第5話〈5〉【華の日本人ですが、何か?】
隣町の平原地帯に聳え立つ大きなお屋敷。
私は今、その一階に存在する──【ゲストルーム】に足を踏み入れていた。
私がこの立派なお屋敷に訪れてから、真っ先に案内されたのがこの部屋であり。
キャリーバック等の荷物を置かせて貰っているホテルの一室の様なこの豪華な部屋にて、現在は束の間の休息を取っている最中である。
そして、私が手に持つシルバー製のスプーンが掬ったのは、アメリアさんが用意して下さった三時のオヤツ──【ティラミス】だ。
スクエア型に切り取られたスイーツの表面には黄金に輝く美しい金箔がふりかかっており、全体的に暗い色調となっている本スイーツのチョコムースとコーヒーパウダーの上で、それが美しく輝きを放っているのが非常に特徴的である。
ティラミスか〜……。
小学生の時にお母さんが食べてたのを一口分けて貰った事があるけど、当時の私には苦すぎたのか、あまり美味しかった印象は無いなぁ……。
しかし、そんな先入観が拭えなかったが、どうやらそれもただの杞憂だとすぐに気付かされる。
目の前にあるこのティラミスだけは、あの時に食べたモノとは全くの別物。
そのせいか、私は無意識にもう三つ目のおかわりにまで手を付けていた程であった。
そっかそっか〜。
私も、もう中学生になる歳だもんね!
知らない間に味覚方面も成長してたのかも!
……。
ううん、違うよね……。
本当は解ってるんだよ……?
私の味覚が大人になったんじゃなくて、ただアメリアさんの料理の腕が凄まじく良いだけの話なんだってことくらい……。
うん、そうに決まってる。
だって、私は所詮……。
所詮……。
『──……あの、華様?』
ゲストルーム中央に配置された上等そうな赤木テーブル。
そのテーブルを挟んだ向かい側から、とある女性の心配そうな声が聞こえてきた。
その声の主は、この立派なお屋敷に住む外国人の若いメイドさん──アメリアさんだった。
彼女は私の対面にて、カノンちゃんの口にティラミスの乗ったスプーンを定期的に運びながら、目の前でズーンと沈み続けている私に気遣いを見せる。
しかし、その呼びかけに対して、私は気の抜けた返事をすることしか出来なかった。
「……はい、華です。……『子守り』一つすらまともにできず……、あろうことか命を落としかけたお子ちゃまこと、華ですよ〜……」
原因は言わずもがな、直前に犯した大きなミス──『カノンちゃんの子守りを失敗した』という精神的ダメージによるモノ。
「子守りは得意ですっ!」とか豪語しておきながら、その子守り対象であるカノンちゃんにあわや引導を渡されかけるなんて……。
本当に恥ずかしい……。
当然、私が取るべき行動は猛省の一択。
「……」
……しかし、目の前に用意されたお茶菓子が美味しすぎるせいで、食べる手が止まらないのもまた事実。
結果、まるで生気を失った様に虚空を見つめながら、ひたすらティラミスをパクパクと食べ続ける奇妙な女子中学生の図が完成してしまったという訳である。
そんな私の姿を見たアメリアさんは、冷や汗混じりのぎこちない笑いと、フォローの言葉を投げかけてくる。
「き、気に病む必要はありませんわ。此方側も『そろそろ、何かしらの理由でどちらかが死にかける頃だろうな〜』……とは、何となく予想していましたし!」
……なんか、デスゲームの主催者が吐きそうな言葉でフォローされた気がするけど。
本当にアメリアさんが来てくれなかったら、今頃どうなっていたことか。
そういえば、カノンちゃんの全体重を乗せたあやとりが私の喉仏を襲った時、一瞬だけ『三途の川』と『お爺ちゃん』が見えた気がするなぁ……。
外国で生死の狭間を彷徨っても、ちゃんと三途の川には行けるんだ……。
そんな新たな新事実を肌身で学んだ私は乾いた笑いで「……そうですか」と弱々しく返答する。
すると、私の凄まじい憔悴っぷりを見たアメリアさんは話題の変更を狙ったのか、彼女は無理矢理何かを思い出す様な仕草で手をパチンと叩いた。
「あっ! そ、そういえば! 先ほど我が主から『華様がご友人になって下さった』とお聞きしましたわ!」
「……え? ……あぁ、そ、そうですね」
その言葉を聞いた私は、咄嗟に向かい側に座るカノンちゃんに視線を落とす。
