第5話〈1〉【華の日本人ですが、何か?】


 ここは英国の南に位置する街──【New・Romney〈ニュー・ロムニー〉】です。

 

 日本ではまず見かけない本場のハーフティンバー様式を目にすると──「海外に来たんだなぁ」と強く実感させられます。

 

 まるで異世界に訪れた様なワクワク感を手っ取り早く味わいたいなら、やはりこういった現地の建物に目をやるのが一番ですね。

 

 だから、私は留学会社とホストファミリーさんを繋ぐ担当ガーディアンさんの話をわざわざ押し切ってまで……、極力多くの住宅が並ぶこの土地に身を置きたかったんです。


 元々の候補は、ここの隣町である。

 ──【Old・Romney〈オールド・ロムニー〉】という街に住む評判の良いホストファミリーさんが私に募集をかけてくれていたらしいのですが、噂によるとその街は本当に何も無い平原ばかりの街らしくて……。


 のどかな雰囲気は決して嫌いではないんですけど、日本でも田舎暮らしだった私により新鮮さを与えてくれそうだったのは、コッチの人が多めの栄えている街だったんですよ。

 ですから、今回はコチラを選ばせてもらいました!


 ……本心を言ってしまうと、都心部である【London〈ロンドン〉】や【Scotland〈スコットランド〉】寄りの街なんかにも憧れていたのですが、こればかりは我が家の平均的な家庭事情や私の学力ではどうすることもできませんでしたね……。


 でも!

 この【New・Romney〈ニュー・ロムニー〉】もとっても素敵なんですよ!

 駅前通りは人足もそこそこ多いみたいですし、雰囲気もすごく良いんですっ!

 

 このオシャレな英国で……。

 私は今年の夏から新たな新生活を送るんだと思うと、それだけで胸がドキドキと鼓動しちゃいます!


 ちゃんと友達は出来るかなぁ……。

 英語、上手くなると良いなぁ……。


 中学生という事もあり、期間は約半年間と短いですけど……。

 親孝行や幼い弟妹達の為に、お姉ちゃん沢山勉強してくるからねっ!


 ……。


 そして、そんな私が夢にまで見た。

 留学生活は……──




『え!? わわ!? い、痛いですっ!! 離して……っ! ……きゃあっ!!?』




 ──この世史上。

 最も最悪なスタートを切ることとなる。


 文字通り。

 私はホストファミリーであるパパに首根っこを掴まれながら、家の外へ放り出されてしまったようだ。


 両肩の前に垂らされた自前のおさげを泥に付着させながらも私は振り返り、必死にホストファミリーの両親であるパパとその後ろにいるママに話しかけるのだが……。


「待ってくださいっ! 私、何か悪い事でも……、ひっ!?」


 次に飛んできたのは自前のキャリーケースと、私が好きなアニメキャラのアクリルキーホルダーが付いた手提げ鞄であった模様。


 私は訳も分からず、必死に謝罪の声を上げ続けては見たモノの、返ってきたのは早口すぎるネイティブのイギリス英語だけ……。


 しかもスラングが結構キツいのか。

 まだ英語に不慣れな私には、それが全く聞き取れなかった。


 何と答えるか頭で考えている頃には既に。

 ホームステイ先の玄関扉はバタンと閉ざされ、彼らは完全に私を締め出す気なのか……。


 ガチャリと鍵の音まで聞こえてくる始末。


「うそっ!? そんなっ……、ど、どうしよう……!?」


 成人男性に本気で怒鳴れたせいなのか。

 それとも、今後の行く先の心配で心が押しつぶされてしまったのか。


 私の心臓は煩い位にバクバクと高鳴り、手の震えが止まらなくなってしまっている。


 え、なんで?

 どうしてこんなことになっちゃったの?


