第2話〈終〉【お引越しですが、何か?】


『──今日からここが、カノン様のご自宅でございます』


 広い食堂に、僕の声が響き渡る。

 

 そう、この屋敷はカノン様のモノ。


 僕がそのように目の前の主人に伝えると、扉の前で飛び跳ねていたカノン様はこちらに身体を向けるように振り返り、僕の顔を見つめながら不思議そうに首を傾げられた。


「……どこが?」

「この屋敷が、でございます」


「……いつから?」

「今日から、でございます」


「……だれの?」

「カノン様の、でございます」


 そして、その様に再三と。

 貴女のものであると言い続ける……。


 しかし。


「……むぅー? どうして……?」 


 この有様である。


 どうやら、僕の言葉の内面的な意味が幼いカノン様には上手く伝わっていないらしい。

 我が主はその場で首をブンブンと振る。


「……ちがうよ? だってカノンのおうち、あおくてバサバサいってるヤツだもん!」


 おそらく、橋の下に構えているブルーシート製のマイハウスの事を言っているのであろう。

 ……この発言が何も間違ってはいないということに、何とも言えない悲しさを覚える。


 僕は額に汗を浮かべつつ、困った様な笑いを放ってしまう。


「そ、そうですね……。ですが、ここの屋敷の方が幾分か快適ですよ? 何より広くて、豪華でございますし!」

 

 我ながら何とも雑な物件紹介だ。

 本当に一体、何から話せばいいやら……。


「でも……、こんなおっきくてきれいなおうちの『おやちん』……、カノンはらえないよぅ……」


 どうやら、カノン様はかなり困惑している様子だ。


 無理もない……。

 突然、この様な絢爛豪華な屋敷に連れてこられ、しかも『今日からここが自分のものである』などと言われれば、誰でもこの様な反応になってしまうのは致し方ない。


 ……しかし、それ以前に。

 着眼点が素晴らしいな。


 真っ先に『家賃』の心配をなさるとは。

 どれほど純真無垢な思考回路で構成されているのだろうか。


 普通、この様な話を持ちかけられた時点で、ほとんどの人間は怪しさから警戒を示すか。

 目の前の美味しい話に飛びつく貪欲さを見せるかのどちらかが過半数を占めるはずだが……。

 本当に素晴らしい。


 流石はカノン様だと言わざるを得ないな。

 

 僕はにっこりと優しい笑顔を見せ、まずはカノン様の疑問を解消する言葉を呈することに。


「それは問題ございません。ここの土地は私が過去に『とある友人』から譲り受けたもの……。つまり私が所有する土地でございます。……そこから廃墟寸前だった屋敷をちょこっと改修しただけですので、お代は不要ですよ」 


「……でも、それじゃあおにいさんのおうちだよね? カノンのじゃないよ?」


 無論、その疑問も解消する。


「お忘れですか? 昨日、カノン様は僕とアメリアを使用人としてお雇い頂けたではありませんか。……僕の物は全て、主人であるカノンお嬢様のもの……。つまり、ここも貴女様のモノなのです」


「そうなのっ!? ……えーっと、えーっと! えーっと……––––」


 どの様な事を言われても、完璧に返答する自信はあるのだが……。

 まだ何かあるのだろうか?


 ふふ、それにしても……。

 どこまでも謙虚なお方だ。

 やはり、カノン様は世界一……。



「––––それじゃあ! ふたりともいらないっ!!」



 世界一…………。



 …………。



 ……え?



 僕は胸に添えていた忠誠の手だけではなく、体の全体をガタガタと振るわせ始める。


「……今、何と?」


 き、きっと……、聞き間違いだ……。

 今、『いらない』とかどうとか聞こえて来た気がするが、そんなことはあり得ない。

 幻聴だ……。


 いやいや。絶対にないわ。

 ほんと、マジで。


 それだけは無い––––



『ふたりともいらないっ! カノン……、しようにんさん、いらないっ!』


 しようにんさん、いらない……。

 ほう……、なるほど。

 つまり……。

 あれか?



 うむ……。



 ……。



 ……クビ?



「──ぐぷっ……!?」


 僕はショックの余りに吐血し、そのまま痙攣を起こしながら膝から崩れ落ちる。


 え?


 マジで?

 ク、ク、クビ……!?


