第3話〈1〉【家令を決めますが、何か?】

 

 時刻は午前四時前。


 太陽がまだ顔を出し切っていない時間帯が、私の起床時間となる。


 とある屋敷の一室。

 時計の短針が「四」に重なるとほぼ同時に、夢から意識を戻したのは……。

 カノン様の専属メイドである私––––【アメリア】だ。


 目覚まし時計を必要としない身体に刻み込ませた体内での睡眠管理は、本日も問題ないようである。

 私は欠伸や伸びと言った寝起きの動作を挟む事も無く、素早い動きでベッドから足を出して自室のカーテンを開けようと窓へ向かった。


 カーテンを払い除け、窓を解錠。

 屋敷の二階にある自室から窓の外に手を出し、まだ少し暗い空を見上げながら深呼吸。


 現在の気温は体感測定にて、約7.9℃

 雲の動きと湿気から、午前は問題なく晴れる見込みと予測する。


「ふふっ、洗濯や野外調達にもってこいの天気になりそうですわね」

 

 少し笑顔を零しながらも、次は部屋に備え付けられている個室のシャワールームへと移動。

 身に纏っている寝巻きを脱ぎ、個室に入ってシャワーヘッドを掴む。


 そして、反対の手の平をシャワーヘッドの先へ……。


 その瞬間、私は『あること』を思い出し、その記憶によって身体を止めさせられた。


 私はこのシャワーからお湯が。

 ……いや、お湯どころか水すら出ない事を悟ったからだ。


「あ、そうですわ……。そういえば、水道と電気を止めたのでしたっけ……」


 そう、私とルーヴェインはカノン様との契約により、『カノン様のお世話をする際に『金銭』を使用しない』ことを約束した。


 金銭の使用禁止……。


 噛み砕いて言えば、私達が持ちうる硬貨や紙幣などの現金は勿論、キャッシュやクレジットなどの各種カードも使用禁止。

 早い話、私達の貯金を『カノン様に貢ぐこと』が全て禁止になったということである。


 昨日までは、カノン様に提供する食事に使用する高級食材の配達や、屋敷の建設に関する材費、及び管理費用は全て……。

 学生時代に様々な勲章を取得した際に送られる多額の褒賞金が入ったルーヴェインの通帳から支払われていたのだが……、それも本日までとなるだろう。


 契約後。

 私とルーヴェインは昨日の内に話し合い、その契約が終わった段階ですぐに管理会社に連絡して、電気や水道、ガスなどあらゆる生活に必要な設備の解約を申し込んだ。


「すぐに供給を絶てないのか?」……と、かなり無理のある願いを各管理会社に相談した結果……。

 本日より早速、全ての生活の供給が絶たれる事が決定したのである。


 つまり、現在はシャワーに必要とする電気、水道は愚か……。

 他の生活において重要な家庭用設備は一切機能しないということだ。


 仕方がない……。

 私達は水道代や電気代をこれから支払い続けることができないのだから。

 こればかりはどうしようもない。


 しかし、どうしたものか……。


「カノン様が起きるまでに、まずはこれらを何とかしなくてはいけませんわね……。骨が折れそうですわ」


 私は嘆息ついでに、一応ダメ元でシャワーのバルブを捻ってみる。

 ……すると──



「あら……? きゃっ!?」



 ──なんと、シャワーヘッドから冷水が一瞬だけ勢いよく噴き出した。


「なっ、なんですか!?」


 ……そして、数秒後にはいつも通りの軌道で水が流れ、次第にはその水が湯気を帯び始めたのである。

 

 何故、水道や電気の供給を止められたにも関わらず、問題なく使用できているのか?

 

 私が疑問に思っていると。

 今起きた出来事である二つのポイントに妙な引っかかりを覚えた。


「今の水の出かた……。それに一瞬だけ感じた出始めた時の水温……」


 間違いない。

 今のは『水管』を止め、時間差で再び繋いだ際に発生する水の噴出の仕方だ。


 つまり、『私が眠っている間に、誰かが水管の調整を行った可能性がある』ということが分かる。

 

