第2話〈3〉【お引越しですが、何か?】
「〜〜〜〜っ!? おいし〜〜っ!」
早朝に隅々まで磨き上げた食堂のロングテーブルの上にあるのは、新品の高級クロスとショコラケーキの城。
只今、それを無邪気に崩しながらパクパクと和かに口に運んでいるのは……。
我が主──カノン様だ。
目をキラキラと輝かせ、手掴みでムースケーキや抹茶スコーンを小さな口に運んで食べる姿は、もはや微笑ましさ以外の何もない。
嗚呼……。
こんなに喜んでくださるなんて……。
僕が背後で感銘を受けながらその様子を見守る様に観察していると、我が主の口元に違和感を覚える。
「おっと、失礼ですがカノン様……。口元に食べ残しが……」
すぐ右手に付いていた僕は、満面の笑みで自前のチーフを取り出し、カノン様の口元に付いているスコーンを拭おうとする……。
そう、まさにそんな時だった––––
『カノン様っ!!! はしたないですわっ! きちんとフォークやナイフを使用してお食事なさいっ!!』
––––なんと、僕の逆側で待機していたメイドのアメリアがあろう事か。
そのようにカノン様に強く注意を促したのである。
すると、カノン様はビクっと身体を揺らして動きを停止。
恐る恐るアメリアの方を見つめる。
「ぐすっ……、ご、ごめ……、ごめんなさいぃぃ……──」
そして、瞳に大粒の涙を溜め。
そのままアメリアの顔を見ながらプルプルと震え出してしまうのであった。
『──おいこらてめぇぇぇぇ!!??』
当然。
執事は素早く反応。
音速、いや……。
おそらく、光の速さを超えたであろうカノン様を庇う僕の声が、そのメイドに向かって放たれる。
が、しかし––––
「貴方も貴方ですわっ! ルーヴェイン!」
──……それすらも読まれてしまっていたのか。
先にアメリアに釘を刺されるかの如く。
彼女は自らの指を僕の顔の前へと既に向けていた。
加えて、真剣な表情で怒っている様子の彼女を見て、思わず少し怯んでしまう。
「ぐっ……。な、何がだ……?」
すると、そんな疑問を含む僕の返答を聞いた彼女は呆れを全面に出すように嘆息を漏らし、その向けていた人差し指を僕の顔の前へと突き立て始める。
「……貴方、少しカノン様に甘すぎるのでは? 主人に『優しく接する』ことと『甘やかす』ことは天と地ほど違いますわ! これではカノン様の為にもなりません!」
御もっとも。
至極真っ当。
言い返す余地も無し。
頭では分かっているのであるが、僕はそれでもカノン様を庇い続けることを選択する。
「し、しかし……、彼女はまだ齢六の幼子だ。多少のマナー違反は仕方のないことだろう?」
自分でも分かる程にキレの無い説得を繰り出す僕に、アメリアは首を横に振って強く否定を示す。
「私が今のカノン様くらいの年齢の時には既に……、ある程度の『テーブルマナー』は習得していましたわ」
そう言われてしまった僕は。
とうとう何も言い返せなくなり、その場で口を閉じてしまう。
……そういや、こいつ。
一応、貴族の生まれだったっけか?
