第3話〈2〉【家令を決めますが、何か?】
僕は【家令】だからな。
その単語が耳に入った途端。
私は思わず真顔になってしまう。
「……すみません。よく聞こえなかったので、もう一度仰ってもらってもよろしくて?」
私はその様に。
まるで感情を持たない表情で疑問をぶつけたのだが……。
彼はそのままボードに記す手を止める事なく、本日の予定や注意事項などを次々と記してゆく。
「……だから、【家令】の僕が屋敷の管理をするのは当然だと──」
「──聞き間違いかしら! ……今、あなたが【家令】だとかいう、恐ろしい幻聴が聞こえたのですがっ!」
何故、同期であるはずの彼だけが。
いつの間にその様な地位にまで上り詰めたのか。
私はその理由を問いつめる様に。
机をバンと叩いて椅子から勢いよく立ち上がった。
すると、そんな私の抗議の声を煩わしく感じたのか。
ルーヴェインはペンを止め、クマ付きの目でコチラに睨みを効かせてきた。
「古来より【家令】は執事が兼任すると決まっているだろう。加えて、この屋敷にいる執事は僕だけ……。つまり、僕以外にあり得ないということだ」
そして、さも当然かの様にそう言い張ると、彼は再びボードへと意識を戻す。
しかし、当然。
そんな理由に納得がいかなかった私は……。
「執事ではなくメイドが【家令】を務めた前例もありますわ! ……というか、私を差し置いて勝手に屋敷の最高責任者になるなんて有り得ません! 撤回なさい! 私が立候補します!」
すると、私のその発言がよっぽど気に入らなかったのか。
彼はようやくペンに蓋を被せる。
そして、偉そうにそれを向けてきた。
「……会議中だ。今すぐその口を閉じなければ解雇にするぞ? 【家令】の命令に背く事は許されない。そんな常識は当然、お前も知っているよな?」
そうですか。
あくまで自分が【家令】だと言い張るのですね、この男は……。
いいでしょう。
それならばこちらにも考えがあります。
私は顎を少し前に出し、彼を見下す様に睨み返す。
「カノン様に言いつけますわよ。『貴方の執事が私にパワハラをしてくる』……と──」
「──ガチで悪かった。調子に乗ったことは認めるから、それだけは勘弁してくれ」
すると、彼は即座にダラダラと汗を流し。
驚くべき速さで謝罪を述べてきたのであった。
そんな彼は苦々しい顔に変化させたかと思えば、観念したかの様に役職バッチを取り外し……。
そのままそれを机の上にパチンと置く。
「はぁ……、やはり妨害してきやがったか」
そして、近くの椅子を足で引き寄せるように自分の元へと移動させ、私の対面側にドカッと座ってきた。
「……だが、屋敷の代表者が不在では何かと不便だぞ。急いで決めなければいかんのも事実だろう」
確かにそうだ。
組織を管理する者がどこにもいなければ、経営はいとも簡単に破綻してしまうだろう。
つまり、どちらかが折れてでも。
必ずこの屋敷に【家令】を作らなければならないということ。
平等ではいられないのである。
……となれば、答えは一つしかない。
私は彼の目をじっと見つめ始めた。
すると、その視線に勘づいたルーヴェインは、額に一筋の汗を浮かべる。
「……まさかお前、また何かの勝負をしようとか考えてるんじゃないだろうな?」
──そう。
私の視線に込められていたのは。
まさしくその通り……。
【家令】を賭けた勝負の提案である。
どうやら、ルーヴェインも私の表情からそれを感じ取ったのか。
上等とでも言いたげな顔を見せてきた模様。
しかし……──
「そうしたいのは山々ですが……、今の状態の貴方に勝っても嬉しくありませんわ。この家の【家令】を誰にするのかは後日、カノン様に選んでいただきましょう」
──私はため息を吐いて、前言撤回。
今の疲労を蓄積した彼と勝負をしても。
私には何の得はない。
万全で無い相手との勝負ほど、興が削がれるものはこの世に無いだろう。
そこで私は、彼に別の提案を持ちかける事にした。
「という訳で、今日の所はひとまず……。コレでパパッと決めてしまいませんか?」
私はポケットの中から。
とある物を取り出した。
それは、一枚のコイン。
「一発勝負です。当てる事ができれば、あなたに今日一日だけ。臨時の【家令】役を譲ってあげてもいいですわよ?」
私はそう言い終わるや否や。
コインを指で高く弾きあげた。
コインは回転しながら宙を舞い、次第に下で待ち構えていた私の手の甲へと落下。
反対の手の平で素早く蓋をする。
そして、私が彼の目を黙って見つめると、それが予想を促す仕草なのだと読み取ったルーヴェインは……。
顎に手を添えながら、小さくポツリと呟いた。
「……裏だ」
宣言を聞き終えた私は、そっとその平をどかし、甲を相手に公開。
コインが顔を向けていたのは……──
「あらら、残念でしたわね♪」
──幸運にも『表』の方であったようだ。
つまり、ルーヴェインが予想を外したことにより、本日は私が代わりに【家令】を引き受ける事が決定した。
