第4話〈終〉【技能テストを行いますが、何か?】


 「──サービスのクオリティを妥協させるか、それともカノン様を神童に育て上げること自体を諦めるか。貴方が決めてください」


 おそらく、アメリアは『物資の供給不足を解消する為に考えられる解決策』のことについて話しているのであろう。


【サービスのクオリティを妥協する?】


 なるほど、確かにその手ならば……。

 外出の度に各地からわざわざ『高級品』を入手してこなければならないという縛りが無くなり、僕たちが今後も行い続けるであろう調達難易度が激減するはず。

 つまり、時間に余裕ができ、物資の供給効率が上がる事に繋がるということだ。


 ……しかし、それは駄目だ。

 僕はカノン様に今までの苦労を忘れさせる程の極上級の生活を送ってもらいたいと考えている。

 これだけは譲れない。



 ──では、【カノン様を神童にすることを諦める?】


 なるほど、確かにその手ならば……。

 僕達がカノン様へ捧げる教育時間を他に回せるだけでなく、その為に必要な教材などを確保する手間も同時に省けるということだ。

 そうなれば時間を他に割くことも可能になる為、調達にも余裕が出来るはず。


 ……しかし、それも好ましくない。


 僕は契約の時に約束したんだ。

 必ず、カノン様を神童に育て上げてみせると。

 カノン様にはもう、あんな顔を二度とさせたくはない。

 

 故に、僕の答えはこうである。


「両案却下だ。他の手でいくぞ」


 僕は第三の案を彼女に提案をすると、彼女は少し眉間に皺を寄せながら苦々しい顔でこう口にしてきた。


「……後者を選びませんか?」


「……なに?」


 なんと、彼女は──【カノン様を神童に育て上げることを諦める】という案を後押ししてきたのである。


「……理由を聞こうか」


 彼女の真剣な表情を見た僕は、頭ごなしの否定を辞めて素直に彼女の考えを聞かせてもらうことに。

 すると、アメリアはその理由について、詳しく持論を述べてきた。


「私達、使用人が最優先に考えなければならないことは言わずもがな──『主の生活を如何に安定させるか』ということですわ。カノン様が神童だろうとそうではなかろうと……、私達はこの先もカノン様にお仕えするのですから当然ですよね?」


 アメリアの言う通り。

 使用人とは、ただその日の生活をサポートすることだけが役割ではない。


 主の現在だけでなく、未来も見据えて。

 そのサポートに当たらなければならないのである。


 そんな常識は【超級使用人】どころか、普通の使用人でも弁えている基本中の基本……。


 以上の理由に加え、元々プロ意識の高いアメリアの辞書には第一の案である──【サービスのクオリティを妥協する】という考えは毛頭無いのであろう。


「……なるほど。だから後者を推すのか」


「別に神童に拘らなくても良いではありませんか。普通の心優しい子に育ってくれさえすれば、それで……。カノン様はあのままでも十分素敵ですわ。なのに、貴方は何が不満なのですか?」


 何一つ間違ってはいない彼女の痛い指摘に対し、僕は思わず舌打ちしてしまい、合わしていた目線を逸らしてしまう。

 

 何も間違ってはいない。

 これは僕が勝手に言い出した計画。


 直接、カノン様から希望されたことでは無いのである……。


「それに貴方が言ったことですわよ。『なるべく、カノン様を目立たせる様な行動を取るな』と……。もし彼女が何かの分野を極めてしまえば、それこそメディアに注目されてしまう可能性だって出てきてしまいますわ」


