第52話 銀次郎と天草の娘『島原の蘭』


天正3(1575)年11月 肥後国 天草諸島

木暮銀次郎



 この秋、九州南部には大きな野分が二度も襲来し、さらに本日夕刻、南海大地震が起き薩摩を始めとした九州南部に被害が及んだ。

 この急報を受けた新政府は、災害救助の命を出し、四国の第四水軍に出動を命じた。


 第四水軍の第一陣は、地震の翌早朝、人命救助を最優先に、鶴嘴つるはし円匙シャベルを持った6隻の駆逐艦3,000人が、大隅の志布志湾や薩摩湾八代海、島原湾へと向った。

 さらに、翌日には後続の第二陣が食糧、救援物資を満載して後を追った。


 銀次郎は、地震の急報を受けた小太郎様にすぐさま呼ばれ、四国に向かい第四水軍の第一陣に合流するよう命じられた。

 俺には遠目、遠耳の力があり、地震の後の津波や余震に備える指揮を取れとのこと。

 俺はすぐさま、鉄馬車で摂津へ。そして、夜の海を小型船で土佐湊へと向かった。

 

 第一陣に合流した俺は、津波の被害が1番大きいと思われる島原湾の天草諸島へと向かった。

 津波の威力は、地形により変化する。

 特に湾内に侵入した津波は、波が共鳴するようにその威力を何倍にも増大させるのだ。


 島原湾に入る時、大洋の彼方に海のざわめきを聞いた。きっと津波だっ。


「みんなっ、良く聞いてくれっ。海の彼方にざわめきが聞こえる。

 津波だ、海水が高潮となって押し寄せて来るんだっ。それは今日中かも知れない。

 湾内沿岸の全ての民に、津波が治まるまで高台へ避難するように周知しろっ。

 これまでに見たこともない大津波だっ。

皆んなも上陸したら、民を連れて避難しろ。船は湾を出て、外海で船首を津波に向けて、堪えろっ。

 いいか、一刻を争うぞ。命を守れっ。」



 3隻の駆逐艦隊は、全艦全速力で救助地域に向かった。俺の座乗する駆逐艦『天龍』も長島、天草、南島原と順次兵を上陸させて、俺は天草で船を降りた。さっそく、集まって来た島民に津波が来ることを知らせる。


「良く聞けっ、島の衆に告ぐ。外海で聞いたこともない大きな波のざわめきを聞いた。

 俺の耳は、100里先の音を聞き分ける。

 音の正体は津波だっ、巨大な津波が来る。 

 海の高波が巨大になって、見たこともない巨大さで襲って来る。この島の大半は水没してしまうだろう。

 命が惜しければ、今すぐに大切なものだけを持ち、高台へ避難するのだ。

 一刻の猶予もならん。身体の不自由な者、幼き子らは兵士に頼れっ。」



 初冬の弱い日射しが翳りを見せた夕刻に、それはやって来た。

 始めは静かに音もなく、海岸線から海水が引いて、海底の岩が見えるようになったかと思うと、四半刻後、凄まじい轟音と共に高さ10m以上の波の壁が押し寄せた。


 それは、海から一段高くなっている盛り土の道を易々と乗り越えると、島の内部深くに侵入して来た。

 あっという間に、田畑や家々を飲み込み、恐怖に震える人々の足元までも迫って来た。

 高台の低い所は、押し寄せる波を被っているのだ。恐怖に泣き叫ぶ子ら、それを抱きしめる母達。恐怖の時間は、一刻ほど続いた。


 その後、津波はゆっくりと引いて行った。津波が引いた跡の光景は、泥水を被った大地が拡がり、まるで火山の熔岩流が流れた跡のような荒涼としていた。

 家々は海へ流され、帰る家を失った島民達が、呆然として立ち尽くしていた。


 翌日、各地の被害の報せが続々と俺の下へもたらされた。天草の湊に停泊する駆逐艦『天龍』が仮の災害本部になっているのだ。


 天草諸島、島原半島、有明海沿岸の被害が著しく、天草諸島は9割が水没、島原半島は6割、有明海沿岸は、海岸から10kmまで津波が押し寄せていた。

 早くに避難を周知できた天草や島原は幸い人的被害は少なかったが、有明海沿岸の地域では、周知すべき地域も広く、告知を疑って避難しない者達や避難が遅れた者達が出て、1万人以上の者が水に呑まれ不明となった。

