第51話 『天正泰平文化』越後国と三河国 

天正3(1575)年7月 越後米沢 上杉家下屋敷

上杉輝虎



 儂も四十の半ばを過ぎ、隠居を考えねばならぬ年になった。

 この越後には、4年前にいち早く、蒸気で走る鉄馬車が関東経由で開通し、まるで洪水のように、都や伊豆東海の文化が押し寄せて溢れた。

 それからというもの、進められていた農地改革や治水、湊や街道、橋整備などに加えてパン、麺などの食の多様化。大豆醤油、唐辛子などの調味料の普及。衣服、靴などの衣料品の廉価な販売。その他、あらゆる日用品、各種道具などが入って来て、商売の種類も増え、まるで違う国になったようだ。


 困ったのは、山城の不便な所では政を行うには不向きとなり、市中に代官所を作って、儂も市中の下屋敷に居座っていることだ。

 城には、もはや掃除をする者達と、それを差配する家臣しかおらぬ。下屋敷に城代家老がいるのは、おかしいだろう。



 儂には嫁も実子もいない。兄の長尾晴景がお家分裂を防ぐために、家督を譲ってくれた恩義に報いるために、兄の実子である景勝を養子にしたのだ。


( 史実では、越相同盟の証として、北条家の実子三郎を養子とし景虎となって、謙信の死後に、お舘の乱を引き起こしたいるが、ここでは改変されているから。)



 我が上杉家の家臣達は、新政の下、北海(日本海)の広大な防衛を担う官軍となって、各地に散っておる。普段から傍らにいないと言うことは、人柄や性格がわからず、意思の疎通もし辛いということだ。

 儂はいい、幾年も戦国の戦を共に戦ってきた仲だからな。

 しかし、第一軍の司令官を継ぐ者は、苦慮するに違いない。そう想い、晴景には各地の部隊を経験させているところだ。

 その達成には、まだまだ時を必要とする。

 


 越後の米沢までは、初期のうちに鉄馬車が開通したため、東国へ鉄馬車が延長されるのと並行して複線化がなされて、地方拠点越後のへ経済集中で重要性は益々増大している。


 改元後には、病気治療を行う治療院や子らの教育を行う学舎が各地に建てられ、また商業区や職人区、漁師組合や産物加工組合などが軒並みに町を発展拡大させて、町外れにあったはずの荒地が消え失せてしまったわ。


 もっとも、普請奉行達は、町を乱雑にせぬために、毎日、地図と睨めっこしとるがな。

 そうだ、大火を防ぐために、道幅や隣家との距離にも新政の達しがあったらしい。

 火消しの組合を作って、馬車の手押し汲上器ポンプで、火消しの訓練を行っているとも聞いたな。

 それと、町中には、小さな警備兵の詰所が多数設けられて、治安を護っているとか。


 まあ、なんにせよ、皆、忙しそうじゃ。

 武士と言えども、武芸の修練などする暇もなく働いておるわ。

 さすがに水軍の者達だけは、鉄砲と操船の訓練に明け暮れとるがな。




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天正3(1575)年7月 津軽十三湊水軍支所

上杉家家臣 水野玄蕃



「玄蕃様、蝦夷地からの急報でシュムクル族とメナシクル族の蝦夷地東西を別ける戦いが始まったとのことにございます。」


「ついに始まったか。して蝦夷地にいる和人は無事か。」


 蝦夷地にいる和人とは、函館を除く増毛や釧路などに入っている漁師家族らである。


「分かりませぬ、アイヌの大半は言葉が通じませぬ故、逆らえば命はないものかと。」



 蝦夷地と呼ばれた北海道南西部では、渡島駒ケ岳 (1640年)、有珠山 (1663年)、樽前山(1667年)と火山の大噴火が頻発していた。

 特に有珠山の大噴火では山麓の洞爺湖周辺で3mの降灰があり、日高山脈を越え十勝地方にも及んでいた。

 

 新政が始まり、蝦夷地と交易を整え始めたのは、津軽家を滅ぼした永禄10(1567)年の秋以降のことだ。

 狩猟採取民族であるアイヌは、湖や川の傍に集落を形成し、鮭鱒やシシャモなどの回帰魚や鹿、狐、狸、菟などの小動物、海からは昆布などの海藻を採取して生活していた。


 度重なる大噴火による生活環境の変化が、サケなどの不漁につながり、東西のアイヌの大部族シュムクル族とメナシクル族の抗争の一因にもなった。

 新政を始めてから、アイヌ族との交易は、それ以前に暴利を貪っていた商人達の勝手を防ぐために、函館に取引所を作り『セリ』を行って、最低価格を設定するなど、友好かつ不利益を与えないように努めて来た。

