第30話 帝の忍び行啓と『都の救済』
永禄10(1567)年10月中旬 伊豆国下田城
正親町天皇
新政の詔を出してから半年、各地で民達が
立ち上がって、公家衆が身を挺して朕の意を汲み戦ってくれておる。
にも関わらず、朕は安全な所に匿われのうのうとしている。いたたまれないのだ。
朕にできることは、何もないのか。
そんな折に小太郎から文が来た。
まだ関東以北、畿内の西では戦が続いているが、三河や駿河、相模の様子をご覧になっては如何かと。
もちろん、身分を隠しての忍び行啓じゃ。
朕は一も二もなく、飛びついた。
伴は風魔忍び組 下坂三郎以下30名の手練達、が朕の傍らには三郎他4名しか姿を現さず陰伴である。
下田城下の発展は置こう。おそらく日の本一の発展を遂げている町じゃ。見るべきは戦場となった駿河などじゃ。
商人を装い荷馬車の横に座り、道行く人や景色を眺めている。
伊豆を出て駿河に入ると澄んだ秋空の中、見事に黄金色に実った稲の刈り入れに、勤しんでいる農民達の姿が見える。
御者席の三郎が近くの農民に声を掛けた。
「よお、精が出るなぁ。今年の出来はどいかのぅ。」
「ああ、見てのとおり豊作じゃあ。今のご領主様になってからは、毎年収穫が増えとるでなあ。少し前にはこんな暮らしができるとは夢にも思わなんだがや。はははっ。」
「秋晴れの良い天気だし、頑張りなせぇ。」
「おおっ、ありがとうよ。この実りが銭だで、頑張り甲斐があるってもんよ。」
屈託なく笑いながら話す農民が、戦のない豊かな暮らしを物語っているようで、何気なく目頭が熱くなってしまった。
駿河の村々でも、露店で多くの民が売り買いをしており、笑い声が絶えない。
朕も三郎達に付き添われながら、露店の店先を回って見た。
「旦那さん、どうだい家のお化けかぼちゃ、でかいだろう。一つ買っていかんかい。
奥さん達がびっくりするぜいっ。」
「旦那さん旦那さん、あたいの大根見ておくれよっ。よく実ってるだろ採れたてだよ。」
「さあさ、安いよ安い。採れたて新鮮な魚に貝と来たっ。今日は豊漁で半額だよっ。」
この賑わいが駿河の一農村にすぎないと言うのだから驚くばかりじゃ。まるで都や堺のようではないか。
城の名も知らぬ城下町に入っても、その賑わい活気は増すばかりじゃった。
人混みが多くて、三郎に止められたのが、残念じゃったが離れたところから見ても、民達が笑顔に溢れているのが分かった。
旅の宿は個室とは言え、普通の商人達や旅の者が利用する宿じゃった。だが狭いが湯の風呂が幾つもあり、旅の汗を流せる。
部屋は藁座敷だったが、綿の布団があり、寝心地は格別じゃった。飯も旨い白米に焼き魚や野菜の煮物、具だくさんの汁物、佃煮や漬物がついて、お替りも自由じゃと言う。
いつの間にか、朕はすっかりこの忍び旅を満喫しておった。
どこまでも真っ直ぐな街道を、のんびりと進む。道行く旅人達も、どこかゆったりしておる。
遠江に入ると、あちこちで田や畑の普請が見受けられた。多勢の普請をする者達の中に纔著姿の公家を見つけ、思わず声を掛けてしまった。それも上からの口調で。無礼者っと咎められるかと思うたが、穏やかな返事が返って来たのには驚いた。
「公家と見受けるが、そなた達、この田畑を如何様になしておるのじゃ。」
地下の者と見える男は、笑みを浮かべ咎めもせずに儂に応えた。
「帝を新政を成すために、田畑の区画を広げて、水利を良くしておるのでござるよ。
このようにすれば、作物の育ちが良くなるのでな。」
「大変な普請ではないのか。民らがよく従うておるものじゃな。」
「ふふふっ、武士らが無償でこき使っていたのとは違い、帝は飯と銭を与えてお褒めにもなさりますからなぁ。もっとも僭越ながら、帝のお褒めの言葉は、帝のお心を図って某が代って申しておりますがなぁ。」
「そなた、帝に拝謁したことはあるのか。」
「いやぁ、恥ずかしながら、そのような身分にはないのでござるよ。死ぬまでには一度、ご尊顔を拝したいと思うておりますがな。」
「 · · · (大義である)。」
朕は、普請で日焼けしたその地下の公家の顔を忘れることはないだろう。このような者が朕を支えてくれておるのだと知ったから。
