第5話〈2〉【華の日本人ですが、何か?】
私は歩く。
英国の見知らぬ田舎道を。
「──ぐすっ……、ひっく……」
英国で出会った。
見知らぬ若い黒髪執事さんと共に。
──そう、あれからの私はその後……。
ひたすらこの執事さんの後をついて歩いていたのだ。
突然、子供の様にワンワンと泣き出した私に対し、初めは少し困惑の表情を見せていた執事さんであったが……。
結局、彼は何も言わず。
私がついてくる事を許してくれたらしい。
彼は私にハンカチを差し出し、今もただ黙って私の斜め前をゆっくりと歩き続けてくれている。
当の私と言えば。
初対面である彼から借りたハンカチを目頭に当てながら、情けなく涙をポロポロと流している真っ最中だ。
……確かに彼が何処に向かって歩いているのかは、全く知らない。
しかし、それでも良かった。
今の私にとっては行き先なんかよりも。
一人になる方がよっぽど怖かったのである。
真っ直ぐな瞳と毅然とした態度……。
そんな彼が放つ力強い歩みに。
私は直感的な安堵を覚えてしまい、それに全てを賭けてしまっていたようだ。
おそらく、私はそれ程までに心が弱っていたのであろう。
見知らぬ外国人に自身の運命を委ねてしまう程に……。
暫く彼の後をついて行くと、次第に自分の周りにいつの間にか自然が多くなっていることに気がついた。
彼と共に歩んでいる道は、平原に囲まれた長い道路の上。
時折、ポツリポツリと現れる一軒家の住宅や年季の入った趣のあるカフェ。
大きな牧場や立派な教会。
こう言っては何だが……。
かなり素朴な田舎道である。
そして、ようやく少し落ち着きを取り戻した私は、チラッと側を歩く執事さんの顔を伺ってみた。
ほんの少し長めの黒髪。
その隙間から覗かせる切れ長の眼。
端正な顔立ちと上品な所作。
……。
正直、かなりカッコ良い。
『職業は俳優です』と言われても、あっさりと信じてしまうレベルである。
まるで、この世のものとは思えない顔の造形だ。
流石は外国人。
日本人は無意識的に外国に住む方の容姿に魅了されがちだが……。
もしかすると、彼はこの国でもかなりモテる方なのではなかろうか?
私はそんな彼の顔を、少し斜め後ろから眺め続けていると──
「落ち着かれたようですね」
──こちらを一瞥する事もなく。
突然、彼にその様な言葉をぶつけられてしまう。
ちなみに、言語種は私の母国である日本のモノだ。
何故、確認もせずに私の視線に気づくことが出来たのだろうか?
……と、私は一瞬だけ驚いてしまったが、すぐに彼の肩に自らの頭を並べることに。
「……本当にすみません。まさかこんなタイミングで日本語を話せる方とお会いできるなんて思わなかったので、つい安心しちゃって……」
私は目だけでなく顔も真っ赤にさせながら申し訳無さそうに下を向いてそう呟くと、執事さんは泣き止んだ私を横目で確認し、真顔で首を横に振った。
「いえ、お気になさらず。……この辺りは首都に比べれば治安は良い方ですが、やはり子ども一人で外を出歩くのは危険ですよ」
そして、淡々とした口調でその様な忠告を受けてしまう。
……確かに、それに関しては留学前から再三聞かされた注意点なので、私も知っていた。
【外出をする際は、必ず友達やホストファミリーの人を連れて歩け】と……。
私は成り行きとは言え、自身の判断の甘さに反省を向けていると、今更ながらに自己紹介を済ませてない事を思い出してしまった。
なので、鼻声混じりに。
そのまま自己紹介へと繋げることに。
「あの、私! 華って言います……! 【
「初めまして華殿。私は【ルーヴェイン】と申します。この先にある屋敷で、とある方の執事をやらせて頂いている者でございます」
すると、それを聞いた彼も。
丁重に挨拶を返してくれた模様。
わー、やっぱり本場の英国執事だった!
あんなに怖そうだったさっきのオジサンを相手にした時も、簡単に対処しちゃうし……。
日本人の私に合わせて、日本語で話してくれるし……。
強くて、優しくて。
賢くて、気遣いもできて。
まさに完璧超人だよ!
