第5話〈6〉【華の日本人ですが、何か?】


 甘い花々の香りに包まれた庭園広場。

 そんな夕陽の差し込む絢爛豪華な美しき庭園のど真ん中にて。

 私──【西さいおん はな】は……──



「──You had us worried! Oh,My daughter!〈心配したぞ! 嗚呼、我が娘よ!〉」


「It's a real relief. We looked for you a lot! 〈本当に良かった! あちこち探したのよ!〉」


 現在、目の前にいるこの二人組──ホストファミリーである英国人夫婦達に挟まれながら、ひたすらに虚無を纏っていた。


「……」


 出会い頭から少々食い気味に繰り広げられている彼らのマシンガントークは、今となってはもはや雑音にしか聞こえない。


 初めは懸命にヒアリングを試みていたのだが、こちら側に全く配慮が感じられない超高速英会話に成す術もなく。

 今はただ、ボーッと細い目を向けながらその場で突っ立っているだけである。


 すると、そんな私の背後に立っていた執事のルーヴェインさんが、死んだ目を浮かべている私の背に向かって棒読み日本語を投げかけてきたのであった。


「『いやー、今朝は意見が割れて【ちょっとだけ衝突してしまった】が、何もこんな所まで来る事はないだろう。あっはっはっはー』……と、申しておりますね」


 おそらく、今のはホストファミリーであるパパの言葉を日本語に翻訳したものだろう。

 どうやら、私が諦めてしまった日本語訳を代わりに務めてくれるようだが……。

 その翻訳文に若干の違和感を覚えてしまう。


 ちょっと衝突した?

 一方的に怒鳴られた記憶しか無いんだけどなぁ……。


「……へぇ、……そうですか〜」


 私は気の抜けた様な生返事を口にすると、そんなルーヴェインさんに続く様に彼の隣にいたメイドのアメリアさんも同じく……。


「『本当よ、こんな何もない隣町まで来る羽目になるなんて思わなかったわ。……全く、喉が渇いてもペットボトルの一本すら買えないじゃない』……と、申しておりますわね」


 ホストファミリーであるママの言葉を代弁し始める。


 ……えぇ。

 そんな事言ってたの……?


 こっちは一方的に追い出された挙句、極め付けには変なオジサンに誘拐されかけたんだよ?

 ルーヴェインさんから電話で聞いてる筈でしょ……!

 本当にきちんと反省して欲しいよ……。


 あ、全然ダメそう……!?

 なんか、化粧ポーチからおもむろに手鏡取り出したよ!?

 このタイミングでお化粧直し!?

 

 色々と不満を募らせるばかりであったが、それでも私はとりあえず黙って待つ事を選択した。


 ……そう、私はまだ。

 彼らの口から『あの言葉』が出てくる事を信じていたのである。


 『ごめんなさい』──。


 この、たった一言の謝罪の言葉を……。


 悪いことをしたならば素直に謝る。

 仲を違えたならばキチンと仲直りをする。

 これは、唯一人間に与えられたと言っても過言ではない、コミュニケーション術の一つである。


 そして同時に。

 誰もが物心をついた頃に習うであろう、大切な処世術の一巻でもあるのだ。


 コレばかりは、流石に万国共通の事だと信じたい。


 ……確かに彼らの対応はかなり酷かった。

 酷かったがそれでも大人である。


 そして、私だってもう中学生だ。

 不満があるからと意固地になり、拗ね続けるばかりの年齢でもない。


 強引に家から追い出した事への謝罪だけでもこの場で示してくれるのであれば、コチラもとりあえずは頭を下げて再び彼らに歩み寄ってみようと考えていたのだ。


 ……うん。

 ……と、思ってるんだけども。


 今の所、まだそれらしき言葉は何も言ってないよね?


 とりあえず、こっちに非が無い以上は待つんだよ、華!!

 謝罪の言葉が私の耳に入ってくるまで……。

 ひたすら待とう、ホトトギスだよ!


 ……と言う訳で。

 そう考えた私は再び、自身の背後に立っている使用人さん達に向かって、自らの耳を傾け続けることに。


 彼らの口を通して『私への謝罪』が告げられるその時まで。

 ただひたすらに。


「「……」」


 ……。


 しかし、私の期待とは裏腹に。

 彼らの日本語訳が唐突に途絶えてしまった。


「……?」

 

 あれ?