三河に入った。駿河と同じように整然とした田畑があり、町外れでは武士らが農民と一緒になって道の普請をやっておった。
驚いて見ておると、汗と泥塗れの中年の武士と目が会った。ふぅと一呼吸ついて、傍に寄って来た。
「いやはや、戦より疲れますぞ。年は取りたくないものでござるなぁ。はははっ。」
「精がでるのぉ、三河では昔からこのようにしておったのか。」
「いや、ここ数年のことにござるよ。
なにせ、戦が一段落着きましたからなぁ。普請で汗を流し、晩酌の酒を飲んでぐっすり眠るのが今の暮らしでござるよ。ははっ。
こうやって普請を共にして、暮らしが良くなるのを農民らと共に実感する。悪くないことですぞ。皆、仲間と思える。皆と三河を豊かにしていると安心できるのでござるよ。」
「武士も変わられるのじゃなぁ。」
「始めは身分の違う者らと同じことをするなど抵抗があったのだが、うちの殿が民に混じり普請をお遣りなされてなぁ。俺達がぼんやりしている訳には行かんかったのよ。
わっはっはっ」
その武士の屈託のない笑顔に武士も変れる戦乱のない世に生きられるとそう確信した。
三河の岡崎城にいる松平家康と会うていくことにした。先触れの者を遣り、此度は忍びのこと故、公家の一人ということにせよと、言っておいた。するとなんと、家康の幼い頃に命を救うてくれた公家と、家臣らに言うたらしい。おかげで上にも下にも置かぬ歓迎ぶりじゃあ。
「
「おうよ家康、海のある所は良いのぉ。生の魚が旨い、景色が良い、京の都より余程暖かくて皆喜んでおるぞ。」
「それは良うございましたが、道中危のうことはございませんでしたか。」
「何もない。三郎達手練が付いておるし駿河も遠江もそして三河も、不埒な者など見かけず民達の笑顔ばかりじゃったぞっ。」
「小太郎殿の指導で、三河の改革を始めてから6年、遠江で3年経ちましてございます。
戦乱の時に比べてば年貢で倍以上、商売も入れた石高では5倍近くになりましょう。
今は、その余剰分を尾張、美濃の改革に注ぎ込んでおりまするが、やがて尾張や美濃も発展できましょう。
帝の願う国の未来も、そう遠くはございませねぞ。」
「うむ戦乱のない世の民の姿。しかと見せてもらった。良きかな、良きかな。ふふふ。」
そして朕は、いずれこの地のように日の本の国すべてがなることを確信したのである。
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永禄11(1568)年1月 京都二条風間館
風間小太郎
まだ四国の始末がつかないけど、正月だし京の都で新政に尽力している両親に顔ぐらい見せなくちゃと、やって来た。
妹の未来もこの正月で5才になり、おしゃまで可愛い盛りだ。二条屋敷の4階玄関で『只今帰りました。』と声を上げると、案の定いの一番に、トットットッと未来がどこからともなく現れて、俺に抱きついて来た。
『にいにい』しか言わないが、多分お帰りの意味だろう。その後ろから乳母の宵桜が追いかけて来て、さらに母上が現れた。
「小太郎様っ『小太郎お帰りなさい。』お帰りなさいましっ。」
「母上、只今帰りましたっ。」
「「「お帰りなさいませっ。」」」
気がつくと、大奥くの一軍団に取り囲まれていた。見事過ぎる。もしかして、土産目当てかっ。全員来たりしてないよなっ。
未来を抱いたまま、3階の父上の執務室に向かう。家老の藤原靖国や奉行達が廊下に顔を出して、挨拶してくれる。
そして父上の執務室につき、声を掛けた。
「父上、只今帰りました。」
「おお、小太郎。よく帰ってこれたの。四国の始末がつかぬうちは帰れぬかと思うていた。未来も嬉しそうじゃのぉ。はははっ。」
「父上、都も見違えるようですね。すれ違う民達の表情も明るくなってました。」
「うむ、なんとかな。咲耶も侍女達も頑張ってくれてな。思ったより進んでおる。」
「都の町中に番所が出来ていたけど、人はどうしたのです。」
「番所の頭は地下の公家衆が当番で熟してくれとる。番所の兵は、あぶれて都に出て来た浪人達じゃ。放っておくと野盗になりかねんからな。高い棒禄と揃いの鎧を与えたからなそう簡単には裏切るまい。野盗減らしじゃ、はははっ。」
「さすがは、俺の父上です。悪知恵が働きますねぇっ。お見事ですっ。」
