第47話 公家の本質『婚姻騒動』
元亀3(1572)年10月 京都二条風間館
風間小太郎
新政もようやく軌道に乗り始めたこの頃、厄介な争いが陰で起きつつあると、護衛侍女軍団として、新政の要人家族に配置している風魔の『くの一』達から報告があった。
下級の公家衆は、自分達の存亡を賭けて、新政のための民衆蜂起に加わり、そして新政の開拓に、代官の下で身を粉にして努めている。
だが、公家の身分制度を廃した新政下で、自分達の特権を失った公卿や上級公家達は、新たな特権確保を図るべく暗躍を始めた。
早い話が天皇家に近づくことだ。天皇の皇子に女子を出仕させ、姫御子の降嫁を得て、姻戚となること。お家存続の道は、それしかないとばかりに
正親町天皇の生母 吉徳門院(藤原栄子)の生家は名家の万里小路家の出であり、誠仁親王の生母 房子も万里小路家の出である。
この后妃が二代続く、万里小路家とそれに繋がる公卿一派は、その地位を守ろうとし、独占を許すまじと反発する他派との攻防は、近頃、目に余る程になって来たというのだ。
具体的には、誠仁親王の妃候補が15人も乱立し、その妃候補達に対しあることないことの醜聞を流し、互いに追い落としを図って争っているのだ。
当の誠仁親王はと言えば、風間家に入浸りで、風間家の先進的な家風の影響にすっかり染まり、話が合う女子と言えば、俺の妻である佳奈と妹の未来(11才)くらいなのだが。
もっとも、普段は俺や義輝公の傍にいて、新政の進め方を熱心に学んでいる。
また、正親町天皇の一姫、永高女王の周辺でも揉めている。
女王は23才、この時代では婚期を逃した年増になってしまっている。
この数年、幾度も公卿や大名家との縁談が起きては流れた。
正親町天皇は、女王を俺の室にしようとして断わられて以後、女王の婿候補を常に俺と比較して相応しくないと撥ね付けているし、永高女王は女王で、風間家の自由闊達な女達の生き方に接して、自分も世の中に貢献する生き方をしたいと、標榜しているのだ。
そんな女王に対しても、悪意の噂を流し、このままでは尼寺行きだとか、子を成すことができぬ
余談になるが史実の戦国時代には、天皇の姫である女王が臣下の下に嫁ぐ降嫁は、奈良平安時代から続く、朝廷の権威を示す莫大な
もっとも、尼寺と言っても、一般の尼寺ではなく、門跡尼寺と言って『
皇女や公家の身分のある女性が出家入寺した寺院であり、修行や仏教儀式の他に、文学や芸術にも親しみ、住まいの調度品、室内の装飾に至るまで王朝風の生活であった。
そして、皇室所縁の独特の御所文化と言えるものが育まれてもいた。
戦国期には朝廷の衰えと同様、貧窮していたのではあろうが、一般の尼寺とは一線を画した生活をしていたことは確かである
だが永高女王本人は、下田にいた間に藤堂平次門下の医師達の講義に、教養のためとして参加していて、その影響色濃く都の救護院で女医師として働きたいと言い出している。
そんな公卿達の諍いと、皇子皇女らの行く末を案じ、弱り果てた正親町天皇は、公卿達と俺を集め、智慧を出せと命じられた。
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元亀3(1572)年10月 京都内裏紫宸殿
風間小太郎
この日、内裏紫宸殿には、関白近衛前久、九条稙通、一条内基、二条晴良の摂家当主、万里小路輔房、そして俺の6人が呼ばれて、誠仁親王の妃問題、永高女王の降嫁が話し合われた。口火を切ったのは、二条晴良殿。
「永高女王のご降嫁は、新政の混乱も治まり、朝廷の財政も豊かに戻り、何の支障もごじゃりませぬ。時が経てば女王のお立ち場が悪くなるばかり、速やかにご決断なさるべきにごじゃりまする。」