「……分かってる、自分の言ってることが矛盾していることなど」


 しかし、それでも……。

 僕は首を横に振った。


「──だが、それでも僕はカノン様を神童にさせてみせる。これは決定事項だ」


 そんな僕の言葉……。

 いや、我儘を聞いたアメリアは。


 まるで失望感を露わにするかの様に。

 突如、冷たい表情をコチラに向けてきた。


 こんな彼女の表情を見たのは。

 今回が初めてである。


「……なんですかそれ、ただの『押し付け』ですね」


 「所詮はこの程度か……。」と。

 その冷たい視線に、そう言われてる気がしてならない。


 ……が、それでも僕の信念は揺らぐことは無く。

 睨み返す様に反論を続ける。


「それがカノン様にとっての理想だろう。だったら、僕はそうするまでだ」


「っ……!」


 そして、遂に──




『カノン様は成長を望んでませんっ!!!』


『お前に何がわかるっっ!!!』




 ──スタッフルームに。

 二人の怒号が交差する様に響き渡る。


 両者、一歩も引かぬその姿勢に。

 部屋中の空気が途端に重くなったことが肌で感じられた。


 しかし、そんな部屋の空気は──



〈〜〜チリン〉……と。

 どこからともなく鳴り響く。

 

 『小さな鈴』の音色が、無粋にも水を差す形となって終わりを告げる。


「「……?」」


 僕とアメリアはその音の出所に視線を向ける様に、揃って首を動かした。


 その音の出所は、スタッフルームの壁に打ち付けられた『とある板』からであった模様。


 その板には三段に分けられた等間隔の鈴が数十個に渡り貼り付けられている。


 そう、これは当屋敷のギミックの一つ。

 完全連動型の通知システム──【感知式ドアベル】であった。


 この数多の鈴達は当屋敷に存在する全ての扉達と動きを連動させており、どこかの扉が開かれると同時にそれと連なる鈴が通知してくれる仕組みとなっているのだ。

 ──謂わば、屋敷内で誰が何処に居るかを知らせる探知機、及び防犯装置の役割を果たしているという訳なのである。


 そして、この屋敷の住人は三人のみ……。


 その内の二人である僕とアメリアがこのスタッフルームに集っていることから、自ずとこれを作動させられる人物が誰なのかは搾られてくる。


 その鈴が指し示す部屋は……──



「カノン様のいる寝室からだ……」



 ──そう、我が主が滞在している三階に存在する部屋……。

 『カノン様の寝室』であったのだ。


 つまり、カノン様がリアルタイムで寝室の扉を開け放った事を意味する。


 ……お手洗いだろうか?

 いや、お手洗いなら彼女がお眠りになる直前に、僕が向かわせたはず……。

 

 一体、彼女はこんな時間にどこへ向かっているんだ?


 僕とアメリアが不思議そうに顔を見合わせていると、すぐに先ほどとは別の鈴が体を揺らした。


 その鈴が示す部屋の名は、僕と向かい合うアメリアが代わりに呟く。


「ここは確か……。カノン様の寝室と同じ階にある【レッスンルーム】……?」


 そのアメリアの発言を聞いた瞬間。


「……様子を見てくる」


 僕はスタッフルームの窓へいち早く駆け寄り、その窓に足をかけて身を乗り出した。


「──え!? ちょっと、待ちなさ……! きゃっ!?」


 僕は窓枠に置く脚に力を込め、外の上空に高く飛び立つ様に窓から飛び出した。


 すると、そんな僕を間近で見ていたアメリアは僕を引き留めようとしたのか。

 背後から僕を追いかけて手を伸ばし、間一髪の所で僕の燕尾服の尾をがっしりと掴んだ模様。


 当然、そんなことをすれば彼女も僕と同じくそのまま一緒に上空へ着いてくる状態となってしまうのは言うまでも無い。


 ……だがしかし。

 そんな事よりも今はカノン様が心配だ。


 僕は自らの尾にしがみつく彼女には一切目もくれず、壁の窪みに次々と足をかけながら、外壁を伝って一気に三階へと駆け上がる。


 そして、あっという間に三階まで到達した僕は、外壁に張り付きながらその場で辺りを見渡した。

 すると、一つの部屋の窓から。

 一筋の光が漏れていた事に気がつく。


 ……間違いない。

 あそこがレッスンルームだ。


「ふっ……!」


 僕は自前の装備であるフックのついたワイヤーを腰から取り出し、屋根の適当な場所に引っ掻けると、素早くその場からレッスンルームの窓へと身体を飛ばした。


 レッスンルームの前に到着すると、体を固定させる様にそのワイヤーを足元と屋根にピンと張り、即席の背もたれを作りだす。

 

