第4話〈2〉【技能テストを行いますが、何か?】
晴天の下に照らされた。
屋敷の玄関先にある美しき庭園。
その中心地に存在する芝生スペースにて。
自身の腹と手で挟み込むようにバインダーを持っている僕は、もう片方の手に握るストップウォッチへと視線を落としていた。
すると、険しい顔でストップウォッチのデジタルを眺める僕の隣から──
「──……一応聞いておきますが、只今の記録は何秒でしたの?」
銀髪の同僚メイドの声が聞こえてくる。
僕はその声の方を一瞬だけ横目で一瞥すると、そこには……。
どうやら、空砲を鳴らす競技用ピストルを携えたアメリアが立っていたらしい。
そして、いつの間にか隣に移動してきた彼女もまた。
結果を聞く前から、今の僕と同じように悩ましげな表情を浮かべている様子である。
僕は彼女から再び手元に視線を戻すと、そこには──【五分五十秒】と刻まれたストップウォッチのデジタル画面。
「そうだな、今の記録は──」
僕は彼女の質問に対し、現実から目を逸らすかの様な素早い動きでリセットボタンをピッと鳴らし、額から垂れた冷や汗を袖で拭ってみせる。
「──な、七秒くらいだった……」
しかし、そのような嘘は。
僕と共に一連の流れを間近で見ていたアメリアには、全く意味の無いこと……。
「いや、どう考えても数分はかかっていましたよね? その嘘は流石に無理があるでしょう」
……と、すぐにそれが虚言だとバレてしまう始末なのであった。
そう、僕達が行なっているのはスポーツテスト。
もちろん、僕達が受けている訳ではなく。
対象はこの屋敷の当主──カノン様である。
只今、僕の足にしがみつきながら「ぜぇぜぇ」と息を切らしているカノン様に行なって頂いた種目は──【二十五メートル走】だ。
「確か、カノン様のご年齢である六歳女児の全国平均は『六秒前後』ですわよね? なぜ、こんな事になってしまったのでしょう」
「僕が聞きたいくらいだ……」
溜息を吐いている彼女の言う通り。
そもそも何故、カノン様はこの様な信じられない記録を叩き出してしまったのか?
……いや、本当は一部始終を見届けていた僕もアメリアも知っているはず。
僕は本日の記録が記載されたバインダーに目を通しつつ、淡々とその原因について研究し始める。
「一度目は複数回の転倒。二度目は履いていた靴が途中で脱げて見失い……。そして、最後は普通に体力の限界か」
……そう、これが。
測定中にカノン様の身に起きてしまった悲劇の数々であった。
次から次へと思わぬトラブルが連続で相次ぎ、何度も測定し直している間に。
いつの間にか、彼女の体力に底が見えてしまったのである。
「どうしますか? もう一度、測定し直すという手もありますが……」
「……いや、これ以上繰り返しても記録が縮まることはないだろう。次の測定に移るぞ」
それを聞いたアメリアは、肩をすくめて僕の足にしがみついているカノン様の頭上に日傘を差し、水筒に入った冷たい経口補給水を手渡し始めた。
そんなアメリア達のやり取りを眺めていた僕は、遠い目で空を見上げる。
──本日、カノン様に受けて頂く予定だったスポーツテストの種目は以下の通り。
【体支持持続時間】
【両足連続飛び越し】
【二十五メートル走】
【ボール投げ】
【捕球】……。
それらの五種目である。
約一時間前から測定を開始し、順番に測定している最中であるのだが……。
実のところ、これより前に行った【体支持持続時間】や【両足連続飛び越し】といった種目も、今の【二十五メートル走】と似た様な結果で終わっていた……。
【体支持持続時間】は非力過ぎて、そもそも台にぶら下がり続ける事ができずに断念。
【両足連続飛び越し】は、何度やっても測定で使用するトレーニングラダーに身体が絡まり、測定どころの話ではない。
そして、唯一まともに測れそうだと期待していた『ただ走るだけ』の種目──【二十五メートル走】ですら、この様な結果となってしまった。
