第6話〈1〉【職場見学ですが、何か?】


 現在の時刻は午前四時過ぎ。

 小鳥の囀りが疎に響き始める早朝である。


 そして、超級使用人のメイドこと私──【アメリア】の朝が始まるのも丁度、この時間帯からとなるのだ。

 

 昨日まで私の襟に装着されていた筈の【家令バッチ】が消え去れば、今は私も一人の裏方役に徹するメイド……。

 本日は家令であるルーヴェインの従順なる手駒として、彼が下すありとあらゆる命令に従わなければならない日なのである。


 ……端的に言えば『ハズレの日』である為、あまり気乗りしないのは事実だが……。

 コレも間接的にカノン様のお世話に必要な業務だ。


 ……それに、明日はルーヴェインが同じ作業をこなす番。

 例え目立つことのない裏方の立場であろうと、彼と比べられる要素が少しでも発生している以上は決して油断できない。


 ──と言う訳で、本日は。

 そんな『当屋敷の裏舞台』を中心に紹介していこう。


 まず初めは──『早朝当番』だ。

 当屋敷の裏方役である使用人は毎朝、基本的な雑用業務以外に『早朝当番』なるモノを担当しなければならない決まりとなっている。

 朝起きてすぐに行なわなければならないこの業務は、一般人でも聞き覚えがあったり人によっては馴染み深いものだろう。

 勿論、当屋敷にもそれは存在していた。


 まぁ、少し早く勤務を開始して、簡単な前準備をこなすだけなので……。

 そこまで難しい事は致しませんがね……。


 早朝業務、その一。

『貯水槽の清掃及び、補水作業』

 ──遥昔から人々の生活を支えてきた必需元素……。

 それは間違いなく『水』である。

 人間は一日に最低限の水分を摂取しなければならない事はもはや常識だが、他にも衣類の洗浄や入浴など様々な場面で大量の水を使用しなければならない瞬間が訪れるだろう。


 ……しかし、当屋敷は残念ながら。

 絶賛、【Priceless〈無賃運営〉】期間中。

 一派家庭とは違い、適当に蛇口を捻れば水道局から水が送られてくる事はない。


 その為、朝一番に当屋敷から一番近い山の上流を目指し、その山と屋敷の屋上を往復しながら貯水タンクを満タンにしなければならないのである。

 自然が作り出す新鮮な山水を採取してはまた戻り、採取してはを何度も繰り返す。


 ……山頂の空気は澄んでいて美味しいですし、非常に気持ちが良いので。

 早朝業務の中では一番好きな作業ですね。



 早朝業務、その二。

 『蓄電装置の充電作業』

 ──現代人の生活に欠かせないモノ。

 人によっては様々であるが、広い目で見れば文面の利器である【電化製品】が真っ先に挙げられるだろう。


 山から帰還すると、すぐに屋敷の一室である【蓄電ルーム】に飛び込み、その部屋で暫く重いペダルのついた電力バイクを漕がなければならない。

 これを怠れば、初日にルーヴェインが買い揃えていた電化製品どころか、屋敷内の灯りの一つすら起動しないのだ。


 ……本当ならMAXまで電力を溜めておきたい所なのだが、私たちも他の業務がわんさかと残っているので、この蓄電作業ばかりに時間をかける訳には行かない。

 結果、いつも停電直前で再びこの部屋に飛び込む事が多くなりがちである。


 ……ルーヴェインがこの屋敷の初期施工時にもう少し燃費の良い電化製品を買い揃えてくれていれば、こんな事にはならなかったのですが仕方ありませんね。

 彼もその時はこんな無賃生活を強いられるなんて予想できなかったのでしょう。

 ……正直、私もルーヴェインに対抗すべく湯水の様に電力を使ってる身なので、あまり大きな声を出せません。

 


 早朝業務、その三。

『ミーティングの用意と前準備』

 ──普通の使用人らしい仕事と言えば、ようやくここからだろうか。

 人力で屋敷を立て直した後は、早朝ミーティングの準備に向けて動き始める。


 まずは厨房に移動し、ミーティング中にスタッフに淹れる紅茶の準備。

 独自で調合したオリジナルの茶葉とティーセットと軽食を調理し、誰よりも早くスタッフルームへと前のりしなければならないのだ。


 他のスタッフに配膳するモノという扱いになる為、裏方役でありながら自身の判断でメニューを選択できるのは一日を通してもおそらく、ここだけとなるだろう。

 

