第53話 キリシタンと『天正の踏み絵』

天正4(1576)年1月 肥後国 天草諸島

風間 小太郎



 新年にも忙しく帰郷できなかった俺を追い京から、しごく不穏な一団がやって来た。

 妻の佳奈と妹の未来に会えたのは、嬉しいが、足利義輝公は、なにしに来たんだっ。

 それから、婚儀を上げた金太郎と銀次郎は嫁さんを俺に見せに来たとか、そうかよ。

 お前らの惚気なんか聞きたくないぞっ。

佳奈に子作りを、せがまれるだろがっ。



「義輝様、いったい何をしに、こんなところまでお越しですか。」


「いやあ何、都は窮屈で退屈でいかん。

 ここまで来れば、琉球や南蛮の様子も見えるかと思うてな。はははっ。」


 見えねぇよっ。銀次郎の遠目でも無理なんだから。


「時に小太郎、壱岐まで行けば、倭寇の蛆虫どもが、湧いているそうではないか。

 駆逐艦を一隻儂に貸してくれっ。蛆虫どもを退治してくれるわっ。」


「だめですよ、あまり派手にやると、朝鮮を刺激しかねません。南蛮に加勢を頼み攻めて来たら困りますっ。」


「ならば、他に面白いことはないか。戦とか戦いとか、海戦とか、戦闘とかっ。」


 皆、同じじゃねぇかよ。この脳筋元将軍めっ。

 さては、畿内の要塞では冥土達に囲まれて、悪い遊びができないもんだから、逃げて来やがったなっ。


「しょうがないですねぇ。それなら、商人に扮して琉球に行って見ませんか。

 ただし喧嘩はご法度ですよ。義輝様を危険な目に合せたとなると、慶寿院様に大目玉を喰らいますから。」


「ほう、面白そうじゃ。どれ琉球見物と洒落込むか。」


 まず一人、厄介者を追い払ったぞっ。

 続いて、もう一人っ。


「金太郎、義輝様の護衛をせよっ。決して、危険な目に合せてはならぬ。」


「では、この宵桜も参りましょう。義輝様に悪い虫がつかぬようお守り致しますわ。」


 行きがかりとは言え、えらいことになった。宵桜は酒豪だし巨乳だし色っぽいしっ。

 なぜか、男達の騒動の予感しかないよっ。



「兄上っ、未来みくもお手伝いしたいっ。」


 えっ、未来こいつも言い出したら、聞かないんだよな。そうだっ。


未来みくには、来月行う倉岳神社の天草復興大祭の巫女様になってもらおう。

 ちょうど良かった。大祭の巫女様を探していたんだ。

 銀次郎と蘭の二人も、手伝いを頼むよ。」


 やったぜっ、これで皆んな厄介払いだぁ。


「小太郎さん、佳奈は何もせずに良いの。

 佳奈ではお役に立てないのでしょうか。」


「 · · 佳奈は人前に出したくないんだよ。 

 だって、他の男達の目に晒すなんてさ。」


「まあ、小太郎様。女性は人の目に触れて、美しく変わるものなのですよ。夫の我儘などは通りませぬ。」


 ははっ、宵桜には敵わないや。佳奈は頬を染めて俯いているし、俺は、妻への気持ちを暴露カミングアウトしたようで恥ずかしい。




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天正4(1576)年2月 肥後国 天草諸島

風間 未来



 みくは今年で16才になり、やっと子供扱いから解放されましたっ。

 なんと、物心が付いてから四六時中、私の傍から離れなかった乳母の宵桜が、嫁に行き私の傍を離れたのです。


 それは先月、元旦のことでした。


「姫様、明けましておめでとうございます。今年もお健やかにお過ごしくださいませ。」


「おめでとう宵桜、なんか嬉しそうね?」


「姫様も16才に成られました。もう宵桜から離れて、独り立ちするお年ですわ。

 それで、ご報告ですが、宵桜は嫁に参ることに致しました。旦那様は3才年下の金太郎様ですの。これも宵桜のいけない美貌が成した業ですの。ほほほっ。」


「へっ、嫁に行く? 」


「そうでございます。向後は冥土達が姫様のお世話を致します。あまりお悪戯いたを致しませぬように。」


 えっ、へっ、いつかは乳母から離れる時が来るとは思っていたけど、それでも、宵桜はずっと傍に居てくれるものだと思っていた。

 びっくり、ショック、青天の霹靂っ。

 未来が生まれから最大の衝撃だわっ。


 でもまあ、知らない所へ嫁ぐ訳じゃない。兄上の右腕の金太兄貴なら、親戚家族のようなものだから、安心ね。

 それに宵桜のお小言も消える。きっといいことだわ。(もの凄く寂しいけどっ。)



 そんな新年早々の大事件があった訳だけど金太、銀次兄貴達の婚儀に、出られなかった小太郎 兄上にいにの下に挨拶に行く二人にくっついて、佳奈姉様かな ねえさまと私も天草諸島にやって来た。


 そしてなんだか不貞腐れている小太郎兄上にいには、義輝様に琉球行きを勧め、金太兄貴夫婦にその護衛をさせた。

 そして私には、天草の倉岳神社の天草復興大祭の巫女を、銀次兄貴夫婦にはその手伝いをするように言われたのです。



 倉岳の山頂にある倉岳神社は、古から天草の人々が霊山として仰いでいて、慎ましい社があったのですが、先の大地震の際に天草の多くの島民が避難して命が助かったことで、新たに農家の五穀豊穣、漁民と航海の安全を祈願して新社殿を建立したのです。