すると、私の視線に気が付いたのか。
彼女はニパーっと可愛らしい笑顔をコチラに向けてきた。
「あはは、私が日本人だからなのかな? 何だか凄く気に入ってくれたみたいで……」
「成程、そうでしたか。……もし、華様が宜しければ、どうかこの先も主とは良好な友好関係を育んで下さると幸いですわ。おそらく、カノン様にとって華様は『初めてのご友人』だと思われますので」
「え? そ、そうなんですか?」
私は再びカノンちゃんに視線を戻すと、彼女は小さく口を開けてアメリアさんが持つティラミスの乗ったスプーンを待機している姿が目に入る。
その姿を見た私は何だか途端に可笑しくなり、沈み込んでいた表情を一変させて少し噴き出してしまった。
「……ふふっ、……はい! こんな私なんかでよければ是非っ!」
そして、暫くその様に夕暮れ時の女子会談笑に花を咲かせていると、私達が居座っているゲストルームの扉から『コンコン』と音が鳴った模様。
「……あら?」
その音を確認したアメリアさんはすぐに「どうぞ」という返事を発すると、ワンテンポ置いてからその扉がゆっくりと開き始める──
『──……なんだ、何処にも居ないかと思えば、こんな所でティータイムか?』
扉の先から現れた人物は黒髪のイケメン執事──ルーヴェインさんだった。
どうやら、いつの間にか外出先である近隣の港から帰還していたらしい。
突然、私達の前に姿を現わしたルーヴェインさんに対し、私達はそれぞれ違った反応を見せる。
私は無意識に佇まいを正し、ソワソワと前髪を整え始め……。
カノンちゃんはルーヴェインさんの名を口にしながら、椅子から飛び降りて彼に駆け寄り……。
アメリアさんは鋭い目つきで彼に睨みを効かせ始めた。
そして、一番先に口を開いたのは……。
「ルーヴェインっ! 今日の裏方担当は貴方でしょうっ!? ……何故、『外出前に蓄電作業を行わなかった』のですか!? おかげでコッチは色々と大変だったんですからねっ!」
言わずもがな。
彼の上司であるアメリアさんだった。
蓄電作業……?
隣でその言葉を聞いていた私が不思議そうに首を傾げていると、わざとらしくルーヴェインさんも小さく首を傾げる。
「……ああ、そう言えば『うっかり』忘れていた。次からは気を付けよう」
「嘘を仰いっ! どう考えても、あからさまに! 私の仕事を妨害しに来てますわよね!? 流石にやり口が汚な──」
「──いや全く、部下のミスを黙ってフォローしてくれるとは素晴らしい上司様を持てて幸せな限りだ。まさに感無量だぞ」
ルーヴェインさんはアメリアさんの発する抗議の声を片手間に聞き流しながら、足元にいるカノンちゃんをあやす様に抱き抱えると、次にそんな二人の会話を観察していた私にニコッと優しく微笑みを向けてきた。
「只今戻りました、華殿。先程、休憩がてらに貴女様が作り置きして下さっていた昼食を頂かせて貰いましたが、非常に美味でございました。おかげで午後からの仕事にも精が出せそうでございます」
爽やかにお辞儀するルーヴェインさんに対し、私は顔を真っ赤にしながら首をコクコクとふる。
すると、そんなルーヴェインさんの態度にどこか諦めをつけたのか、隣にいたアメリアさんは溜息混じりにとある疑問を彼にぶつけた。
「……それで、『華様の件』に関して、何か進捗の程は?」
そう、その疑問とは『私について』だ。
ホストファミリーとの間でトラブルを起こしてしまった私は、ホストファミリー宅にスマホや財布を置いてきた状態でホームステイ先から追い出されてしまった。
そして、路頭に迷っている中、幸運にも通りすがりである優しい英国紳士──ルーヴェインさんと出会えたおかげで、今はこうしてお屋敷に身を置かせてもらうことができているのだが……。
一刻も早く、私の留学をサポートしてくれる担当ガーディアンさんにこの事態を報告しなければならないのである。
なので、現在。
何の連絡手段も持たない私の代わりに、執事のルーヴェインさんが私の担当ガーディアンについて調査してくれているらしい。
うう……。
本当に優しい人に出会えて良かった。
『見返りを一切求めず』に外国人である私に『快く』手を差し伸べて下さるなんて……。
……って、感激してる場合じゃないよね。
ガーディアンさんの連絡先を探せたのかな?