 それだけでは無い。

 断水かつ断電中の屋敷に水が出て、その水がさらにお湯に変化したのだ。


 ……給湯器に電力が供給されている点を見ても、明らかにおかしい。


「なるほど……」


 暫くその場で考えた結果。

 私はすぐに『この屋敷に新たな貯水タンクと何らかの蓄電媒体が導入された』のだと判断する。


 そして、私は水の噴出の仕方以外にも。

 もう一つ気になる点が存在していた。


 そう、それは。

 出始めた時の水の温度だ。

 ほんの僅かではあるが、出始めた時の水温が『昨日に比べて高かった』気がしたのである。


 おそらく、この水は昨日までの様に。

 地中に埋め込まれている冷えた水管から上がってきたのではないのだろう。


 つまり、この水達は……。

 下から昇ってきているのではなく。

 上から降ってきているらしい。


 上から水が来たということは。

 新たな貯水槽の設置場所は当然……。


 太陽の光が直撃する、あの場所だ──


「──どうやら、貯水槽が設置されたのは『屋上』のようですわね」


 そして、シャワールームでの静かな考察はまだ続く。


 次は電気系統についてだ。


 自家発電方法は大まかに分けて三種類。

 太陽光パネルでの太陽光発電。

 水車や風車などの自然力発電。

 人エネルギーによる人力発電等が真っ先に挙げられる。


 加えて、一晩の間に起きた変化ということから太陽光は消去。

 可能性としては、自然力か人力での電力供給となるが……。

 この屋敷の周辺に水車を置ける様な川は存在しない上に、この土地の風はそこまで強力ではない。


 よって。

 残った選択肢──


「おそらく、何者かが一晩で『人力発電』が出来る設備を屋敷のどこかに整えたのでしょう」


 最後にまとめだ。


 残された謎は。

 たった一晩のみでこれらを全て実現させた人物についてである。


 おそらく、犯人は専門的知識が垣間見える恐ろしき技術力と、人間離れした膨大な仕事量をこなす人物なのだろう。


 ……そして、そんな化け物じみた人物は。

 この屋敷には『たった二人だけ』しか存在しない。


 私は自分以外の【超級使用人】である同僚の執事を頭に思い浮かべながらシャワーヘッド強く握り、その場でギリッと歯を鳴らす。


「……さてはあの男。私に隠れて徹夜してましたわね……!」


 確かに、客観的に見れば。

 非常にありがたい話ではある。


 たった一夜にしてそれらを全て確保するとは、敵ながら天晴だと言わざるを得ない。


 ただ、好敵手として見れば。

 非常に腹立たしい話だ。


 私は朝から熱いシャワーを浴びれる事実を素直に喜ぶことができず──



「もうっ!! 先を越されましたわっ! 私に秘密で屋敷の再改修をするなんてっ!」



 ──どうやら。

 ライバルの活躍を間接的に思い知らされた事への苛立ちが勝ってしまったらしい。


 私は悔しさから思わず。

 大きな声をシャワールームに響かせてしまう。


 こうしてはいられませんわ。

 私も何かアクションを起こさねばっ!


 私は頭、身体、歯など全身を隈なく綺麗に清め終えた後、急いで髪を乾かして迅速に自室の化粧台の前へと移動する。


 タンスから動きやすく改造された自前のメイド服を手に取り、急いで袖を通し。

 次に、ほんの少しだけ一般より丈が短くなっているパニエが装着されていないスカートを履き。

 次に、胸元に【超級使用人】のメイドだけが身につけることが許された学校からの勲章リボンを装着。

 次に、お気に入りのタイツにベルトを装着し、履き慣れたブーツを脚に巻いた。


 最後は身なりの最終確認。


 椅子に足を乗せて軽く摘む様に太腿のタイツの位置調整している最中にその場でふと右を向くと……。


「……?」


 見慣れたメイド姿の銀髪少女と。

 ほんの少しだけ『どこか不安げ』な顔を浮かべている情けない顔が。

 目の前にある化粧台の鏡に写っていた。


 朝からなんて顔をしているのだ。

 まさか……、ライバルに活躍の場を奪われた事で、無意識に焦っているのか?