 新社殿には島民達が感謝の気持ちを込め、模造船の石の彫り物も奉納されています。

 山頂からは眼下に、八代海や有明海の穏やかな海や御所浦の島々が広がり、天草の雄大な自然が眺められます。


 そんな倉岳神社で、厳かな天草復興大祭の儀が執り行われました。

 兄上にいには弥勒菩薩様のお告げを受けています。けれど、八百万やおろずの神を信じているのです。

 神とは、『人の信心が創った尊き存在。』だそうです。

 人を見守るだけの存在。けれど、人を悪から善に導く存在でもあると、言っています。



『天草復興大祭』では、神主がいないので、天草の五ヵ村の庄屋達が神主となり、私が巫女神となって、社殿に鎮座します。

 五穀豊穣や海での安全を祈願し、供物を捧げ、社殿の前で私と冥土巫女達が、笛や太鼓の音に合せて、お神楽を舞います。

 境内下の山麓には多くの松明が灯され、『天草』の文字が形どられています。


 そして兄上にいには、また私達を驚きの世界にいざなったのです。

 夜空に赤や黄色に咲く、大輪の花火で。


 その華麗な煌めきと儚さに見惚れながら、皆は大震災の後の苦労を思い返していたのでしょう。その目には涙が浮かんでいました。




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天正4(1576)年3月 肥前国 島原半島

風間 小太郎



 九州には、南蛮貿易の影響で、大友宗麟や有馬義貞、大村純忠などのキリシタン大名が生まれてもいる。

 南蛮貿易の拠点だった平戸に近いここ島原や天草には民衆のキリシタンも多くいる。

 新政の初期に南蛮貿易を駆逐し、十字軍を起こしたキリスト教の嘘や、南蛮の人買いを暴いたことで、信者の数は、史実より格段に少ないが、禁教とした訳ではない。

 仏教も同じだが、宗教の教えだと嘘を説いて民に戦させることを禁じたのだ。

 神仏の教えに、人殺しなどない。

 もし、それを説く坊主や宣教師がいたら、真の教えを歪める者であると、広く布告したのだ。

 キリシタンの宗徒にも、キリスト教の祭壇を設け、十字架を身に着けることも許した。



 古の時代、景教けいきょうと呼ばれる古代キリスト教の一派が、古代の氏族である秦氏の帰化と共に伝来している。

 景教とは中国語で『光の信仰』の意味であり、景教教会は当初『波斯ペルシア寺』のちに『大秦寺』の名で各地に建立された。

 景教はまた『救世主ミシア教』とも呼ばれていた。

 

 景教(ネストリウス派)は、コンスタンティノポリス総主教のネストリオスにより説かれたキリスト教の教派の1つであるが、西暦431年、エフェソス公会議において異端として排斥され、宣教の中心が東方へ移動し、シリア、ペルシア、アラビア、南インドなどで布教された。


 秦氏は松尾大社、伏見稲荷大社などを氏神として祀り、秦氏と関係の深い賀茂氏の創建した賀茂神社と並んで、全国津々浦々にある稲荷神社の総本山である。


 景教徒のユダヤ人が祖であるとする説(日ユ同祖論)があるが、秦氏がユダヤ人景教徒であるとの説も、殆どが語呂合わせであり、現代まで一貫して否定され続けている。

 だが、秦氏がユダヤ人の末裔ではないとしても、景教徒であったには違いない。

 秦氏が古代に造った神社の様式や支援したと思われる祇園祭などに、古代ユダヤの祭儀やペルシャの絵などが、見られるからだ。


 中国の『隋書』には、風俗が華夏(中国)と同じである秦王国なる土地が日本にあったと記されてもいる。



 島原などのキリシタン達には、悩みがあった。新政下で南蛮人商人と共にキリシタンの宣教師達を嘘の教えを説く者として、追い払われたからだ。

 そのために、数人の日本人宣教師を除き、キリシタンの教えを説く者がいなくなったのだ。

 しかして、キリシタン達から、宣教師を招くことを許してほしいとの嘆願が出された。


 俺はキリシタン全員を一堂に集め、次のように言い渡した。


「どんな神仏を信じようが自由ではある。 

 しかし、信じる神だけが唯一の神であるとして、他の神々を排斥すれば、それは神々の戦に加担することになろう。

 この国は長い戦国を終わらせ、戦乱を鎮めたばかりだ。そこに神々の戦など持ち込まれては迷惑だ。

 よって、その方らには信じる神か、日の本の民かを選ばせよう。

 もし、キリシタンの神を選ぶのであれば、南蛮人が支配するキリシタンの国へ送り届けて遣わす。」


「お侍様、それは追放ということでございますか。」


「追放ではあるまい。キリシタンの国へ送り届けると申しているのだ。天国に近づけるのではないか。

 では、決断した者から、前に出るが良い。 

 キリシタンの国へ行き、キリシタンの神を信仰し続ける者は、左列へ並べ。

 キリシタンを辞め、日本の民として残るとする者は、この十字架を背負うキリストの絵を踏みしめて、右列に並べ。」



 そうした結果、3分の2の者が国外へ出て行くことを選んだ。

 この者達は、数カ月後に不幸にも目的地に着くことなく、船と共に海に沈んだ。


 日本の国内事情を知る者を南蛮の下に送ることはできぬのだ。それに彼らは日本を捨てたのだ。故に日本の民ではない。

弥勒菩薩様と俺の護るべき民ではないのだ。




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