第32話 足利義輝と『幕府の残党』

永禄12(1569 )年2月中旬 摂津国石山要塞

足利義輝



 ここ摂津の石山本願寺跡に新たな城かの?(小太郎は要塞と言っておったが。)を築いて西国征討の本拠地とし、総大将の儂が乗り込んで来た。

 城とは見えんし言えぬ。なにせ、建物と言うか部屋は全て地下にあり、屋根はと言えば半円に石灰練コンクリートに盛り土をして木々まで植えていて、遠くからも近くからも山にしか見えぬ。

 だが、地下の施設はとてつもなく広く、住戸や宿泊施設もろもろが巨大な城の5城分はあると思う。

 そして、引い込み式の射程20kmを超える長距離砲を8門、射程10kmの大砲を16門を備えているのだ。なにせ瀬戸内海も淡路島からこちら側は砲撃が届くのだから恐ろしい。

 小太郎に言わせれば、大群を近寄らせぬ、ただの飾りじゃと言うていたがな。


 儂がここに入ると同時に、上杉殿の第一軍が朝倉攻めを開始したと言うか、中国山陰道の進行の途中なので、討伐するとのこと。

 北畠殿の第二軍が雑賀を降伏させ、摂津国の荒木村重を討伐し、中国山陽道を進行開始するとのことである。

 今少しの間は、畿内御所近衛部隊の半数がここにおるので睨みを聞かせねばならぬ。

 播磨の別所長治、丹波の波多野秀治や赤松政秀、但馬の山名祐豊、摂津国の荒木村重らじゃ。


 儂がここに布陣したことは、錦の御旗の大軍団が全国を平定に出陣する布告と共に明らかにされておる。新たに鎮守府大将軍となったこともな。

 さて、厄介者がやって来るぞ。愚かな幕臣どもがな、ハイエナの如く群がって来おる。



「義輝様、摂津晴門と申す者が参り、謁見を願い出ております。如何致しますか。」


「うむ、早いな。近くにおったからな。

よし会おう、とおせ。」


「これは上様、ご無事なご尊顔を拝し喜びに堪ええませぬ。」


「ふむ、その方、帝の布告、詔は知っておろう。何故臣従致さなかった。」


「某は足利義輝様の臣、義輝様が生きておられる限り、どなたにも仕えませぬ。」


「儂はな、幕臣どもの傀儡は辞めたのじゃ。

晴門、政所執事というのは何をする者だ。」


「はあ、将軍家のご意思に従い、幕府の審判の政務を行うものにございますが。」


「職務じゃな。なぜ職務に謝礼賄いを受け取るのじゃ。それでは公正だとは見えぬぞ。」


「わずかな謝礼にございます。人付き合いには好意を無碍にはできませぬ故に。」


「ほう、わずかとな。1人から1文で100人なら100文。千人なら千文。1人100文なら千人で10万文。そちには、わずかな額か。

 もう幕府はない故、罷免致すことはできぬが、そちのなした幕府の政の公正さに、泥を被せた不忠は、この義輝、忘れ得ぬぞ。」


「義輝様、摂津家は鎌倉以来の名家にございます。何卒、何卒、摂津家を臣下としてお留めください。」


「『家、家にあらず。継ぐをもて家とす。』

 知っておるか、名家も当主が腐らせては、おしまいじゃ。

 鎌倉の昔は知らぬが、ここ足利幕府の数代の摂津家当主は、幕府の威を使い已の私腹を肥やして、政を歪めおった。

 そのような家臣など持ちとうはない。

 晴門、安心するが良い。糸千代丸は儂らと共に襲撃を逃れ無事じゃ。そして、民のために誠実な政が必要と学んでおる。摂津家は、糸千代丸がいる限り絶えることはない。

 たとえ、そちや家臣郎党が絶えようとな。 

今からでも遅くない、帝に領地を返上して臣従せよ。でなければ儂が朝敵として討つ。」



【 木暮銀次郎 】


「義輝様に目どおり賜りたい。幕臣の重臣、一色藤長と細川藤孝である。」


