第2話〈1〉【お引越しですが、何か?】
──ここはイギリスの【Old Romney〈オールド・ロムニー〉】
首都であるロンドンから約七十マイルほど離れたこの場所は、都会の喧騒から遠ざかった事を実感させるような落ち着いた雰囲気が売りである。
広大な平原が印象的に広がる、のどかなこの街のはずれにて。
現在、カノン様の専属執事である僕こと【ルーヴェイン】は──
「……3.6。……いや、3.7cmほど中心からズレが障じているぞ。今すぐやり直せ」
──世界を逆さにしていた。
そう、汚れ一つない屋敷の屋根と自分自身をワイヤーで繋げ、逆さ吊り状態で外壁確認をしている最中なのだ。
平凡すぎるデザインの装飾街灯達を観察しながら、その様に発言すると……。
僕の隣に設置されたリフトクライマーに安全帯を付けている人物––––『鼻にピアスをつけたチャラそうな若い青年業者』が眉間に皺を寄せてくる。
「……はい?」
あからさまに鬱陶しそうな顔を浮かべながら、冷や汗混じりにこちらを見てくる青年業者。
「おいお〜い、3cmなんて誤差でしょ〜お客さん。そんなクレーム、この仕事初めてから聞いたことないっての〜。……まぁ、まだ勤務して一ヶ月目くらいだけど」
そんな言い訳のような言葉をつらつらと並べる青年の言葉を耳に入れた僕は、もはや深い嘆息を吐くことしか出来なかったようだ。
……屋敷内の事務作業を片付けている途中で、たまたま窓の外で作業している彼の仕事ぶりがふと目に入ったから休憩がてらに見に来てみれば……。
これは酷い。
「てかさ〜……。良くそんな事に気づいたね〜。お客さん、他にやる事ない訳〜?」
買い言葉なのか、嫌味のような発言で追撃を仕掛けてくる青年。
そんな彼の声を耳にした僕は、思わず片手で自身の顔半分を覆ってしまう。
「あるに決まってるだろう……。そのせいでお前達の様な『ド三流大工』なんぞを雇わざるを得なかったんだ」
他の用事……。
それを挙げ出したらキリがない。
なんせ、今から邸宅を構えるのだ。
屋敷の外装だけでなく、内装の調度品選びやその配置決め。
生活していく上で必要となる、当屋敷の運営面に関する様々な調整。
各種消耗品や食材等の配送手配と、その受け取り作業。
他の仕事もまだまだわんさかと残っている状態なのである。
……かと言って、造り立ての質素な景観を持つ屋敷に我が主を住まわせるのも言語道断。
結果、不本意ながらも屋敷の正面玄関や裏庭の外観装飾のみを、本日手の空いていた近所の街大工に依頼したと言う訳であるが……。
どうやら、それがそもそもの間違いであったらしい。
杜撰な並びを見せる安っぽいデザインの街灯達は、見ているだけで吐き気がしそうだ。
「はぁ……。元よりお前らに任せた外観は後々、僕が調整し直すつもりでいたんだ。……これも物のついでか」
そう発言した僕は、気持ちを切り替えて行動開始。
壁についていたゴミを取るかの如く。
業者が懸命に取り付けていた壁の街灯ランプを、力技で勢いよく剥ぎ取り始める。
「……へっ?」
バキバキと音を立てながら次々と剥ぎ取られていく街灯を見て、間近にいた青年業者は絶叫を上げた。
「あっ!? ……ちょ、お前っ! 何してんのぉぉぉぉぉぉ!?」
「何も問題はあるまい、依頼主は僕だ」
「いや、依頼主だからって勝手なことすんなよ! 裏庭側の装飾を任されてんのは俺なんだぞ!? こんなんじゃ、反対側の玄関で作業してるクソ親父にまたキレられんじゃねーかよ!! ただでさえ、家でも普段からガミガミ言われてウゼェってのに……──」
彼がまだ嘆きにも似た抗議を続ける中、そんな彼の話から逃げる様に。
僕は屋根と自分の腰に連結させていたワイヤーを切り離す。
すると、逆吊り状態だった僕の身体は、当然の物理法則を見せるかのように……。
頭の方から真っ逆さまに地面へと落ちていった──
「はぁっ!? ……おいっ!! あ、危ねぇっ!?」