 押し付けられた家事も洗濯もお料理もちゃんと出来てたし……。

 自由時間を割いてまで、一生懸命に他のお手伝いもこなしてた筈なのに……。

 

 私は放心状態のまま、しばらく家の前の道路に座り込むことしか出来なかった。


 しかしその時、留学前に受けたとあるアドバイスを思い出す。


「そうだっ! トラブルが起きた時は……、すぐに担当ガーディアンさんに連絡しなきゃいけないんだったっ……!」


 ──ガーディアン。

 それは、遠隔で留学生を真摯にサポートしてくれる心強い味方だ。


 留学先の学校との連携は勿論。

 ホームシックなどの留学生に対するメンタルケア。

 ホストファミリーとのトラブル解消。


 そう、それら全ての悩みや相談をフルタイムで聞いてくれる大人達が私の側に付いている。


 それを思い出した私は早速、自分の担当ガーディアンに連絡を取ろうと、自らのポケットをゴソゴソと漁ってみる。


 ……が、しかし──


 

「……え? ……あっ、しまった!?」



 ──私は既に青くなった顔を、更に青くさせた。


「そうだ……。確かスマホも財布も全部……、一週間前に没収されたんだったっ!?」


 そう私は過去に一度、この街に来て早々。

 リビングに置きっぱなしにしていた私のスマホが夜中に鳴り響き、そのせいでパパの眠りを妨げてしまったことがあった。

 勿論、その時は必死に謝ったのだが、余程それが気に入らなかったのか激怒されてしまい、結局はその罰として財布やスマホを没収されてしまっていたのである。


 以来、私の手元にそれが返ってくる日はなかった。

 

 つまり、ガーディアンと連絡を取る手段は、今の私には無いということ。


 頼みの綱であるスマホも奪われたまま……。

 お金もない……。

 辺りは見知らぬ外国の土地……。


 そんな現状に。

 まだ中学生になったばかりの私は──



「うぅっ、どうしよう、どうしよう……」



 ──ただただ泣く事しかできなかった。


 コッチでも警察に掛け合えば、助けて貰えるのかな……?

 でも、一週間前に引っ越してきたばかりでスマホも無いから、警察署の場所もわからないし……。


 だが、それ以外にやるべきことが見つからないとなれば。

 ……当然、もうそれを頼りにするしかない。


 そう考えた私はその場からそっと立ち上がり、転がったキャリーケースと手提げ鞄を回収してトボトボと途方も無く歩き出したのである。


 うぅ……。

 まさか、留学早々こんな事になっちゃうなんて……。

 

「こ、こっちかなぁ?」


 私は半泣き状態のまま確信も無く……。

 ただただ、ひたすらに道なりを歩き続ける。


 見知らぬ土地。

 見知らぬ環境。

 見知らぬ文化。


 それらに脳内を酷く翻弄されながらも。

 私は歩き続けた……。

 ただひたすらに。


 地図が無いのは不憫だなぁ……。

 ……今まで、自分がどれだけスマホに頼って生活をしてきたのか。

 まさか、こんな形で思い知らされるなんて。


「私、このまま死んじゃうのかなぁ……」


 どうやら、あまりにも心の位置が低くなっていたせいなのだろう。

 私はそんな馬鹿な事まで考えてしまう。


 そして、事件が起きたのは。

 まさにその瞬間だった……──



「わぷっ!?」



 ──俯いていたせいで前方の確認を怠り、不運にも誰かと強くぶつかってしまったようだ。


 そのままその反動で、私は歩道に尻餅をついてしまう。


「い、いたた……」


 そして、ゆっくりその場から顔を上げると、そこには図体の大きい髭面のオジサンが立っていた。


 どうやら、下を向いて歩いていた私は。

 向かい側からやってきたこの髭を生やした強面のオジサンに気づかず……、不注意からくる接触事故を起こしてしまったらしい。


「ご、ごご! ごめんなしゃいっ!?」


 慌てすぎていた事が災いし。

 私は思わず、日本である母国語の言葉で謝罪を述べてしまう……。


 すると──



「〜〜〜〜〜!! 〜〜〜〜〜!!」


 

 ──先程と全く同じ展開。


 流暢なネイティブ英語によって、私の言葉は無常にもかき消されてしまったようだ。

 どうやら、様子や雰囲気を見る限り。

 かなり怒っているように見える……。


 確かに、私の不注意だったけど……。

 ここまで強く怒らなくても……!