 被害者達の下には、第二陣の救援部隊が布仮小屋テントや食糧、毛布を支給して慰撫している。




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天正3(1575)年11月 肥後国 天草諸島

天草村 蘭



 その日私は、幼い弟の一樹を遊ばせながら、両親と畑仕事をしていました。

 二度の大きな野分の被害を受けて、麦畑の大半が刈り入れ前に倒されてしまったの。

 せっかく実った麦であり、倒れて腐る前に実を集めてしまわなければならない。


 朝早くから畑に出て、一休みしている私達の所へ、村の若い衆が息を切らせて駆け込んで来ました。

 緊急の告知がなされるから、全島民が湊に集まるようにとのこと。

 周辺の畑にいた村人達も、それを聞いて顔を見合せています。倒れた麦の収穫も急がなければならないからです。

 

「新政の方、お代官様はおら達に無碍なことは一度もなさっておらんっ。緊急と言うからには、何かわからんが一大事なのじゃろう。野分で倒れた麦の収穫が急ぐことなど、重々承知のはずじゃっ。皆、湊に行こうぞっ。」


「良しっ、俺は他の皆に知らせに行くっ。」


 隣家の源さんの一言で、大人達が皆、湊に行くことになりました。



 それから、半刻後に戻った両親は大慌てで大事な農具や着物、位牌や麦の籾を手押し車に積み、私は一樹を抱いて、ひたすら両親の後を追いかけました。

 道々湊でのお達しを聞くと、地震で起きた大津波がすぐにも襲って来るそうで、私達下島の者は島の中央にある角山に、上島の人達は島の南にある倉岳に避難するように指示されたそうです。


 天草から南西に3里程行くと、下島の中央に角山があります。その麓まで必死に向かった私達は、やっと歩みを弛めると、山道を登り始めました。

 角山にはすでに大勢の人達が避難しているようでした。山頂から人々のざわめきが聞こえて来ます。


 角山の中腹まで弟の手を引いて、ゆっくり登っている時でした。


『ゴオー、ゴゴーゴゥオー』『ドッシンー』


 突如、もの凄い音がして、海の方を見ると海水が島の平地を呑み込み、凄い勢いでこちらに迫っていました。

 私達は、大急ぎで山道を駆け登り、山頂付近に着いた時には先程いた中腹までも波に呑まれていました。


 その光景の中、年寄り達は地に頭を着けてお経を唱えているし、子らは恐怖に泣き叫んでいます。大人達でさえ、茫然として只々佇むばかりです。

  

 

 津波が引いた二日後、新政の救援部隊が、布仮小屋テントや食糧、毛布を運んで来てくれました。

 寒空の中、着の身着のままで乏しい食事と夜の寒さに凍えていた皆は、大喜びでした。

 そんな中、銀次郎様という弥勒菩薩様からお告げを受けたと聞くお侍様が、皆を励ましておられました。


「皆の者、大地震の後は暫くの間小さな余震が続くが、長くても一年程で治まる。

 帝と新政を担う者は、その方らを案じおり、そして決して見捨てぬ。

 元気を出すのだ。天草や島原は新しい街づくりが始まる。以前とは比べものにならないくらいに、住み良い街にするぞ。」


「銀次郎様、儂らはこれからどうすればよろしいので?」


「暫くは、麓で布仮小屋暮らしだ。明日から村の様子を見に行くが良い。使えるものが、見つかれば一箇所に集めておくのだ。

 そしてまず、道を造る。広く真っ直ぐな道だ。道が出来たら、家を建て街造りだ。

 その次は、農地開墾だ。新たな区画で灌漑を網羅し、まずは潮を被った塩害を取り除く作物を植える。たぶん、塩害を取り除くには三年以上掛かるだろう。

 だが、何年掛かろうと作物の収穫までは、食糧を新政で支給する。農具や普請の道具も貸与する。だから、心配などするなっ。」


「「「おお〜ぅ。」」」


 大人達が皆、笑顔で喜んでいる。つられて子ども達も笑顔だ。子らの手には、甘い小豆餡饅頭や串に刺した揚げ芋が配られており、私も、弟の一樹に食べさせながら、その話を聞いていた。