──が、僕は空中で身体を捻る様に体勢変更。
器用に足を下に向けながら、平然とした顔で地面に着地する。
すると、その一連の流れを見ていた業者は言葉を失うように、リフトの上でへたり込んでしまったようだ。
「お前……、マ、マジで人間か……?」
そんな彼の真下に広がる裏庭にて。
着地を成功させた僕はすぐに懐からシルバーの懐中時計を取り出し、現時刻を再確認。
手中に存在する時計の針は、『午前十時半』を示している模様である。
食材配送の受け取りまで約一時間か。
ふむ……。
「何とかなるな。……おい、お前の工具とトラックに積んでる資材を拝借するぞ」
上空で腰を抜かしている青年からの了承は返ってこなかったが、勝手に肯定と捉えた僕は強引に作業に取り掛かり始めた。
──まずは外注先から持ってきたであろう後ろのチャラついた男の会社で取り扱ってる街灯からだ。
先ほど自分が屋敷の壁からもぎ取ってきた装飾街灯達を細かく分解し、手作業で微調整及び街灯のデザイン変更を手掛けていく。
その作業を終えると、休みなく次へ。
デザイン変更中に予め目をつけていた。
『約十メートルほど先に離れた場に聳え立つ手頃な木』を目標に定める。
「ふっ……!」
そして、次は全く手入れを知らない不恰好なその木に向かって、裏庭に落ちていた業者が使用していたであろう『チェーンソー』をぶん投げるのであった。
……すると、回転を加える様に投げたチェーンソーはその木に命中。
見事な切り口で伐採に成功する。
「……っ! ……っ!?」
––––そんな嵐のような僕の一連の動きを上空で見ていた業者の青年は、物珍しそうに目を擦り……。
ゆっくりとリフトを下降させ、より近くで僕の様子をまじまじと観察してきたようだ。
しかし、今はこの青年に構っている暇などない。
作業はまだまだこれからなのである。
ここから先は更にペースアップ。
時には、裏庭の中心を土竜のように掘り進めて水管に穴を開けて、真上に伸びる新たなパイプを増設。
時には、生い茂った雑草を修羅の如く素手で抜き消し、業者が予め用意していたトラックの積み荷に乗っている彩どりの花達をハサミでカッティング。
時には、伐採した木を工具で切り刻み、まるで新品を主張してくるような真っ白ろの机や二脚の椅子と作成。
……その結果。
業者の青年が呆然と口を開けながら突っ立っていたモノの数十分。
「──ふむ……、間に合わせではあるが、まぁこんなものだろう」
その恐るべき短時間で見事……。
まるで『一枚の絵画から飛び出したかの様な美しき庭園』を作り上げたのであった。
裏庭の中心部には、新たな元素を仲間入りさせたおかげで完璧な位置に架かる虹と、何とも目を惹く美麗な噴水。
元の姿からは想像がつかない、フォーマルな見栄えを獲得した趣きのある細い植栽。
人の手が加えられたのが一目でわかる、規則的な配置で咲き誇る鮮やかな花畑。
優雅な一時とリラックスさをいとも簡単に提供してくれそうな、高級クロスが張られた白のテーブルセット。
そして、そんな庭園が備えられた背景を飾る後ろ向きの大豪邸の壁には……。
斬新なデザインで施されたゴージャスさを主張するオリジナリティ溢れる形の街灯達。
そんな世界を一瞬にして創造したのである。
……個人的にはまだまだ手を加える箇所も多いと感じるが、凝り出すとキリがない。
追々、最高級の野外調度品やより質の良い植栽に取り替えねばな……。
ようやく作業を終えた僕は静かに背後を振り返ると、青年が震える声と指をコチラに向けてくる。
「ゆ、……夢か? ……俺は、夢でも見てんのか?」
……すると、丁度そのタイミング。
屋敷の角から、何やら『レンチを手にした五十代くらいの男性』が、のそのそと裏庭に顔を出してきた。
「──うーす、息子よぉー。少し早いがそろそろ昼休憩にするぞ」
突然、現れたその男性。
どうやら、裏手を任されていたこのチャラついた青年の父であるらしい。
