──『個人営業の精肉店主』から涙ながらに何度も頭を下げられたので、謙遜の意を込めて首を小さく横に振り返す。
「いえいえ。『たまたま』用事で支店の近くを通りかかった私が……、『たまたま』彼らの偽装工作現場を目撃し……、『たまたま』貴方から借りていた一眼レフカメラで……。証拠を捏造する瞬間を写真に収める事に成功しただけですわ。全ては貴方の実力です」
そう、私は証明したのだ。
大手企業側の陰湿な偽装工作と、彼らの作り上げた真っ赤な嘘を。
法廷内での『虚偽申告』は何よりも重い。
裁判官の信用を一瞬で損なう恐れがある為、極めて危険な行為なのである。
そこを突いた結果、原告側の逆転勝訴だ。
「ただ、証人出廷の謝礼と言ってはなんですが……」
私は本題に入るかの様に咳払いし、彼にそっと耳打ち。
すると、彼は自らの胸に手をドンと置き、力強く頷いた。
「わかってるだっ! 約束通り、オラんとこの自慢の牛肉達を好きなだけ持ってってくれぃ!! 何だったら、今ある店の在庫にある肉も全部! 一枚の残らずトラックで送ってやるど!」
「いえいえ、ほんの二枚ほど譲って頂けるだけで結構ですわ。極力、我が主には鮮度の高いモノだけを食して欲しいですし、何よりお店をご贔屓なされている常連様の為にも『独占』は出来ません」
私がそう返すと。
彼は胸を打たれたかの様に口に手を当てながら、更に涙ぐむ。
「……な、なんて謙虚な子だ。……気に入ったど! そう言う事なら、これからは月の頭に! ウチで取り扱ってる最高品質の牛肉を二枚づつ送り続けてやるだっ!!」
非常に素晴らしい提案。
それを耳にした私は、ようやく心からの笑みを見せる。
「まぁ、本当ですの!? きっと我が主もお喜びになると思いますわ! これからも末永く、当家を宜しくお願い致しますわね」
「すぐに店番の子に連絡を入れるだっ! ……届け先もそう遠ぐなさそうだし、今日の分はすぐに到着すると思うだよ!」
これにて今日の食材調達業務は終了だ。
これで問題なく。
今日の昼までには、屋敷で待つルーヴェインの元に食材が届くことだろう。
「うふふ、楽しみにしてますわ。……それでは、私はこれにてお先に失礼させて頂きますわね」
私は彼に深々とお辞儀を済ませて別れを告げると、優雅な佇まいと姿勢で法廷を後にした。
裁判所内の廊下へと出て少し歩き……。
角を曲がった所でピタッと足を停止させる。
そして、廊下を見渡すように。
その場で周囲を確認。
……。
ふふっ。
やりました……!
やりましたわっ!!
調達時間も予定より大幅に短縮っ!
しかも、半永久的に新鮮な高級牛が毎月配送されてくるという思わぬ追加報酬付きっ!
……我ながら、本当に完璧ですわっ!
あまりの達成感に対し。
私は思わず、誰もいない廊下で小さくぴょんぴょんと飛び跳ねてしまう。
すると、その瞬間だった──
「──アメリアさ〜ん! さっきの問題ですけど、ようやく解りましたよ〜! 多分、『breaking and entering』って箇所だと……」
突然、私の背後から。
華様がその様な発言をしながら、飛び出してきたのである。
「……っ!?」
……。
なので私は飛び跳ねさせていた身体を緊急停止。
澄ました顔で華様に視線を送ってみる。
「……あれ? 今、なんか……。スゴイ飛び跳ねてませんでした?」
華様は冷や汗混じりにそう口にしてきたが、私はすかさず首をブンブンと横に振ってみせた。
「な、何のことですか? そ、それより! 用事が終わったのなら、早く屋敷に帰らなければ!」
私は耳を赤くしつつも強引に華様の背中を押し、誤魔化す様に裁判所の裏手から外へ出ると、活気で溢れている隣町の通りに帰路を合わせる。
そして、華様と屋敷方面を目指して。
共に歩き始めるのであった。
……いつもならありとあらゆる手段を使ってでもいち素早く屋敷への帰還を目指す所なのだが、今日は華様も同行している。
加えて、珍しく予定に終われていない日である上に、幸運にも時間に猶予ができている状態だ。
このままゆっくりと家路についても問題はないだろう。
暫く並んで歩いていると。
屋敷が存在する【オールド・ロムニー】区域に足を踏み入れた辺りで、自らのメモ帳と睨めっこしていた華様が苦笑いを浮かべた。
「それにしても……。まさか、隣町の精肉店さんを法廷で勝たせる代わりに、そのお店で取り扱ってる食材を少し分けて貰うだなんて……。良くそんな方法が思いつきましたね」
彼女が見ているのは、可愛らしいマスコットキャラが表紙を飾っている小さなメモ帳。
おそらく、そこにはルーヴェインの決めた予定表が書き写されているのであろう。