 ……とは言え、ルーヴェインに私の手料理を食べさせる事が出来るチャンスは貴重ですわ。

 隙あらば実力の差を見せつけてやるにはうってつけの場となりますので、全力で挑まねば……。


 以上が、当屋敷の『早朝当番』の仕事である。


 ちなみに、ここまでの作業時間はおよそ二十五分……。

 ミーティングの開始時刻は四時半からなので、私は急いでミーティングに使用する資料とティーセットが乗った銀のトレイを運びながら、すぐにスタッフルームへと移動しなければならない。


 私はスタッフルームの前に到着すると、すぐにドアノブに手をかけた。


 そして、そのままゆっくり扉を押すと……──



『お、おはようございますっ!』



 ──その瞬間。

 まだ誰もいない筈のスタッフルームの中から、とある意外な人物の声が聞こえてきた。


 どうやら、部屋の中から放たれた声の言語種は母国のモノではなく、【Japan〈日本〉】のモノであった模様……。

 つまり、この声の主は確実に『あの人物』だろう。


「は、華様ですか……!?」


 私は少し驚きつつも反射的に言語を母国語から日本語に切り替え、そのまま恐る恐るドアを開け切った。


 すると、そこには私の予想通り。

 日本からやって来た留学生──【西園寺 華】さんが既に入室を済ませていたのである。


 彼女は私の顔を見るなり、腰掛けていた椅子から慌てて起立し、少し緊張した面持ちでそのままペコっと頭を下げてくる。


「す、すみません。許可なく勝手に入っちゃって……」


 彼女は急遽、この屋敷に滞在する事が決定した日本人留学生だ。


 私とカノン様の丁度中間を取った辺りの小さな身長。

 両肩には可愛らしい林檎のヘアゴムが付いた二つ結びのおさげ。

 会話を交わさずとも何となく素朴さが滲み出ているほんわかとした良い子オーラ。


 よく言えば、安心感。

 悪く言えば、平凡感。

 ……そんな、色々と極々普通のスペックを持った中学生一年生の女子である。


 名目上は私をホストファミリー主……。

 そして、この屋敷をホームステイ先として正式に彼女を受け入れているのだが。

 実際のところ、ここだけの話……。

 彼女を引き取ったのには別に理由があった。


 そう、彼女を受け入れた最大の理由は、当屋敷で深刻化している『調達業務の供給不足』問題の解消の為である。

 この問題を解消するには、類稀なる側付き難易度を誇るカノン様の世話が出来るシッター係を雇い、私とルーヴェインが二人同時に外出できる状況を無理矢理にでも作り出すしかない。

 

 ……本来なら迷わず求人を出している所なのだが、残念ながら今の私達は給金が出せない状況である上に、そう易々と根気よくカノン様を見張れる人物など見つかる訳がない。


 しかし、そんな時にルーヴェインが偶然拾ってきたのが彼女だった。

 そして、彼女は意外なポテンシャルを私に見せてくれたのである。


 なんと、彼女は初見にしてあの難解さを極めるカノン様の子守りを、約二時間弱も勤め上げた猛者なのだ。


 彼女の律儀さとバイタリティ。

 つまり、彼女の奉仕能力の高さと忍耐力には目を見張るモノがある。

 

 私が彼女を評価している点は正直、そこに全て収束していると言っても過言ではない。


 ……常人では到底心が折れてしまうであろう業務に対し、逃げ出す所か言い訳一つせずにやり遂げる素晴らしい人材……。

 このまま逃すには惜しいと強く感じた為、思い切ってスカウトに踏み切ったと言う次第だ。


 彼女の伸び代なら後々、私とルーヴェインが二人同時に資材調達や裏方業務に出動できる日が訪れるだろう。

 そうなれば屋敷の資材不足や慢性的電力不足が解消されるだけでなく。

 外出先でルーヴェインに何かしらの勝負をふっかける事だって夢ではない。

 

