第49話 農村事情『戦国村の終り』

天正元(1573)年12月 京都二条風間館

風間小太郎



 京の都に木枯しが吹き荒ぶ寒い冬がやって来ている。

 京都二条風間館の部屋の中は、暖炉や石炭炉ストーブのおかげで寒くはないが、郊外の民達の家々では、まだ囲炉裏しかなく、しかも板一枚の外壁の隙間風に震えている。

 もっとも、稲藁屑と漆喰の内壁で断熱防寒を普及させている最中だが。


 12才になった妹の未来が、何やら朝から侍女達と厨房に籠もっていると思ったら、昼時にお汁粉を持って現れた。


「母上〜、父上っ、兄上〜、姉様っ。未来がお汁粉を作りました〜。皆で食べましょう。おいちいですよ〜。」


「ほほぅ、未来の料理は目玉焼きと玉子焼きだけかと思うていたが、進歩したか。」


「父上っ、未来は佳奈姉様に料理を習っているのよ。来年にはお嫁さんになれるくらい、料理を覚えるわっ。」


 なんだ、それで佳奈だけ様呼びなのか。

待てよ、呼び順にも意味があるのかな?

 俺の妹ちゃんは、相変わらずの不思議ちゃんだな。

 しかし、12才にもなって俺の膝の上が指定席というのは、どうなのだろうか。


「あらあら、未来はお嫁さんになっても、旦那様の膝に座るのかしら。」


「そうだよっ、佳奈姉様が小太郎兄上の膝に座っているのを見たもんっ。旦那様の膝はお嫁さんのものなんでしょう?」


「うわっ、そをなっ、未来ちゃん(ポッ)。」


「佳奈姉様は、恥ずかしがり屋だから、皆の前では兄上の膝に座らないの。だから、未来が座るの。うふふ。」 


 皆、無言だ。未来の超爆弾発言に唖然として固まっている。このは、皆を黙らせる素質にも秀でている。

 父上は頭を抱えているが、母上は吹き出しそうになって、笑いを堪えている。

 佳奈は、ただ真っ赤になって俯いているし、侍女達は素知らぬ顔をしているが、ちらちら俺の顔を観察しているようだ。

 この空気をなんとか変えねばならぬ。


「ところで父上っ、未来の作ったお汁粉の味はどうですか。」


「おっ、この味ならば子育てもできるな。」


 駄目だ、父上が壊れている。なんで未来が子育てしてる未来みらいワープしてるんだっ。



 そのあと、賑やかなお喋りの中、お汁粉をようやく食べ終ったところで、母上が噂話を聞いたと話し始めた。


「洛北の山間に住む人達が、村を捨てて祇園舎で春をひさぐ商売をしているそうよ。

 なんでも、村に居てはたつきが立たないとか。どうしてなのかしらねぇ。」


「そんなことは、代官が手配りしているであろう。まさか代官が汚職をしておるのか。」


「父上、各々の農民のたつきは、村ごとに裁量を任せています。その歪みでは。」


「調べてみる必要があるなぁ。新政に穴があるやも知れぬ。洛北の話だけではないかも知れぬでなぁ。」


 俺はさっそく風魔の者達に、各地に村を出た者がいないか。出た理由は何かを探るよう命じた。




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天正2(1574)年2月 京都二条風間館

風間小太郎



 各地の離村の状況を調べていた風魔達から続々と報告が上がって来た。

 それは、村の中での格差、不合理が困窮する者を生み出しているとの内容だった。

 そして、それは室町時代から続く、村社会の変遷の中での問題でもあった。


 離村する者達は、格差、不合理に立ち向かうべく、言わば『個の一揆』とも取れる離農を選んだのである。


 

 室町時代中期以降、商品経済の発展を遂げた畿内では、地域農民の連携も強まり、年貢の軽減や借金の取消し(徳政)を求め、土一揆が頻発していた。特に徳政を求める度合いが増し、徳政一揆とも呼ばれた。