「実はこの間、各地を奔走していた際にあの店の噂を小耳に挟みましてね。……上手く利用すれば食材を提供してくれそうだと踏んで、今回は介入する事を選んでみたのです」
すると、彼女は不思議そうに考え込んだ後、この様な質問を私に浴びせてくる。
「でも、お金持ちなのにどうしてわざわざこんな回りくどい事をしてるんですか?」
彼女からすれば素朴な質問だったのだろうが……。
唐突なその質問に対し、私は「えっ!?」と激しく動揺してしまった。
どうしましょう……。
華様はこの性格です。
無賃契約の件を知られてしまえば、彼女に要らぬ気を遣わせてしまうかもしれません。
「と、当家が重きに置いている理念の一つに『なるべく金銭に頼らずに生きろ』というモノがあるんですよ……」
悩んだ末。
私は彼女から視線を逸らす事を選んでしまったらしい。
「な、なるほど! お金持ちなのにお金を使わない……。庶民の私にはよく分からないですけど、何か深い考えがあるんですね〜!」
「まぁ、そんなところです……」
すると、納得した彼女は質問ついでなのか。
もう一つ素朴な質問をぶつけてきた──
『そういえば、アメリアさんとルーヴェインさんって、いつから付き合ってるんですか?』
──……。
付き合う?
付き合うってなんでしたっけ……。
……。
ああ、交際という意味ですか。
……。
……え?
誰と誰が?
私とルーヴェインが。
交際……?
「……はっ?」
その言葉を聞いた瞬間……。
私は動かしていた足をその場で停止させ、身体をワナワナと震わせた。
「私とルーヴェインはそんな関係ではありませんっ!!」
そして、あまりの悍ましさに。
私はまるで食ってかかる様に、下品にもそう叫んでしまったのである。
すると、華様はポカンとした顔を見せてきた。
「えっ? そ、そうなんですか? ……てっきり、恋人同士なのかと思ってました」
「どんなに頭を打ちつけても、あの男と付き合う未来なんてありませんわ!! 未来永劫ね!」
私が口にした、その事実に対し。
彼女は少し驚いた様子を見せたが……。
「……そっかぁ、付き合ってないんだ」
その後、何故かモジモジと手遊びの様にメモをペラペラといじり、そこはかとなく嬉しそうに頬を染めてきた。
……その表情。
どこからどう見ても安堵から来るモノ。
いや、恋する乙女のモノである。
私はどうしたものかと息を飲み、その場で腕を組みながらジトーっと華様に微妙な視線を送りつける。
「……華様、悪い事は言いません。あの男だけはやめておきなさい」
すると、率直な私の指摘に対し。
彼女は「へっ!?」と声を上げてきた。
「い、いやだなぁ〜アメリアさん! そんなんじゃないですってば! ……そもそも、私みたいな子どもなんて相手にすらされないですしね! あ、あははっ!」
しかし、そんな彼女の発する自虐的な笑い声は。
最後には彼女自身を落胆させるように終わりを告げた模様。
……間違いない。
彼女はルーヴェインに御執心であるらしい。
恋に恋しやすい年齢なのでしょうけれど……。
よりによって、どうして相手があの男なんでしょうか?
理解に苦しみますわ……。
私は冷や汗混じりに。
大きな嘆息をつく。
「……さっぱり分かりませんわ。あんな男のどこに惹かれる要素があるのかしら?」
「だって、すごく優しいですし……! クールな感じも何だか大人っぽくて素敵ですよ? ……逆にアメリアさんは普段からルーヴェインさんと接してて『素敵だなーっ』とか思ったこと、一度もないんですか?」
ある訳ないでしょう。
……と、声を大にして言いたい所だが。
そんな言葉では、おそらく彼の本性を彼女に伝えることは難しいだろう。
そこで、私は違う方法で分かりやすく。
彼のネガキャンを開始してみることに。
咳払いと共に。
私は華様の前で、一本の人差し指を突き立ててみせる。
「……例えば、近くの商店通りに『気前の良さが評判の善良な精肉店』があったとします」
「せ、精肉店……?」
彼女は少し困惑した顔を見せてきたが、私は構わずに続けた。
「ある日、その精肉店の近所に別の大手企業が新たなる支店を進出させました。更に、あろうことかその企業はその近隣地域一帯の売上を独占しようと画策し、あの手この手で罠を張って同じ競合相手である善良な精肉店を営業停止へ追い込もうとしたのです」
「……あれ? それって、さっき私達が立ち会っていた裁判のお話ですよね?」
ご明察。
今の話は、先ほど。
私達が見届けた裁判に関する話である。
そして、私はその話を持ち出しつつ。
分かりやすく彼の本性を彼女に説明することにしたのだ。
「……もし、仮に今日の私の役をルーヴェインが請け負っていたとすれば、あの男は間違いなく『大手企業側に味方していた』と思いますわ」
「え? ど、どうしてですか……?」
どうして?
