第48話 中華の衰退と『天正改元』

元亀4(1573)年6月 京都内裏紫宸殿

風間小太郎



 昨年末に、誠仁親王のご成婚の儀が恙無く成され、お二人は伊豆下田に密かに新居を構えて、新婚生活を満喫していると聞いた。

 加えて、俺と佳奈にも負けない熱々ぶりだと、母上からも聞いた。

 俺は佳奈といちゃついたりした覚えはないのだが、母上の目にはそう映るらしい。

 

 だが、誠仁親王の甘い新婚生活も終りだ。

 来月には誠仁親王が即位して、陽光院天皇となられる。それと同時に改元され、年号が『天正』に代わるのだ。

 これには、もっともらしいことを言っている正親町天皇だが、誠仁親王の下田の生活を妬み、伊豆での暮しを懐かしんで、新政の落ち着きを期に譲位を画策したらしい。

 なにせ、上皇となられての仙洞御所は、秘密にされている。怪しい、怪しすぎるっ。


 一方の永高女王のお取扱いは、皇女のまま終生いられることとなった。入婿も認められることにもなった。それに何より、皇女も民に混じり働くことが許され、その際に、儀礼を不要と決められたのだ。

 もしかして、風間家の女子会が活躍し過ぎている影響ではないだろうか。

 


 で、本日のご下問は、それらの勅を発することの他に、琉球との同盟を如何にするかということであった。

 琉球は、南蛮の脅威を日本との軍事同盟で乗り切る存念だったが、ポルトガルとの最初の海戦に勝利したあとの日本、すなわち水軍の長に対する上から目線の態度は、信頼できる関係ではなく、利用すべき相手として見做されていることが明らかになったためだ。

 それで一旦結んだ同盟は保留としている。


 琉球王朝は、長年に渡り、大陸の中華王朝に従い朝貢貿易をして来た経緯がある。

 現時点でも、明が最上位国との認識で滅ぶとは思ってもいないのだ。



 史実ではこの頃、大陸を支配した明は、1572年にわずか10歳の万暦帝が即位した。

 始め10年間は内閣大学士(丞相) 張居正が政権を取り、国政の立て直しが計られたが、張居正の死後に親政が始まると、帝は政治を放棄した。

 在位48年中、『哱拝の乱』や日本軍の出兵による『文禄の役』(1592年) と『慶長の役』(1597年)や『楊応龍の乱』などで出費が嵩み財政が破綻した。

 このような時局を憂えた人士が東林党という政治集団が作り、以後、東林党と反東林党の政争が起こる。

 万暦帝の死後も泰昌帝は即位後まもなく急死、天啓帝は寵臣の宦官魏忠賢に国政を委ねるなど、政情の混乱が続く。3魏忠賢によって東林書院は閉鎖され、東林党の人士も投獄・殺害された。

 対外的にも弱体化により、それまで離間策をとってきた女真にヌルハチ(太祖)による統一を許し1616年に後金国が建国された。

 そして明は、1619年にサルフの戦いで後金軍に敗北して滅んだのだ。



 さて、史実と異なった新政の日本では、豊臣秀吉が行なった『文禄の役』(1592年) と『慶長の役』(1597年)は、なくなってしまったが、それでも明の衰退は留まることはないだろう。


 秀吉が朝鮮出兵、或いは中国侵攻を行なった理由は、諸説あるが、鎌倉時代の終りには建武の新政があったが、武士の仕置きに事を欠き、新政を成すことができなかった。

 そしてまた、天下統一がなったとは言え、戦国武士の数多闊歩する時勢であり、その武士達の戦いの捌け口を、国外に求めたのではないだろうか。

 あわよくば、嘗て朝鮮にあった任那のように、日本の領土を広げるために。

 この戦いは16万規模にも及び、日本軍の損害は10万人余、中国朝鮮軍は100万人以上と言われているが、日本軍が朝鮮から撤退して終った。


 