おそらく、正面玄関側の外観を担当していた彼は、裏で作業を任せている自分の息子に早めの昼休憩を提案しにきたのだろう。
「裏庭の調子はどうだ〜? ……ん〜?」
……が、そんな彼の父は目の前に広がる美しい裏庭を見渡すや否や。
まるで、幽霊を見たかのような表情に変化。
彼はそのままポカーンとした様子でレンチを床に落とし、身体を硬直させてしまう。
「……ふっ、いつまでも生意気なガキだと思い込んでいたがな……。よくぞここまで成長したもんだ」
すると、父は何を思ったのか……。
悟りを開いた様な謎の発言をしたかと思えば、僕とそのチャラい青年である我が子の二人にゆっくりと自身の広い背中を見せ始める。
『──ウチの看板を……、頼んだぜ』
そして、人差し指と中指の二本指をビシッと揃えながら、颯爽と持ち場である正面玄関へ戻ってしまった。
……察するに、一部始終を見ていなかった父親は、自分の息子がこの裏庭の外観を作り上げたと勘違いしてしまったのだろう。
彼は肩の荷を下ろすかの如く穏やかな表情を見た所によれば、息子に自らの意志を託して引退を決意してしまったようにも見える。
そんな父親の発言を受け取った隣の青年は「……は?」とその場で小さく声を上げたかと思えば、次第に何やら全身から汗をダラダラと流し始めた。
「えっ!? ちょっ……、無理無理無理っ!! その勘違いはマジでキツい!! つーか、てめぇの息子はまだ見習い期間一か月だろーが!! そんな【秘めた才能】的なのが存在する訳ねぇっての!!?? ……おい、待てってば……、オ、オヤジィィーー!!!!」
––––すると、そんなスピード独立を果たしてしまった彼もまた。
同じく屋敷の正面玄関の方へと去って行ってしまう。
「……」
残された僕はと言えば、何か特別な感情を抱くことも特に無く……。
愉快な彼らを尻目に、さっさと裏手のドアから静かに屋敷の中へ。
屋敷に入ると、再び懐から懐中時計を取り出し、現在の時刻を確認し直した。
「……もうじき注文していた食材が届く頃だな。少し早いが、先に厨房の設備をチェックしておくか」
さて、僕には一人の青年の独立なんかよりも重要なイベント……。
カノン様へ捧げる至福のひととき──【Afternoon Tea〈アフタヌーンティー〉】をご用意するという大仕事が待っている。
〜【紅茶】〜
それは扱いが非常に難しく、人によっては好みが鮮明に分かれてしまう『多くの英国人が好む紳士と淑女の嗜好品』だ。
茶葉のブレンドだけでな淹れ方等による工程の段階で、かなり大きく味が変化してしまうのが最大の特徴。
更に『人は紅茶の味を選び、紅茶も人の舌を選ぶ』と言われているほどに人によって好みが激しく分かれてしまう為、一概に高級な茶葉を用意すればいいという訳でもない。
難易度を高める決め手となるのは。
ご一緒に用意する紅茶のお供──【お茶菓子】も同様だ。
こちらにも細心の注意を払わなければ、どちらかの味が主張を強めてしまう恐れがある為、どれを選出させるか慎重に選択しなければならないだろう。
つまり、【Afternoon Tea〈アフタヌーンティー〉】の用意とは従者にとって。
お互いがお互いを惹き立たせるような絶妙なバランスを意識しながら、集中して調理に挑まなければならないという。
まさに絶大な難易度を誇る命懸けの作業なのである。
そして恐らく、これがカノン様の紅茶デビューとなるだろう。
万が一にも僕に限って失敗はないだろうが、カノン様に直接影響を及ぼすであろうこの仕事……。
こればかりは、先ほどの様に知らぬ誰かに依頼する事などあり得ない。
断言できる。
【超級使用人】である超一流のこの僕以外に、この重大な仕事が務まる人間などこの世に存在しない、と。
「……ふっ、これが幸せと言うものなのか」
──僕は上機嫌に少しだけ口角を上げながら、屋敷の一階にある唯一扉を持たない【厨房】へと足を踏み入れる。
……が、その様な幸せを噛み締めることができたのは。