とは言っても、僕も学園時代の噂話で聞いた程度の情報だから、それより詳しい事は知らないが……。
すると、彼女は何か思い付いたのか。
手をパンッと鳴らし、カノン様に視線を合わせてニコッと笑顔を見せ始めた。
「そうですわっ! 私が今から美しき食事作法──【テーブルマナー】をカノン様にお教え致しますわ!」
そのアメリアの発言を聞いた瞬間。
僕は顔を引き攣らせてしまった。
「……い、今からやるのか?」
狼狽える僕の姿を見たアメリアは。
少しだけ不思議そうに顔を傾げてくる。
「ええ、そのつもりですが……? 丁度、昼食中ですしね」
目の前には食べ始めて間もない、まだまだ積み重なる様々な料理達。
彼女自身が用意した準備万端の豪華なティーセット。
一切手をつけていない、カノン様の前に置いてある複数のナイフとフォーク。
確かに。
その環境が整っている状態ではある。
「ご安心下さいな。……私、教え方には少々自信がありますのよ? 何せ、プライベートでテーブルマナーの講師を頼まれた経験もあるほどですから」
そして、得意げに自らの胸をポンポンと叩くメイドは早速……。
カノン様の斜め前に着席し始めた。
「それでは、始めましょう! ……大丈夫ですわ。失敗しても怒りませんから、リラックスしてくださいませ」
すると、メイドのその優しい笑顔を見たカノン様も。
浮かべていた涙を引っ込める。
「うぅ……、が、がんばるっ……」
どうやら、彼女も決心なさったのか。
目の前に用意された新品の食器達と睨めっこし始めるのであった。
……不安だ。
いや、しかし。
もしかすると、【超級使用人】である彼女のスキルならば、或いは……。
何故、僕がこれほどまでに不安を抱えているのかと言えば。
「では、基礎編から説明しましょう! まずは……──」
──急遽始まった。
この【テーブルマナー】講座が。
大体、どの様な結末を迎えるのか……。
何となく予想できていたからかもしれない。
僕はやる気に満ち溢れている女性陣達の背後で、一人静かに肩を落とす。
そして、苦々しい顔を浮かべつつも。
その様子を黙って見守るのであった。
––––––––––––
––––––––
––––
––––……数分後。
「––––あ、あの……。ですから、そうではなくてですね……! 先ほどもお伝えした通りに上から左手で……」
そこには。
先ほどの自信はどこに消え失せたのだ、と疑うほどにあたふたと狼狽えているメイドの姿と。
「こ、こう……?」
逆手持ちでナイフを握り。
その拳を天空へと掲げる小さき主の姿があった。
その姿はまるで。
どこかホラー系映画に登場する──『某呪われし殺人人形』を彷彿とさせる鬼気迫るお姿。
もし優雅な食事会でその構えを使用しなければならない瞬間があるならば、是非とも一度見てみたいものだ……。
「そもそも、その持ち方……。どこで教わりましたの……?」
そう、あれから終始。
こんな調子が続いている。
補足すると、アメリアの教え方は側から見ても少し引く位に丁寧で解り易く、子供のカノン様でも理解できる様に実践を交えながら説明していたはずなのだが……。
どうやら、それでもカノン様にとっては難解だったのか。
見ての通り、彼女の説明は何一つ伝わっていない様子であった。
やはりこうなってしまったか……。
……いや、殺人人形のくだりは流石に予想できなかったがな。
背後で一部始終を見ていた僕は手の甲を額につけながら、目の前で切磋琢磨しているアメリアに声をかける。
「……まぁ、今日はその辺でいいだろう。紅茶も冷めたぞ」
すると、講師を務めていたメイドのアメリアは魂を無くすかの様に、その席で項垂れ始める。
「ま……、まさかこの私が……。たった子ども一人相手に、何も教えられなかっただなんて……!」
どうやら、自分の教える腕に相当自信があったのか……、かなりショックを受けている模様。
まぁ、同情はしてやる。
僕が苦笑いで落ち込むアメリアを眺めていると、視界の端で席についていたカノン様が、椅子から降りようとしている姿が目に入った。
なので、僕は背後からゆっくりと椅子を下げて補助に入り、彼女を地面に下ろす。
そして、そのついでに。
本日のスケジュール共有も兼ねて、コレからの方針について尋ねてみる事にした。
「カノン様、午後からの予定の相談になりますが、我々との契約条件について……。そして、カノン様の今後の具体的なご意向について少し話し合いたいと──」
そう、そのように。
僕が主に進言している最中だった。
『––––おひるごはんおいしかったです……! ありがとうございましたっ……! カノンは、そろそろおうちにかえらなくちゃいけないので、かえりますっ……!』
カノン様が僕達の二人に向かって。
『深く頭をお下げになられた』のである。
––––そんな意味不明の言葉を聞いた僕は。
笑顔のまま大きく首を傾けてしまう。
…………ん?
どういう事だ……?
帰るって……。
一体、どこに……?