完璧すぎて、なんだかヒーローみたい!
現実の執事なんて……。
長年経験を積んだお爺さんみたいな人達しかいないモノかと思ってたけど……!
実際は、こんなに若い人でもなれるモノなんだなぁ。
私は呑気にそんな感想を脳内に寄せながらも、マジマジと彼の顔や服装を観察していると、彼からとある質問が飛び出してくる。
「ところで、華殿はあの様な場所で一体何をなされていたのですか?」
そのルーヴェインさんの言葉を耳に入れた瞬間。
私は再び、自身の身に置かれた危機的現状に意識を向けさせられた。
……そうだ。
今、私はかなりピンチだったんだ。
彼の質問に対し、私は再び。
どんよりとした暗い顔を見せる。
「……実は私。さっき、ホームステイ先のホストファミリーさんから、家を追い出されちゃったばかりなんですよね……」
「追い出された? 何か家主を怒らせる様な事でも?」
怒らせること……?
うーん……。
私は過去を振り返ってみるが。
やはり、コレと言った心当たりは特に思いつかない。
「それが原因まではわからなくて……。自由時間を使ってまで押し付けられた家事をこなしていたはずなんだけどなぁ……。最終的には罰として、私物のスマホや財布も没収されちゃいましたし」
……今思えば、献身的に協力していたにも関わらず、あそこまで怒られていたのは明らかにおかしい。
……となれば、純粋に私自身の事が気に食わなかったのか。
はたまた、ストレス発散のサンドバッグが欲しかったかのどちらかなのだろう。
いや、両方かもしれない。
初日から怒りっぽい家族だなぁ、とは薄々感じてたけど……。
まさか住み始めて一週間しか経ってないのに、こんな事になるとは思わなかったよぅ……。
「事情は理解しました。……つまり、すぐに留学会社へ問い合わせなければならない状況にも関わらず、その担当の方と連絡をとる手段を持ち合わせていないと言う状況なのですね?」
「はい、そうなんです……! ガーディアンさんの電話番号はスマホに登録してますけど、流石に覚えてなくて……。うぅ、一体どうしたら……」
確か、担当ガーディアンさんから名刺を貰ってるけど……。
それも財布の中に入れちゃったまんまなんだよね……。
すると、それを聞いたルーヴェインさんは。
途端に道中で足を停止させた。
彼は道の真ん中で顎に手を添え。
何やら考え込む素振りを見せる……。
「ルーヴェインさん……?」
どうしたのだろうか?
出会ってから一歩足りとも歩みを止めなかった彼がわざわざ足を止め、真剣に道のど真ん中で考え込んでいる。
「……?」
私はそんなルーヴェインさんを不思議そうに眺めていると……。
次第に彼は何かを閃いた様に、その目を見開いた。
そして、次の瞬間──
『この度は誠に申し訳ありませんでした』
──彼はそんな謝罪の言葉を述べながら。
私に深く頭を下げてきたのである。
何となく態度が少し変わった様な気がしたが、その突然の謝罪の方に強く驚いてしまった為……。
私は思わず、慌てて否定を示すことに。
「え!? そ、そんな! どうしてルーヴェインさんが謝るんですか!?」
「どの国にも一部の愚かな人間がいるように、どうやら我が英国にもとんだ恥知らずがいたようですね。……この度は海外から遥々お越しくださった華殿に不快な思いをさせてしまったこと、英国を代表して私が謝らせて頂きます」
そして、彼はその場から顔を上げると。
ニコッと爽やかに微笑むように……。
そのまま、私に向かって。
『妙にキラキラとした笑み』を見せてきたのである。
「我が国の人間が犯した失態は私の失態も同然です。加えて、これも何かの縁……。どうか私に一つ協力をさせてください」
「協力……、ですか?」
私は少し困惑しながら尋ねると、彼はそっと頷く。
「はい、私が代わりに。華様が抱える問題の解消にあたって見ましょうか?」
その有難い提案を聞いた私は、反射的に顔を明るくさせた。
……が、それと同時に少しだけ躊躇も見せる。
本当に良いのだろうか?
初対面の相手……。
しかも、助けてくれた恩人に対し。
更に甘えてしまうだなんて……。
彼にも仕事があるだろうし、これ以上邪魔するのは迷惑じゃないだろうか?