 私はその鏡に映っている情けない顔を消し去る様に。

 ニコッとその場で自分に笑いかけてみせた。


「……大丈夫ですわよアメリア、貴女なら絶対に負けません。出鼻を挫かれましたが、圧倒的な差をつけてルーヴェインよりも活躍して見せるのです」


 そして。

 鏡に映る自分にそう話しかけた後。


 化粧台にあったゴムで昨日とは違う自分へと変化をつけるかのように。

 髪を頭の後ろで一纏めにする。


「……絶対に負けませんわ」


 すると、全ての準備を終えた私は。

 銀の尾を揺らしながら。

 

 ようやく廊下に繋がる自室の扉へと向かい始めるのであった。


 ここを出れば私という存在は。

 自身の主であるカノン様の所有物となるだろう。


 私は美しく背筋を伸ばし。

 そっとドアノブに手をかけた。


「よしっ!」


 ここから。

 メイドとして生きる私の一日がスタートだ。


 凛とした姿勢で部屋を出ると、

 目の前には一本の薄暗い廊下が現れる。


「さてと、まずは……」


 長い廊下に出た私は、その廊下に並んでいる複数の窓を隠すカーテン達を全て開放。

 朝日を受け入れる準備を済ませつつ、そのまま一階へと足を運ぶことにした。


 そう、これから朝の会議。

 スタッフミーティングが一階のスタッフルームで行われるのだ。


 本来、【超級使用人】とは全てが自己完結している生き物である為、基本的にミーティングなどは必要無いのだが……。

 どうやら、この屋敷に限ってはそれが必要らしい。


 何故なら、生憎にも。

 ここは『複数の【超級使用人】が住み込みで働いている』謎の職場環境となっているからである。


 そして、普通ではまず有り得ないこの現象……。

 実は意外にも良いことばかりではないと、早くも初日の段階で判明してしまうのであった。


 例えば──『仕事のダブルブッキング』……。

 例えば──『同時外出によるカノン様の孤立』……。

 例えば──『価値観の相違による屋敷内の装飾争奪合戦』……。


 と、その様な由々しき事態を避ける為に二人で提案したのが。

 この早朝ミーティングなのである。


 ただ、そんなスタッフミーティング。

 実は本日が初めての開催となるのだ。


 仕事の取り合いで、いきなり朝一番から衝突しなければ良いのですが……。


「確か、この部屋でしたわね」

 

 そんな事を頭に思い描いていると、もう間も無くスタッフルームの前に到着。


 私は扉の前で少しだけ銀の前髪を整え、軽く身なりを確認してからドアノブにそっと手をかける──


「──おはようございます」


 スタッフルームの内部。

 その様子はこうだった。

 