 武器以外の鉄器の鎌や小刀、陶磁器、米麦などの穀物、塩、味噌、山椒などの調味料を交易の品として、適正廉価で取引している。



「直接の原因は、日高のシュムクル族の酋長オニビシの甥がメナシクル族の縄張りである浦河で鶴を狩り、メナシクルの酋長シャクシャインに殺されたことにございます。

 また、以前には、メナシクル族の前酋長のカモクダインがシュムクル族に殺されており双方長年の怨念があるようにございます。」


「はあ、厄介な。和人はアイヌの抗争に関わらぬと布告せよ。武器や食糧の供与も禁止じゃ。しばらくの間、函館におる和人共々水軍には、本土に引き揚げさせよ。」


「玄蕃様、もう一つ厄介な話がありまする。

シャクシャインは鉄砲を27丁所持しているそうにございます。以前、和人の商人から手に入れたとか。」


「なんだとぉっ、その商人を見つけ出して、首を跳ねよっ。ここ数年、蝦夷地と交易した者を調べ尽くせっ。

 国外への武器持ち出しは死罪じゃっ。」




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天正3(1575)年7月 尾張国清洲城

松平家康



 伊豆は別格として、東海から東国東側までの中で最も栄えているのは、ここ尾張だ。

 なにせ、小太郎殿と最初に盟を結び新政を始めたのは、。儂だからな。

 尾張の立地もあるが、家中一丸となってやって来たおかげだ。

 上杉殿の米沢も頑張ってはいるが、清洲や那古野の先行には追いつけぬわ。


 近頃では、那古野の下町に栄と称される繁華街が出来ておるそうな。

 酒と旨い料理が喰えて、色気を纏う女衆がたんといて、春を鬻ぐ女達までおるそうな。

 その地は、夜の闇を明るくするほどの行灯が夜中照らし、夜の来ない街と言われているそうな。

 栄えておるな、しかして栄と称するのか。

 儂も出向いてみたいが、室の目が厳しいからな。独り者の家臣達が羨ましいわいっ。


「殿っ、ぼ〜となされて如何したのです。」


「うっ、築山か、どうもせぬぞ。」


「何やら、良からぬことを考えているようなお顔でしたが。」


 なんで、そんな顔がわかるのじゃっ。

こやつは『人相見』か『陰陽道』でも、身に付けておるのかっ。


「そんなことは、ありませぬよ。暗い顔をして、虚空を見上げておられましたから。」


 はっ、心を読まれたかと一瞬、焦ったわ。紛らわしいことを言うでないっ。


「時に築山、何か用か。」


「はい、都の正親町上皇陛下の典侍房子様から、お茶会のご案内をいただいたのです。

それで着て行く着物を新調したいのです。」


「すれば良いではないか。」


「平凡な着物では、松平家の恥になります。それで下田の洋裁工房まで参りたいのです。あそこならば、最新の洋服がありますから。

 行くのは、日帰りでできますわ。」


「分かった。護衛を手配すれば良いのじゃな。」


「いえ、護衛は風魔の侍女達がおりますから。殿の了解だけですわ。

 留守中、良からぬことをなさいませぬように、お願いに参りましたのっ。ほほほっ。」


「日帰りならば、したくてもできぬわっ。

 儂も領内の見回りをせねばならぬ。夜間の見回りもなっ。」


「その時は、私の侍女を護衛に付けますわ。悪い虫がついては、困ります故。ふふふ。」


( 歴史改変により、古女房殿にしっかり手綱を握られている家康殿〔33才〕であった。)



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天正3(1575)年7月 尾張国 那古野 栄街

風魔七の組小頭 左七右衛門



 近頃、尾張で評判の栄だが、夜の繁華街と言うものはろくでもない輩が蔓延るものだ。

 配下達に探らせると案の定、得体の知れない薬が流行はやっているようだと。

 さらに調べさせると、その薬は秘事に用いると、快楽に溺れるらしい。だが、中毒性があることから使用した者は、売人から高値で何度も買うようになるそうだ。


 伊豆の藤堂平次殿に報告すると、その薬は阿芙蓉あふようと呼ばれる悪害をもたらす薬で、使用中に精神に錯乱を起こし、殺人などの犯罪を起こしかねないから、供給元を探り出し根絶せよとのことだった。


 薬の出所でどころは、栄で舞台を張る旅芸人の一座の誰からしいとまで分かった。

 代官所で一座の者の身元を調べたところ、一座に中国人と関わりのある手品師がいた。いつのことか不明だが、なんでも手品の師が中国人だったとのこと。

 それから二月、その男の監視を続けた。

 なかなか尻尾を出さなかったが、ある夜、海岸に向かうと、小舟から荷を降ろす数人の男達と合流し、取り引きを行った。

 沖には月明かりに照らされて、夜だというのに商船が見えた。すぐに熱田の水軍に連絡を取り、沖合いの商船拿捕を命じた。

 さらに、陸上げを終えた男達を尾行して、隠れ家を見つけ出した。そして捕縛した。


 取り調べで締め上げたところ、一座の男が売人で、荷揚げをしていた5人は荷を管理する雇われた配下と判明。

 沖合いにいた商船は半年に一度、満月の夜に熱田沖に繰る取り決めだったという。

 ちなみに、沖合いの商船は、水軍の駆逐艦2隻で拿捕したが、船には中国人ばかり8人がいた。倭寇崩れだったようだ。


 捕物の後、清洲の家康殿に報告したが、『そのような薬があるのか、使うてみたかったのぅ。室を黙らせられたかも知れぬ。』

 と本当に残念そうにつぶやいていた。

 

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