「でも、ルーヴェインさんのお仕事を増やす事にならないですか? 迷惑になっちゃうかも……」
「……実はこの先に私が勤める屋敷がございまして、そこに私の上司も住んでいるのです。なので、ここは思い切って彼女に事情を話してみましょうか。……優秀な彼女ならば、きっと何とかしてくれるかと」
「い、良いのかなぁ……。会ったことも無い人にそこまで甘えちゃっても……」
すると、申し訳無さそうな顔を浮かべる私の前で、ルーヴェインさんはボソッと呟いた──
『……Rather, it would be helpful if you could sabotage Amelia's work.〈むしろ、アメリアの仕事を邪魔してくれると有難いんだよ……〉』
──……しかし。
英語慣れしていない私の耳では上手く聞き取れなかったようだ。
……何と言ったのだろうか?
「えっと……?」
私は目をパチパチとさせていると、彼はコホンと咳払い。
「失礼、今のは独り言です。どうかお気になさらず」
やっぱり英語が話せないと不憫だなぁ。
そっちも早く慣れないと。
「では参りましょうか、コチラへどうぞ」
すると、彼は歩みを再開させた。
どうやら、私をその屋敷へと招待してくれるようだ。
そして、ルーヴェインさんが働くお屋敷に到着するまでの間……。
彼は私の色んな話を聞いてくれた。
私の出身地である青森の話。
弟や妹がいる話。
好きなアニメや漫画の話。
何でも笑って聞いてくれたのである。
──────
────
──……数分後。
他愛の無い話を交わしながら、のどかな平原沿いの道をしばらく歩いていると……。
傷一つ無い新品の塀に囲まれた大きなお屋敷が、私達の前に姿を現し始めた。
「あっ! もしかしてアレですか!?」
「ええ、ここが我が主の住む屋敷──【カノン邸】でございます」
そして、ルーヴェインさんが足を止めたのは。
まさにその屋敷の目の前。
……まぁ、周りにはこの建物以外に何もなかったから、ここ以外にあり得ないんだけど……。
私は玄関口である門から中の様子をそっと眺めると、その光景に思わず目を擦ってしまう。
「うわー、豪華なお屋敷……!」
私は屋敷の敷地内の様子に。
一瞬でその目を奪われた。
門の先に見える華やかな庭園広場と美しい噴水。
その奥に聳え立つ、汚れ一つない白い外壁が特徴的な新築の大豪邸。
つまり、平原の中にあるのが不思議な程に周りとは一線を引いている極めてゴージャスな屋敷が。
私の目の前に姿を現したという訳である。
「凄いっ! まるで映画のセット見たいですっ!」
非常に安直だが。
庶民の私には、そんな感想しか出てこなかった。
すると、そんな華やかな屋敷を門の外から眺めていると、中からとある女の子の声が……──
「Reuvin〜!〈るーびん〜!〉」
── 私は目を凝らしてよく見ると、直線上にある綺麗な庭園広場の方から……。
一人の小さな女の子がコチラに駆け寄ってくる姿が目に入る。
太陽に反射する美しい金髪の髪。
パッチリとした大きな瞳。
ニコニコと幸せを体現したような満面の笑み。
そんな天使の様な可愛らしい幼女が屋敷の敷地内から現れ、私の隣に立っているルーヴェインさんに向かって、手を広げながら駆けてきたのだ。
すると、それを見たルーヴェインさんは地面に片膝をつけながら、その子に向かって優しく微笑みかける。
「I have just returned, my Lord. I see that you have been playing in the garden. 〈只今戻りました、カノン様。庭で遊ばれていたのですね〉」
「Yeah〜!〈そうだよーっ!〉」
……な、なにこれ。
凄い和む……!
二人の会話は何となくの雰囲気でしかわからないけど……。
執事さんの優しげな対応も。
幼女ちゃんの可愛い返事も。
全部が全部、可愛いよ……!