それを見たルーヴェインは親指以外の指で自らの目を覆い、全ての体重を預けるかの様に椅子の背にもたれかかる。
すると、彼は大きな嘆息を一度挟んだ後に、私の目をじっと見てきた。
「……何なりと、上司殿」
どうやら、観念したのか。
この結果を渋々受け入れたみたいだ。
私は先ほどとは打って変わって自分に謙ってくるルーヴェインの姿を見た途端。
少しだけ心が躍ってしまう。
「ふふん……。一つ年下の上司も、きっとそう悪くないですわよ?」
私は上機嫌で彼からペンを奪い取ってボードの前に立つと、既に記入されていた文字を全て消去。
再び、私が考えた新たなスケジュールへと塗り替えていく。
そして、全ての予定を書き終えた私はそのホワイトボードの内容を読み上げるのであった。
「では……、本日のそれぞれの役割についてですが、私は『カノン様の側付き』を担当いたします。朝のご起床から夜のご就寝まで……、私が一人でカノン様のサポートを行いますわ」
すると、
やはりそうきたか……、とでも言いたげな顔を見せてきたルーヴェインは。
やる気を失ったかの様に机に頬杖をつき始める。
「……で? 一体、僕はどんな雑用を押し付けられるんだ」
そう、【家令】には全ての決定権がある。
つまり、私は今日一日の間……。
この男を自由に手駒として扱えるということだ。
ふむ、色々考えましたが……。
やはり、『これ』以外は考えられませんわね。
私の考えた命令。
それは彼にとっては最大の屈辱であり、
私にとっては最大の利益となるもの。
私はニコッと微笑み。
満を辞して。
彼に本日の命令を下してみせる──
「──本日の貴方には、一切の『労働禁止』を命じますわ。私が次に命令するまでの間、自室で大人しく待機してなさいな」
「……は?」
すると、私の命令を耳にしたルーヴェインは青い顔。
勢いよく机を横に押し退け。
私の肩を強く掴んでくるのであった。
「ば、馬鹿な……!? 横暴だぞ、アメリア!! いくら自分が世話係を独占したいからと言って……、それは流石にやりすぎだろ!?」
狼狽える彼に対し。
私は勝ち誇る笑顔を見せる。
「【家令】の命令は絶対ですが、何か?」
私は先ほどの彼の言葉を借り。
そのように現実を突きつけると……。
彼は足の力を失ったのか。
そのまま床に倒れ込んでしまった。
「僕は今……、生きる希望を奪われた……」
そ、そこまで落ち込みますか……?
魂が抜かれ、深い絶望を見せる彼を見下ろしながら、私は呆れた様に首を横に振る。
そして、好敵手に塩を送るかの様に。
先ほど下した命令の形を少しだけ言い変えた。
「勘違いしないでください。今のは『身体を休ませろ』と言う意味ですわ」
「……は?」
そう、これが私の狙いの内の一つ。
『ルーヴェインの睡眠時間の確保』だ。
彼は昨日だけではなく、更にその前日も屋敷の改修作業で徹夜していたのを私は知っている。
おそらく、常人が耐えうる疲労の何十倍もの疲れが溜まっているはずだ。
「貴方はカノン様に尽くすあまりに、少し身体を酷使しすぎです。……私達の資本は身体ですよ? この調子ではいつか取り返しのつかない事になるのは目に見えてます」
私の目的は、彼との全力なる真剣勝負。
全力を出せない彼など、眼中にはない。
よって、すぐさま休憩を取らせるべきだと判断したのだ。
「永遠の名誉を手に入れる事ができたにも関わらず、こんなくだらない事でその全てを失うのはあまりにも愚かですわ」
私の至極真っ当な説教に。
ルーヴェインも返す言葉が見つからなかったのか。
「……僕は自室で仮眠をとってくる。何かあればすぐに知らせろ」
身を預けていた床から起き上がり。
そのような言葉を残して。
彼はスタッフルームを後にしたのであった。
「……誰にモノを言っているのですか、全く」
残された私は腰に片手を当て。
手の平のコインにそっと目を落とす。
「卑怯には卑怯で太刀打ちしてやろうと思って用意していたモノですが……。まさか、結果的に敵を手助けすることに使うとは思いませんでしたわ」
そして、『両面が同じ柄のコイン達』を手の平でチャリンと鳴らしながら、小さくその様に呟いた。
そう、私が手にしているのは。
自作のイカサマコイン。
「……こんなものにすら気がつかない相手に、勝負を挑む気になんてなれませんものね」
私は二枚のイカサマコインを眺めていると、無意識に退屈さから来る溜息を吐いてしまったらしい。
まぁ、良いです。
今回は、先攻を頂いたとでも思っておきましょう。
とりあえず。
本日の所は、カノン様からの評価を上げるとこまで上げる事を目標に……。
あわよくば、そのまま【家令】に就く許可もついでに頂くとしましょうかね。
──そして、そのイカサマコインを二枚とも指で弾き、一つの手に再び収める様に纏めてキャッチ。
ルーヴェインに続き。
私も同じく。
スタッフルームを後にするのであった。
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