 そして、そこに背中を預けながら。

 その光が漏れる鍵のかかった窓をそっと調べてみることに……。


 どうやら、窓はアメリアが既に戸締りを終えていたのか、鍵がかかっている様子。


「……ちっ、やはり閉まっているか。……ん?」

 

 しかし、ふと視界の端を見ると。

 ほんの僅かにカーテンの隙間から中の様子が見えることに気がついた。


 ここからなら、室内の様子を覗けそうだ。


 僕はこっそりとその隙間を覗き込み。

 部屋の様子を確認しようとしていると……──



『……ちょっとっ! よくこんな状態の私を放置して、一人で淡々と事を進められますわねっ!? マイペースにも程があるでしょう!』



 ──……と、その様に。

 突然、足下からアメリアの声が聞こえてきたのである。


 僕はすっかりと忘れていたメイドの存在を思い出し、溜息混じりに燕尾服の尾を掴みながら宙にぶら下がっているアメリアに救援の手を差し伸べた。


 すると、彼女は僕の手をがっしりと掴みながら……──



「全くもう、乙女の扱いがなってませんわね……」



 ──同じく狭い足場にブーツをかけ……。

 あろうことか、僕と窓の間に無理矢理身体をねじ込んできたのであった。


 しれっと僕よりも見やすい場所を確保してきたアメリアに対し、僕は背後から「おい」と彼女の後頭部を睨みつける。


「……どうして後から来たお前が僕よりも見やすい位置を確保してるんだ。普通は逆だろう、今すぐ変われ」


「はい? 私よりも図体が大きい貴方が前に来ると私が見れなくなるでしょう? ……貴方がいつか口にした【Lady・First〈レディファースト〉】の精神を思い出しなさい」


「知るかそんな単語。僕はいつだって【カノン様ファースト】だ、どけテメェ」

 

 そして、そんな風に狭すぎる足場を奪い合いながら、子供のように小さな声で小競り合いをしていると──



「……あっ、カノン様ですわっ!」



 ──カーテンの隙間から、レッスンルームの部屋をキョロキョロと見渡すカノン様のお姿が目に入った。


 ……何かを探しているようにも見える。


「何故、こんな時間にレッスンルームなどに。……はっ!? ま、まさか……、目が冴えてしまわれたのだろうか!? 僕が行った就寝前のサービスはどれも万全だったはず……! 一体、何が原因だったんだ!?」


「……いや、確実に最後に行ったパレードのせいでしょう」


 そんな会話を窓の外で重ねつつカノン様の動向を伺っていると、彼女は部屋に飾っている僕が作製したアクアビーズ製の『イルカのオブジェ』に手を伸ばし始めた。


 そして、そのイルカの口先に設置されている『ボール』を回収したのである。


「……ボール?」


 すると、彼女はそのボールを肩に担ぐ様に構え……──

 


「えいっ!」



 ──レッスンルームの壁に向かって、ポイっと放り投げたのであった。


 その動作を見た僕とアメリアは、揃いも揃って目を丸くする。


 とりあえず、そのまま観察を続行していると、彼女の放ったその球体は当然の物理法則を見せるかの様に壁にぶつかって跳ね返り……──



「あうっ!?」



 ──そして、そのままカノン様の顔に直撃するのであった。


「「……あっ!?」」

 