私は屋敷をバックにした絵になる光景を作り上げた二人に対して表情を緩ませていると、そんな私の存在に遅れて気がついたのか……。
幼女ちゃんは隣にいた私に目を合わせるや否や、ビクッと身体を跳ねさせてしまった。
……そして、彼女はルーヴェインさんの足を壁にするかの様に慌ててその身を隠し、足から顔だけをこちらに覗かせてくる。
「……Who?〈だ、だれ?〉」
──面識が無いせいなのか。
どうやら、少しだけ怖がられている様子。
すると、そんな私と幼女ちゃんのやり取りを見ていたルーヴェインさんは、私に助け舟を出すかの様にその幼女ちゃんに向かって私を紹介。
「Her name is Hana. She is a junior high school student visiting from Japan.〈彼女の名は華です。日本から訪れた中学生さんだそうですよ〉」
そして、次に。
流れる様に私の方へ……。
「華殿。コチラが崇高なる我が主……。カノン様でございます」
そんな紹介を聞いた私は再び。
ルーヴェインさんの足元にいるカノンちゃんに視線を落としてみる。
……見た所、幼稚園児くらいの年齢かな?
それなら、ここは年上の私から歩み寄らないと!
そう考えた私は、精一杯の笑顔を見せながら彼女に握手の手を差し伸べた。
「は、ハロー、カノンっ! マイネームイズ……、ハナ!」
……な、なんか。
英語の教科書に書いてある様なテンプレ挨拶みたいになっちゃった。
我ながらボキャブラリーの低さには驚かせれるよ……。
すると、カノンちゃんは私の握手を小さな両手で包み込む様に握り……──
『Ko,Ko n…… ni chi……wa!〈こん……にち……は!〉』
──なんと、私に日本語を使った挨拶を返してくれたのである。
ぎこちなさを感じる発音ではあったが……、それがまた良い塩梅。
その稚拙さがより彼女の可愛さを引き立たせたのか、この空間に究極のキュンを生み出した。
その無垢なる衝撃は凄まじく。
そんなカノンちゃんの可愛い挨拶を間近で受け取ってしまった私は当然……。
「……はうっ!?」
胸を押さえて、その場で蹲ってしまう事となる。
な、何!? 今の技っ!
凄く可愛いっ!
どうしよう、今日はずっとドキドキしっぱなしだよっ!
このままじゃ、本当に心臓が壊れちゃう!
「Excellent, Miss Kanon.〈流石でございます、カノン様〉」
どうやら、ルーヴェインさんも彼女の行動に胸を打たれたのか。
私の隣で何度も頷きながら、凄まじい拍手を送っている様子。
……。
良いなぁ、カノンちゃん。
可愛いくて、両親もお金持ちで……。
その上にこんなイケメン執事さんが仕えてくれているなんて……。
私も生まれ変わったら、こんな人生を送ってみたいなぁ。
そんな事を考えながら、私もルーヴェインさんと共にカノンちゃんに「わぁ〜」と拍手を送っていると……──
『──Welcome to our residence〈ようこそ、当屋敷にお越しくださいました〉』
カノンちゃんが走ってきた方角。
つまり、屋敷の敷地内から遅れて。
一人のメイドさんが、こちらに歩み寄せてきたのである。
そして、私はまたもや驚かされる事となった。
新雪のように煌めく銀髪の長い髪。
顔立ちは綺麗で美しく。
されど、その中にはアイドル顔負けの可憐さも兼ね備えている。
そんな同性である私ですら、思わず目を奪われそうになる程の超美人なメイドさんが姿を現わしたのであった。
門を潜って敷地外に出てきたメイドさんは丁寧に頭を下げてきたので、私も慌てて頭を下げ返す。
すると、そのメイドさんは突然。
私の隣に立っていたルーヴェインさんの袖をひき、少し離れた所に連れて行ってしまった。
「What do you mean? I thought I ordered you to procure the ingredients.〈どういうつもりですか、ルーヴェイン? 私が命じたのは食材の調達だった筈ですけど〉」
「I ran into her on my way home from a procurement. So……──〈その帰りに偶然会ったんだよ。それで……──〉」
……そして。
何やら、二人で話し込んでしまった様子。
美男美女の執事さんとメイドさんだなぁ……。
もしかして、付き合ってたりするのかな?