「何を言うとる。小太郎ほど悪どくないわ。お前は嘘をつかんでも、相手をだましよる。
叡山も哀れよな、天罰で滅ぶとは。」
「父上、あれは俺ではなく本当の天罰です。きっと弥勒菩薩様がおやりになったのです。」
「そうか。ところで小太郎、儂は都へ来るにあたり、帝から従三位近衛中将に任じられたぞ。都を治めるためには必要じゃと言われてな。小太郎も承知しておると聞いた。
しかし後で分かったのじゃが、三位以上は公卿であろう。儂に宮廷務めなぞ務まらぬぞっ。生まれ育ちが小土豪なのじゃからな。」
「あはは、父上。新政が成れば辞めれば良いのです。第一新政が成れば位階など残っていないかも知れません。今のうちに母上に自慢なさればいいのです。」
「咲耶には膝枕しようとしたら、公卿になられたお方がそのような醜態を見せてはいけませぬと、叱られたわい。誰のせいじゃ。」
「さあ、父上。最近忙しくて母上に優しくしていないのでは。そうだ、へそくりで西陣の着物でも買ってあげれば喜ばれますよっ。」
「うぬっ、もう一着、買わされたわいっ。」
どうやら父上は母上に膝枕して貰えなかったことが悲しかったようだ。そんなの夜に、仲直りすれば済むんじゃないかな?
俺のせいじゃないもんね。さあ、母上に甘えて来ようっと。
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永禄11(1568)年1月 京都二条風間館
風間未来
にいにいが帰って来たの。未来はすぐわかったの。だって、にいにいの足音だってわかったからなの。
ふしぎって乳母の宵桜がいうの。あたしずっとまえから、にいにいのことや仲良しの今川の姉妹のことがはなれていても、なんてなくどうしているかわかるの。どうしてか知らない。
このお城にきてよかったのは、お友達がいっぱいいるの。一階の南のこうえんには、遊びどうぐがいっぱいあって、いつもお友達がいっぱい。おない年のあさりちゃんとえりかちゃんとゆうかちゃんが仲良しなの。いつも三にんであそぶのはしのびごっこ。
おとこの子もいるけど、よわっちくてつまんないの。だって、あしの間をければ、すぐ泣くもの。
【 風間 咲耶 】
京の都へ行くと聞いた時には、田舎者の私が暮らせる所かしらと不安になったわ。
だけど小太郎が都では貧しくてひもじくて病気や怪我を治すこともできずに毎日大勢の人が亡くなっていると聞いて、自分だけ良い暮らしをしている時ではないのだと思った。
来て見れば、伊豆が天国かと思えるくらい酷い有様だったわ。
道にごみにまみれた乞食達が溢れ、痩せこけた子らが座り込んでいる。私は館に着くなり荷解きもせず、侍女達と炊き出しの用意をして町中に出たわ。そして乞食達の多い場所で炊き出しを始めたの。
始めは毒が入っていて、自分達を始末するつもりなのではないかと疑う素振りを見せたけど、美味しそうな匂いにつられた子共らが食べ満足しているのを見て、たちまち大勢が寄って来たわ。
次の日からは大殿が都の寺社に米と具材を運び込み、炊き出しをするように命じたの。
それはたちまち都中に知れ渡り、弥勒菩薩様が都にやって来られたのだとか噂になったわ。侍女が教えてくれるまでその弥勒菩薩様が私とは知らなかったけど。
大殿の動きも速かったわ。炊き出しを寺社に命じ、風魔の者達に治安の見回りと普請の高札を立てさせ、わずか3日で都の地図を作り上げると、5日目から普請を始められた。
普請には3食が振る舞われ、普請をする男衆、賄いをする女衆、ごみ広いをする子ら、普請の材を加工する年寄、不具者まで棒禄を支給することで、普請を始めて3日目から、都には活気が溢れ出したの。
私は始め館で病気怪我の治療をしたのだけど、とても対応できる数ではなくて、下田に応援を頼み、やっと幾つかの寺社に救護所を設けてなんとかできたわ。
応援が来るまでの2週間、私が治療した病人は5千近いと思う。数えきれないもの。
侍女達も同じ。病人の身体を洗い清め、衣服を替えさせ、病に合った食事をさせて、薬を与える。そんな日々で過ごし部屋には布団しか、敷かれてなかったの。
あっはっはっ、笑い話みたいよね。
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