 さて、琉球沖海戦で破れたポルトガル艦隊だが、今度はフィリピンに進出しているスペインの艦隊が台湾、琉球の様子を覗っているようだ。

 いきなりの征服ではなく、交易を求めているようだが、戦力を探っているに違いない。




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天正元(1573)年8月 琉球国首里城

琉球王 尚明



「覚明(王弟)よ、その後、日本との同盟は如何がなっておる。近頃また、南蛮から交易を求められておるというではないか。」


「はあ、始めに同盟を申し入れた際には、琉球の立場に理解を示して応じてくれましたが、小太郎殿がこの宮城を訪れて以来、琉球に対する不信があるとのことで、同盟は琉球が南蛮と戦うのを見て考えるとの返事でございます。」


「ふん、所詮は我ら琉球を南蛮の盾に使うつもりよ。日本国など信用できぬわ。」


「宰相殿、わずか数千しかない琉球の戦力で、如何にして南蛮と戦うのですか。」


「我ら琉球は、明の傘下にある。それを示せば、南蛮とて迂闊に手出しはできまいよ。」


「それをどう示すのですか、口先だけでは、通りませんぞ。明の新帝は11才とか、果たして、琉球が南蛮に攻められても、すぐに兵を出してくれましょうか。」


「軍務大臣よ、南蛮が攻め寄せたとして、 何ヶ月なら保ち得ようか。」


「陛下、あの砲撃を持つ南蛮の武力には、一日否、半日とは保ちません。民共々、山中に逃げ込み身を隠すのが精一杯、しかして食糧が尽きて餓死を待つばかりにございます。

 宰相殿の言われることは、夢幻のことにて、何の益もなきことでございます。」


「この城に籠城しても無駄なのか。」


「海からの砲撃は、届かぬでしょうが、砲を城近くまで運ばれれば、あとは城ごと破壊されるばかり。援軍なくして籠城なと有り得ません。」


「陛下、我らは一度、強大なポルトガル艦隊を破っております。しばらくは、こちらの戦力を隠し、交易は許してもスペインの者達の上陸は許さぬことです。

 そして、いざ戦いとなれば、近くに日本の水軍に控えて置いて貰うべきかと。

 日本は、我らが裏切るのではないかと、危惧しているのです。

 だから、言葉だけでは信じてもらえません。」




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天正元(1573)年11月 京都二条風間館

風間小太郎



 フィリピンの商人に探らせたところ、スペインの東アジア戦略は、琉球まで支配するつもりはないようだ。

 フィリピンの香辛料貿易と、中国との絹と銀の交易で、十分な利益が得られるからだろう。

 それに、ここ数年、謎の国となった日本に対する警戒も著しいようだ。

 一時は、中国や朝鮮人、それに南蛮人達の倭寇の拠点の一つとなっていた九州の平戸を追い払われ、日本が統一されたことを知り、ポルトガルの大艦隊が消滅させられたのは、日本の艦隊と睨んでいるのだ。

 また、本国においては、新興のイギリス、オランダとの軋轢も生じていて、東洋で虎の子の艦艇を失う訳にはいかないのだ。


 

 さて、俺の暗躍ぶりを告白カミングアウトしておこう。

 スペイン占領下のフィリピンでは、香辛料農園で搾取され虐げられている住民達を密かに支援し、独立運動の種を巻き準備を進めている。

 具体的には、長柄の鎌など武器となり得る農具を普及させ、暴動が起きれば危ういと総督達に認識させて、住民を懐柔させる方向に導いている。

  

 また、台湾の部族には、農業支援を行なって、生活水準の向上と共に、部族間の交流を図り、国としての纏まりを図っている。


 目指すは、1580年のスペインへのポルトガル併合だ。1588年にはスペインがイギリス上陸作戦を行うが英仏海峡で、無敵スペイン艦隊がイギリス艦隊に破れるのだ。

 スペインの衰退が始まる時が、南蛮から占領地を奪還する機会チャンスなのだ。


 その時のために、大量の武器の備蓄も始めている。もちろん、日本の軍隊の訓練と装備の維新も進めている。

 水軍には、訓練を兼ねてハワイやフィジーなどの太平洋諸島に派遣し、また、パプアニューギニアなどに、西洋列国の脅威を広めている。

 いずれ、西欧に先駆けて、アジアから産業革命を起こし、アジアが後進国とならないように図って行くつもりだ。

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