 そして、バランスを失ってしまったのか。

 彼女は前方に倒れ込み、うつ伏せのまま動かなくなってしまったのである。 


 ……。

 その光景はデジャブそのモノ。

 実は本日、もう既に何度も見た光景であった。


 なるほど……。

 おそらく、彼女は本日行ったスポーツテストの一つ。

 ──【捕球】のテストを真似て、一人で練習しているのであろう。


 壁にボールを放ち、その反射で返ってくるボールをキャッチしようとしているようだ。


 昼過ぎに行った【捕球】のテストは、結局のところ一度も成功できなかったと記憶しているのだが……。

 やはり予想通り、失敗してしまったらしい。


 それはさておき、この流れは不味い。

 もし、テスト中と全く同じ末路を辿るならば、僕の知る限りでは彼女はもう間もなく……。


 十中八九。

 『あの状態のまま泣き出してしまう』だろう。 


 彼女が知らぬ所で出来ていたギャラリーの一人である僕も、この事態には酷く狼狽えてしまう。


「なっ!? カ、カノン様……っ!?」


 そして、すぐさま彼女の救出に向かおうと考えた僕は……。

 窓に向かって自らの拳をグッと構える。


「な、なにをするつもりですか!? こら、やめなさいっ!」


 すると、目の前にいたアメリアがいち早くそれに勘づいたのか、僕の手を封じる様に慌てて拘束してきた。


「止めんじゃねぇ、アメリア。僕は結果的にカノン様を傷つけたあの腐れイルカを決して許さん。今すぐに叩き潰してやる」


「そこに怒ってたのですかっ!? ……というか、アレ作ったのも貴方でしょう!?」


 僕は必死に動きを制してくる目の前のアメリアの手を払い除けると、彼女に小さく講義の声を浴びせる。


「……また『温かい目で見守れ』か?」


 僕は動きを制してきた彼女をそう睨むと、彼女は首を横に振りながら目の前の窓に指を刺した。


「良くご覧なさい、カノン様の様子を──」



 ──僕はアメリアの指示通り。

 再び部屋の様子を覗き込んでみる。


 すると、そこには普段と変わらない彼女の姿があった……。


 うつ伏せのままプルプルと震えている主の姿が目に入る。


「おい、めちゃくちゃ泣いてるじゃねーか!!」

 

 しかし、そんな僕の予想は大きく外れることとなる。


「……え?」


 次の瞬間。


 なんと、カノン様は自らの力だけで。

 よろよろとその場から立ち上がったのであった。

 

 その瞳には一切の涙は無く……。

 むしろ、今まで見た事がない表情を浮かべている様にも見える。


 唇を噛みしめながら立ち上がる彼女のその姿は……。

 はっきりと『悔しさ』を表していた。

 

 明らかにいつもと様子が違う我が主の姿を目にした僕は、アメリアと同様に口を閉じる。


 そして、今度こそ三度目の正直を……。

 いや、カノン様を信じて……。


 その場で『暖かく見守ること』を、再度選んでみることにした。


 すると、彼女はすぐに二回目の挑戦を開始。

 ボールを拾い上げ、もう一度壁に向かってそれを投げる──


「えいーっ!」


 壁を弾き、跳ね返った彼女のボールは……。


「わ、わわっ……!」


 ──見事。

 彼女の腕の中へと帰還した。


「「……っ!」」

 

 そう、遂にカノン様は。


 生まれて初めて──【捕球】を成功させたのだ。


 僕は驚きから。

 アメリアは喜びから。


 それぞれ窓の向こう側で、口を大きく開ける。


 あんなに何度もやり直した【捕球】のテストを。

 それも、たった二回目で。

 彼女は無事に成功させたらしい。


 それを見たアメリアは、そっとその場で呟いた。


「……もしかすると、カノン様は『ほんの少し、本番に弱いだけ』なのかも知れませんね」


「本番に弱い……?」

 

 彼女の考察に対し、僕も改めて過去を振り返ってみた。


 ……確かに言われてみれば。

 カノン様に何かをさせようとした時は決まって──『僕やアメリアの様子を伺いながら、物事に挑まれていた』ような気がする。


 彼女の言う通り。

 もしかするとカノン様は『極端に本番を意識してしまっているせいで、実力を発揮できなかった』のかもしれない。


 僕は室内で一人。

 静かに喜ぶカノン様を眺めながら。


 そっと小さく呟いた──



『……やはり、僕は勝手だろうか?』



 ──僕のその独白に。

 アメリアは黙り込む。


「カノン様を世の目に触れさせることが……、どれほど危険なことは重々承知しているつもりだ」


 そうだ。

 そんなことは頭では痛いほど理解している。


 しかし、それでも……──


 