これには、流石の僕とアメリアも頭を抱えてしまう。
……だが、テストはまだ残っている。
残りは【球技】系の種目だ。
僕は気を取り直すように咳払い。
自身の足元にいるカノン様に視線を合わせた。
そして、持っていたバインダーを使って風を送りながら、優しく話しかけてみる。
「よく頑張りましたねカノン様。そろそろ、体力は回復致しましたか?」
「……うん。ちょっと、なおってきたかも……」
どうやら、カノン様はまだほんの少しだけ息を切らしている模様。
まだ子供ではあるが、体力が尽きるのも心なしか少し早すぎる気がする……。
どうやら、体力の総量も水準以下でいらっしゃるのかもしれない。
僕はそんな事を考えながら、カノン様を仰いでいたバインダーの手を止め、そこにそれらの情報も追記していると……。
「うおっ!? ……な、なんだ?」
突然、隣に立っていたアメリアが僕の腕を掴み、ぐいっと引っぱり上げてきた。
半ば強制的にその場から立たされてしまった僕は、何事かとアメリアの方を確認しようとすると、次はそのまま流れる様に身体を半回転させられてしまう。
すると、アメリアはカノン様に聞こえないくらいの小声で僕に耳打ち。
「ちょっと、どうするのですか……!? 色んな種目を受けて貰っていますが、まだまともな測定が一つもできていないですわよ!」
どうやら、天下の【超級使用人】が二人で担当しているにも関わらず、子供一人相手に苦戦を強いるこの現状に。
流石の彼女も焦燥感を抱いている様子である。
「焦る気持ちは分かるが、結果を出すにはまだ早すぎる。とりあえず、先に残りの種目も終わらせるぞ」
そして、そう口にしながら近くに落ちていたドッチボールサイズのゴム製ボールを足で拾い上げ、それをアメリアに押し付ける様に手渡した。
すると、それを受け取ったアメリアは納得のいかない表情を浮かべながらも、渋々とその僕の指示に従う様にカノン様がいる方に振り返る。
「まぁ、そうですわね……。もしかすると、【球技】だけは得意だったりする可能性もありありますし……」
彼女はそんな独り言を言い終えると、気持ちを切り替えるかのように笑顔を浮かべた。
「カノン様、そろそろスポーツテストを再開致しましょうか? 次は私と一緒に【捕球】のテストを行いましょうね!」
「ほ、ほきゅー?」
ボールを持って微笑むアメリアを見上げながら、指を咥えて可愛らしく小首を傾げるカノン様。
そんな彼女の仕草に和んだのか、アメリアは小さく笑みを溢す。
「ふふっ、そうでございます」
すると、彼女はボールを持った状態で数歩その場から後ろに下がり、そのボールを自身の顔の横に掲げながら僕に視線を送ってきた。
それを確認した僕は彼女と入れ替わる様にカノン様に近づき、ニッコリと笑いながら優しい口調で今から行う──【捕球】についての簡単な説明を開始する。
「いいですか? 今から向こう側にいる『あの銀髪のカスメイド』が、カノン様に向かってボールを放り投げてきます。……ですので、カノン様はそれをどんどん両手でキャッチして下さいませ」
「ぼーる? きゃっち?」
しかし、その説明が上手く伝わらなかったのか、カノン様は目を丸くしているご様子。
ふむ、見本を見せた方が早いか……。
そう考えた僕はカノン様の一歩前に出て、向かい側のボールを持って待機しているアメリアに対し、ヒラヒラと手を振った。
「おい、アメリア。カノン様にお手本をご覧になって頂くから、コチラにボールを投げろ」
すると、それを聞いたアメリアは。
小さく口角を上げ始める。
……そして、次の瞬間──
「──っ!?」
──なんと、アメリアのいた方角から。
物凄いスピードのボールが飛んできた。
アメリアの手から放たれた豪速球は。
瞬く間に、僕の顔の前へと到達する。
「ぐっ!?」
幸い、瞬間的に発せられた脳からの危険信号により、僕は間一髪の所で腕を顔の前に設置する事に成功。