「何用でしょうか。幕府などないはず、さすれば浪人でありましょう。浪人風情が目通り叶うと思われたのですか。」


「無礼であろう。幕府は無くなってなどおらぬ。義輝が将軍を辞去されても、血縁の方々が継がれる家職なのだ。その方に咎められる謂れはないっ。」


「そうですか、義輝様の生死も分からぬうちに、弟の覚慶殿を担ごうとされたは、義輝様への謀反人ではありませぬか。

 義輝様を暗殺にでも来られたか。そうはさせませぬぞ。」


「ま、ま、待たれよ。某どもは幕府の忠臣、義輝様に害などなさぬ。」


「ならば、朝敵の波多野や山名に何故出入りしているのはなぜでありますかな。義輝様に近づき暗殺でも請負うたとしか思えませぬ。」


「 · · なぜそれを。」


「用件は分かっております。波多野や山名は許されることはありませぬ。

 彼らは下剋上を繰り返し、戦で民を殺め過ぎた。そしてあなた方、旧幕臣もそういう者達を煽り、戦を仕組んだ罪は許されませぬ。

 もうあなた方が世に出ることはありませぬ。いずれ民達に首を取られ野ざらしになる前に、潔く腹を召されるのですな。」


「ぬぬぬ、なんだと。我らを見縊るか、覚えておれよっ、後悔するぞっ。」


「しかと覚えて置きみしょう。朝廷に仇なす朝敵の一色藤長と細川藤孝でござるな。」



『なんということだ。あれから覚慶殿の救出には何度も失敗しておる。

 義輝様の居所が分かり、これで復権できると思うたが、完全に見放されておるではないか。なんとかせねば、なんとかせねば。』




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永禄12(1569)年2月下旬 摂津国池田城

荒木 村重



「ほう、では上様には目通りできなんだか。まあ良い、城の様子はどうであったのだ。」


「入口の小屋で門前払いの目に会ったから、しかとは分からぬが、単なる穴蔵を利用した、城とは言えん代物に見えた。

 急造の砦のたぐいではあるまいか。」


「しかし、良いのか。お主達にとっては義輝公は主君であろう。」


「今となっては詮無きことよ。我らに相談もなく征夷大将軍を返上なさるなど、幕臣の甲斐がないわ。

 こうなれば、義輝公には誠にお隠れいただき、次の将軍家を立てるしかない。」


「しかし、覚慶殿の身柄を捕らえることは、上手く行っておらぬのであろう。」


「将軍家のお身内は、覚慶殿だけではない。阿波のお方も毛利にお居でなさる。三好が滅びて後ろ盾がなくなり、我らの支援を喜んでお受けなさるであろう。

 ただし、そのためには、我らが力ある勢力であることを示さねばならぬ。

 だから、摂津を畿内を手に入れるのだ。」


「既に、播磨の別所、丹波の赤松、但馬の山名には、荒木殿と波多野殿へのこれまでのし絡みを捨て、畿内を手に入れることに賛意を得ておる。

 我らが幕府再興の暁には皆お伴衆だ。畿内に領地も持てようぞ。はははははっ。」




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永禄12(1569)年2月下旬 播磨国賀茂郡

農民 与兵衛



「おい聞いかや、京の都から堺湊まで、鉄の馬車が物凄い速さで走っているだと。」


「ああ、聞いたぞ。そればかりじゃねぇ、畿内じゃ新政の普請がそこかしこでなされて、田畑なんぞきれいな方形に変わり、収穫が倍になってると言うだ。

 なんで、おら達は新政に加われねぇだっ。このままだと、貧しいままだぞ。」


「あの村長のままじゃだめだな、殿様の言うなりじゃ。それに帝のお布れのこともおら達に隠しておった。帝はおら達に武士を倒し、民の世を作るのに立ち上がれと布告なされたそうだぞ。」