『……それでも僕は、『出来が悪いから』という理由だけでカノン様を捨て去った、あの王族共を見返してやりたくて堪らない』



 ──王族に対するこの怒りの感情を抑えることは……。

 一生出来ないだろう。


 いつの間にかコチラに顔だけを向けられていた前方のアメリアに『過去』の目を宿らせる僕の姿を見られていた事に気づいた僕は、そっとその場で目を閉じる。


 不味いな。

 気持ちが昂ってしまったようだ。


「……悪い、もう少しだけ時間をくれ。必ずお前が納得する代替案を出す」


 感情が昂ると、すぐにあの時の自分に戻ってしまう。

 癖とは怖いモノだな。

 早く気持ちを落ちつかせなければ……。


 そう考え、気持ちを沈めようと深呼吸をしようと息を吸った。


 その瞬間──



『撤回しますわ』



 ──彼女が僕の前で。

 そんな事を呟き出したのだ。


 僕は彼女が発したその唐突な発言に。

 思わず拍子抜けしてしまったせいなのか……。


「……は?」


 必死に押し殺そうとしていた筈の昂った感情が。

 自然とどこかに消え失せてしまう。


「『カノン様は成長を望んでない』と言った発言をですよ」


 すると、アメリアはコチラに向けていた顔を元に戻し、室内にいるカノン様をジッと見つめた。


「……あんな姿を目の当たりにしてしまっては、口が裂けてもそんなこと言えませんものね」


 その彼女の表情は。

 本当に優しげなモノ。


「……い、いいのか?」


「いいのではありませんか? 見つかった時の事は見つかった時にでも考えれば……。よくよく考えればカノン様が神童に育ったとしても、逆に誰一人として王族陣が信じてくれない可能性だってありますしね」


 僕はそんな適当な言葉を並べる彼女の言葉を聞いた途端、思わず小さな笑いを溢してしまう。


「……なんだ、急に投げやりだな」


「元々、貴方を納得させる事は出来ないだろうと諦めていた節はありましたから」


 そう言うと彼女は。


 突如、足場の悪い中でクルッと身体を振り返えらせながら……。


「それに、万が一見つかってしまったその時は……」


 そっとコチラ側に向かって。

 全ての体重を預けてきたようだ。


 僕は背後に張ったワイヤーにもたれながら、顔がつきそうな程までに接近してくる彼女と見つめ合う形となる──



『──私達、たった二人で国を相手にするという展開も意外と楽しそうですしね』



 月夜に照らされた、彼女の余裕そうな微笑み。


 そんな彼女の表情を見るのも、また。

 僕にとっては初めてのことであった。


 ニコっと何も考えてなさそうな表情で、その様な言葉をぶつけてくる彼女を見た瞬間……。


 僕は舌打ちをしながら、顔を横に逸らしてしまう。


 すると、「さて」と呟いた彼女は窓の隙間に針金を差し込み、何やらガチャガチャと操作し始めた。


「そろそろいいでしょう。私達も中に入りますわよ」


 そして、僕をその場に置いていくかの様に。

 アメリアは窓枠を跨いで、カノン様がいるレッスンルームの中へと入室し始める。


 遅れて窓から入室すると、【捕球】をクリアしたカノン様は次に裁縫セットに手を伸ばそうとしていたご様子。


「精が出ますね、カノン様」


 そんな彼女に対し、背後からアメリアが声をかける。


「わっ!? あ、あめりあ!? るーびんも!?」


 一瞬だけ身体を跳ねさせたカノン様であったが、僕とアメリアの顔を確認すると、すぐに笑顔を見せてくれたようだ。


 そして、とてとてと僕たちの足元に。

 元気よくその場から駆け寄ってくる。


「一人で特訓をなされていたのですか? ……言ってくだされば、僕もお付き合い致しましたのに」


 すると、カノン様は少し罰の悪そうな顔でそのまま俯き始めた。


「だって、おもしろくないよ? ……カノン、たくさんしっぱいしちゃうから……」


 僕は転んだ拍子に付いたであろうカノン様の顔に付着していたゴミをハンカチで拭き取りながら、彼女の言葉に返答。


「仕方ないですよ。カノン様はまだ小さいのですから、焦る必要はございません」


 が、しかし……。


「しっぱいしちゃうの……」


 カノン様は酷く落ち込んだままである。


 やはり、アメリアの予想通り。

 失敗を意識しすぎているようだな……。

 どう励ましてあげるべきなのだろうか?