 ……どうして、いつも怒られるんだろう。

 私の内気すぎる性格がいけないのかな……。


 捲し立てる様な怒号に対し、私はただ怯えることしかできない。

 すると、そのオジサンは……。


「…………」


 不思議なことに。

 突然、ピタリと黙り始めてしまうのであった。


「……え? な、なに?」


 そして、そんなオジサンは次に。

 辺りをキョロキョロと見渡し始める。

 

 なので、その動作を不審に思った私も。

 そのオジサンと同様に辺りを見渡してみた。


 すると、その時私も初めて気がついたのだが……。

 私達がいた場所は、人気の無い住宅地から離れた何処かの道路の上だったのである。

 

 それも、片側は平原。

 そして、もう片側は山。


 気がつけば私はいつの間にか。

 そんな、かなりの田舎道までやって来ていたらしい。


 おそらく、放心状態で歩いている間に人が栄えている駅側とは真逆の方向……。

 つまり、隣町方面へと向かっていたのだろう。


 すると、次の瞬間……──



「ひっ!?」



 ──なんと、私は初対面のそのオジサンに。

 手首をギュッと掴まれて、強い力で引っ張られたのだ。


「え!? えっ!? ちょっと! 離して下さいっ!」


 私は困惑しながらも、必死に抵抗。


 そして、手を払いのけようと咄嗟にそのオジサンの表情が気になり、私は恐る恐る顔を上げる。


 すると、私の手を掴んで来る彼は……。


 なんと──その場で『ニヤニヤと不気味に笑っていた』のであった。


 怖い。


 怖いっ!


 怖いっ!!


 私は必死にその場で叫ぼうとするが、恐怖のあまりに声が出ない。


 あぁ、やはり。

 内気で平凡な私なんかが、海外留学だなんて無理だったんだ。


 確か、海外では子供が一人で外出することは非常に危険な事だと聞いたことがある。


 きっと私も……。

 このままどこかに誘拐されちゃうんだ……。


 助けはこない。

 もうお終いだ。


 そう思った私は。

 全てを諦める様に。


 とうとう。

 その場で足の力を抜いてしまった──





『Get out of my way.〈邪魔だ〉』





 ──しかし、その瞬間。


 オジサンとは別の男性の声が聞こえてきた。


「……へっ?」


 そして、そんな声が鳴ったとほぼ同時に……。

 突然、私の手を握っていたオジサンが膝から崩れ落ち始めたのである。


 私は間抜けな声を出しながら顔を上げ、恐る恐る背後を振り返ってみると、そこには……。


 燕尾服に身を包んだ黒髪の青年が立っていたのだ。


 だ、誰?


 この服……。

 もしかして……、し、執事……さん?


 ドラマやアニメでしか見たことが無い日本人の私にとってはもはや架空の人物──【執事】……。


 私はいつの間にか背後に立っていた、その執事さんを呆然と無意識に観察してしまう。


 宝石の様な色をした切長の瞳。

 漆黒の黒髪。

 端正すぎる顔立ち。

 美しい所作と針の通った背筋。


 私よりも年上ではあるのだろうが、そこまで年齢に差は無さそうな若肌。

 されど、全身から現れている佇まいは成人の様な雰囲気。


 そんな俗に言う『イケメン執事』のご登場に。

 思わず私は目を丸くしてしまう。


 執事服を着飾る若い青年は私を連れ去ろうとしたオジサンを一瞬で気絶させたかと思えば、目が合った私にニコッと一礼。


 そして、そのまま何事もなかったかの様に。

 私に背を向けて再び歩き出したのであった。


「え!? あ、あのっ!」


 私が声を上げると、その声に反応した執事さんはその場で立ち止まり、不思議そうな顔をこちらに浮かべてくる。


 うぅ、どうしよう……。

 呼び止めたのは良いけど、何て声を掛ければいいのかな?