「くっそう、なんてこった。皆で村長を吊し上げるべぇ、おら達も新政に加わるべきじゃ。」


「「「そうじゃ、そうじゃっ。」」」




「おお、お前達、ちょうど良い。殿様から戦のお布れがあった、乱取りができるぞ。この村からは50人出す、皆、仕度せい。」


「おい村長、帝の布告があったじゃろう。

なぜ皆に話さなかった。皆を裏切ったか、戦などおめえ一人で行くがええっ。おら達は帝のお布れに従う。」


「なんじゃと、殿様に逆らう気か。罰せられるぞ、それでも良いのか。」


「罰せられるのは、おめえだっ。よくもおら達を騙してくれたな。おめえはもう、村長じゃねぇ。とっとと村を出て行きやがれ。さもないと命はねぇぞっ。」


「ひぃっ、早まるなっ。出て行く、出て行くからっ。」




「おい隣村の奴から聞いたが、村長を追い出したとよ。帝が出された布告を隠していたんだとよ。」


「布告、なんじゃ、儂らも知らぬぞ。」


「うむ、うちの村長も殿様と図って、儂らに隠しておったようだ。帝は我らを虐げる武士を討てと布告を出されているというぞ。

 きっと、他の村でもこれを聞きつければ、一揆になるぞ。あちこちの村で一揆になれば、城の侍だけでは抑え切れまい。

 我らも村長を追い出し、一揆を起こすぞ。皆の衆、よいな。」


「おお、戦するのは同じだ。帝が良い暮らしを作ってくださるなら、お味方せんでどうする。俺はやるぞっ。」


「「「おらも、儂もっ、俺もだっ。」」」




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永禄12(1569)年2月下旬 摂津国池田城

荒木 村重



「殿、陣触れを出しましたが、土豪達から兵が集まらぬと言って来ております。村々に帝の詔が知れたようで、どこも使者を追い返し、村々は一揆の構えとか。如何致しまするか。」


「ぬっ、百姓どもめ儂に逆らいおって。良い捨て置け、畿内を制すれば靡いてくるわ。

 それに、石山の砦など大した兵力も要らぬわ。城の防備を固め武士らだけで出陣する。

 その方が軍勢が精鋭になるわっ。」




 摂津有岡城に、播磨の別所軍800、丹波の赤松軍600、但馬の山名軍1.800、丹波の波多野軍1,200、そして荒木軍600が淀川を挟んで布陣した。

 播磨、丹波にも村々の離反が拡大し、あまり兵が集められぬようだった。しかし総勢5千の軍勢、十分であろう。


 布陣して数刻、淀川の向こう側を煙を棚引かせ、何かが物凄い勢いで通り過ぎて行った。あれが鉄の馬車か。

 しかし戦に役立つものでなければ、気にすることはない。後で手に入る戦利品の一つに過ぎない。後でゆっくり見聞することにしよう。


 進撃を始める日の早朝、突然に城の一画がが轟音と共に崩れ去った。


「何が起こったのじゃ。」


「殿、船です。船が海から火を吹いております。城の中に居ては危険です。早うお逃げくださいっ。」


「さてはあれが大砲か、あんな遠くから届くのか。なんだ、布陣した軍勢にも大砲の攻撃を受けてるではないか。船からばかりではないぞ、石山の砦からも火を吹いておる。

 なんと、石山からの攻撃は一度に50人も100人も吹き飛ばされておるぞっ。」


「殿っ、早うお逃げくだされっ。」


 次の瞬間、声を上げていた家老の傍に大砲が当たり、家老であった身体は千切れた肉の破片と化した。儂は右手の感覚がないのも忘れ城の裏門へと掛けだした。



【 幕臣 一色藤長 】


 なんだ、これから攻め入ろうとするところに巨大な船が何隻も現れ、敵の増援の軍勢が上陸して来るのかと備えるつもりでいたら、たちまち砲撃の嵐に見舞われた。

 見る間に陣は崩壊し、兵達が逃げ惑うておる。しかし後方の城も砲撃の嵐だし、海側には砲撃している船がいる。

 仕方なく、淀川に用意した舟や泳いで渡る

者が出始めた頃、あの煙を棚引かせた鉄馬車が近づいて来た。

 そして、淀川の対岸で停止すると、凄まじい銃撃を浴びせて来たのだ。舟上の者達も対岸にいる我らも銃撃を浴びせられ、見る間に倒されて行く。

 だめだ、我らの目論見が灰燼に帰して行く。逃げる術もない。我らもここまでの命だ。

 義輝様は、剣豪の武威だけでなく、大将軍の武威まで身に付けておられたか。どうりで我らを不要と言われた訳だ。



 この戦で、荒木村重、波多野秀治が討ち死にした。いや、亡き骸は見つからなかったが消息不明となり、それっきりなのだ。

 播磨の別所長治、丹波の赤松政秀、但馬の山名祐豊らは、軍勢を率いて参戦していなかったので生き延びていたが、貴重な軍勢を失い、一揆を起こした領民達を抑える力を失っていた。

 また、欲に駈られて戦に加わった幕臣達も一色藤長や細川藤孝らとその一党は、姿を消したのであった。

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