私はそんな彼らを遠目から眺めながらその様に考えていると、私は背後からお尻をチョンチョンと誰かに突っつかれた。
「ひゃっ!?」
ゆっくり振り返ってみると。
そこには、取り残されたカノンちゃん。
……な、なんだろう。
「ど、どうしたのかなー?」
とりあえず、私は目線を合わせる様に膝を曲げながら彼女に笑いかけてみることに。
すると、彼女が私の手提げ鞄をジーッと見つめていたことに気がつく。
「What is it?〈それ、なぁに?〉」
そして、彼女は私のその手提げ鞄に指を差し始めた。
「……へ?」
私はカノンちゃんの指の先を視線で追うと、そこには『私の好きなアニメに出てくる兎のキャラクターを模したキーホルダー──【だらだらびっと】のマスコット人形』が存在していた模様。
こ、これに興味があるのかな?
私は手提げ鞄に付いているそのキーホルダーをカノンちゃんの方に向け、身振り手振りを加えながら彼女に説明する。
「えーっと……、ディスイズ、ジャパニーズアニメキャラクター!」
すると、その幼稚な説明を口にした瞬間。
彼女の口から。
思いがけない単語が飛び出てくる──
「──DaladaRabbit〜!!〈【だらだらびっと】だぁー!〉」
なんと、彼女はこのマスコットのキャラを知っていたのか。
目をキラキラとさせながら、私よりも先にこのキャラクター名を答えてきたのだ。
「えっ、知ってるの……?」
少し驚きを見せた私であったが、彼女の視線はまだそのキーホルダーから離れない。
なので、私はそのキーホルダーを鞄からそっと取り外し……。
「プ、プレゼントフォーユー」
そして、そのキーホルダーをお近づきの印として、恐る恐るカノンちゃんに差し出してみた。
すると、それがよっぽど嬉しかったのか。
カノンちゃんは顔をパァッと明るくさせ、それを持ってメイドさん達がいる方へとことこと駆けてゆく。
「Amelia〜!〈あめりあー!〉」
遠目からのジェスチャーでしか判断できないが、どうやら私があげたキーホルダーをメイドさん達に見せびらかせている様子。
すると、少し経ってからメイドさんがそっとコチラに近づいてきた。
「わわっ!? ……えーっと。ナ、ナイストゥー、ミーチュー! マイネーム、イズ……──」
目の前に立つ銀髪のメイドさんに対し、私は緊張しながらも英語で会話を試みようとすると。
そのメイドさんは少し笑いながら、この様に言葉を被せてきた──
『──ふふっ、日本語で構いませんわ』
そう、ルーヴェインさんの時と同様に。
アメリアさんも英語に不慣れな私に対して、日本語で対応してくれたのである。
わっ!? また日本語だっ!?
……もしかして英国って、意外と日本語を話せる人が多かったりするのかな?
すると、そんなメイドさんはスカートの裾を摘みながら、私に向かって丁寧な自己紹介を告げてくる。
「初めまして。私はカノン様の専属メイドを務めさせて頂いております。名をアメリアと申しますわ」
「こ、こちらこそ初めましてっ! は、華でしゅっ!」
こちら側の母国語だと言うのに少し噛んでしまった私の挨拶を聞いて、アメリアさんはクスッと笑った。
「当家の執事から事情を聞かせて貰いました。……キーホルダーのお礼と言ってはなんですが、代わりに私共が責任を持って、担当ガーディアン様の連絡先をお調べ致しますわ。ですので、どうかご安心くださいませ」
それを聞いた私は、まるで女神様を見るかの様な目つきでアメリアさんを見つめてしまう。
「ほ、本当ですか!?」
「当然です。小学生が外を出歩いていては、何かと危険ですからね」
「あの……、こう見えて中学生です……」
……。
一瞬だけ真顔になる私であったが、朗報には変わりは無い。
私はアメリアさんに事の詳細をより明確に話すと、彼女はその事を全てメモに収めながらその場で考え込み始めた。
「なるほど……。では担当の方と連絡が取れ次第、事情を説明してコチラに関係者を案内させましょう。ですので、華様は当屋敷にてお寛ぎ下さいませ」
「あぁ……、もう本当に何から何までありがとうございますっ! なんとお礼をすればいいのか──」
すると、そのタイミングで……。
丁度、私のお腹から「きゅるるー」と音が鳴り響いてしまう。
そういえば。
朝ご飯の時にパパと揉めちゃって、そのまま追い出されたんだっけ……?