 【超級使用人】って……。

 クビになるパターンあんの!?


 僕は倒れたまま、どんどんと生気を失ってゆく。


『お、おお……、お、お待ちになってくださいなっ!?』


 すると、背後から一部始終を聞いていたアメリアもまた、同じ様に慌てふためきながらカノン様に駆け寄ろうとしている模様。


 彼女の足音が徐々に。

 僕の耳元で大きくなっていくと。

 その足跡は丁度……。

 

 『僕の真上』で停止したようだ。


「この男をクビにするのは百歩譲って納得致しますが……、どうして私までっ!?」


「おい、てめぇっ……、わざとか……?」


 僕の腰にブーツをめり込ませながら。

 必死にカノン様を説得しようとしているアメリアに対し、僕が溢れる怒りをぶつけようとした。

 その時……。 


「だって……、カノンはおかねもってないから……、ふたりに『おきゅうりょう』あげられないの……」


 カノン様は小さな声で。

 アメリアの説得に対しての理由を述べてくれた。


「お給料……、でございますか?」


 アメリアは言葉を繰り返すと。

 カノン様はコクンと小さく頷く。


「カノンね、『おバカ』なんだって……。だから、おかねかせげないの……。だからね、おきゅうりょうあげられないの……」


 カノン様の悲しそうな声が。

 僕とアメリアの耳に届く。


「カノン……、『つかえないこ』だから……、だれのやくにもたてないの……––––」


 バカ……?

 使えない子……?

 誰の役にも立てない……?


 そんなカノン様の哀しそうな声を耳に入れた瞬間。

 這いつくばったままの僕は大きな声で。

 『この様な』言葉を口にする──







『––––カノン様は神童です!』








 ––––カノン様の発言を否定するかの様に。

 出来るだけ大声で。


 そして、僕はその場から立ち上がり。

 無礼を承知でカノン様の肩に両手を置いてみせた。


「……カノン様は自分自身の事を何もわかっておりませんっ!」


 『使えない』……だと?

 どこの馬鹿共が言ったんだ……。

 そんな言葉を……。


 何も分かっていない……。


 そいつらは何も分かっていないっ!


 何故なら……。

 もし、カノン様が本当に使えない子だったとすれば……。

 絶対に……、僕はあの時──



「カノン様がいなければ! 僕はとっくに……、この世にいなかったはずです……!」



 ──この子に命を救われる事はなかった筈なのだから。


 僕の言葉に……。

 カノン様は目を見開きながら、その場でじっと立ち尽くしている。


「お願いです。どうかご自身を信じてあげて下さい」


 僕の願いに……。

 カノン様は身体を震わせ始める。


「恐れないで下さいませ。一人でなくなる事を」


 僕の励ましに……。

 カノン様は目から雫を零し始める。


「大丈夫ですから」


 そして、僕の誓いに──



『──僕がきっと、貴女様を『神童』にして差し上げますから』



 ──カノン様は涙をポロポロと流す。


「……たまには、良いことを言うではありませんか」


 すると、側で僕の言葉を聞いていたアメリアは、静かにカノン様をそっと抱き寄せるのであった。


 ──────


 ────


 ––––……。


「……落ち着きましたか?」


「ありがと、おにいさんとおねえさん……。カノン……、すごくうれしかったです……」


 まだスンスンと鼻を鳴らしているが、ようやく落ち着きを取り戻したカノン様は、そのように僕達へお礼の言葉を述べてくださった。


 そんな主を見て、僕とアメリアは顔を見合わせて安堵する。


 しかし……──



「でも……、カノンのために、おかねをいっぱいつかうのはよくないです……。だから……、やっぱりしようにんさんはいらないです……」

 


 ──残念ながら。

 そのように付け加えられてしまった。


 どうやら、カノン様は何も見返りを返せない自分に多額の資金をかけて世話される価値は無いと思い込んでいるようだ。


 落ち着きを取り戻しても、やはり答えは曲げないつもりなのか、キッパリとそのように告げられてしまう。


 心優しいが故のご決断。

 この年齢でそれができるのは誠に立派である。

 しかし、これでは……。

 彼女はまた一人になってしまう。


 安全で暖かい屋敷のベッドよりも。

 危険で居心地の悪い橋の下を。


 美味で豪華な絶品料理よりも。

 衛生面の悪い外で調達する残飯を。


 この世の誰もが喉から手が出るほど欲する使用人──【超級使用人】達に囲まれるよりも。

 一人ぼっちでいることを。


 彼女は選ぶようだ……。


 無欲で、純粋で、心優しい。

 どこまでも。

 

 僕の力では……。

 カノン様の意志を変えられないのか……?