 ……ルーヴェインさん達。

 どうして、急に翻訳するのを止めちゃったのかな……?


 ……と言うか、よく見たら。

 なんか目の前にいるパパ達も、いつの間にかシーンとしてない?

 どうして全員、私の顔を見つめながらジッと黙り込んでるの?


「……あれ?」


 私は辺りをキョロキョロと見渡す。


 すると、夫婦と使用人二人の視線。

 そして、ルーヴェインさんの足を壁にする様にコチラを覗き込むカノンちゃんの視線。


 計五つの視線が。

 私に向けられていた事に気がついたのだ。


 ……。


「……へっ!? もしかして、今ので翻訳終わりっ!?」


 私はまさかと思いながらも、背後に立つ使用人さん達に向かって勢いよくグインと首を回すと、彼らがコクコクと頷いている姿が目に入った。


「……ええ。最初から振り返っても、特にそれ以上に目立った発言はしておりませんでした」


 嘘でしょ……。

 まさか、この期に及んで謝罪無しパターン!?


 ……というか、ペットボトルの報告いる!?

 私が拉致されかけた件よりも、そっちの方が目立ってたの!?


 もはや何事もなかった様に振る舞ってきているホストファミリー達に対し、私は酷くドン引きしてしまった。


 うわ、本当だ。

 よく見たら二人とも無言になってる……。

 勝手に帰宅ムードへと突入してるよ……。


 そんな二人を見て、私は大きな溜息を吐いた。


「もういいです……」


 ……まぁ、正直な所。

 終始ヘラヘラとしていた彼らの表情を見ているだけで、何となくこうなる予感はしていた。

 彼らの中に最初から『自分達に非がある』等と言う自覚は一切ないのだろう、と。


 ……流石に私が隣町まで歩いてきたことに若干の面倒さを醸し出してきた点に関してだけは全く予想できなかったけど……。


 私は全てを諦めるように肩を落とし、その場でクルッと身体を回転させてルーヴェインさん達の方へと向き直した。


 そして、笑顔で少し頭を下げる。


「今日は本当にありがとうございましたっ! 見ず知らずの私に色々として下さって、本当に嬉しかったです!」


 すると、アメリアさんが私の代わりに預かってくれていたキャスター付きのキャリーバックを引き渡しながら、少し困惑した表情を見せてきた。


「ほ、本当に彼らの元へ戻るつもりなのですか?」


「はい。……このまま留学を続ける為にも、これ以上騒ぎを大きくする訳にはいきませんしね」


 私は彼女からキャリーバックを受け取りながら、チラッと彼女の隣に立つルーヴェインさんの方に目線を送ってみる。

 すると、彼はニコッと微笑みながら興味なさげに会釈を返してきたのであった。

 

 ……あはは。

 それにしても、まさか私の居場所を勝手にバラされちゃうなんて思わなかったなぁ……。


 でも、仕方ないよね。

 私が留学を続ける為には、これ以外の方法なんて見つからないもん。


 ……でも。

 ちょっと酷いなぁ……。

 もう少しくらい、何か別の方法を考えてくれても……。

 

 私が心の中でその様に呟いていると──


 

『何か期待していましたか?』



 ──突然、ルーヴェインさんはそのまま微笑みながら、私の目を見てそう発言して来た。


 笑顔であるその温かい表情とは対称的。

 彼の言葉からは温度は感じられない。


「え……?」


 唐突に放たれたその冷たい言葉に対し、私は一瞬だけ驚きの表情を浮かべしまう。


 そして、それと同時に……。


 私の中にほんの少しだけ。

 小さな怒りの感情が芽生えたらしい。


 争いごとが苦手。

 普段からかなり温厚な性格。


 昔からその様に周囲から言われ続けていた大人しい私の中に……。

 今確かに、怒りの感情が芽生えている。


 ただ、裏を返せば。

 この怒りこそが紛れもない──『他人に期待していた証拠』となってしまっているのだ。


 確かにルーヴェインさんの言う通り。

 私は、少し心のどこかで彼らに期待していたのかもしれない。


 このまま何もせずとも、大人であるルーヴェインさん達が私のことを助けてくれるだろう、と。


 あまりにも考えが甘すぎる。

 『もう子供では無い』と事あるごとに言い聞かせていたくせに……。

 肝心な時だけ。都合の良い時だけ。

 