今日は何も食べていないんだった……。
「丁度、これから昼食の準備に入るところでしたので、宜しければ華様もご一緒に如何ですか?」
「え……? い、良いんですか……?」
空腹状態の私は顔を真っ赤にしながらコクコクと頷くと、それを確認したアメリアさんは背後のルーヴェインさんに近づき、そのまま小声で話しかけた。
「では、ルーヴェイン。私は昼食の準備を進めますので、貴方は先にカノン様と華様を食堂へお連れしなさい。……案内が済み次第、そのまま調達業務の方に戻っても構いませんわ。それと、ガーディアンの件も忘れずに頼みましたわよ」
「待て……。今日の来客応対はお前の担当だろうが、お前がガーディアンを探せ」
「どうせ面倒事を押し付けて私の仕事を邪魔しようとしているか、あわよくばカノン様の世話係を奪うのが目的でしょう? 残念ながらお見通しですわよ」
二人の会話内容は聞こえなかったが。
そんな会話はルーヴェインさんのつまらなそうな顔で終えた模様。
会話を終わらせると、アメリアさんは私を屋敷の敷地内へと招いてくれた。
「さぁ、こちらへどうぞ」
私は緊張しながらも敷地内にお邪魔させてもらい、そのまま四人で庭園広場の真ん中を歩いて屋敷の玄関へと目指す。
すると、その移動中に。
メイドのアメリアさんが私の隣に並んできた。
「本日は私が調理を担当させて頂くのですが、華様は苦手なモノやアレルギー等はございませんか?」
「え? あ、大丈夫ですよ! 何でも食べられます!」
そして、そのアメリアさんの気遣いに対し、私は素朴な質問を口にする。
「あまり貴族さんの暮らしには詳しくはないですけど、メイドさんがご飯を作る事もあるんですね! てっきり、料理は専属のコックさん達が作っているモノだと勘違いしてましたよ〜」
すると、そんな私の発言を耳にしたアメリアさんは苦笑いと共に。
同時に、驚きの返答も添えてくる。
「本来ならそうなるハズですが……。生憎、ここで雇われている従業員は私とルーヴェインの二人だけですからね……」
「へ……?」
──それを聞いた私は。
驚きの余り、言葉を失ってしまった。
こんなに大きなお屋敷なのに……。
たった二人だけしか従業員が居ないの?
「そ、それは大変そうですね……」
「はい、お陰様で毎日大忙しです。日本風に例えるなら──『猫の手も借りたい』とでも言うべきですかね」
そして、彼女は冗談口調でそう告げると、私よりも先に屋敷の玄関へ続く数段しかない階段を登り始めた。
私はそんな彼女の背中を見つめていると──
『──華殿、少しお時間よろしいですか?』
──耳元付近でその様なルーヴェインさんの声が囁かれた。
「ひゃ、ひゃいっ!?」
一瞬にして顔を真っ赤にした私は慌てて振り返ると、そこにはカノンちゃんを抱っこするルーヴェインさんが立っていた。
「実は、簡単なお願いがございまして……」
お願い……?
なんだろう……。
そして、私は途中で足を止め。
とりあえず、その場でルーヴェインさんの『お願い』とやらを聞いてみることに……。
……。
そして……──
『待って下さい! アメリアさん!』
──ルーヴェインさんとの話を終えた私は。
屋敷の扉に手をかけている前方のアメリアさんを大声で引き留めた。
「……ど、どうかなされましましたか?」
突然、大声で名前を呼ばれたアメリアさんは当然……。
キョトンと不思議そうな顔を見せてくる。
何故、私はアメリアさんを引き止めたのか……。
それは彼女に伝えたい事があったからである。
ルーヴェインさんの言葉で、まるっきり考え方を変えさせられた私は……。
決心をするかの様に彼女の手をギュッと握りしめた。
「は、華様……?」
私だって、もう中学生だ。
迷惑をかけるばかりの年齢じゃない。
私は立派なお屋敷の目の前で。
アメリアさんに向かって、こう告げる──
『──今日のお昼ご飯っ! どうか私に作らせて下さい!』
「……はい?」
……その瞬間。
彼女は目を丸くしてしまったようだ。
しかし、私はそれでも目を点にしているアメリアさんに向かって、必死の説得を試みる。
「聞きましたよ! なんでも、アメリアさんは『ここに来てから一日も休みが取れてない』らしいですね!」
それを聞いたアメリアさんは、私の背後に立っているルーヴェインさんに睨む様な視線を送りつけた。
そう。
私は聞いてしまったのだ。
アメリアさんがカノンちゃんのメイドになってからと言うモノ。
多忙のあまり、一日足りとも休日を取れていないという極めて深刻な状況になっている事を!