 つまり、彼女は私からすればまさに。

 救世主の様な存在なのである。


 ……しかし、昨日から屋敷にやってきたばかりの彼女が何故、このスタッフルームに居座っていたのかは不明だ。

 私は首を傾げながらも、素直にその事について問いかけてみることに。


「……あの、この様な早朝からこんな場所で、一体何をなさっていたのですか?」


「い、いや〜。 昨日、アメリアさんが『毎朝、ミーティングを開いてる』って言ってたので、私も出席した方がいいのかなぁーって」


 実は昨晩、彼女の要望もあって。

 早速、初日から家庭教師役を務めたのだ。


 確かに、教鞭を振るっていた最中に。

 雑談として彼女へそんな話をした覚えがある……。


 まさか、自主的に参加してくれるなんて……。

 やはりバイタリティに満ち溢れてますわね、この子。


 ……しかし、いくら何でも初日から働かせるのは如何なものだろうか?


 正直な所、失礼な話ではあるが彼女はカノン様を監視する能力以外は普通に年相応レベルのスキルしか持っていない。

 つまり、私達がこなすレベルの通常業務を任せるには、少々不安要素が残ってしまうのだ。


 そう言った意味も込めて、昨日の夜に予め『その時間帯周辺は忙しい』と遠回しに伝えたつもりだったが……。

 どうやら、逆に気を遣わせてしまったらしい。


 私は困った様な笑いを浮かべながら、華様に言葉を返す。


「あの……、華様は一応『ゲスト』と言う立場で当家にお迎えしております。……ですから、無理に私達の仕事に干渉する必要は無いのですよ? 昨日も申し上げた通り、ほんのたま〜にカノン様の子守りを代行して頂くくらいで充分……──」


 しかし、華様は納得がいかないのか。


「──でも! たったそれだけしか貢献できないなんて流石に申し訳ないですよっ……! 一応、お給料も貰ってる立場ですしっ!」


 ……と、食い気味に抗議。

 

「お給料とは言いますが……、ただ華様の私生活を最低限サポートしているだけですわよ?」

 

「ちっとも最低限なんかじゃないですよ! こんな豪華なお屋敷に住まわせてくれるだけでも有難いのに、主であるカノンちゃんとほぼ同等に近い待遇まで受けさせて貰ってるんですよ!? しかも、めちゃくちゃ分かり易い家庭教師付き! 何もせずにこんな高待遇を受けてたら、そのうち罰が当たっちゃいそう……」


 どうやら、彼女の意思は固いようだ。

 せめて、私が家令の時だったら、まだ考える余地はあったんですがね……。


 私はスタッフルームに飾っている時計をチラチラと確認しながら、冷や汗混じりの笑顔を見せる。


「そ、それなら! せめて明日から勤務を開始して下さいませんか?」


「え? どうしてですか?」


 どうしてですって……?

 そんなの、理由なんて一つしかないでしょう……!


 私は少し声のトーンを落としながら、華様に耳打ちをする。


「……ここだけの話、本日の英国は【悪魔の日】と呼ばれる不吉な日なのです」


「あ、悪魔の日っ!? この国って、そんな物騒な日があるんですか……!?」


 そうなんですよ。

 一日おきにね。


 ……と言いたかったが、ここは喉に留める。


「はい。今日は国内中で【血の通わぬ悪魔】が蔓延りやすい日なんです。……そして、それは当家も例外ではありません」


「なるほど。……あ、悪魔払い的な話なのかな……?」


 華様は少し動揺しながらも、その様に勝手に解釈してくれた様子。


 ……よしよし。

 この調子で言いくるめて、このまま今日は部屋に戻って貰いましょう。


 嘘をお許し下さい。

 コレも貴女の為ですわ。


「その通りです。一般人である華様の事をボロ雑巾の様に扱って来る悪魔が、もうじきここに現れるかもしれません。ですから、すぐにここから逃げ──」


『──誰が悪魔だ。朝から喧嘩売ってんのか?』


 すると、私の背後から。

 この様なドスの効いた声が発せられた。


 唐突に発せられたその声に対し、私は思わず「ひゃぁ!?」と高い悲鳴をあげてしまう。


 そして、その場でゆっくり背後を振り返ってみると……。


「朝から楽しそうだな」


 そこには、本日の家令である執事──【ルーヴェイン】が腕を組みながら立っていたのである。

 い、いつの間に……。


「あ、おはようございます! ルーヴェインさん!」

 