その言葉に、一条内基殿が苦言を述べた。
「二条殿は、新政を理解しておらんな。
政と朝廷の財は別じゃ。女王の降嫁のためにとて、無駄遣いはできませぬぞ。」
「さよう、女王の降嫁にしても質素に改め、新政の在り方を示して行かねばならぬ。」
「誠仁親王も21才になられる。いつまでも独り身では、皇室の行く末が不安におじゃりまする。
誠仁親王が、女房選びに迷うのであらば、異例だが歌会などを開き顔合せなどをしては如何でごじゃりまするか。」
「二条殿、誠仁親王も永高女王も、ご結婚相手を選ばれないのは、相応しいお相手がおられないからですよ。」
「そんなことはあるまい。いずれも格式高い公家の姫などでおじゃるぞ。」
「公家だからかも、知れませぬ。」
「 · · · · · 。」
「お二人は、民の中に身を置いて、何かを成し遂げようとなさっておられるのです。
そして、そのようなことを共にできる伴侶を求められております。
二条殿、そのような女房、殿御を教えてはくれませぬか。」
「 · · · · · 。」
「公家や大名、名跡寺院など身分の高い者達は、民と暮しぶりが違い過ぎて、民の暮らしを知るすべが稀なのです。
そのような者達に、民の暮らしを良くする政はできませぬ。そう思われませぬか。」
「古よりの先例に拘り、新しき政に反対するばかりの公家など不要ということじゃ。
二条家の棒録も晴良殿の代限り、あとは個々の役職で棒録を得るばかりじゃ。
身分の棒録に胡座をかき、遊び暮らす公家など、新政の朝廷の下では役に立たぬということじゃ。しかと理解なされよ。」
「関白殿、それはさておき、この始末をどうするべきなのでございますかな。」
「ふむ、小太郎殿は如何に考えておられるのかな。話してたもれ。」
「 · · · 、しからば、僭越ながら申し上げます。
誠仁親王の后妃候補の皆様には、親王の意をお話し、それでも妃になることを望まれるお方には、庶民の中での暮らしを花嫁修業としてなさっていただくことが肝要かと存じまする。
その上で、誠仁親王がお選びになればよろしいかと。
また、皇女様の将来は、嫁ぐか尼寺の二者択一ではなく、皇女のままでお過ごしなることも良しとすべきかと思いまする。」
「 · · · 、さすがは小太郎殿、我らでは考えが及ばぬことを言われてごじゃる。
しかし、理に叶っておじゃるな。」
『小太郎、再度聞くが、永高を娶ってはくれぬか。』
「謹んでご辞退申し上げますっ。」
陛下もしつこいよ、一夫一婦の深層心理がある俺には、嫁さん二人は絶対っ、無理っ。
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元亀3(1572)年11月 伊豆下田商家一膳屋
勧修寺晴子
先頃、誠仁親王の后妃候補は、庶民の暮らしを知り、庶民の気持ちを理解する者でなければ務まらぬとのことで、花嫁修業として庶民の中で暮らすことになりました。
私は、両親に言われるまま、勧修寺家のために后妃候補にされたが、別に后妃などなりたくはなかったのです。
私は、周りからも自分でも、脳天気なたちと言われており、宮中の権謀術数渦巻く中の暮らしに、とても耐えられるとは思えません。
ただ、公家の姫として家の中に閉じこもる日々から開放されて、庶民の中で暮らすという機会に、内心小躍りしています。
京から伊豆の下田までは、鉄馬車でわずか二刻余。初めて都の外の世界を見ました。
鉄馬車から見る窓の風景に見惚れて、車内で食べた駅弁に感動しているうちに、あっという間に下田に着いてしまいました。
下田の駅には、お世話になる商家一膳屋のご主人 清兵衛さんと妻の花楽さんが迎えてくれました。私の伴は風間家の護衛兼侍女の萌芽さんです。