そんなモノ決まってるでしょう。
それが『彼の本質』なのですから。
「両方に肩入れし、土俵際に追い込まれた企業側に手を差し伸べて上手く交渉に持ち込めば、私が得た報酬よりもより品質の高い食材を毎週単位で送付させる事だって夢ではありませんからね」
そうだ。
もし今日の私がルーヴェインだったら……。
彼は間違いなく、そうしていた筈である。
何故なら彼は……。
「目的の為には手段を選ばない。……そんな卑怯で狡猾な男なんですよ、彼はね」
おそらく、その気になれば。
彼は、悪の道にも平気で進めるタイプの人間だからである。
まだ短い付き合いではあるが、きっとそうだ。
まるで私とは正反対……。
故に相入れないのである。
「えー……、今のところそんな感じには見えないですけど」
しかし、華様にとっては命の恩人。
そのせいか、すっかり彼を信じ切ってしまっているらしい。
……普段から彼が口にしている言葉。
つまり、下品なスラングを聞き取ることさえできれば、何となく彼女も察して下さるのでしょうけど……。
いかんせん、彼女の英会話スキルがまだ未熟なせいでどうしようもないですわね。
もう少しヒアリング能力が高ければ、いつか彼の本性にも気づいてくれるのでしょうか?
とにかく、華様の為にも。
今は彼女の英会話スキルを磨くことから始めなくては……。
私は無言でそんな事を考えていると──
『──失礼するザマス、そこのお嬢様方っ!』
私達の隣にある道路……。
そちらの方向から。
その様なとある婦人の尋ね声が聞こえてきた。
「「……?」」
私と華様は揃って顔を横に向け、その声が鳴る方を確認すると……。
そこには一台の高級車。
──立派な白いリムジンが停車していた模様。
……どうやら、この車の中にいる人物が。
私達に声をかけてきたらしい。
小さく開く車窓から、再び声が響く。
「この辺りに詳しいなら少し道を尋ねたいザマスが、お時間宜しいザマス?」
丁寧な口調と上品な言葉遣い。
顔は上手く見えないが……。
言動から察するに、この婦人は道に迷っているのだろう。
「あら、丁度良いですわね。……華様、次はこのご婦人の道案内に挑戦してみてくださいな」
都合が良いと判断した私は、案内役を彼女にパスするかの様にそう微笑むと……。
彼女は緊張した面持ちでビクッと背筋を伸ばす。
「えぇ、私がですかっ!? ……で、出来るかな」
「困った際は私もアシスト致しますから、頑張ってくださいませ」
外国語を学ぶには、その国で恋人を作るのが一番早いと言われている様に……。
やはり、実践形式でどんどん話していくことが大切だろう。
……。
……あれ?
それならいっそ。
ルーヴェインと親密にさせた方が、より早く英語を覚えてくださるのでは……?
……。
……うーん?
そんな事をグルグルと脳内で考えていると。
その車の窓に向かって、何度もぎこちない英語を発していた華様がようやくコチラに帰ってきた様子。
しっかりとヒアリングができたのだろうか?
何となく自信有りげな雰囲気である。
「あら、どうでしたか?」
すると、彼女はコクコクと嬉しそうに頷いてきた。
「……多分ですけど! 『娘さんを探してる』みたいですよっ!」
あら、人探しの方でしたか。
てっきり、道に迷っていたのかと思ってましたが……。
「ふむ、名前等の情報は?」
「えっと、【アメリー】って女の子らしいです! ……髪はこの婦人さんと同じ感じの、綺麗な銀髪みたいでして!」
「……えっ?」
アメリー。
そして、銀髪。
……残念ながら、私には。
この言葉達に強い心当たりがあった。
いや、まさか。
そんな訳が……。
そう頭で言い聞かせながらも、私は恐る恐る華様の背後にある車の窓を覗き込んでみる。
すると、そこには──
「お、お母様……?」
──私の予想した通りの人物。
『私の実母』である──【アリシア・レミュルーフ】が……。
そこに座っていたのであった。
*
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