結果……。
『バチンッ』と大きな破裂音を辺りに響かせた。
ジンジンとした痺れが腕に残っている中、僕はボールが飛んできた方角に立っていたメイドを強く睨みつける。
「……てめぇ、……喧嘩売ってんのか?」
僕が怒気を孕ませた笑いでアメリアにそう話しかけると、彼女は「ふふん」と憎たらしい笑顔を浮かべ出した。
「あら? 『銀髪のカスメイド』如きが投げたボールすら取れないなんて。 一体、雑魚はどっちなんでしょうね?」
なるほど。
どうやら、カノン様に話した説明の中で発した単語がたまたま彼女にも聞こえていたらしい……。
おそらく、今のはその仕返しのつもりだったのだろう。
……上等じゃねぇか。
このクソメイドが。
僕はそっと身につけているグローブを外しながら、露わになった素手をポキポキと鳴らす。
そして、アメリアを挑発をするかの様に、そのままゆっくりと。
その手を前に突き出してみせた。
まるで。
もう一度、放ってこいと言わんばかりに。
「……そんな柔な球ならば、『片手』で事足りそうだ」
「……っ! ……このっ!」
すると、そんな僕の姿と発言を視界に入れたアメリアは見事にその挑発に乗ってきた模様。
眉間に皺を寄せながら、近くにあったカゴから再びボールを取り出し。
その場で大きく振りかぶる。
そして、その数秒後。
風が裂くような音。
そう、再度。
アメリアの手から豪速球が放たれたのだ。
先程よりも更に鋭く。
遥かに早い球が……。
その球は。
整備された芝生を散らし。
花壇の花を大きく揺らし。
周囲に突風を吹き起こす。
そんなレーザービームに近い超豪速球を見たせいか。
僕の掌に、ジンワリと緊迫の汗が滲む。
確かに速い……。
相当なまでに。
……しかし、見たところ。
先程の球に、少し威力が加わっただけだ。
落ち着いて挑めば、僕の技量なら難なくキャッチできる範囲の球だろう。
そう判断した僕は、なんて事ない表情で。
そのボールに片手を黙って翳し続ける。
「ふん、この程度か……」
そして、特に何かの行動を起こす事もなく、ボールが手に着弾するまでじっとその場で待つことを選んだ。
しかし、ボールが僕の手に到達する直前。
僕は彼女の放ったボールに。
その目を見開かされる事となる。
なんと、突然。
彼女の放ったボールが、ユラユラと左右にブレ始めたのだ……。
そして驚くべきことに。
そのボールが『二つ』に分裂してしまったのである。
「なっ!?」
どうやら、
彼女は先に放ったボールの死角……。
背後にに隠す様に──『二つ目の本命ボール』を仕込んでいたらしい。
「くっ……!? 狡い真似を……っ!」
速度のみを警戒していた僕は虚を突かれたせいか。
思わず顔を歪ませてしまった。
……が、しかし。
それも一瞬のこと。
……流石だな。
やはり、腐っても【超級使用人】の称号を持つメイドだ。
敵に合わせて、瞬時に対策を練り。
変幻自在に闘い方を変化させるとは……。
本当に侮れん奴だ。
だが、アメリア。
僕から言わせれば……、そんなもんは。
【卑怯】の内に入らねぇんだよ。
「──……ふっ!!」
僕は目の前で起こった現実を素直に受け入れ、冷静にそれの対処を開始。
まずは、予定通り。
一つ目のボールからだ。
僕は伸ばした右手で、そのまま初段の球を【捕球】する事を選ぶ……。
すると、凄まじい破裂音と強い衝撃が。
僕の右手を襲ってきた。
「……っ!」
しかし、痛みで顔を引き攣らせている場合ではない……。
僕はすぐさま。
後続の二球目の対応に取り掛かる。
右手で一球目のボールを掴んだまま後ろに倒れ込むかの様に身体を逸らし、その二つ目のボールを鮮やかに……。
避けたのだ。
その姿。
おそらく、メイドからは『二球目を放棄し、その球から逃げた』ようにしか見えなかっただろう。
「あらあら、やはり片手だけでは厳しかったようですわね?」
その証拠に身体を倒す直前……。