4人で和やかに話しながら、下田の街を歩いて、清兵衛さんの一膳屋に行きました。
こんなに開放的で笑ったのも初めて。
だって見たことがないものばかりで、驚く私のことを皆が笑うのですもの。つられて、私も笑ってしまったのです。
清兵衛さんの一膳屋は、下田の表通りに面する飯屋でしたが、普通のお店の5軒分もあるような大店でした。
一階の店の入口付近では、大きな中華饅頭と言うものや、クレープという甘味が売られていて、お客さんが列をなしていました。
奥はテーブル席の食事処で、二階は甘味やお茶をゆったり飲む『甘味茶店』です。
私は、次の日から二階の茶店のカウンターで、注文の品を出す仕事を始めました。
カウンター越しに、お客さん達の様子がよく覗えます。
甘味処だけあって、女性客が多いのですが
恋人や夫婦と思われる
そんな私を厨房の中にいるおじさんおばさん達が、からかうのですよ。
日が経つにつれ、一階の入口でクレープを販売したり、奥で食事の品を出したり、暇な時に料理を教わったり、そして、街の散策を楽しんだり、あっという間に月日が過ぎて行きました。
そんなある日、清兵衛さんから今日は、人が足りないから二階の喫茶を頼むと言われ、
本当に昼時には多忙を極めて走り回っていました。
気が付けば、窓の外は真っ赤な夕陽に照らされた夕方になっていて、客も疎らになった壁際にぽつんと一人、男の方が座っていられました。
飲み物の珈琲が空のようなので、お替りをお持ちしましょうかと、話し掛けました。
「お嬢さん、この町はどんな所なのですか。田舎者で戸惑うことばかりなのですよ。」
「まあ、私もついこの間、この町に来て、戸惑っていましたわ。ふふふ。
お侍様も同じですのね、この町は私の知る限り、戦の影など跡形もなく、諍いや混乱もない街で、人々が皆、一生懸命に働いて家族と共に幸せな暮らしを謳歌している理想の町ですわ。少なくとも私はそう思っています。」
「そうですか、ここで働く方がそう思われるなら、そうなのでしょうね。お嬢さんもとても楽しそうだ。」
「ええ、とっても楽しいですわ。皆、笑顔でそれを見られる私は幸せですわ。」
「ふふふ、お嬢さんのような方に好かれる殿御は幸せでしょうね。」
「まあ、お侍様。ご冗談ばかり。うふふ。」
「あはははっ。」
それから幾日か経ち、突然、私の幸せな日々は終わりを告げました。花嫁修業は終わりだそうです。
そして、驚愕の事実も告げられました。
なんと、親王の妃に選ばれたというのです。
私は失意のうちにも、断固、妃など拒んで見せると決意を固め、宮中に赴きました。
自由で伸び伸びとした下田での暮らしを知ってしまった今、私には、他の暮らしなど考えられないのです。
宮中の書院に通され、高鳴る胸を抑えつつ今日でこの命も尽きるかも知れないとの覚悟の上で、誠仁親王に拝謁したのです。
でも、その時、私は気を失いそうになりました。
だって、そこにおられたのは、下田のお店でお会いした田舎者とおっしゃっていたお侍様だったのですもの。
実はあれから、そのお侍様に、もう一度会いたいと、そう密かに思ってしまったのです。
その方が目の前にいて、私を妃に選ばれた誠仁親王様だなんて、絶句して何も言えなくなってしまいました。
その私に、誠仁親王様は、優しく話されました。
下田の暮しこそが理想の暮しであること。宮中もその暮らしにしなくてはならないと。
それには、私の助力が必要不可欠であると。
そして、私の気持ちは侍女の
えっ、えっ、詰んだ。萌芽の裏切り者っ。
そして私は、真っ赤な羞恥に染まりながら誠仁親王様の下へ嫁ぐことを承諾していたのです。
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