「「…………え?」」
どうやら、僕だけでなく。
近くで項垂れていたアメリアも驚きの声をあげている模様。
二人揃って、小さき主を呆然と見つめる。
しかし、そんな僕達を他所に……。
カノン様は食堂の奥にある扉へと走っていってしまわれたようだ。
おそらく、今の発言から察するに。
この屋敷から出て行こうとしているのだろう。
が、しかし……––––
「あれ……? ……と、とどかないよぉーっ!?」
––––ただ、本当に食堂の扉の前に走ったのみで終了。
すぐに幼い子供には、少々大きすぎる扉に道を阻まれ、その扉の前で悪戦苦闘するかの様にピョンピョンと跳ねているご様子。
可愛い。
ちなみに、この屋敷の扉には全て。
カノン様が出入りに苦戦なされぬ様に扉の中に小さな子供用の扉……。
──いわゆる、『ドア・イン・ドア』加工を施しているのだが。
どうやら、カノン様はそれの使い方すら存じ上げないらしい。
僕がそんなカノン様を見て呑気に和んでいると、隣からアメリアがカノン様の方に視線を合わせながら耳打ちをしてきた。
「ルーヴェイン、屋敷も落ち着いてきたことですし……。そろそろ詳しく教えて下さいませんこと?」
「ん? 何をだよ……」
その僕のとぼけた声に対し、彼女は無言で睨みを効かせてくる。
『そんなもの一つしかないだろう』と言わんばかりに。
「『カノン様とは一体、どこの何者なのか』……。聞きたいのはそれか?」
すると、彼女はそっと頷いた。
「正直、何故あなたがあの方を主に選んだのか全く理解できません……。もう十分に待ちましたわ、いい加減に教えてくださいな」
彼女は鋭い視線で、僕の目を見つめてくる。
カノン様の正体……。
それは、極力誰にも知られたくは無い極秘情報であった。
だが、彼女も正式なカノン様の従者であることもまた事実。
僕は少し迷った挙句、諦めるかの様にアメリアにも情報を共有する事にした。
「お前の口が固いことを信じて話すぞ……。だが、この事は決して他言するな。……いいな?」
彼女は少し困惑を見せたが。
それでもその約束を了承してくれた。
なので、僕はそっと彼女の秘密を打ち明ける。
今まで僕以外に誰も知らなかった。
彼女の重大な秘密を……。
「カノン様は……––––」
そう、カノン様は……。
『––––【Royal・Family〈英国王室〉】の生まれだ』
僕が放った衝撃的な言葉に対して。
アメリアはギョッとした目を向けてきた。
「冗談ですわよね……? 我が国の王室の名前に──『カノン』などという名の人物がいるなんて聞いたことありませんわよ……?」
そう、王族ともなれば。
直系だろうが、枝分かれする分家だろうが。
すぐにその存在をメディアで発表されるのは必然。
……なので、彼女の発言は何も間違ってはいない。
何も間違ってはいないのだ。
それでは、なぜ。
彼女の存在だけ世間に公表されていなかったのか。
その理由は……。
「当たり前だ。カノン様は生まれてから間も無くして、『その存在を抹消されてしまった』のだからな……」
「そ、存在を抹消ですって?」
アメリアが隣で目を細めてきたのは見なくても分かった。
そんなアメリアに、僕は続けて言葉を発する。
「そうだ、カノン様は既にこの国の戸籍上では『故人』扱いとなっている。……そして、現段階で彼女が生きている事を知っているのは、おそらく『僕』だけだ」
僕は隣のメイドに。
少しだけ悲しげな表情を向けてしまう。
「ただ少しだけ『人より出来が悪かった』……。たったそれだけで王室の恥さらし扱いだ。笑わせる話だろう?」
そうだ。
僕は見捨てない。
僕が見捨てれば。
本当の意味で。
カノン様は『この世から姿を消す』こととなってしまう。
そんなこと、僕がさせない。
させてたまるか。
僕は深い深呼吸を一つしてみせた。
気を落ち着かせる為だ。
「ルーヴェイン……?」
その深呼吸を終えた僕は。
ゆっくりとカノン様のいる扉付近へと足を運び始める──
「カノン様」
──そして、僕は目の前の主に今一度語りかけた。
「……カノン様、良くお聴きください」
そうですよ。
ご安心下さい。
貴女は……。
貴女様は……、もう。
『──今日からここが、カノン様のご自宅でございます』
今日から。
一人ではありませんから。
✳︎
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