ルーヴェインさんはアメリアさんの質問に対し、眉間に皺を寄せながら言葉を返す。
「ああ、その事についてだが……、少々厄介な事になっているようだぞ」
「厄介な事……?」
私はアメリアさんと顔を見合わせる。
「えーっと……、何か問題でもあったんですか?」
恐る恐るそう尋ねてみると、ルーヴェインさんはその詳細について丁寧に語ってくれた。
「先程、無事に担当ガーディアン様の連絡先を特定する事に成功致しましたので、そのまま外出先から連絡手段を拝借して、コチラから直接通話を試みました」
『担当ガーディアンの連絡先を特定できた』──その朗報に対し、私は顔を明るくさせる。
……が、彼は予め『厄介な事が起きた』と前置きしていた事をすぐに思い出し、表情を元に戻す。
「……もしかして、繋がらなかったんですか?」
私はそう疑問の声を発したが、ルーヴェインさんは首を横に振った。
「いえ、キチンと担当の方が対応して下さり、華様の現状を全て伝えることには成功しました。……そこで、担当は事実確認の為、一旦ホストファミリー宅へ連絡を入れてみたそうなのですが……、何やら現在、その一家とは音信不通状態となっているそうですね」
「えーっ!? 音信不通っ!?」
私はその言葉を最後に絶句していると、隣にいたアメリアさんも首を傾げる。
「連絡が途絶えている……? ……ああ、成程。そういうことですか」
ピンときていない私は顔をアメリアさんの方に向け、クエッションマークを頭上に浮かべる様な表情を見せると、それに気がついたアメリアさんは詳しく意味を説明してくれた。
「つまり、ホストファミリー達は今……、『華様のことを血眼で探している最中ということ』ですわ」
「は、はいっ!? 私を探してるっ!?」
その発言に対し、私は酷く驚いてしまう。
「そんな……、だって! 向こうから追い出してきたのに!」
「……おそらく、今更になって事の重大さに気付いたのでしょう。しれっと華様を家に連れ戻し、このまま事実の隠蔽を図ろうとしているといった所でしょうかね。……騒ぎが大きくなってしまえば、間違いなく警察沙汰となってしまいますから」
「……け、警察沙汰……?」
その瞬間。
私は額から滝の様な汗を流してしまった。
何故なら、その単語を聞いたと同時に。
とある人物の事を思い出してしまったからである。
その人物とは……。
「ヤ、ヤバい……っ!?」
【西園寺 源蔵】
──これは私の父親の名だ。
私は片田舎で生まれた待望の第一子。
オマケに女の子という事もあったせいなのか、私のお父さんは昔から他の追付いを許さない『超』がつく程の親バカである……。
実は此度の海外留学に関して、最も強敵だった存在はこの父……。
周りがそっと後押ししてくれている中、最後の最後まで散々文句を口にして、首を縦に降らなかった私のお父さんを説得できたのは、もはや奇跡と言っても過言では無い。
真面目すぎる日頃からの生活態度。
自らの欲を後回しにして、献身的に行っていた年下の面倒や家事手伝い。
そして、愛する家族達である母や弟妹達の心強い援護射撃が無ければ、決してこの海外留学は成し得なかっただろう。
それらが積み重なり、ようやく手に入れた留学への切符だというのに……。
留学早々、この様な事件に巻き込まれ、挙句の果ては警察沙汰にでもなったなどとお父さんの耳に入ってしまえば……。
間違いなく、帰国命令待った無しである。
「……スーっ」
私は覚悟を決める様に。
その場で大きく息を吸い込んだ。
そして、今までの苦労を脳裏によぎらせながら、ゆっくりとルーヴェインさんとアメリアさんの前に立つ。
そして……──