ルーヴェインさんの話に曰く、アメリアさんは『究極の完璧主義者』らしく。
ルーヴェインさんに自身の休暇日を譲渡してまでたった一人、屋敷の運営に励み続けていたのである。
つまり、ルーヴェインさんの願いとは……。
早い話──『アメリアさんの負担を少しでも減らす為に、できる範囲で彼女の仕事を代わりに引き受けてやって欲しい』と言うモノであった。
そして、そんな多忙な相手と知った上で。
厚かましくずけずけと甘えることなど、私にはとてもできない。
「働き詰めは良くありません! 今日は私がお昼ご飯を作りますから、アメリアさんはゆっくりと休んでて下さい!」
私の情熱のこもった視線が届いたのか。
次第にアメリアさんの頬に、一筋の汗が滴り落ち始める。
「いえ、私は全然平気ですわよ……!? で、ですから別に手伝いなど必要な……──」
「──私ももう子供じゃありません! お願いします! 何かお手伝いをさせて下さいっ! ……事務作業はやった事ないので難しいですけど……、洗濯や料理、育児等の家事全般なら何でもできます!」
しかし、アメリアさんはブンブンと首を横に振ってきた。
「お、お客様にそんな事をさせる訳には行きませんわ! ……それに、今日は私の番ですし……、その……──」
すると、歯切れの悪い返答ばかりをするアメリアさんの隣で……。
ルーヴェインさんが抱っこしているカノンちゃんに、笑顔で話しかけ始める。
「──Today's lunch is said to be Japanese.〈本日の昼食は日本料理みたいですよ〉」
「Really!? Kanon wants to eat Japanese foooood!!〈ほんとっ!? カノン、にほんのごはんたべてみたいっ!〉」
彼はわざとらしく。
喜ぶカノンちゃんをアメリアさんに見せつけた。
そして、この計画を立てた本人自身も。
クールな笑みを見せている。
「どうやら、カノン様も日本食を楽しみにしておられるようだな。……華殿もこう言ってくれていることだし。この際、迎えが来るまで彼女をこの屋敷の──【General Maid〈ジェネラル・メイド〉】としてお前の代わりに働かせてみてはどうだ?」
「じぇね……?」
聞きなれない単語に対し、私は首を傾げると、それに気づいたルーヴェインさんが答えてくれる。
「【General Maid〈ジェネラル・メイド〉】──屋敷の家事全般の雑務を行う特別な役職のことですよ」
ルーヴェインさん……。
本当に優しいんだな……。
誰にでもさりげなく気遣いができるなんて……。
私もルーヴェインさんに続く様に。
アメリアさんに熱い視線を送る。
期待を含む眼差しを向けるカノンちゃん。
素敵な作戦を考えてくれた同僚想いのルーヴェインさん。
そして、私。
やる気に満ち溢れる中学一年生の華。
私達三人の眼差しが、アメリアさんの鋼の意志を砕いたのか。
次第に彼女は肩を落とし始めた。
「……せ、せめて私を助手に置いていただけるのでしたら」
どうやら、少し強引な形ではあるが。
無事にアメリアさんを説得できたらしい。
私は顔を明るくし、元気よく返事をする。
「はい、任せて下さいっ! こう見えて私……、弟や妹の面倒を良く見ていましたから、家事も小さい子のお世話も得意なんですよ! 何でも言ってくださいね!」
──こうして、私の一日職業体験が始まったのであった。
しかし、この時の私はまだ。
知る術もなかったのである。
自身の持つ家庭スキルが。
どれほど稚拙なモノだったのかと言うことを。
そして……。
英国の使用人達が。
揃いも揃って、化け物級であると言うことを……。
✳︎
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