 ルーヴェインは細くしていた目線を私から外し、その様に挨拶を告げてきた華様に爽やかな笑みをかける。


「はい、おはようございます。……おや? もしや華殿も我々のミーティングに参加なさって下さるのですか?」


「はい! す、少しでもカノンちゃんや皆さんのお役に立ちたいと思いまして!」


 ルーヴェインの疑問の声に対し、華様は少し緊張した様子でドギマギと返答。

 すると、それを聞いたルーヴェインは「ほう……」と感心の声を上げた。


 そして、華様が身にまとっている私が仕立てた見習いメイド服を眺めた後、少し間を置いてからニコッと微笑む。


「それは素晴らしいですね。……割烹着姿も素敵でしたが、メイド服姿も良くお似合いですよ」


 ルーヴェインの笑みを見た華様はあっという間に顔を真っ赤に変化させてしまい、次第にプシューと顔から湯気を放ち始める。


 一応、華様も多感な年齢の少女。


 当然と言えば当然の反応かも知れませんが……。

 それを差し引いても、少しルーヴェインを意識しすぎではありませんか……?


 騙されてはいけませんよ、華様。

 ……その男は『華様を使い捨てようとしてた張本人』ですからねっ!?


 ……それに彼も彼です!

 華様が元ホストファミリー達に連れて行かれる直前に、私が『あの子はカノン様が作った初めての友達』だと伝えた途端……。

 『……それは話が変わって来る!!』とか叫びながら、慌てて後を追ってましたわよね……?


 あの時のダサすぎる後ろ姿を。

 今の彼女に見せてやりたいですわ!


 私は冷たい視線をルーヴェインの笑みに向けていると、彼は何事もなかったかの様にそのままホワイトボードの前に移動した。

 

「さて、ではそろそろ本日のスタッフミーティングを始めるぞ。まずは各従者が行うスケジュールを通達していくので、各自この場で共有し合ってくれ」


 そうこうしてる内に、時刻は四時半。

 いつの間にかミーティングの時間が訪れたようだ。

 ルーヴェインは号令をかけると、ホワイトボードに素早い動きでペンを走らせていく。


 ミーティングの内容は毎度、スケジュール面について話すことが多い。

 家令が前日に考えた秒単位の念密かつ効率的なスケジュールを発表し、その場でそれぞれの仕事内容を共有しあうのが主な目的である。


「……?」


 ……しかし、なんでしょう。

 いつにも増して彼の持つペンの進みが異様に遅い気がしますわ。

 華様がいることによって、急遽スケジュールを日本語に変換しているから?

 いや、それにしても遅すぎる……。


 すると、私の違和感通り。

 彼は思ったよりも早くに踵を返し、早々にペンに蓋を被せ始めてしまった。


 結果……。

 目の前には『少なすぎる密度のスケジュール表』だけがボードに残る。


 私は用意していた二人分の紅茶と軽食代わりのスコーンをルーヴェインと華様の前に置きながら、少し眉間に皺を寄せた。


「あら、今日はたったそれだけですの?」


 彼がホワイトボードに書いた内容は。

 私とルーヴェインが本日行う予定のスケジュールを文体のみで表したモノだった。


 開始と終了の何時何分何秒。

 どこで、何を目標に動くのか……。


 そんな事を事細かく記載されるはずなのだが、明らかにいつもより全体の文量が少ない。


 私と華様は席につきながらテーブル越しにそれを呆然と眺めていると、ルーヴェインが苦々しい顔で椅子に着席し、目の前のティーカップに口をつける。


「……どうやら、祝日が悪い方向に噛み合わせたようだ。物流の一部が停滞してしまうせいで、この周辺地域で目当ての物資を狙い撃ちする事ができそうにないらしい。だから、今日の調達業務は食材関連だけで構わん」