 僕は自分の不甲斐なさに失望するかの様に。その場で腕を組んで俯き始める。


 すると、まさにその時だった––––



「それならば、こうしましょう」



 ––––メイドのアメリアが。

 突然、陽気な口調でそう口にし出したのである。


「「……?」」


 僕はそのアメリアの声にゆっくりと反応し、少しだけ顔を上げて彼女に問いかける。


「……何か名案でもあるのか……?」


「ええ、『簡単なこと』ではありませんか」


 簡単な事……?


 気が抜けたように脱力する僕を一瞬だけ確認したアメリアは、腕の中で抱きしめているカノン様に目線を合わせて笑顔を作る。


「それならばこう致しましょうか、カノン様」


 そして、彼女はその場で。

 とんでもない事を口にし出した──




『──今日から私達二人は……、カノン様のお世話をするにあたって、『【1pence〈ペンス〉】たりとも金銭を使用しない』ことを誓いますわ』



 

 ──そう、そんな馬鹿な事を。

 自信満々に堂々と。


「……はっ!?」


 それにはカノン様だけでなく。

 流石の僕も驚きの表情を浮かべてしまう。


 唯一、この場で笑顔を見せているのは。

 メイドである彼女のみ。


「私達の給料は主に、契約時に発生する契約金での一括前払いとなることが基本です。そして、まず私達二人は既にカノン様から【1p〈ペンス〉】硬貨を受け取っておりますので、今後一年間の給金は必要ございません。……加えて、給金以上の見返りを返せないことを気にされている様でしたら、私達がその給金以下の範囲でお仕えするのであれば不満はないでしょう?」


 彼女はカノン様の瞳を見つめて、わざとらしく首を傾げる。


「「つまり、契約金の【1p〈ペンス〉】以上の金銭の使用を一切禁止にしてしまえばいいのです。……それでしたら、カノン様も私達がお仕えすることを許してくださいますわよね?」


 すると、捲し立てる様に説明してきたアメリアの言葉を聞いたカノン様は。

 少々、混乱気味に首を横に振る。


「えっとえっと! ……お、おかねをつかわずに、みんなでここすむの!? そ、そんなの……!」


 そんなのできっこない。


 おそらく、その様に仰りたいのであろう。

 しかし、アメリアはピンと立てていた人差し指をカノン様の口に当て、無理矢理彼女の発言を中断させる。


「あら? それではカノン様は橋の下に住み始めてから今日まで一体……、どの様にして生きてきたのです? 人間は以外と無銭でも何とか生きていけるモノですわ」


 そして、その様にカノン様が発言し切る前に、先読みでその発言を大人気なく論破。

 少し考えを見せたカノン様は……、恐る恐るアメリアに問いかける。


「……で、できるのっ……?」


「ええ! そうなれば私達の金銭的負担も無くなって楽になるので、コチラとしても非常に助かるのですが……」


 否、彼女は嘘をついた。

 むしろ様々な手間が増え、忙しくなることは目に見えている。


 ……おそらく、彼女の真の狙いはとにかくカノン様に解雇されないようにすることなのだろう。

 その為には何としても、正式な契約まで漕ぎ着けたいらしい。


 どうせ僕が一番契約したい人物と先に契約し、僕に対してマウントを取りたいだとかそんなくだらないことでも考えているに違いない。


 しかし……。

 それはさておき無銭でのお仕え、か……。

 何とも奇抜な事を考えたモノだな。


 確かに僕達ならば、それをやろうと思えば正直できなくもない。

 ……しかし、それにはどうしても一つの欠点が伴ってしまう。

 僕はアメリアに耳打ちをする。


「……お、おい! それでカノン様と契約できるなら僕だってやぶさかではないが……、それでは極上のサービスをカノン様に提供できないだろう……! 僕は今までの生活を取り戻すほどの贅沢をカノン様に体験してもらいたくて【超級使用人】になったと言っても過言ではないんだぞ?」


