第4話 職務の価値観-2

――パァン……!!



 恐ろしく軽い乾き切った音と共に、扉を開けたSPは為す術なく崩れ落ちる。


 さらに残酷なことに、こめかみから血を流し横たわるSPがストッパーとなり、今やアーテルを守る壁は無いに等しかった。



「――ッ……!!」



 あまりにも非情な光景に、思わずSP達は息を飲んだ。

 

 アーテルは言葉にもならない様子で、立っているのがやっとの状態である。



(くそっ……一刻も早く奴を止めたいが、万が一にも護衛対象に流れ弾が当たっちゃならない……! それも考えた上での一連の動きか――!!)



 司令塔はギリっと奥歯を強く噛み締め、彼を僅かにでも侮っていた自分を激しく責めた。


 他のSPらも自分達がどれだけ不利な状況にあるかを理解し、迂闊に発砲できない。

 


「ご気分いかがですか? 旦那様――いや、のアーテル・アインザムカイト……またお目にかかれて大変光栄ですよ」



 彼はSP一同が発砲してこないことを理解した上で、アーテルにわざとらしく一礼する。



「では、私は“職務”を全うしますので――『人生お勤め』ご苦労様でした」



 彼がゆっくりと銃を構える。


 今や誰も彼を止められる者などいない……そもそも、賭けに出るには遅すぎた――はずだった。



「わ……私も、“職務”を全うするまで……!!」



 アーテルの傍に付いていたもう一人の細身なSPが、震えながらアーテルの前に立ち盾となる。


 その目線は目の前で銃を構えている彼へではなく、ぴくりとも動かず倒れたままの仲間へと向けられていた。


 そんなSPの表情を見て初めて不快感をあらわにした彼は、横たわるSPを故意に踏みつけ部屋の中に押し入る。



「君さ、勘違いしない方がいいよ」



 黒く辺りを這い回るような低い声が聞こえた刹那――


 気付けば盾になろうとしたSPとアーテル二人のこめかみに、銃口が僅かな隙間も残さずぴたりと付けられていた。



「――!!」



「君がやろうとしてることは、“職務”じゃなくて。死にたがりのヒーロー気取りが、一丁前にクズを守った気でいるなよ」



――非情な銃声が、再度響く。



「あ……あ……私、は……」



 銃口を突きつけられたまま蒼白なSPと、こめかみからとめどなく流血しているアーテル。


 隣で一人の人間が目を見開き、血に染まりつつある瞳に力が失われていく様子を横目で呆然と見つめていたSPは、糸が切れた人形のように崩れ落ちた。



「何故……わ、私、は……?」



――何故、私は生きているのか。

――何故、私はのか。



 どちらの疑問も問いかける理性など到底残されておらず、座り込むSPは自分の身体の痙攣を抑えるのに必死であった。



「――死ぬ覚悟も無い奴が、“職務”を全うするだって?……ハッ、笑わせるね」



 彼は震え続けるSPを一瞥したあと冷え切った声色でそう言い放ち、身をひるがえしてアインザムカイト邸を立ち去ろうとする。



「待て……!! このまま逃がすとでも思っているのか?!」



 自分が出し抜かれてからの一部始終を傍観していた司令塔のSPが、我に返ったように彼を呼び止めた。


 正義感に満ち溢れた厳しい表情で、一人彼に銃口を向けている。


 他のSP達はそれぞれの反応を見せていた。


 彼に恐れを抱く者、任務は失敗に終わったと嘆く者、アーテルや仲間の生死を未だに確かめている者――


 そんな中、たった一人で彼と対峙していたのが、司令塔の責任感が強いSPだった。



 彼は歩みを止め、司令塔のSPと向き合う。


 その顔は、今までで最も不愉快そうに歪められていた。



「……不満そうな顔だな。そんなに正義が許せないのか? 君も子供の頃は、夢を持ち希望に満ち満ちていたはずだ」



 とにかく時間稼ぎをするべきだと冷静に判断した司令塔のSPは、なるべく落ち着いた声色で会話を試みた。



「誰もがそういう子供時代を過ごしたと思ってもらっちゃ困るなぁ。俺は生まれた時からずっと正義が嫌いだよ」


 彼は再びあの人形のような笑顔を作り、穏やかな口調で話し始める。


 完璧なほどに作られたその柔和な顔と声色は、かえって不気味な様子だった。



「……それはすまない、軽率だった……。しかし、誰にだって絶対に曲げられない正義はある。君の正義を、教えてはもらえないだろうか」



 司令塔のSPは、まるで自分が追い詰められているような錯覚を感じずにはいられなかった。


 彼は銃など構えておらず丸腰であるのに、形容し難いこの気迫はなんだろうか。



 彼は突き刺すような鋭い眼光を向けると、この場にいる全員を殺すことが容易であるかのような声で静かに沈黙を破った。



「――正義なんてさ、所詮なんだよ。それを世の中の絶対的に正しいことだと言わんばかりの愚行の数々……それに気付かない馬鹿なつらした奴ら……その全てに吐き気をもよおすほど不快だと言ってんだ」


 

 彼はSPが口を開く前に言葉を繋ぐ。



「……もうお喋りはここまでにしようか。お前と話してると殺意が沸く」



 にこりと微笑む彼の瞳は、異常なほど冷徹で暗い影をまとっていた。



「……!」




 SPが怯んだ一瞬の隙に、彼は素早く建物から脱出し庭に出る。



 彼はふつふつと沸き上がる苛立ちを、近くの植木鉢を蹴り飛ばして発散した。


 土が散らばり、花は無残にも行き場を失う。



(――もうこのクソみたいな家にはいる必要無い……さっさとジイさんの酒場に帰ってヤケ酒浴びてやる……!!)



『身体は仕事道具だ……大事にしろよ、ナナシ』



 彼の脳裏に、懐かしさと不快な感情を孕んだ声が響く。


 一連の騒動を引き起こした彼――名無ナナシは、殺し屋道具の一つであるフェイスマスクを乱暴に破って捨てた。



(……死んでも尚、お節介かよ)



 彼はチッと舌打ちをした後、門の取っ手に手を掛けた――




「――貴方が、悪徳政治家アーテル・アインザムカイトを抹殺した殺し屋さん?」

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