 えーっと……。


 そ、そうだっ!!

 ま、まずはお礼だよね!


「てっ……!」


『……?』


「てんきゅー……」


 私は勇気を出しながら、消え入りそうな声で彼にそう伝えてみせた。


 おそらく、今の発音は。

 所謂──『日本語英語』の発音となってしまっていたかもしれない。


 ……うぅ、変じゃなかったかな?

 ちゃんと伝わってるかな?


 そんなことを考えていると……──




『You don't have to thank me.〈礼には及びませんよ〉』




 ──まだ英会話に慣れない私にも聞き取れるほどの模範的な美しい発音で。

 彼は、そう口にしてくれたのである。


 顔こそは笑っていなかったが……。

 何となくそこに。

 

 彼の隠れた優しさの様なモノが垣間見えた気がした。


 そして、再び歩き出したそんなクールすぎる執事さんの背中を見た私は、途端に顔を真っ赤にさせる。


 なんて、優しい人なんだろう。

 まるでヒーローみたい……。


 もしかすると、私が英国に来てから出会った人の中で……。

 彼が一番信頼できる人なのかもしれない。


 初対面でこんなことを思うのは変かもしれないけど……!

 この人なら信用できるっ!


 そもそも、執事さんなんだから!

 絶対に誠実な人に決まってるよね!?


 試しにこの人に事情を話してみよう。

 運が良ければ、助けて貰えるかもしれない。


 私は床に落とした手提げ鞄を拾い上げて、キャリーケースを握り。


 勇気の一歩をその場から前へ踏み出して。

 必死に彼の背中を追いかけてみた。


「ま、待ってぇー! ……っ!?」


 すると、慌てて青年を追いかけたせいか。

 その場で足がもつれてしまい──



「──ひゃあぁぁぁっ!!??」



 そのままバランスを崩して、やや後半へと身体を倒してしまう。


 …………。

 

 ……。


 あれ?


 目を開けると。

 そこには、例の執事さんが。


『Are you not injured?〈怪我はございませんか?〉』


 どうやら、彼は。

 私をお姫様抱っこの形で抱き抱えるように、側で私の身体を支えてくれたらしい。


 その姿は、実に優雅で美しく。

 あまりにも落ち着きのある表情である。


 結果……。


 彼は一瞬にして。

 私の心を奪い去ってしまったようだ。

 

 私達は互いに見つめ合いながら、しばらくそのままの状態で停止する。


 ……。


 そうだ、呼び止めたのは私だった。


「えっとー、その……」


 私がモジモジと言葉を詰まらせていると……。

 先に彼が口を開ける──



『……もしかして、貴女は日本の方ですか?』



 ──そして、唐突に。

 そんな事を言われてしまったのである。


 しかも、まるで日本人の様な流暢すぎる日本語を使って……。


「……っ」


 それを聞いた私は思わず。

 口を大きく開けたまま、その場で身体を硬直させてしまう。


『……おや、違いましたかね。……となれば、他のアジア国と言えば……──」



 そして、そんな彼の日本語を耳に入れた瞬間。


 私は……。



「──うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーん!!! 


 日本語だぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!」



 ──もう、めちゃくちゃ泣いた。


 

 ……拝啓。

 実家のお父さん、お母さん。

 

 西園寺家の長女──【西さいおん はな】は……。


 留学して早々、ホストファミリー宅から追い出され……。

 その後、助けてくれたイケメンの執事さんにお姫様抱っこをして貰いました。

 

 英国は凄い所です。

 また、落ち着いたら手紙送りますね。

 


           ✳︎

 

 

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