 そういえば、今日は【悪魔の日】……。

 ではなく……、祝日だ。


 それを思い出した私は納得し、溜息を吐いているルーヴェインの対面側からこの様な提案。


「仕方ありませんわね。……それなら、残りの調達時間を事務作業の方へ使いましょうか?」


 空いた隙間時間を有効活用しようとした私であったが、ルーヴェインは首を横に振ってきた。


「いや、それも必要ない。お前も昨日手をつけた際に何となく感づいただろうが、屋敷の細かい事務作業もようやく底が見え始めているようだ。そこまで数も多い訳ではないし、あの程度ならば僕一人でも片手間にやれるだろう」


 却下された私は、机の上でつまらなそうに頬杖を立てる。


「……はぁ、珍しく暇な一日になりそうな予感ですわねぇ」


「まぁ『今までが忙しすぎた』と考えるしかあるまい。……それに、カノン様の神童化計画に費やす時間が確保できるなら、それはそれで好都合だろう」


 そして、私とルーヴェインはその様に言葉を交わし。

 議論に一区切りをつけようとしていると……──



「──……あのっ、ちょっと良いですか?」


 突然、隣の華様が手を上げた。

 先に反応を見せたのは勿論、議長であるルーヴェインだ。


「ど、どうかなさいましたか? ……もしや、どこか不明瞭な点でも?」


 ルーヴェインは日本語が敷き詰められたホワイトボードを振り返り、再度確認する。

 なので、私も釣られて確認してみた……。


 しかし、特に目立った誤字や不備などは見当たらない。


 すると、彼女は平然とした私達を見ながら汗をダラダラと流し、ゆっくりとホワイトボードに震えた指を差し始める。


「いやコレ……、このスケジュール量は明らかにおかしい──」


「──あ、配慮が足らず申し訳ございません。……すぐに学生の華殿にも見やすい様に『円グラフスケジュール』へと書き直しましょう」


 そんな彼女の様子を見たルーヴェインは何か察したのか、文面のみで構成されたスケジュール表が敷き詰められたホワイトボード……。

 その隣の二枚目の予備ボードに、円グラフによる時計型スケジュール表も書き加え始めたのであった。


 なるほど、文面でのスケジュール表に慣れていなかったのですね。

 確かに日本人の受験生は良く円グラフ型のスケジュール表を自作すると聞いた事があります。


 ……が、華様は手をブンブンと横に振る。


「いや、違いますっ! 見やすさの話とかじゃなくてっ!! ……というか! 今書いてくれてるその円グラフも、予定がギチギチ過ぎて文字被りまくってるじゃないですか!? もはや書いてる事が何一つ理解できないんですけどっ!?」


「「……えっ?」」


 その言葉で。

 私とルーヴェインはようやく気がついた。

 華様が困惑していた理由に……。

 

 ……そう、私達は忘れていたのだ。

 世の中の『普通』と言うモノを。


 ルーヴェインが提示したスケジュールは『AM〇〇、朝食』、『PM〇〇、清掃』などかなり簡易的な表し方だった上に、今日は華様が参加していると言う事もあって漢字を用いて記していた。


 つまり、かなり縮小化した文体で記載されているということ……。

 ……しかし、それでもホワイトボードを縦から横までギッシリと埋める程の物量を見せていたのである。


 いつもはホワイトボードの裏面……。

 酷い時は隣の予備ボードまで使用していたので、比較的に『今日は暇だ』と口にしてしまっていたが……。

 どうやら、一般的な女子中学生である華様にはとても受け止めきれなかったらしい。


 現在もプルプルと小動物の様に震えながら、ルーヴェインの書いた『裁縫針の様に細く刻まれている円グラフスケジュール』を見てドン引きしている様子である。


「……あの、こんな『まだ見ぬヤバめのウイルス』みたいなスケジュール表見たことないんですけど……。このお屋敷ではこれでも暇な方なんですか……?」


 華様の苦笑い。

 それを見て、私達は一斉に顔を見合わせた。


「まぁ、いつもはコレの倍くらい仕事量が増えますので……」


「ええ、忙しすぎて午前中の間は瞬き一つしてる暇もございませんわ。本来ならこの円グラフも文字で埋め尽くされて、只の『黒い球体』と化していることでしょうね」


「もしかして、英国には『労働基準法』とかないの……?」


 三人の間に、妙な空気が流れる。

 ……が、家令であるルーヴェインが咳払いを挟んで、何とか空気を戻した。


「まぁ、我々はプロ中のプロですのでこの位で音を上げる事はございません。……それに、元より華殿には軽めの補助係やお手伝い程度の事しかお任せするつもりはありませんので、どうかご安心下さい」