 私は、子供へと退化していたらしい。

 

 その一言で全て気付かされてしまった私は、徐々に自身の不甲斐なさに気づき始める。


 すると、途端に自分自身に恥ずかしさを覚えたのか、居た堪れなくなった私はその場でキャリーバックを握る手に力を込めてしまった。


「……お世話になりました」


 そして、英国に来て初めて……。

 いや、数年ぶりに。

 少し固い表情を見せてしまった私は、ルーヴェインさんの視線から逃げる様に彼に背を向けた。


 そして、コロコロとキャリーバックを転がしながら足を動かす。


 勿論、足先が向くのは……。

 目の前にいる私を追い出した張本人達。

 

 最低なホストファミリー達の元だ。


「……?」


 ……しかし、去り際。

 キャリーバックを握りしめていた手が、ほんのりと暖かさに包まれた気がした。


 そう、誰かに手を掴まれたのだ。


 私はその温もりに驚いてしまったせいか思わずその場で足を止め、不自然に温度を持ち始めた自らの手元へと視線を落としてみる。


 すると、私の足元から。

 一つの細い声が放たれていた──



「Hana〜……」



 ──足元にいたのは、金髪の小さな女の子。

 そう、カノンちゃんだった。


 彼女の表情はどこか寂しそう。


 ……おそらく、幼いながらにも。

 この屋敷からもう間もなく、私が出て行く事を察し始めたのだろう。


「……カノンちゃん」


 感情の整理が追いついていない私であったが、ニコッと無理に笑ってみせた。

 そして、転がしていたキャリーバックを横に立たせ、カノンちゃんと向き合うようにその場でしゃがみ込む。


「カノンちゃん、今日は楽しかったねっ! また会いに来るから……、その時はまた、絶対に遊ぼうね……!」


 すると、背後のアメリアさんはそんな私とカノンちゃんの姿を尻目に。

 彼女の隣にいるルーヴェインさんに向かって、ボソッと何かの言葉を投げかけていた。


「──Are you going to leave her alone?〈良いのですか? 彼女を放っておいて〉」


 アメリアさんが発した言葉。

 それは彼女の母国語で放たれたらしい。

 よって、まだ英語が不慣れな私には上手く聞き取れない。


 この時、唯一私にも理解できた事といえば……。

 その後に返されたルーヴェインさんの返答が──



『……ああ。当の本人はこの現状に対し、特に変化を望んでいないようだからな』



 ──何故か、日本語だったことだけである。


 変化を望んでない……?

 どうしてそう思うの……?


 少し大きく発せられた彼のその言葉は、私の核心を突く鋭い言葉だった。

 本当は「そんな事はない」──と、強く言い返したい。

 しかし、私にはそれすらできないのである。


 何故なら、私は……──



「……あはは」



 自分でも情けなくなるほど。

 『気が弱い』のだ。


 その証拠に、今も……。

 堂々とした態度のルーヴェインさんに対し、目を合わせずに小さく愛想笑いをしている始末である。


「本日は誠に有難う御座いました。どうか気を付けてお帰り下さいませ」


「……はい」


 ルーヴェインさんの放つ愛想の無い別れの挨拶を浴びせられた私は、小さな歩幅で前方のホストファミリーであるパパ達にゆっくりと近づいて行く。


 二人の元へ徐々に歩みを寄せて行くと、目の前のパパとママは揃って微笑んでいた。


 ……微笑んだのだ。


 間違いなく、その筈だった。


「……っ!?」


 彼らの近くに到着した時……。

 私は初めて気づいてしまった。


 その笑顔はどうやら──



 『Can I talk to your dad when I get back? 〈帰ったらパパと話そうね〉』



 ──全く笑っていなかったらしい。


 あの車に乗せられた瞬間……。

 また今朝みたいに、たくさん怒鳴れるのかな……?

 嫌だなぁ……。


 どうしてこうなっちゃったんだろう。

 変に下手に出過ぎたから?

 嫌なことを嫌と言わず、なんでも笑って従ってたから?


 私は良い子にしているのに。

 

 どうして……?

 

 ……。


 もういいや。


 ──この時、私は本当の意味で。


 全てを諦めてしまったようだ。


 私はパパ達の後についていく飼い犬の様に。

 屋敷の敷地外に停車させてる車へと目指して、感覚の無い足を門へと向かわせるのであった。


       

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