第3話〈3〉【家令を決めますが、何か?】

 

 窓からの光が強まり、太陽が顔を出し始める時間帯。


 ルーヴェインと別れた後。

 掃除や洗濯、朝食の仕込みや一部の簡単な資材調達などの細かい業務を終わらせた私が次に向かった場所は……。

 当屋敷の最上階となる三階であった。


 この階には我が主──【カノン】様の寝室が存在している。

 

 時刻は六時五十九分。


 私は主が眠っている寝室の扉を小さくノックした後、ドアノブに手をかけつつゆっくりと声を発した。


「失礼致します」


 そんな私の声に返答するのは──

 


「すぴー……」



 ──天蓋付きの大きなベッドでスヤスヤと眠る、小さき主の寝息であった。

 私は音が鳴らぬ様に静かに扉を閉め、足音を殺しながらベッドの前へ。


「カノン様、起きてくださいませ」


 そして、再びお声かけ。

 ……しかし、モコモコのナイトウェアに身を包んでいるカノン様は未だに夢心地のご様子。


「ワニさん……。かえして……。カノンのしょくパン……」


 しまいには、その様な『謎の寝言』が私の耳に入ってくる始末だ。


 ……と言いますか。

 どんな状況ですの……。


「あらあら、まだ寝足りないのでございますか」


 カノン様のユニーク過ぎる寝言を聞いた私は、そんな彼女の寝顔を見下ろしながら腕を組み、どうしたものかと少し思考を巡らせる。


 そして、とある結論に至った私はその場から二歩ほど足を後ろに引いた後、両手をお腹の前に揃え、目の前のカノン様に深々と頭を下げ始めた。


「畏まりました。大変お忙しいご様子ですので、起床時間を十五分ほど延長致します」


 そして、そう言い終えるや否や──



「──ふっ!」


 

 ──自分の真後ろに向かって。

 鋭い『バックキック』を繰り出した。


 ブーツの踵が狙った先……。

 それは、丁度私の真後ろにあった寝室の壁である。


 すると、衝撃が加わったその壁の一部が、長方形型に剥がれ落ちるかの様に手前に倒れ、ガチャンと音を立てて『とあるモノ』に姿を変えた。


 それは、一言で表すなら台座である。


 台座の全長は、カノン様のご身長よりも少しだけ幅に余裕を見せる程の大きさだ。


 大きな特徴と言えば……。

 台座の先端に洗面台の様なものと、簡易的なシャワーヘッドが備え付けられていることだろうか?


「さて……」


 私は鼻提灯を作っているカノン様を抱き抱え、その台に彼女を仰向け状態で優しく寝かせると、懐から三種のボトルを手に取り始める。


 そして──



「ふぁ〜……、きもちぃ〜……」



 ──寝ているカノン様の頭部にシャワーをかけ、朝のヘッドスパを開始したのであった。


 程よい温度の暖かいお湯で主が夢の中で奮闘中にかいたであろう汗を洗い流し、三種のボトルから出る泡を器用に使い分けながら、カノン様の金色の髪を手際よく洗浄していく。


「……痒いところはございませんか?」


 返事を期待しているわけでは無いが。

 一応、そんな決まり文句をカノン様に問いかけてみる事に。


 すると──



「……ワニさん。……どうか、はんぶんこで……」



 ──と、か細い声で寝言を呟かれた。


 ……。


 ……ワニと交渉ですか?


 私は疑問に思いながらもトリートメントの準備。

 泡を洗い流し、頭皮マッサージと並行する様に快楽的刺激を与えつつ、金色の髪に輝きを灯してゆく。


 すると、湯気に混じって。

 ほんのりと甘い香りが。


 ふふっ、良い香り……。

 今回はカノン様の頭髪に合わせて特別配合した物を使用してみましたが、我ながら見事な仕上がりですわ。

 