間接視野にて、アメリアがニヤニヤと笑っている姿が視界に映る。
しかし、僕はそんな彼女に。
熟練の技と対応力を魅せつける。
そう、僕は体勢を崩した状態で掴んでいたボールを……。
華麗に自身の真上へと放り投げたのだ。
「……は?」
そして、空いたその手で。
僕の顔の前を通り過ぎていったボールを素早く追いかける。
その姿。
まるで獲物へと食らいつく蛇。
結果、二球目もガッチリと捕らえる事に成功した。
「……う、嘘っ……!?」
後は簡単だ。
そのまま【後方倒立回転飛び】で体制を整えつつ、落下してきた直前に宙に置いていた一球目と現在所持している二球目を一つの手でお手玉の様に入れ替え続け……。
そして、『その姿をアメリアに見せつけるだけ』でいいのだから。
僕は鼻で笑いを一つ鳴らした後、対面側にいるアメリアにこう告げてみせる──
『突然の来客に対応できない執事など……、ド三流も良い所だからな』
──僕は彼女に宣言した通り。
片手のみでボールをキャッチする事に成功したのであった。
そんな僕の一連の動きを見ていたアメリアは、悔しそうにほんの少しだけ口を膨らませたかと思えば……。
彼女はそのまま何も言わず。
不貞腐れる様にその場でしゃがみ込み、その膝に頬杖をつき始めるのであった。
……ふん、愚かなヤツだ。
カノン様の前でこの僕に恥をかかせようとしていたようだが……。
残念だったな?
僕はアメリアに一泡吹かせることができた事に対して大きな喜びを心で感じながら、非常にスッキリとした面持ちで背後を振り返る。
「その土俵で挑んできたのが、そもそもの間違いだったようだな。腕を磨いて出直して来やがれ」
……しかし、恐ろしいヤツだな。
二球同時に投げたにも関わらず、あの破壊力を維持できていたとは。
もし、アイツが小細工を考えずに。
一球だけに全力投球していたらと考えるとゾッとする……。
そうなれば、流石に片手のみでは厳しいかもしれんな。
とは言え、今回は僕の勝ちだ。
僕は勝利の余韻に浸りながらも。
数秒前に交わしていた【捕球】の説明へと戻るべく、背後にいるカノン様の方に笑顔で振り返る。
「……という風に! 普通にボールを取るだけのテストになりますので、とても簡単な……──」
──しかし、僕がそこまで口にしたそのタイミング。
そのタイミングでようやく。
僕は、目の前にいるカノン様の異変に気がつく。
……ん?
何やら、カノン様の顔色が『妙に青ざめている』気がするが……。
すると、そんなカノン様は。
まるで、産まれたての子鹿の様な足取りで僕の前に移動。
そして、プルプルと震えた手を一本……。
自身の前に突き出しながら。
この様に発言──
『ぐすっ、ここがカノンのおはか……』
── 袖で視界を覆っているカノン様。
そんな彼女に対し。
僕は慌てて首を振る。
「違います、違いますっ!! 大丈夫ですからっ! あんなエゲツない球は飛んできませんからねっ!!??」
この歳で早くも辞世の句を詠む我が主に対し、僕は必死で弁解。
しかし、一向に聞く耳を持って下さらないご様子なので、僕は慌てて同罪である向かい側にいたアメリアの方にも声を浴びせた。
「おい、アメリア! お前からも何とか言ってくれ!!」
しかし、負けた腹いせなのか……。
彼女は僕の言葉を無視するかの様に。
自らの膝で頬杖をつきながら、ただただ顔を逸らしてくるばかり。
「おい。……なに目ぇ逸らしてんだ、コラ。……絶対に聞こえてんだろ、こっち向けテメェ!!??」
くそ、予定通りに事が進まねぇ……。
この後もまだまだ予定が詰まってんだぞ……!?
──カノン邸の美しき庭園。
そこには拗ねるメイド。
叫ぶ執事。
……そして。
震える主。
カノン様が【捕球】のテストを受けて下さったのは。
それから、約一時間も後の出来事となる……。
✳︎
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