 一揆には農民だけでなく、馬借ばしゃく(運送業者)や国人地侍達も一体であった。


 徳政令の印象イメージは、一般には単に借金をないことにすると思われがちだが、借金のかたに取られた土地や動産を元の持主に戻させるという『原状回帰』の面が大きな意味を持っていた。


 当然、借金が棒引きされるとなれば、借金を平気で、或いは踏み倒す前提でする者達が増え、社会に混乱をもたらしていた。


 徳政令が生まれた背景には、当時の観念の存在が深く関わっていた。

 動産、不動産の所有権は、売買などが行われたとしても、本来は元の所有者が保持しているのがあるべき姿だとする観念である。

 そして、あるべき姿に戻すことこそ、徳政であるという思想がまかり通っていたのだ。


 おそらく、古の律令制度で土地を与えられてから、領主は替っても農地の所有は先祖代々受け継がれて来たものだし、それを続けることが正当という不合理な思想だったのであろう。農民は、土地を失って生きて行く術を持たない時代であったから。



 そして訪れた戦国時代は、大名や武士だけでなく、民衆の大多数を占める農民が生き延びるために戦った時代でもあった。

 それは戦乱もあったが、天災や天候不順とも戦いを強いられた時代なのである。


 戦国大名の台頭は、領地を富ませるために治水や灌漑を行い新田を開拓し、干ばつなどの被害を減少させたが、冷夏や日照不足には無力でその被害の度合いが増大した。

 この度合いが増したのは、大名の開拓が進むに連れ、山間や高地にも田畑が開拓地が広げられ、冷夏に耐性がない土地が増えたせいもあった。



 そして新政の今、各地で農地改良と土地に合った作物の栽培を進めているのであるが、収穫が目に見えて上がる地域と、簡単には上がらない地域との格差が農民に不満を生んでいる。

 甲斐などのように、地域全体が山地でその地域全体が奮闘している場所は、まだいい。

 新政の下、援助を注ぎ込むことができ、地域内で貧富の差が目立たないからだ。

 他方、一つの地域内で個別の要因で収穫が上がらず、近隣との格差を目にする者達は、不満と失望に苛まれているのだ。

 過去に比べれば、良くなっているにもかかわらずだ。


 そういう実態が浮び上がって来た中、根本的な農地政策が必要とされ、俺は、新たな新政改革を打ち出した。

 戦国時代から続く農村の組織改革である。




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天正2(1574)年2月 京都内裏紫宸殿

風間小太郎



 新政の重臣である関白を始めとする公家衆足利義輝公を始めとする武家衆の居並ぶ中、俺は新たな新政の改革を奏上した。



「新政における農地改良、土地に合った作物の栽培は成果を上げております。

 しかし、その中でたつきが立たず、離農離村する者達が現れております。

 その者達は、村の中で不作の土地を割当てられ、また、割当ての農地がたつきを立てるには不足しているからでございます。


 新政の始めにおいては、混乱を避けるため農民達の自主性に任せ、村ごとに集団統治を任せましたが、ここに来て、強き者、弱き者の格差、差別が生まれております。


 この不公平を無くすには、新政の法令により代官の統治によるほかはないと、思料する次第にございます。」



「小太郎殿、趣旨は分かるが、直接に代官が関与するとなれば、個別の訴訟も膨大な数になろうし、煩雑極まりないものとなるのではないか。」


「それが、政でございます。」


「 · · · · 。」


「ここで手を抜けば、利権を手にした者が成り上がり、豪商、豪農といった者達が治世を歪めましょう。

 いずれ、時が経てば、公家も朝廷でさえも滅ぼす勢力に成りうる者達です。それでも、放置なさいますか。」


「それほどのことか · · 。」


「戦国の世の堺などの商人の力をお忘れか。 

 利権とは尊大な独裁者を生み、民を虐げる種にございます。

 利権は国が管理し、その担当者をも厳しく監視せねば、公正な政などできませぬ。」


「分かりました。して、その法令は如何にするのでございますか。」



「まず、農民個々の農地面積を一律のものに定めます。またその土地の収穫状況により、一等地から五等地の段階に区別し、租税で差別を付けます。

 当然、収穫の多い土地は重税となります。

 そして、農地は農民に選ばせます。希望する農地が競合したものは、競合しなかった農地の権利を確定したのち、くじ引きにて権利者を選び、選に漏れた者は残りの農地を選ぶことを繰り返します。