 私は呑気に心の中で自分を称賛しながらも、素早いスピードで洗髪を終えると、次は液体の入ったチューブを手に取った。

 そして、そのチューブの蓋を開け、独自開発したフェイスクリームを両手に伸ばし始める。


 そう、次はカノン様のお顔の洗浄だ。


 私は夢の中で奮闘中のカノン様の眠りを妨げない様に。

 息苦しさを一ミリも感じさせないことを目標に定め、呼吸のタイミングと空気の流れを見切りながら、顔に洗顔クリームを塗ってゆく。


 睡眠中であるぷにぷにの主人の頬に自分の指を這わせ、繊細な動きでムラが出ない様に指の腹を駆使しつつ、しっかりとクリームを肌に伸ばしていく。


 そして、最後に湿ったタオルや水の入ったスポイドを使いながら綺麗にクリームを洗い落とし、仰向け状態の若すぎる肌に更なる潤いを与えることに成功させた。


「……カノン様、延長時間もあと五分ほどでございますよ?」


 すると──



「……つん……だ……」



 ──またもや、その様に口が開かれた。


 ……そうですか。

 詰んでしまわれましたか。


 心なしか、先程よりも更にか細い声だった気がする……。

 よく分からないが、あまり芳しく無い成果で幕を閉じたのだろう。


 私は一瞬だけ手を止めてしまったが気を取り直して、髪を収納させるような形でカノン様の頭部にヘアタオルを巻き付けた。

 そして、そのままの状態で彼女を洗髪台から近くの子供用リクライニングシートに移動させる。


 カノン様を着席させたシートから伸びているリモコンのスイッチを押すと……。


「わわわわわわわぁー……」


 突然、その椅子が内部で電子音を鳴らしながら振動し始める。


 小刻みに揺れるカノン様が。

 全身を揉みほぐされている間……。


 この間に最後の仕上げをする。


 残り時間は五分間。

 

 私は薄いゴム製のハンドグローブを装着しながら、急いでカノン様の背後に回り込んだ。


 ここからは目にも止まらぬ速さで。

 迅速に全身の細かなケアを。


 不快感を与えないどころか、快感のみを味合わせる様な繊細な耳掃除。

 昨日と同じ長さに巻き戻すかの様にミリ単位で切り整え、最後にツヤ出しで美しい輝きを付与するネイルケア。

 特殊な形状をした様々なブラシと刺激の少ない口内研磨剤を使用し、さっぱりとリフレッシュさせる口内洗浄。

 本日の気温に合わせ、先ほど手縫いで製作したレース付きのネイビーカラーワンピースへのお召し替え。


 そして、ヘアドライヤーのスイッチを切って、カノン様の髪にブラシを入れている。

 その時だった……──



「……んにゅう、……あれ?」



 ──ようやく、夢から意識を戻されたのか。

 カノン様は目を擦りながら、きょろきょろと首を動かして辺りを見渡し始めた模様。


 私は寝室に備えられた時計にチラッと視線を送ると、短針は「七」を少し通り過ぎ、長針が「三」に合わさる瞬間を目撃する。


 ふふっ。

 時間通りですわ。


 私は小さな達成感からか少し上機嫌で。

 目の前に座っているカノン様の後頭部に声をかける。


「おはようございます、カノン様。良くお眠りになられましたか?」


「……あっ! あめりあだっ! おはよーございますっ!」


 すると、カノン様は私の声の発声元を辿るかの如く。

 シートに座った状態で顔を真上にあげ、そのままの状態で元気の良い挨拶を交わしてくれた。


 にぱっと笑うその笑顔は。

 途轍もないの破壊力。


 確かに、あのルーヴェインが激甘執事に変貌してしまうのも頷けるほどである。


 私が思わず頬を緩ませていると、カノン様はリクライニングシートの上で再び、キョロキョロと周りを見渡しているご様子。


「あれ? るーびん、どこ?」


 どうやら、カノン様はこの屋敷に住むもう一人の使用人の所在が気になっているらしい。

 なので、私は簡単に彼の行方を口頭で説明することに。


「ルーヴェインなら、本日は別の業務に追われておりますので、現在は手が離せない状態となっておりますわ」


 随分とオブラートに包んだが。

 言ってることは嘘では無い……。


 そう、私は彼に『休暇という仕事』を押し付けているだけだ。


 一応は上司からの命令という名目の指示。

 故に、今も立派な業務中だと言えるだろう。


 すると、それを聞いたカノン様は目をパチパチとしながら、「へー!」と声を上げた。


「そっかー……、るーびんはいそがしい……」


 何となく落ち込んでいる様な。

 そうでも無い様な……。


 かなり微妙な反応を示す主に対し、私は咳払い。

 カノン様の座るリクライニングシートの前に移動する。

 

「そういうことですので、本日は私がカノン様の『御側付き』を担当させて頂きますわ。どうぞ、何でも気軽にお申し付けくださいませ」


 そして、その様な事を口にしながら。

 私はその場で深々と頭を下げる。


「なんでもいいの? むー……」

 

 あら……。

 早速、何かご所望でもあるのでしょうか?


 まぁ、どの様な命令をされようとも。

 私は【超一流】の対応を見せるだけです。


「ええ、御心のままに」

 

 すると、口元に人差し指を当ててながら、暫く考えを見せていたカノン様は。

 遂に、何かを思いついたのか。


 椅子に座ったまま、手を上げる。


 そして──



「カノン、おやしきのなかをたんけんしたい!」



 ──目をキラキラと輝かせつつ。

 その様に元気よく発言なされるのであった。



         ✳︎

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