 すると、どこかホッとした表情を見せる華様。

 ルーヴェインはそんな華様から、私に視線を切り替えてくる。


「という訳で、アメリア。今日は午前中の間だけ華殿と共に行動し、この屋敷について色々と教えてやってくれ」


「は、はい!? 私がですかっ!?」


 意外な命令だ。

 そもそも、彼はもっと彼女を雑にコキ使うだろうと予想していたのだが……。

 やはり、カノン様関連になるとこの男は甘くなるのだろうか?


 彼と視線を交した私は、思わずその場で目をパチパチとさせてしまう。


「べ、別に構いませんが、今日は朝から食材調達で外出する事になりますわよ……?」


「お前の調達業務の様子を近くで見学させ、ウチで行われている仕事の流れだけでも把握して貰うんだ。……裏方事情を知ってくれていた方が今後、コチラも多少は動きやすくなるだろうからな」


 ……やはり意外だ。

 彼女を馬車馬の様に働かせられないとしても、彼なら『自身の手駒』にしよう懐柔を計画するはず……。

 まさか、また何かまたくだらない妨害工作でも考えているのだろうか?


 私は少々探りがてら、軽く挑発を仕掛けてみることにした。

 

「……ふふ、いいのですか? 私の仕事ぶりを先に見せつけてしまえば、後々誰かさんと比べた時に失笑してしまうようになるやもしれませんわよ?」


「華殿に関しては、同職種であるお前に任せた方が都合が良いだろう。……僕は【超級使用人】ではあるがベースは執事だ。メイドの作法は教えられん」


 しかし、その様に軽く遇らわれてしまう。


 ほ、本当に何もないのでしょうか……?

 まさか、過去の行いで天罰が下った事に反省を見せている?


 私が微妙な顔を彼に向けていると、ルーヴェインは続けてミーティングのまとめに入り出す。


「我々の目的はただ一つ。主君であるカノン様を笑顔にすることだけだ。心優しき主の為にこの身を捧げ、怪我一つ負う事なく己の役割を全うしてみせろ、以上だ」

 

 そして、私達に檄を飛ばし終えるや否や。

 彼はすぐにスタッフルームの扉を開けて、姿を消してしまった。


 残された私は空になった食器類を回収しながら、隣にいる華様の様子をチラッと横目で見てみる。


「よーし、頑張るぞぉ〜……!」


 どうやら、意気込みは充分な模様。

 その様にやる気を見せている彼女に対し、私もようやく気持ちを切り替えることにした。


「さて、私はパパッと軽い雑務を片付けて参りますので……。その間に華様は外出準備を済ませておいて下さい」


「はい! ……えーっと、まずは……『食材調達』でしたっけ?」


 華様はホワイトボードをまじまじと見つめながら、これから行う仕事内容を口にしたので、私もそれに対して頷く。


「ええ。一緒に屋敷の外に出て、本日のお昼に使用するメインの高級食材を手に入れるのです」


「へぇ、高級食材かぁ……! いつもどんな場所で購入してるんですか? ……もしかして、セレブ御用達の会員制市場とかあったりするのかなぁ!」


 高級食材の入手法。

 彼女はそれが気になっている模様。


 何やら期待に胸を膨らませているらしいが、残念ながらその予想はハズレ……。

 私達はカノン様との契約により金銭の使用が一切禁じられていることから、外部にある市場で食材を手に入れる事は出来ない。


「いいえ、違いますわ。……ヒントを上げましょうか」


 なので、私は先ほどルーヴェインが立っていたホワイトボードの前に移動し、そのままそれをクルッと裏返した。

 そして、裏面の真っ白いボードに『とある五文字の英単語』をキュッキュと書いていく。


「私達が高級食材を手に入れる為に今から向かう場所は……、ここですわよ」


「──えーっと……、しー、おー……?」


 私は……。

 自分が記入したホワイトボードの英単語を眺めている華様を見て。

 クスッと笑みを溢した。


「【court】──と、読むんですよ。……では、また後ほど」


 ──そして、そんな言葉を残し。


 私は部屋を後にしたのであった。



           *

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