 そう、パフォーマンス低下の恐れ。

 金銭を使わないともなれば、どうしてもその心配が出てきてしまうだろう。

 

 カノン様には常に極上のモノに囲まれていて欲しい。

 これだけは流石に譲れないのだ。


 すると、アメリアは苦々しい顔を浮かべている僕を挑発するかのように。

 嫌な笑みを浮かべてくる。


「──あらあら? ……貴方はまさか『この程度の制約で主人に極上のひとときを提供出来なくなる』ほどの【無能な使用人】なのですか?」


「……あぁ?」


 ……なるほど、ようやくわかったぞ。

 こいつは僕への当てつけでカノン様と契約を結ぼうとしているのではなく。


 その極限状態の奉仕環境で。

 僕と一戦を交えようとしているのが真の狙いなのか……!


 安い挑発。

 甘くは無い労働条件。


 普通ならば絶対に首を縦に降らない所だ。


 ……しかし、それではカノン様に付き従う事すら叶わなくなるのもまた事実。


 ……やってくれたな。


 僕は頭に血管線をジンワリと浮かせながらも、挑発を向けてくる彼女を睨みつける。


「いいだろう……。金などかけなくとも、僕のサービスに一切の影響が出ないことを証明してやる」


 そして、僕とアメリアは……。

 ようやくカノン様のご意向を確認し、正式に主従契約を結ぶことになった。

 いや、無理矢理こぎつけたと言った方が正しいかもしれない。


「それでは早速、契約準備に移りましょうか。私が契約内容を書面に纏めますわ」


 すると、アメリアは何処からともなく書類と万年筆を取り出し、食堂のテーブルと向き合い始めた。

 なので、僕もカノン様を抱き上げてその様子を背後から静かに観察することに……。


 出来上がった書面の内容は以下の通り。



  〜【超級使用人雇用契約書】〜


1.甲は乙を『神童』に育て上げることを約束。

2.甲は乙に対し、一切の金銭の使用を禁ずる。

3.甲の契約期間の期限は一年間である。これは時期満了までの強制契約となり、乙は中途での契約破棄は不可。〈職務満了時の契約延長希望は自由〉


 双方に問題がなければ以下に署名すべし。


【 主 ・––––––––】乙

【従 者・––––––––】甲



 ……。

 見れば見るほど、ふざけた契約書だな。


 しかも、アメリアはカノン様に今後、解雇宣言をさせない様に。

 自分に有利な条件もちゃっかりと足してやがる。


 僕達は順番に。

 そんなふざけた書面と向きあい、至って真剣にサインを記していく。

 そして、そんな契約書をそれぞれ二枚作成し、全ての記入が済んだ頃……。


「あのっ!」


 カノン様は恥ずかしそうに俯きながら、僕達二人にこう発言なされた。 


「ふたりのおなまえ……、おしえてっ!」


 それを聞いた僕とアメリアは少し笑みを零し、その命令に従う様に彼女の前で一斉に跪く。


「僕はルーヴェインです」


「私はアメリアと申しますわ」


 名前も知らない相手と契約を結ぶとは。

 今考えると可笑しな話だな……。


 すると、カノン様は──



「るーびんとあめりあ!」



 ──そのようにはにかみながら。

 本当に幸せそうににっこりと微笑んだ。


「こ、これからっ、カノンとなかよくしてねっ!」


 そして、天使すらをも殺せるのではないかと言うほどの愛らしいスマイルで、その場を一瞬にして和ませてしまう。


 ……一方。

 そんな破壊力抜群の笑顔を直接向けられた僕とアメリアは。


「「……ぐっ!?」」


 一斉に胸を押さえながら、その場で疼くまってしまった。


「か、可愛いすぎる……。AEDを……、誰か……」


「な、なんですの……、今の破壊力は……!? これはもはや……、一周まわって殺戮兵器なのでは……?」


「……えーいーでぃー? ……さつりく?」

 


 ──こうして、ようやく正式にカノン様と契約を結ぶことができた僕とアメリア。


 僕達はこの時、まだ甘く見ていた。


 カノン様の類稀なるポンコツぶりを……。


 そして……。

 今後待ち受ける。


 金銭の使用不可というあまりにも重すぎる誓約の中で起きる。

 慌ただしい主従生活の日々を。

 


         ✳︎

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