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天正3(1575)年11月 肥後国 天草諸島

大木 銀次郎



 南九州の大地震の救援に天草諸島に来て、早3週間が経つ。

 大地震から1週間後には、北九州や中国、四国、畿内からも続々と応援部隊が来て、島原湾周辺は、さながら布仮小屋地区と化している。道の整備、家々の建築 狂騒ラッシュが始まって賑やかなことだ。

 小太郎様もやって来て、一先ず俺の役目は済んだ。


 そんなある日、塩害の被害を調べながら、隅田川岸を遡っていた時だ。


「誰かぁ、助けてぇー、弟が川に落ちたのぉー。」


 上流の方から、俺の遠耳にそんな声が聞こえて来た。急いで川を遡り、川の中を見ると子どもが流され溺れかかっていた。

 俺はすぐさま、川に飛び込み子どもの下へ泳ぎ着くと、抱えて岸に戻り背中を擦って水を吐かせた。

 川は津波や野分で増水し、急流となっていたのだ。

 子どもを介護しているうちに、ハァハァと荒い息遣いの娘が駆け寄って来た。


「はぁはぁ、一樹っ、一樹〜、無事なの〜。ごめんね、姉ちゃんが、姉ちゃんがいけないの。うぇ〜ん。」


 聞くと、細い木橋を渡る途中で、濡れた丸太に足を滑らせ、抱いていた弟を放してしまったそうだ。

 真っ赤に泣きはらした涙目の娘を『美しい娘』だなと思いながら、ぐったりしている弟を背負い、山麓の布仮小屋集落へと戻った。

 娘 蘭は、母親から普請場にいる父親への伝言を伝えに行ったそうだが、津波の被害でまだ仮設の細い木橋しかなく、弟を置き去りにする訳にも行かず、危ないとは思いつつ抱いて渡ったのだそうだ。

 事故のことは、すぐに小太郎様に伝えた。 


 『良く助けたな。明日にも最優先で安全な橋を掛ける』と言われた。


 それから俺は、蘭と良く話をするようになった。蘭は自分の犯したとんでもない過ちを救ってくれた俺に恩返しをしたいらしい。

 でもなあ、小便の時にも付いて来て、濡れ手ぬぐいを渡すのは、やり過ぎじゃないの。


「蘭、そんなに俺の傍に金魚の糞みたいに、付いていると、周りが誤解して嫁に行けなくなるぞっ。」


「えっ、どう誤解するのですか。」


「つまりだなぁ、俺が蘭の想い人とかに見られてしまうってことだ。」


「それのどこがいけないのですか。ほんとのことですわ。」


「えっ、えっ、ほんとのことなのか。??」


「銀次郎様って鈍感っ。蘭は銀次郎様が貰ってくれなければ、嫁になど行きませんわ。」


 蘭の名前は、天草に自生する日本春蘭から取ったそうだ。

 春蘭は、緑色をしているのが普通なのだが赤や黄色のものが珍重されているそうだ。


 そうか、蘭は(胡蝶蘭のような)豪華絢爛な花ではなく、野に咲く野菊のような可憐な娘なのか。

 そうして、俺は半年後に蘭を下田に連れ帰り、母と兄に引合せて嫁に娶った。


 余談だが、まだ未婚だった兄の金太郎も、そのとばっちりで母から嫁を貰え、との厳命を受けて、侍女(くノ一)で未来様の乳母でもある『宵桜殿』を娶ることになった。

 ちなみに宵桜殿は、夫と赤子を戦で亡くし、後家の再婚である。

 兄は、母に誰が良いと詰問され、渋々想い人の名を吐いたのだ。

 宵桜殿の真っ赤な顔を見たから、たぶん、相思相愛に違いない。

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