 また、たつきが立たない土地などは、村の入会地とし、村での共同開拓地とします。

 農民の代替わりは、長子相続とし次男以下に分割を許さぬ替わりに、新田の割当などを制度として設けます。」


「損をする者らの反乱は起こらぬか。」


「異議を申し立てる者達を一堂に集め、その申しようが私利私欲である場合には、戦国の大名達と同類であり、新政に対する謀反として処罰します。」


「遠島とでも、しやるか。」


「新政を損なう者は、この国に居てもらっては困ります。情け容赦は致しませぬ。

 これは、皆様に対しても同じにございます。くれぐれも道を違えませぬように。」


 その瞬間、その場は静まり返った。俺が、今まで見せたことのない、冷徹な言葉を吐いたからだ。

 そして、俺の配下である風魔の者達の、その正体が護衛ではないことに気付いたのだ。


 俺も気付いた。弥勒菩薩様が言われた真の意味。俺はこの世界における閻魔なのだと。


『心を鬼にせねば、大切な人達の命が失われますよ。』




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天正2(1574)年3月 京都洛北 山国村

風魔八の組小頭 早田原八



 ここ洛北の山国村は、都の北西部にあり、『桂川』の源流域に位置している。

 今、山国村の代官所に周辺の5村、周山、弓削、黒田、宇津、細野の村々から、新政の農村改正に異議を唱える者達と村長が集められ、代官の下で異議の聴取が行われている。


「只今より、山国村ほか5村の新政に対する異議聴取を行う。聴取の内容は記録するので心して述べよ。

 まず、周山村の権蔵、その方の異議を述べよ。」


「へえ、おらの田畑は、先祖代々耕して豊かにして来た土地だで、それを取り上げて替地するのは納得が行かねえです。」


「権蔵、お前の田畑は、新政の農地改良をしておらぬのか。」


「いえ、改良はしておりはしますが、、。」


「先祖代々豊かにしたなどと、新政の改良の恩恵を受けておろう。それに、豊かにしたのは先祖であって、その方ではあるまい。

 その方の申し分には私欲しかないと断定致す。次、宇津村の太兵衛。申せっ。」


「はぁ、おらの田畑は山間にあり、収穫は少ねえです。これ以上の土地を減らされては、たつきが立たなくなります。」


「太兵衛、誠か? その方は先頃、都で豪遊し、家族全員の新品の着物を新調し、村の者に自慢していたと言うではないか。

 しかも、夜中に下にある田畑の水を止めたとか。村の取り決めを破っておるな。このまま見過ごすことはせぬぞ。覚悟せよっ。」


「黒田村の重蔵、申して見よ。」


「 · · 、」


「ぬ、申すことはないのか。何も述べねば、新政に理由なく、歯向かったとして処罰するが良いか。」


「へっ、おらはただ、皆で訴えれば良い条件になると言われたもんで。」


 その後に続く者達も、自分達の優位を得るための屁理屈しかなかった。異議を申し立てる者達の実態、評判は、俺達風魔の手の者が探り、代官に報告していたのだ。


 異議を申し立てた者達は、その後、数日のうちに不慮の事故死を遂げた。崖から落ちたり、急に暴れ出した牛に蹴られたりして。

 中には毒茸を誤って食べたり、甲斐でしか聞かない病に、かかった者もいたそうな。


 同様のことは、全国で数百人にも及び、亡くなった者達は素行が悪かったこともあり、人々は、天罰が当たったのだと噂した。

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