「……ど、ど、どうか警察のお世話にだけはぁーーーーーっ!! 勘弁して下さいぃぃーーーーーっ!!!!」
──私は半泣き状態で二人の足元にしがみつき、懇願するようにその場で土下座した。
……ちなみに。
生まれて初めてする本気の土下座である。
「こ、こんな事がお父さんの耳に入っちゃったら……、絶対に留学の話は無かったことにされちゃうよぉぉぉーーっ!!!!??」
あまりの狼狽えっぷりに、ルーヴェインさん達は冷や汗を流していたが、彼は冷静に考えを寄せ始める。
「……ふむ、……となれば、話は早いですね。丁度、コチラにとっても警察の介入は『非常に』面倒でしたし」
意外と冷静に対応しているルーヴェインさんの様子を見て、私はまるで一縷の希望にかける様に彼に食い付いた。
「な、何か良い方法がっ!?」
「……そうですね。……本人確認、またはホストファミリーから事実確認ができるまでの間は一応、私がかけた電話は『詐欺などによるイタズラ電話扱い』と見做されます。……勿論、このまま華殿とホストファミリーの両者から事実確認が取れなかった場合は、すぐに警察や実家に連絡が飛んでしまいますので、迅速に解決しなければなりません」
そう淡々と口にしたルーヴェインさんは、ニコッと笑顔を見せながら私に笑いかけてくる。
「ご安心下さいませ、華殿。……実はこんな事もあろうかと、このルーヴェイン。事態の収束化に向けて既に行動を起こしております」
「ほ、本当ですか!?」
……お、おお!?
流石は英国執事さんっ!
こんな出会ったばかりの小娘が口にする我儘で馬鹿げた要望に対しても、真剣に応えて下さるなんて!
私が感涙している中、隣のアメリアさんは胡散臭いものを見ているかの様な冷ややかな視線を送っていた気がするけどっ……!
今はもうルーヴェインさんの案に賭けるしか無いっ!
すると、その瞬間。
ルーヴェインさんに抱き抱えられていたカノンちゃんが突然……──
「What is that thing? Reuvin〜.〈るーびん、アレなに〜?〉」
──夕日を受け入れている窓に向かって指を差し、そんな事を口にしたのである。
「……?」
なので、その小さな指先を追うように、私とアメリアさんは窓の外を確認すると、視線の先には見覚えのある光景が広がっていた。
窓の外には、私が屋敷に訪れる際に通ってきた正面玄関に繋がる美しい庭園広場。
そして、更にその向こう側……。
つまり、敷地外に繋がる屋敷の外にて。
はたまた『見覚えのある』一台の赤い車が停車していることが確認できる。
「……あ、あれ?」
その時、私は思わず眼を擦ってしまった。
数時間前、自身の足で通過した庭園広場と柵門に見覚えがあることはまだ理解できる……。
……では、何故。
私はその側に止まっている車──赤いファミリーカーにも見覚えがあったのだろうか?
答えは簡単だ。
何故ならその車は……。
「……ルーヴェインさん? ルーヴェインが打った最善の手って……、もしかして……」
すると、ルーヴェインさんが平然とした態度でこう呟いた──
『──という訳で……、華殿の担当ガーディアンではなく、敢えて【ホストファミリー御一行】をこの場所を招待してみました』
そう、門の外にあるその車から出てきた人物。
それは不幸にも……。
今朝、最悪の状態で別れを遂げた。
ホストファミリーである『パパ』と『ママ』であったのだ。
「なんでぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇーっ!!??」
*
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