 ……失敗しちゃう、か。


 ……失敗。


 ……。

 

 『失敗』……?


 その発言を聞いた瞬間。

 僕は、ようやく一つの答えに辿り着いた。


 違う、カノン様は『本番に弱い』んじゃない。

 彼女は、おそらく……。


 そうか、もしそうならば。

 今、僕がカノン様にかけてあげなければならない言葉は……。


 こんな言葉ではないな。


「いいではありませんか」


「……え?」


 そして、僕はニコッと微笑みながら。

 目の前のカノン様に、この様なアドバイスをしてみせる。


「別に失敗してもいいですよ。……僕も失敗ばかりしてしまいますから、貴女の気持ちはよく分かります」


 すると、僕の発言を聞いたカノン様は。

 面白く無さそう顔で頬を膨らませてきた。


「うそ、カノンしってるもん……。るーびんがなんでもできちゃうの」


「あははっ、そうですか。……確かに、今は昔に比べると少なくなりましたが……、僕だって数年前までは毎日が失敗の連続だったのですよ? おそらく、数だけで言うならば、今までカノン様が失敗してきた数を全て合わせても、遥かに僕の方が多くの失敗を重ねてきた自信があります」


「……へっ!? ぜ、ぜったいうそだもん!」


 僕は驚きの表情を見せるカノン様から視線を外し、隣に立つアメリアに話しかける。


「お前はどうだ、アメリア?」


 すると、彼女もまた。

 カノン様に視線を合わせる様にしゃがみ込み、微笑みながらゆっくりと頷いた。


「ええ、恥ずかしながら私も似たようなモノですわ。なにせ初めて受けた実技試験は、全ての科目が最低評価でしたからね」


 そう、【超級使用人】である僕達は。

 『何も最初から完璧超人だった』という訳ではない。


 それは僕やアメリアだけで無く。

 我が学園を卒業した他の卒業生達も……。


 それは似たようなモノであり、最初は皆が凡人だっただろう。


「……ほ、ほんとうなの?」


「はい。私達はただ、成長の仕方が人より上手かっただけです」


 すると、その話を聞いたカノン様は。

 僕とアメリアの裾をそれぞれギュッと掴んできた。


「ど、どうやったら、ふたりみたいになんでもできるようになれるのっ!? おねがいっ! カノンにもおしえてっ!」


 そして、そのように必死な表情で懇願。


 そんな彼女を見た僕とアメリアは顔を見合わせ、互いにクスッと笑ってみせる。


「簡単なことですよ」

「ええ、簡単なことですわ」


 そして、二人で声を揃えて、その秘訣を。


 我が主に伝授することにした──




『『──失敗すればいいのです』』




 ──……。


「…………」


 すると、それを耳にしたカノン様は。

 目を丸くしながら、ポカーンと口を開ける。


 そして、しばらく考えた後。

 僕達に向かって、小首を傾げてきたご様子。


「……しっぱいしたらだめなんだよ?」


 どうやら、その言葉の深い意味が上手く伝わっていないようだ。


 その発言に対し、逆にコチラも首を傾げて質問を返してみせる。


「おや、どうしてそう思われるのですか?」


「だってね、しっぱいしたらみんながガッカリしちゃうもん……。『しっぱいははずかしいこと』なんだよ?」


 すると、隣にいたアメリアがニコッと笑った。


「ええ。確かにただ失敗するだけでは、残念ながら私達のように成長する事は一生できませんわね」


 なので、僕もそれに続く。


「……なんでも良いのです。どんなに小さな事でも良いですので、これからはその失敗から死ぬ気で何かを学び取って下さいませ」



 僕とアメリアの声に──



「失敗しても良いんですよ、カノン様」


「ええ、むしろどんどん失敗しましょう!」



 ──カノン様はようやく。

 笑顔を取り戻すのであった。


「うんっ! わかった! カノン、たくさんしっぱいするっ!!」