どうやら、たった数秒だけであったらしい。
その理由──
『──まぁ、良い色の葡萄ですわね! どれもこれも品質の高い……。うふふ、これならば問題無く、カノン様に極上のティータイムをご提供できそうですわ!』
それは、僕よりも先に配送業者から食材を受け取ったであろうこの人物……。
幸せそうに様々な食材が入った箱達を開封しながら笑顔を見せている──この『銀髪のメイド服を着た憎たらしい女』が……。
図々しくも調理台の前に立っていたからである。
僕は厨房の入り口からあくまで笑顔を絶やさずに、調理台の前に立っているメイドへと優しく声をかけた。
「……何をやってるのかな? アメリア」
すると、僕の姿に気づいた彼女は、僕と全く同じ笑顔を使いながらこちらにニコッと微笑んでくる。
「あら、ルーヴェイン。見て分からないのですか? これからカノン様へお出しする––––【Afternoon Tea〈アフタヌーンティー〉】をご用意するのです」
……ご用意するのです。
じゃねーよ。
その様に声を大にして言い返したい所ではあるが、ここは我慢。
冷静に笑顔の継続を選択する。
「そうなんだね、ありがとう。……でも、今回は僕が作るから、君はそんな事をしなくても良いんだよ? ……そうだ、その辺で適当な小さい虫とでも戯れてきたらどうかな? どうせ、それくらいしか特にやることないでしょ?」
「あらあら、私以外の誰がこの仕事をこなせると言うのですか? 冗談はそのくらいにして、貴方は他の部屋でドアの開け方でも練習してきなさいな」
笑顔の皮肉合戦は終了。
僕達は一斉に無言になった。
「「………………」」
––––そして、遂にというべきか。
当然にと言うべきか……。
「ふざけんなよ、テメェ!! どんだけ人の邪魔をすれば気が済むんだ!! このドブスメイドがぁぁ!!!」
「五月蝿いですわねっ!! カノン様の身の回りのお世話は全て私に任せておけばいいんですよっ!! この性悪執事っ!!」
──昨日から、もう既に何十回と繰り広げている醜い口論へと発展する。
……が、流石の僕達二人も。
そろそろこの終わりが見えない口論に不毛さを覚えたのか。
互いに小さなため息を吐き、途中で言葉を停止させた。
すると、一斉に視線を外し。
それぞれが別の調理台の前に立ち、入念に手を洗い始める。
僕は背を向けたまま。
背後にいるアメリアに声をかけた。
「……おいアメリア、僕に考えがある」
「偶然ですわね、私も同じ事を思ってた所ですわ」
僕達は手を洗い終えた瞬間……。
素早い動きで、どこからともなく『一つのアタッシュケース』取り出した。
そして、それをドンと調理台の上で鳴らす。
どうやら、それぞれが取り出したケースの中身には、ありとあらゆる種類の【包丁】が並んでいる模様。
洋包丁であるシェフズナイフやペティナイフ、三徳包丁だけでなく。
和包丁、中華包丁に加え、骨切り、あじ切り等のプロが使用する特殊包丁までもが揃っている。
そして、それぞれがその中から一本の【包丁】を引き抜き、息を合わせるかの様に互いの意思を確認し合った。
初めにアメリアが。
「より美味なお茶菓子を調理できた方が……──」
次に僕が。
「──本日、カノン様へティータイムを提供する権利を得ることが出来る……。それでいいな?」
そう、僕達がこれから行おうとしているのは──【料理勝負】だ。
昨日の勝負……。
『契約金』の多さを競った勝負では遅れを取ったが、あれは『カノン様と契約する為にわざと勝負を降りた』だけだ。
だが、今回は違う。
今回こそ互いが望み合っていた──正真正銘の『真剣勝負』である。
……絶対に負けられない。
──そして、遂に。
カノン様に仕える【超級使用人】達の初バトルの火蓋が。
切って落とされるのであった。
✳︎
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