 数人しか入れなさそうなスペースしかない狭い個室。

 壁にかけられたホワイトボードと、間に合わせの様に配置された安物のパイプ椅子と机。

 屋敷の初回改修時に使われたであろう資材の余りと段ボール。


 そして––––



「…………」



 ––––まるで屍の様に椅子に身を預け。

 そのまま目の前の机に上体を突っ伏している同僚の黒髪執事。

 【ルーヴェイン】がいた。


 この屋敷の中で最も質素であろうこの即席で作成されたスタッフルームに足を踏み入れた私は、すぐに机で寝ているルーヴェインに声をかける。


「起きなさいっ! ミーティングの時間ですわよ!」


 すると、私の声に反応したルーヴェインは勢いよく机から上体を起こし、慌てて壁にかけられた近くの時計を確認し始めたようだ。


「……しまった。……少し寝てしまっていたのか」


 ルーヴェインは机から離した顔に片手を持っていき、親指で目頭を軽くマッサージする様な仕草を見せながらそっと席を立つ。


 声のトーン、目の色。

 呼吸、乱れた髪。


 一挙一動に微妙な疲労感を漂わせる彼は。

 そのままゆっくりとホワイトボードの前に移動。

 ペンを手に取ってコチラに振り返ってきた。


「……では、ミーティングを始めるぞ」


 何故、貴方が仕切るのですか。

 ……と言ってやりたかったが、いつにも増して目つきを悪くする彼が気になり、思わず口を閉じてしまう。


 そして、私は目を細めながらも。

 代わりとなる言葉を取り出した。


「そういえばあなた、昨日も徹夜しましたわね? 先ほど、シャワールームで何となくは悟っていますが……。一体、昨晩は何をしていたのですか?」


 すると、ルーヴェインは小さな嘆息を漏らし、その場で腕を組み始めた。


「……貯水タンクを取り付け、そこに水質チェックをクリアした山の湧水をぶち込み、一晩の間ずっと発電バイクのペダルを漕ぎ続けていただけだ……」


 なるほど、やはり私の推測通りでしたか。

 貯水タンクや発電用の蓄電池の調達だけでも、相当な時間を取られると思うのですが……。

 それをまぁ、よく実現させましたわね。


「それで、その貯水タンクなどの物資はどのように調達してきたのですか? ……まさか、カノン様に隠れて購入してきたのではないでしょうね?」


 すると、ルーヴェインが鼻で笑いを鳴らす。


「僕がカノン様の命令に逆らうはず無いだろうが……。それらを所有している人物を探し出し、きちんとその対価となる働きを見せて拝借してきたんだ」


 なるほど、対価となる働き。

 

 つまり、文字通り──『自らの労力を投資する事で手に入れた報酬』という訳ですか。


「……まぁ、それしかないでしょうね。私もこれからはそれらの経路を主軸に利用していくつもりですし。それについては強く言うつもりはありませんわ」


 そう、【超級使用人】である私達は。

 類稀なる優れたスキルを保有する実力者。


 そんな私達が工夫と努力を凝らせば。

 例え金銭を使用せずとも。

 ありとあらゆる物が手に入るのだ。


 より高度で卓越された労働を対価に。

 より高価な品を譲渡、又は拝借する。


 金銭を使用できない誓約上、これからはこの生活が基本となってくるだろう。


 ちなみに、私がカノン様にそう断言できた最大の根拠となる理由がこれだ。


 私達は存在自体に極大な価値が備わっている為、この地球上で唯一。

 これらが成立できるのである。


 そして、今回の彼は。

 『何かしらの労働と引き換えに、どこかの誰かに貯水タンクと蓄電装置を拝借して貰った』ようだ。


「カノン様がご起床する前に水や電気を使えるようにするには、もう一晩の徹夜するしか無かったんだ……。おかげでお前も朝から気持ちよくシャワーを使えたんだから、文句は言ってくれるな」


 ルーヴェインはそう言い終えると、再び背後のボードに身体を向け、本日の予定を記入し始めていく。


 そんなルーヴェインに対し。

 私は彼に見られない様に彼の背中に向かって、ほんの少し頬を膨らませる。


「まぁ、気持ちのいい朝を迎えられた事に対しては礼を言いますけど……。どうせなら、私も呼んでくださればいいではありませんか。……隠れて一人で活躍するなんて卑怯ですわ」


 私は手で髪をすきながら、洗髪剤の匂いを自らの鼻腔へ香らせて、そう口にする。


 すると、彼は平然とした態度で。

 次の様に発言––––



『当たり前だ、僕はこの屋敷の【家令】だからな。 上司として……、部下よりも働きを見せるのは当然のことだろう』



 ––––……その瞬間。


 私は髪を撫でていた手を。

 ピタッと止めてしまう。


 ……。


 落ち着くのです、アメリア……。

 

 まずは【家令】について整理しましょう。



  〜【House Steward〈家令〉】〜


 ––––それは、屋敷の最高責任者であり、この屋敷内にいる使用人の中で最も偉い人物に与えられる役職の名だ。

 屋敷の経営方針だけで無く、使用人の登用から解雇まで任される立場であり、高い権力を持つ管理人。

 そして、主を除けば屋敷内で最も強い発言力を持つ人物である。


 ちなみに余談だが。

 もし、カノン様がどこかの領主様で自身の領地を所有していたなら……。

 ––––【Land Steward〈ランドスチュワード〉】と名称が若干変化していたであろうが、どちらも『家令』と呼ばれる『主が所有する土地の【管理者】のこと』である。

 

 よく見れば、昨日まで何もなかった筈の彼の燕尾服の襟に……。

 ––––【家令】を表す、自作の役職バッチが増えている事に気がつく。


 あー、なるほど。

 いつも鼻につく発言ばかりする偉そうで品の無い男だとは思っていましたが……。

 それは彼が。

 

 この屋敷の【家令】だったから。


 なのですね。


 なるほど、なるほど!


 当たり前の様に上から目線で。

 このミーティングを仕切り始めたのも納得ですわ。


 ……。


 は……?



 ──私は彼の口からその単語が出てきた瞬間……。

 スッと顔色を変えるのであった。


 


          ✳︎

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