 彼女は決して本番に弱い訳ではない。


 おそらく、彼女は……。

 『人前で失敗することを極端に恐れていた』だけなのだ。


 カノン様は僕達の激励の声にやる気を出したのか、再び机の上に置いてあった裁縫セットの元に駆け寄ろうとする。

 ……が、途中でアメリアに抱き抱えられてしまう。


「──とは言え、本日は遅いのでもう寝ましょうねー」


「えー!!? ……も、もうちょっとダメ?」


 上目遣いで可愛らしいおねだりをするカノン様を見たアメリアは、一瞬だけたじろいでしまったように見えたが……。


「ダ、ダメです! さぁ、寝室に戻りますわよ」


「うぅ……、わかった……。カノンもどる……」


 流石に、時間も時間だ。

 子供のカノン様を夜ふかしさせるのは良くないと判断したアメリアは、カノン様を寝室に連行するかの様に手を引いて扉側へと向かうのであった。


 僕も窓の戸締りを確認した後。

 彼女達と共にレッスンルームを退室して廊下へ出ると、近くの寝室に向かう彼女達の離れた背中が目に入ってくる。


 すると、少し物足りなさを見せているカノン様の背中を見て、僕はとある事を思いついてしまった。


「カノン様っ!」


「……?」


 背後から彼女達に声をかけ。

 寝室に入ろうとする彼女達の足を止めるや否や。


 僕は、レッスンルームの扉の前にその身を置き。

 懐から懐中時計を取り出ながら、こう口にしてみせる。


「……その寝室からここまでの距離が丁度、二十五メートルでございますよ」


 そう、僕はかつてない程にやる気に満ち溢れているカノン様に……。


 これより正真正銘。

 最後の【技能テスト】を受けていただこうと考えたのである。


 その発言を聞いたカノン様は。

 恐る恐る手を繋いでいるアメリアの顔色を伺い始めた。


「……はぁ、一回だけですからね」


 すると、アメリアがカノン様の手を離し、カノン様をその場に待機させて僕の元までゆっくりと戻ってきてくれたのである。


 アメリアは僕の隣で手を広げながらしゃがみ込み、カノン様を迎え入れる準備……──



「いつでもどうぞ」



 ──そして、僕の合図と同時に。

 カノン様は笑顔で廊下を蹴った。


 余計な緊張を捨て去った我が主の表情は。


 本当に楽しそうであった。



 ──────


 ────


 ──


 …………。


「ど、どうだった!?」


 息を切らせて、笑顔でそう問いかけてくるカノン様を背景に……。


 背中を見せる僕とアメリアは懐中時計の針を見つめながら、感情を無にしてしまう。


 カノン様の年齢である六歳女児の全国平均記録。

 ──『六秒台』……。


 そして、只今のカノン様の記録……。




 ──『十二秒』である。




 ……ちなみに。

 カノン様はあの時とは違い、決して何度も転倒することも特になかったし、靴が脱げて紛失することも無かった。


 にも関わらず、『十二秒』……。


 ……つまり。

 カノン様は……。


 隣にいたアメリアが、ボソッと呟く。

 

「……これはまさかアレですか? 『カノン様は万全な状態でも、普通に平均以下の能力だった』ということでは……、むぐっ!?」


 僕はアメリアの口を素早く手で遮り……──



「マジでF1かと思いました」



 ──カノン様に親指を立てることしかできなかった。


「えへへー……、カノン、えふわんきゅー……!」



 おい、神。

 ここは普通にカノン様に自己ベストタイムを叩き出させる流れだろうが。


 なにサボってんだ、テメェ。

 マジでふざけんよ。


 ……は? 一応、自己ベスト?


 ……。


 あ、そうだったわ……。



           ✳︎

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